「かわいそう」(13)
今回はニコレット視点です。
「皇妃様。朝です」
その日、ニコレットはマリーアにゆすり起こされて目を覚ました。何度か瞬きをして、ベッドに手をついて上半身を起こす。
「……眠い」
ぽつっとつぶやいたニコレットに、マリーアはあわてたように尋ねてきた。
「えっと、お体の方は大丈夫ですか?」
「……眠いわ」
「……そうですか」
微妙に話が通じていない気がしたが、マリーアは話を打ち切った。ニコレットはあくびをしながらベッドから降りる。そこで、ぐっと伸びをした。
昨夜は、ずっとヴォルフガングに抱きしめられたまま眠っていたので、少し体が強張っていた。だが、普通に動けるし問題はない。ただ、ヴォルフガングがあまりにも強く抱きしめてくるので、夜中に何度か目を覚ました。そのために寝不足なのだ。
ヴォルフガングはすがりつくようにニコレットを抱きしめていた。昨日の夜会の途中からおかしかった気がする。……ああ。ライヒェンバッハ公爵が現れた時からだ。
ニコレットは自分で結論を出した。マリーアとヘルマに手伝ってもらい、身支度を整え、今日することが決まった。ライヒェンバッハ公爵について調べるのだ。とはいえ、それはすぐに終わった。
ライヒェンバッハ公爵は、ヴォルフガングの一人目の妻の父親であるらしい。謀反をたくらんだとして5年間の謹慎処分を下され、ちょうど今年、それがとけたらしい。
たったそれだけの情報で、ニコレットはなぜヴォルフガングが取り乱したのかわかるような気がした。
「皇妃様」
ヘルマが、宰相フォーゲル公の来訪を告げた。ニコレットは彼をにこやかに招き入れる。
「どうしたの、フォーゲル様」
にこやかに尋ねたニコレットに、フォーゲル公は少し気まずげな表情を浮かべる。ニコレットは笑みを浮かべたまま少し首をかしげた。
「皇妃様に、お手紙が届いています」
「手紙?」
「誠に勝手ながら、開封して読ませていただきました」
私の独断で、皇帝陛下は関与しておりません、とフォーゲル公はそう言った。ニコレットは「それは構わないけど」と不思議そうな表情なった。
ニコレットに手紙を送る人物は、誰だろうか。父や兄弟たちが送るとは思わないし、修道院の誰かだろうか。ニコレットのその予測は、ある意味間違っていなかった。
フォーゲル公から受け取った手紙は短かった。差出人を見ると、ニコレットが幽閉されていた修道院にいた修道女からだった。中身を読んだニコレットは驚きに目を見開く。
「皇妃様?」
マリーアが心配そうにニコレットに呼びかけた。ニコレットはどうにか震える手を押さえつける。
ニコレットが育った修道院が、火事で焼けたらしい。修道院にいたほとんどの修道女や修道女見習いは逃げられずに焼け死んでしまったこと。修道院長は最後までみんなを避難させようとして、結局、逃げ遅れてしまったことが書かれていた。
最後に、ニコレットの幸せを祈る言葉が書いてあり、胸が痛くなった。泣きそうになるのを必死でこらえる。
「……事実確認が済んでおりませんので、もしかしたら、誤報かもしれません」
泣き出しそうなニコレットの表情を見て、フォーゲル公が言った。だが、ニコレットは首を左右に振った。
「いえ……たぶん、事実だわ」
確認する必要などない。修道院が焼けたのは事実だろう。ロワリエ王なら、やりかねない。
ロワリエ王は、予言を受けたニコレットの痕跡を消そうとしている。予言を授けた予言者を殺し、ニコレットを取り上げた産婆を殺した。ニコレットとその母は殺されることは免れたものの、辺境に幽閉された。母はすでに亡くなっており、ニコレットはハインツェル帝国に嫁いだ。
あとは、ニコレットが育った修道院を消せば、ニコレットがいた事実が消える。そう言いたいかのように、ロワリエ王がニコレットに関連しているものを消していても不思議ではない。それほどまでに、ロワリエ王は予言を、そして予言を受けたニコレットを恐れているのだ。
「……皇妃様」
フォーゲル公が黙り込んだニコレットに、心配そうに声をかけた。ニコレットは震える声で「大丈夫」と答える。声が震えていたので、大丈夫ではないことが丸わかりだったが。
ニコレットは、一度しか会ったことのないロワリエ王に対して無関心だった。どうでもいいと思っていた。しかし、もしも自分の予想が正しいのだとしたら、彼を恨むかもしれないと思った。
△
フォーゲル公が仕事に戻り、昼食を終えて午後になると、珍しく雨が降ってきた。ニコレットの心の中を代弁しているようで思わずため息が出た。
「……皇妃様」
マリーアがつぶやく。声をかけたくても、安易な発言ができなくて困っているのだ。何となく、室内は重い空気に包まれていた。
ニコレットがいつものように窓際のロッキングチェアで本を読んでいると、ヘルマが再び来客を告げた。今日は客の多い日だ。誰が来たのか尋ねると、何とライヒェンバッハ公爵が来たらしい。
「何の用かしら」
「はじめてお目にかかった皇妃様にご挨拶を、と申していましたが」
言ったのはヘルマだが、彼女も不審そうだ。かといって追い返すのも気が引けたため、ニコレットは応接間で待っていてもらうように頼んだ。フォーゲル公なら部屋にあげてもいい気がするが、ライヒェンバッハ公爵はダメな気がしたのだ。
応接間は皇妃の私室の隣だ。一度廊下に出て、ニコレットはその応接間に入る。中で待っていたライヒェンバッハ公爵は、ニコレットが入出したのを見て立ち上がった。
「これは皇妃様。昨日はありがとうございました」
「こちらこそ、お目にかかれて光栄です。ライヒェンバッハ公爵」
お互いにそんなこと思っていないだろう、と言う社交辞令を口にする。双方とも笑みを浮かべていたが、目が笑っていなかった。ニコレットはライヒェンバッハ公爵の向かい側の椅子に腰を下ろした。
「わざわざご挨拶に来ていただき、ありがとうございます。私に何かご用でしょうか?」
「礼など結構ですよ。挨拶に参るのは当然です。本来ならもっと早くにご挨拶に伺いたかったのですが、何分、先日処分が解けたばかりでして」
にやり、と笑うライヒェンバッハ公爵に、ニコレットは笑みを張りつけたまま「伺っておりますわ」と答えた。
「宮廷への復帰、おめでとうございます。歓迎いたします」
型通りの言葉を返したニコレットに、ライヒェンバッハ公爵は面白くなさそうな表情になる。彼は、突然言った。
「皇妃様は人質としてこの国に嫁がれたそうですね」
ニコレットは少しむっとした表情になる。
「人質であろうが、今は私が皇帝陛下の妻です」
「そうおっしゃると言うことは、私の娘が陛下の最初の妻であったこともご存じのようですね」
ニコレットはライヒェンバッハ公爵のセリフに顔をしかめた。その言葉は、4人目の皇妃であるニコレットのことを慮っていない言葉だった。だが、ライヒェンバッハ公爵はニコレットが指摘しないのをいいことに話を続けた。
「私の娘、リーゼロッテは、皇帝陛下に愛されていたのですよ」
「……」
ニコレットはなんと返答すればいいかわからず、沈黙した。そうですか、と言うのも違う気がするし、ヴォルフガングが本当にリーゼロッテを愛していたのかは、彼本人にしかわからない。
「ですが、娘は陛下を怖がり、毒殺しようとしました。そして、陛下はそんな娘を容赦なく殺しました。確かに、愛していたのに」
「……」
これにも沈黙を返す。確かに、ヴォルフガングの1人目の妻は彼の毒殺をたくらみ、ヴォルフガングに殺されたとされる。しかし、その毒殺はライヒェンバッハ公爵の指示であった可能性が高い。証拠が見つからなかったため、ライヒェンバッハ公爵は五年の謹慎処分、という軽い罪となったのだが、マルクスから話を聞いた時、ニコレットは、ライヒェンバッハ公爵が指示した、と言うのは本当だろう、と思った。ただの直感である。
ライヒェンバッハ公爵は少し、ニコレットの父ロワリエ王に似ている気がする。ライヒェンバッハ公爵はヴォルフガングが怖い。ロワリエ王はニコレットが怖い。だから、彼を、彼女を排除しようとする。
ライヒェンバッハ公爵は、返す言葉を見つけられずに沈黙しているニコレットに向かっていやらしい笑みを浮かべた。
「皇妃様。陛下が恐ろしくはありませんか? 国に帰りたいとは思いませんか。もし、皇妃様がロワリエへ帰ることを望むのでしたら、私がすべて取り計らいましょう。その代り、皇妃様にもやっていただきたいことがあります」
「……皇帝陛下の暗殺かしら」
「おや。私は何も申しておりませんよ」
ライヒェンバッハ公爵はそう言ったが、その表情を見ればすぐにわかる。彼は、ニコレットにヴォルフガングを殺害させようと考えているのだ。もちろん、ニコレットがそんなことをすれば、たちまち捕まるだろう。
というかそもそも、ニコレットにヴォルフガングを害する気持ちは少しもなかった。
「お言葉ですけど、ライヒェンバッハ公爵。あなた、ずうずうしいわ」
「貴族はずうずうしくなければやっていけないものです」
開き直ったことをいうライヒェンバッハ公爵に、ニコレットは呆れた。
「あなたが今生きているのは皇帝陛下のおかげなのに、彼を害そうと言うの? ふざけないで。しかも、自分で手を下そうともしないなんて」
最初は娘のリーゼロッテを、次はニコレットを利用して恐怖の対象であるヴォルフガングを始末しようとしている。
さすがのライヒェンバッハ公爵も顔をしかめた。ニコレットに強い口調で言う。
「私は何も言っておりませんぞ。皇妃様が勘違いなさっているだけです。それに、私は娘を陛下に殺されているのですぞ」
「語るに落ちたわね、ライヒェンバッハ公爵。その言葉が、皇帝陛下に反意を抱いている証拠ともとれるわ。まあ、そこはツッコまないであげるけど、かわいそうなのは陛下と娘さんのリーゼロッテの方だわ」
かつてヴォルフガングの妻であったリーゼロッテに対し、思うところがないわけではないが、今は「かわいそう」という感情が勝った。同時に、これが「かわいそう」という感情なのか、とも思う。
「父親に命じられて、人を殺そうとするのはどんな気持ちだったかしら。愛した人を殺させられて、どんな気持ちだったかしら」
バン、とテーブルをたたき、ライヒェンバッハ公爵が立ち上がった。彼はニコレットを睨み付ける。しかし、メンタルが強いことで定評のあるニコレットだ。そんな公爵を無表情で見つめ返した。
「……失望しました、皇妃様」
「あらそう。私は初めからあなたに期待なんてしていなかったわ。ヘルマ。ライヒェンバッハ公爵がお帰りだそうよ。見送って差し上げて」
ニコレットは控えていたヘルマに微笑みかけた。ヘルマは両開きのドアを開け、ライヒェンバッハ公爵の退室を待つ。ライヒェンバッハ公爵は、形ばかりの挨拶をして部屋を出ていった。ヘルマがそっと扉を閉じる。その瞬間。
「皇妃様!」
ヘルマ、マリーア、マルクスが叫んだ。ニコレットはちょうど息を吐いたところで、3人分の声にびくっとした。
「どうなさったんですか!? らしくありませんでしたよ!?」
「いやー。ちょっと腹が立って」
マルクスの問いに、ニコレットはへらっと笑って答えた。先ほどまでは腹が立っていて気付かなかったが、自分はとても緊張していたようだ。手に汗をかいているし、心臓がバクバク言っている。
「ですが、ご立派でした」
「皇妃様、陛下のために怒ったのですね……」
ヘルマが微笑み、マリーアがロマンチックなことをつぶやく。いや、本当に腹が立っただけなのだが。
3人に褒められ、さすがに少し照れるニコレットであるが、相変わらず彼女の心の中は多少冷静だった。
ニコレットは、リーゼロッテを「かわいそう」だと思った。ライヒェンバッハ公爵にとって、リーゼロッテは駒でしかなかったのだと思う。そんな彼女が「かわいそう」であるのならば、予言を恐れるゆえに父親に幽閉されたニコレットも、確かに「かわいそう」なのかもしれない、と思った。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
この話、サブタイトルを「ニコレット、怒る」にしようか結構真剣に悩みました。最終的に却下しましたが。
次の更新は明後日(12月28日)です。
 




