ようこそ、RPGの世界へ
目が覚めると、俺は無限の暗黒が広がる空間で横になっていた。
今わかることは、自身の体が横たわっているという現状のみ。オレンジのパーカーと黒のジーンズという普段着で、俺は横たわっていた。
何故、自分はこんな状況下に置かれてしまっているのか? 以前までの記憶を思い出せないまま頭を掻き、取り敢えずと無気力に起き上がってみる。
立ち上がり、遥か彼方まで続く暗黒の空間を見渡す。音も物も、何も無い不気味に広がる空間を目にして、何だか途方も無い虚無感に襲われた。
なんか寂しい場所だな。危機感の無い呑気な一言を脳裏に浮かばせた、その時――
「やぁ、目覚めたようだね」
背後から投げ掛けられた、中性的な声。二重に重なった男女の声を耳にして、得体の知れぬ寒気を感じながら咄嗟に俺は振り向く。
振り向いたその視界の先には、ある一人の少女と思わしき姿が確認できた。
「うっくくく、気分はいかがかな?」
生理的に聴覚が拒む、その耳障りな声で。着用しているワンピースから、肌や髪も含めて全体的にモノクロ調な色合いという姿で。
そんな身なりで微笑を零しながら、からかう調子で尋ねてくる少女。彼女の姿を見ていると、一昔前の白黒テレビの中で動いていた出演者を思い出す。
それに加えて、渦巻く螺旋状の瞳。悪戯な笑みを浮かべる口。途中で器用に折れ曲がった、跳ねた前髪。
身長は百六十五といったところか。その腰にまで伸びたモノクロ調のロングストレートを指でいじりながら、浮遊する黄で彩られた三日月にうつ伏せで乗りかかっている。
「事前に言っておこう。まぁ、安心したまえ。別にこの場所は、そこまで恐怖を抱かなくてもいい快適な場所だからさ」
胡散臭さを交えた調子で嘲笑うように喋り出し、モノクロ調の少女はその耳障りな声で淡々と続けていく。
「よくゲームであったりするだろう? なんの前触れも無く、事前の説明も無いまま唐突と物語が始まる作品とかさ。まぁ、それと同じさ。つまり、今ここでは深く考えてはいけない場面なんだよ。そう、今のキミは全て成り行きに身を任せて、状況に流されるがままに目の前の現実を受け入れていけばいいんだ。だから取り敢えず、まずは頭を空っぽにしなよ。じゃなきゃ、次の話についてこれないぜ? それじゃあそろそろ、本題といこうか――」
狂気を宿した尋常ならざる瞳を向け。悪魔を想起させる異常な裂け具合の口で喋り。三日月に腹から乗り掛かったまま見下すような態度で。
不穏な空気漂う状況下に置かれた俺の様子を存分に楽しむ少女。そんな彼女が次に何を喋り出すのか。俺は生唾を飲んで次なる彼女の言葉を待っていると――
「ウェルカムトゥーザ・ワールド!! アーッッハッハハァッッ!! なんと、キミは選ばれし者だ!! あァ幸運に導かれし迷える仔羊よ。あァキミの運命的なる来訪を。あァ我々は心から待っていた実になァァッッ!!! そう――キミは選ばれたのさ。だから、これからはもう迷う必要なんてないんだよ。さァ残りの人生、あとは心の赴くがままに生きていけばいいそう本能の求めるがままに生きていけばいィただそれだけのことなんだよォッッ!!!」
一人、狂気的に盛り上がり始めた少女。
完全に人間としてアブない表情を隠すことなく浮かべ。うつ伏せの体を反らせながら両腕を広げ。狂乱の余韻を維持したまま、静寂の沈黙を迎えたこの状況。
もはや、一線を通り越して困惑の感情しかない。というか、この沈黙がやけに恥ずかしくさえ感じてきてしまう始末。
「――あァはい、で。おや? 何だか嬉しそうには見えないな。一体どうしたと言うんだい?」
そしてそれは、少女も同じだった様子。
まるで何事も無かったかのように、冷たい視線を送りながら冷静に尋ねてくる。
「え、どうしたって……どうしたも何も、今の状況がサッパリわからないから、どうすることもできないんだよ」
「感情に乏しいねぇ。もう少し笑ってみるといいよ」
馬鹿にされたものの、優しいワンポイントアドバイスを添えてくれた。
「あんにゃ。それで、だから、さっきも言っただろう? ここは頭を空っぽにして、流れ行く展開を受け入れていく場面だと。はァ何? それでも納得がいかない? あァはい、まぁ焦るなよ。仕方ないな、じゃあ順を追って説明するとしようかね」
先程のテンションで気力を使い果たしたのか、冷めた顔で気だるげのままロングストレートの髪をいじりだす少女。
この安定しない感情の波からは、少なからず狂気を感じる。そんな彼女が説明するというこれからの話の内容も、さぞろくなものではないんだろうなと。
そんな、まともに聞く耳を持たない姿勢で俺は突っ立っていたのだが――
「まぁ、至って単純な話さ。うっくくく、キミにはこれから、二次元の世界を創造してもらうってだけの話だからな」
「…………は?」
少女の口から飛び出した言葉に、俺はただ唖然としてしまった。
二次元の世界を作ってもらう。至って単純な話には聞こえないというか、そもそも創造できる次元のものではないだろう。そんな困惑交じりの思考が、俺の脳内を目まぐるしく巡る。
「あァ言葉通りの解釈でいい。そう、キミにはこれから、二次元の世界を創造してもらって、そこで二次元らしい暮らしを送ってもらいたんだよ。な、至って単純明快且つ悪い話ではないだろう?」
「え。いや、あ? いや、ちょっと余計にわからない。世界を創造って、つまり創るってことだよな……」
「あァそう。なんてったって、この手にかかればあらゆる物語を生み出せるし、あらゆるシナリオを構築することができるし、あらゆるストーリーを体験することもできるんだ。だから、キミが行きたいと願う二次元の世界があるのであれば、ぜひとも我々に伝えてほしい。そうすれば、キミが望んだ世界へと連れていってやるからさ」
宙をこねくり回すように右手を動かす少女。そのモノクロ調の目からは、どこか期待を感じ取ることができる。
「まァ、好きなだけ悩めばいい」
捨て置くように呟く少女。少女は仰向けになって、反り返った三日月に寄りかかる。
指を眺め、爪を紙やすりで削りだすその様子を見ながらも、俺は非現実的な状況下での非現実的な提案につい頭を悩ませてしまっていた。
にわかには信じ難いけれど、今の目の前の状況だって、にわかに信じられないものだしな。である以上、あの子の提案も本物のように感じてくる。
とは言え、あんな、狂気でドス黒くなった湯船に頭まで浸かっているような少女の提案に乗るのも、何だか気が引ける。のだが、しかし。それ以上に俺は、内側から訴えかけてくる好奇心の感情に逆らうことが出来なかった。
「なぁ、一つ訊いてもいいか?」
好奇心に支配されたこの身体は、いつの間にか少女に言葉を投げ掛けていた。
「えっとな、ちょっと気になることがあるんだけれども。えっとさ、もしだけど、俺が主人公のゲーム世界を創りたいって言ったら、その言葉の通りの世界を創ることができるのかなって……思ってさ。まぁ、いやまぁ、やっぱなんでもないわごめん。やっぱりさすがに無理があるか――」
「自分が主人公のゲーム世界だと……? ――ほう、そうか。そうか、なるほど。なるほど、そうか。そうかなるほどそうかなるほどな――!!」
未知との遭遇か。信じられないものを見る目で俺を見つめてきた少女。わざとらしい様相で狂乱しながら独り言を呟き始めた挙句、次第に愉快げな表情を浮かべ始める。
そんな少女は、頭のおかしい奇声を発しながらうつ伏せになって期待の眼差しを向けてきた。
「キミ、頭良いなッ!! あァこれはオイラじゃあ一片たりとも思いつかなかったナイスでグッドのベリーグレートなアイデアだッ!!!」
目の前の少女。一人称はオイラなんだな……。
「あァあ何だか面白くなってきた! いやァっはっはっは!! こうしてキミと出会えたこの瞬間に、改めて運命を感じてしまうよ!! あァじゃ、どんなゲームがいい? ねぇ、キミはどんなゲームが好きなんだぃ? なァ聞かせてくれよオイラに聞かせてくれよ」
「えっと、まぁ、魔王を倒すために冒険する、王道なRPGとか……? あとはアクションものが好きだし、世界を自由に渡り歩けるものなんかもすごく大好きかな……?」
「あァはぃじゃありょーかいー。それじゃ早速、キミのアイデアを創造していこうじゃないか。……さァ生成されるがいい。さァ生まれるがいい。さァ誕生するがいい――キミが主人公の、新たなゲームの世界よッ!!」
その狂気が宿る表情のまま。少女は広げた両腕を勢いよく振り、聞いただけで痛ましい両手の音が打ち鳴らされる。
それと同時に、ドット調の画面揺れのサウンドが流れ、若干視界が揺れ出す。次第に収まった揺れに俺は辺りを見渡すと、なんと足元には、緑や灰色の大地と青の海原が遥か彼方にまで広がっていたのだ。
「おめでとう!! これでキミは晴れて、このゲーム世界の主人公となった!! さァ、あとは主人公であるキミが天空から落下すれば、この無限に広がるオープンワールドで打倒、魔王へ向けた冒険が繰り広げられるゲーム世界の幕が開くぞ??」
「す、すげぇ……すげぇ……ッ!!」
心を躍らせる俺と、焦らすように得意げなニヤけ顔を晒す少女。
「だがまァ、主人公である当の本人のコンディションがまだ整っていないからな。さて、まずこの手のゲームで最初に現れる画面は、だいたいはキャラクターメイキング画面だよな?」
「あ、あぁ。そうだな、確かに」
「はい、じゃあそういうことで。キミにはこのゲーム世界にお似合いな設定を行ってもらう。じゃあこのワープゾーンに乗ってくれ――――」
俺の着替えシーン及びキャラメイクのシーンは割愛。
しばらくして、俺はその見違えるほどに立派となったこの姿で再び少女の前に立っていた。
「まァ、いいんじゃねぇの? うっくくく、以前よりはだいぶゲーム世界に馴染んだ見た目になったんじゃないかね? ただ、顔以外はひどくダサい見た目だがな、うっくくく。降り立った先で防具でも整えるってこったなァこれは」
俺の外見を簡単に説明すると、身長百七十五。黒のショートヘア。オレンジの瞳。イケメン寄りに整えた顔。
キャラメイクでそれらしい見た目となった俺の姿。そこに序盤でお世話になるであろう防御力の低い服である、ベースが若葉色で袖部分が白色の長袖な民族服。焦茶色がベースの七分丈のズボン。焦茶色の靴。若葉色の安っぽい手袋。これらを装着し、俺はいかにも冒険者っぽい外見となった。
あとは名前も設定。RPGなゲーム世界の主人公ということもあり、俺は戦の戦神であるアーレースの別称と、勇敢という英単語からそれぞれ取ってくることで"アレウス・ブレイヴァリー"という名前を設定。
ゲームらしいフォントやプログラムの波を身に纏いながら、ゲームのキャラメイク画面から再び少女の元へ姿を現す俺。
「ほう、一通りの設定を終えてきたな?」
溢れんばかりの期待で歪みに歪んだ少女の顔。モノクロという彩色も合わさって、今まで以上に不気味さへの磨きをかけている。それはもはや、少女が浮かべるであろう表情ではなかった。
「さて、準備が整ったということで、キミはいつでもこのゲーム世界へ飛び出すことが出来る。そして、これから舞い降りる世界はキミが主人公のゲーム世界だ。だがまァ、まずはそれが何を意味するのかをキミに知ってもらわなければならないのだがな」
狂気で歪んだ表情を緩める少女。先程までの悪魔の如き顔から一転、何かに思い悩んでいるような、無愛想な表情を浮かべる。彼女なりの真剣モードの際に浮かべる表情なのだろうか。
「ある意味、ゲームにおいて一番苦労するのが、主人公という役だ。彼、又は彼女は、様々な出来事に巻き込まれる。そこから転じて様々な危機に直面し、様々な感動を目の当たりにするのがメジャーだ。云わば、世界の中心となる人物とでも言えるか。そして、それは今回新たに生成されたゲーム世界でも同じことが言える。その様々な場面を巡る主人公の役が、アレウス・ブレイヴァリーことキミだ」
折り曲げた左腕に右肘を乗せ、頬杖をつきながら真剣な眼差しで話を続けていく少女。
俺へ言い聞かせるような口調と調子が、どこかただ事ならぬ雰囲気を演出している。
「このゲーム世界では、キミが主人公だ。つまり、このゲーム世界においてはきっと、キミ中心で世界の情勢が回るだろうな。うっくくく、それが何を意味していると思う? それはな、"この世界の行方は、全てキミに託された"ということなのさ」
口角を吊り上げ、からかう調子で言い放つ。
俺へプレッシャーを与えるためか。彼女の一言で鳥肌が立つと共に、心の奥底から湧き上がってくる緊張感。なるほど、これは彼女の思惑通りの反応というわけか。
「そして、旅立つ先がゲーム世界である以上、キミには"フラグ"というシステムが、全世界に概念として張り巡らされていることを把握してもらいたい。ゲームというのは、あるきっかけから転じて様々なイベントが発生したりするだろう? フラグというのは、云わばそれを引き起こす条件のようなものだ。そう、ある条件を踏んだことで成り立つシステムが、フラグというもの。そして、それが全世界に漂っている。さぁ、これが何を意味していると思う? うっくくく……」
悪戯に吊り上げられた口角が笑みを演出するが、一方で瞳は感情を失ったように光が消え失せている。
笑っているのか。からかっているのか。感情を読み取れない少女の不気味さに、俺の背筋には絶え間なく悪寒が走り出した。
「"キミの選択肢次第で、この世界の行方が定まる"。そう、キミは主人公だ! キミはゲームの世界で主人公として行動することが出来る。キミはゲームの世界で主人公として生きることが出来る。そして、主人公であるキミは、このゲームの世界で何でもすることが出来るのさ! だから、主人公という設定を利用して、好きなように女の子と戯れることだって出来るんだし? 主人公補正を利用して戦闘で無双することだって出来るだろうし? はたまた、ダークヒーローとなって登場キャラクターを片っ端から殺害して回ることだって出来るのさァ!!」
自身の言葉に恐怖を演出し、説得力を加えるためか。目の前の"それ"は、突如として少女という形を失い始めた。
こねている途中の粘土のような形容し難い物体へと変形したそれは、一人の男性を形成し、剣へと変形し、悪魔の形相を浮かべた怪物へと姿を変えていく。
「だから、キミは主人公として自由に生きてくれて構わない。ただ、これだけは肝に銘じておくように。これからキミはゲーム世界へ降りる。そして、キミはゲーム世界で第二の人生を送ることになる。だが、このゲーム世界へ踏み込んだその瞬間、ここはゲームの世界だという認識を改めなければならないことになるだろう。何故なら、行く先がゲーム世界と言えども、その世界には生物の概念というものが成り立っているからだ」
怪物の姿を崩した"それ"は、再びモノクロ調の少女へと姿を変える。
「生物である以上、脳みそが取り付けられている。そう、個々の生物には、それぞれ意思というプログラムが設定されているんだ。だから、このゲーム世界全てを自分の思うがままに操れるという認識をしているのであれば、その考えを今すぐにでも改めた方が良いだろう。それは、都合の良い勘違いにしか過ぎないのであるからな。それだと、ゲーム世界に蔓延る生物皆、ただの操り人形と化してしまうだろ? だから、その辺を踏まえた上での主人公ライフを送ると良い。まぁ安心しろよ。むしろ、数々のフラグを立てながら過ごしていけば、そのゲーム世界でしか味わえない特別な生き甲斐を見出せるだろうから……うっくくく」
淡々と話していく少女の口調は、次第に柔らかく優しいものへとなっていく。
先程までの気狂った頭のおかしなあの姿が、まるで嘘のように。何か、人生の全てを悟ったような無表情を浮かべ、少女は光の戻った瞳をこちらへ向けてきた。
「……さぁ、それではプレイ開始といこうか?」
笑みを含んだ明るい調子で喋りながら、少女は指を鳴らすために右腕を持ち上げたその時。
「……あァまぁ、しかし、ただゲームを開始するだけというのも、何だか味気が無いか。うっくくく。あァじゃあ、キミはせっかく主人公となったのだし。ここは一つ、オイラから特典というものを用意しようじゃないか。この場でしか手に入らない、超激レアな限定特典だ」
持ち上げた右腕を下げるや否や、おもむろに両腕を勢いよく振って再度聞いただけで痛ましい両手の音が打ち鳴らされる。
その瞬間、少女の目の前から光を帯びた別の少女がゆったりと降りてきたのだ。
銀色のショートヘア。青色の瞳。まだまだあどけなさが残っておりながらも、その見た目通りに優しさが表情に表れている可憐な顔。
身長は百六十ちょうどか。全体的に色白で、清純を思わせる白のノースリーブパーカーに。清純の対比とも言えるだろう、影を思わせる黒のホットパンツ。よく見掛けるような、黒のスニーカー。ふくらはぎまで包む黒のソックスという一式に身を包んだ、元気ハツラツな見た目の女の子。
一見するとナチュラルな服装ではあるものの、それは意外にも露出が多く、想像以上に中々と際どい。しかし、その際どさは控えめな胸部によって絶妙に軽減されていた。
それでもって、この少女の特徴。それは胸まで伸びた、まとまりの無い両サイドのもみ上げ。そのもみ上げに絡み付くように緩く巻かれた黒のリボン。
それらの装飾によって、より少女としてのあどけなさが演出されている。
そして、トドメに――
「初めまして。この場をもって永続的に主人公様のナビゲーターを務めさせていただきます、主人公様専属のナビゲーター、デフォルト名、ナビ子と申します。以後、球形の妖精の姿と使い分け、主人公様のお傍で陰ながら冒険のサポートを致します。まだまだふつつかもののワタシですが、どうぞよろしくお願い致します」
「あ、アレウス・ブレイヴァリー……です。よ、よろしく……?」
少女の、ちょっと緊張気味な敬語というオプション付き。
控えめな優しさを醸し出す、癒し系の声で一通りの自己紹介を終えた、ナビ子という少女。胸に手をあててふぅっと一息をつくその様子から、溢れんばかりの初々しさを感じさせる。
「ただいま呼び名が主人公様と設定されておりますが、早速、変更の方をなされますか?」
「へ、変更……?」
あぁこれはもしかして、初期設定というものなのかな。
……そうか、俺はもうゲーム世界における主人公としての扱いを受けているんだな。
「えっと……変更するとなると、どんな名前に設定できるんだ?」
「呼び名の変更、ですね。では、現在の設定を一度リセット致します――はい、それでは呼び名の変更を行います」
緊張で口ごもりながらの初々しい調子で、なにやら自身の設定に関するプログラムをいじっていた模様。
「現在の設定:タイプ一、主人公様。変更可能な名の候補。タイプ二、主様。タイプ三、ご主人様。タイプ四、旦那様。タイプ五、マスター。タイプ六、アレウス様。タイプ七、ブレイヴァリー様。現在の設定を含めて、候補は全部で八種類となりますが、いかがなされますか?」
「あ、あぁ。それじゃあ……ご主人様で……」
「タイプ三、ご主人様。ですね。ただいま、変更を行っております――完了。ご主人様……ご主人様……。えっと、これからもよろしくお願いします。ご、ご主人様……!」
自身の中で設定を行ったものの、言い慣れない呼び名で困惑しているのか。
頬を赤らめ、視線を外しながらちょっと恥ずかしそうにしているナビ子。今の設定に慣れるためか、俺の呼び名を何度も連呼しているその姿。本人は必死に練習を行っているだけというものの、そんな初々しい様子に何だか癒しを感じてしまえる俺であった。
「さァ、これであとは旅立つだけになったな」
からかうような調子で。嘲笑うかのような口元で。
愉快げにこちらへ視線を向けてくるモノクロ調の少女。その狂気は今もなお健在で、彼女の瞳を眺めているだけでも吸い込まれてしまいそうな感覚に陥る。
「さて、アレウス・ブレイヴァリー! その勇敢なる戦神の名のもとに、さァ物語の序章へとその勇気の一歩を踏み出すがいい!!」
少女が指を鳴らすと共に、俺の目の前に白い輝きを放つワープゾーンが出現する。
それと共に、一刻でも早く踏み出したい。新たな世界へ飛び出していきたい。そんな好奇心と冒険心が俺の心を十分に満たしていく。
……だが、俺はこの気持ちを抑えた。
それは、どうしても彼女へ訊かなければならないであろう、ある疑問が心の奥底に突っかかっていたからだ。踏み出すのは、これを尋ねた後にでもしよう。
「……なぁ、君は一体誰なのかが全くわからないし、そもそも人間と呼べるのかどうかも疑ってしまうような不思議な人だけれど。どうして俺のために、わざわざここまでのことをしてくれたんだ?」
俺の問いに、少女は意識してからかうように眉をひそめてきた。
「何故って? そりゃ、キミという人間が、オイラにとって特別な存在だからさ。あァでも、まァ別にわざわざ、これまでの記憶を深く思い返してみなくてもいいよ。だって、キミにはまるで心当たりなんてないだろうから。そう、これは飽くまでオイラ個人的の問題である一方的な感謝の印なのだからね。まァ、もっとも。キミには以前までの記憶というものが残っていないだろうけど」
三日月にうつ伏せとなったまま、身体を反らせてやれやれと両手を持ち上げる。
何だか、よくわからねぇな。そんな俺の理解を放棄した思考能力。そして、意識は次第に、目の前のワープゾーンへと向いていく……。
……まぁ、彼女のことは別にいいか。
「なんか、ありがとな」
「むしろ、礼を言うのはオイラの方さ。キミが来てくれて、本当に良かった。ありがとう」
狂気に溺れた少女の口から発せられた、優しいありがとうの一言。
意外と可愛いところあるじゃん。と、そんな呑気なことを考えながら、実体の無い球形の妖精となって俺の左肩付近を漂うナビ子と共に、この一歩を踏み出した。
ワープゾーンを踏みつけると同時に途絶える意識。
自分の身体が微粒子となって送られていくような浮遊感を感じながら。
俺はナビ子と共に新たなるゲーム世界で第二の人生を送ることとなったのであった。
「――――ウェルカムトゥーザ・ゲームワールド!!! ……そう。キミはオイラにとって、かけがえのない特別な存在なのさ! そぅ、オイラにとって特別な存在なんだよ。そゥさ、キミは、オイラにとって、特別のね…………ッうっくくく――く――ぁ――アーッハッハッハッハ――――!!!」