ニコレットの特技(11)
引き続き、短編のリメイク版です。
※ブックマーク登録数が730件を超えています。もう私はどうすればいいのかわからない……。
とにかくっ! みなさん、ありがとうございます!!
ニコレットがキスになれるまでに1週間ほどを要した。しばらくはヴォルフガングの前に出ると挙動不審でしどろもどろしていた彼女だが、研究内容を聞かれるとすらすらと回答するところはさすがだった。
その日のヴォルフガングは、かねてから彼女と約束していたことを果たそうと思い、皇妃の部屋までやってきた。
「あ、ヴォルフ様」
いつもと同じようにニコニコとニコレットは言った。しばらくは明らかに動揺したような声を出していたのだが、ここ2・3日は彼女の調子が戻ってきている。
ヴォルフガングはニコレットに歩み寄ると彼女の腰を抱き寄せ、その頬にキスをした。ニコレットの頬が赤くなる。ヴォルフガングは頬を染めた妻を愛しげに見つめながら言った。
「今から軍の視察に行くが、一緒に来るか?」
「! 行く!」
先ほどまでキスに頬を赤くしていた少女は、今は好奇心の塊と化していた。たぶん、彼女の中では愛だの恋だのよりも好奇心が勝るのだ。少し残念なような気もするが、それがニコレットだ。そして、ヴォルフガングはそんな彼女を愛しているのだから仕方がない。
動きやすい青のワンピースドレスに着替えたニコレットは、嬉々としてヴォルフガングについてきた。スカートは短めでフリルは控えめ。足元はヒールの低いブーツである。蜂蜜色の髪は三つ編みにして背中にたらしていた。
軍の訓練場があるのは、皇族の私室がある区画とはほぼ反対側になる。そのため、広大な宮殿を横切ることになったのだが、ニコレットは疲れた様子もなくついてくる。歩調は彼女に合わせたのだが、ヴォルフガングが想定したよりは早くについた。
「おおっ。すごい人~!」
まず驚くのはそこなのか。まず目に入ったのは剣術の訓練をしている兵士たちだ。かなり騒がしいため、ニコレットの声が聞こえたとも思えないが、一部の兵士たちはヴォルフガングに気が付いた。さっと礼を取ろうとする彼らに、構うな、と手振りだけで指示を出す。
兵士たちはこちらを気にしながらも訓練に戻ったが、責任者の1人がこちらに駆け寄ってきた。
「皇帝陛下、お待ちしておりました……」
責任者がちらっとニコレットの方を見る。日傘はさしているものの、ニコレットの装いが皇妃らしくないため、戸惑っているのだろう。
「皇妃のニコレットだ。会ったことがあるだろう」
「ニコレットよ。お邪魔するわね」
日傘を持っているので、片手でドレスをつまみ、ニコレットは責任者に微笑んだ。こうしてみると、実験好きの変人には見えない。
「皇妃も見学していく。非礼のないようにせよ」
「は、はっ!」
責任者の男は緊張気味に返事をした。それを、ニコレットが面白そうに眺めている。責任者が訓練の監督に戻ってから、ヴォルフガングはもう一度、訓練を続ける兵士たちを見た。全体的に、いつもより気合が入っている気がする。女性が見ているからだろうか。
ヴォルフガングはちらりとニコレットの方を見た。彼女は興味深そうに訓練を眺めている。
「……楽しいか?」
「うーん。よくわからないけど、興味深くはあるわね」
「……そうか」
軍の訓練のどこがニコレットの琴線に触れたのだろうか。呆れると同時に、これでこそニコレットだなぁ、と思う。その時、馬がかけてくる音が聞こえた。誰かがこちらに向かってきているようだ。ヴォルフガングがそちらに目を向けると、ニコレットが首をかしげる。
「どうしたの?」
ニコレットはヴォルフガングの視線を追って、だんだんと近づいてくる騎馬を見た。ニコレットはびくっと震え、2・3歩後ずさった。
「な、何、あれ……」
「何って、馬だな。馬車には乗ったことがあるだろう?」
「う、うん……」
尻込みした様子でニコレットがうなずいた時、ヴォルフガングたちの目の前に騎馬が停止した。乗っているのは、宰相のハインツだった。
……ヴォルフガングのまわりには、わけのわからない者が多すぎる気がした。その筆頭である少女は、傘を握りしめて呆然とした表情で馬を見上げている。
「……何の用だ、ハインツ」
「それはもちろん、皇妃様とデート中の陛下を思いっきりからかいに……も、ありますが、急ぎの手紙が来たので、ついでに様子を見に来ました」
ハインツは滑らかな動きで馬から降り、ヴォルフガングに手紙を差し出した。その中身をざっと読み、ヴォルフガングはハインツが内容については判断するように言った。
「わかりました。それで、どうしましたか、皇妃様。触りたかったら触っても大丈夫ですよ」
ハインツが少し離れたところにいるニコレットに言った。その笑みが腹黒いものに見える……どうやら、ハインツがからかいに来たのはヴォルフガングではなくニコレットだったようだ。
ぎこちなくニコレットが馬に向かって手を伸ばす。どう考えても怖がっているように見えるのだが、この辺の度胸と好奇心は尊敬に値するだろう。
ちょっとかわいそうな気がしたが、おびえるニコレットがかわいらしくて、ヴォルフガングも止めずに見守った。
ニコレットの手が馬の鬣に触れようかと言う時、馬がぐるっとニコレットの方に向き、鳴いた。
「ひょわぁっ!」
色気のない悲鳴を上げ、ニコレットは日傘を取り落した。と、同時にヴォルフガングの腕にしがみつく。
「う、う、う、動いたっ」
呂律の回っていないニコレットに、「まあ、馬だからな」と答えになっていない返事をする。ヴォルフガングは唇の端がひくひくするのを止められなかった。珍しく怯えるニコレットは面白くもかわいらしいが、ここで笑えばニコレットといえども気を悪くするだろう。
「と言うかハインツ。何故馬に乗ってきたんだ」
腕にニコレットをしがみつかせたまま尋ねると、ハインツはニヤッと腹黒い笑みを浮かべた。
「こちらの方が速いですし。皇妃様なら興味を持ってくださると思いまして」
「い、いじわるっ」
ヴォルフガングが何か言う前に、すでに涙目になっているニコレットがハインツに向かって言った。ハインツは「そんなかわいらしいののしり方をされたのは初めてですね」と笑った。
「じゃあ、存分にからかえたので、私は失礼しますね。私も陛下もいないのでは、政務が止まってしまいますから」
ハインツはひらりと馬に飛び乗ると、来た道を戻って行った。何だったのだろうか、あの男。からかうだけからかって行ってしまった。ヴォルフガングはとりあえず、ニコレットが落とした日傘を拾った。
「ほら」
「う、うん……ありがとう……」
ニコレットはヴォルフガングが差し出した日傘を受け取り、さし直した。「なんだったんだろう」とつぶやくニコレットに、ヴォルフガングは言った。
「本人が言った通り、からかいに来ただけだろう。ハインツに『馬が怖い』とかいう話をしなかったか?」
「こ、怖いって言った覚えはないもん。修道院では、大きな動物の側には近寄らせてもらえなかったっていう話をしただけで……」
ニコレットはヴォルフガングを上目づかいに見上げながら言った。たぶん、修道女たちは、ニコレットに近寄らせると、動物を解体してしまうのではないかと考えたのではないだろうか。
その結果、大きな動物を間近で見る機会がなく、怖がったのではないだろうか。そして、ハインツもその可能性に気が付いた、と。
「……ああ。正しくお前をからかいに来たんだな」
「ええっ? どうして?」
「人をからかうのがハインツの生きがいだからな。たぶん、これから先もからかわれるだろうから覚悟しとけ」
「……うん」
ニコレットが神妙な顔でうなずいたところで、次の訓練場に向かう。ニコレットがお待ちかねの射撃訓練場だ。
「おおっ!」
いつも通り歓声をあげ、ニコレットは目を輝かせた。相変わらず自分が興味のあることには素直な子だ。
「すごいっ。最新式っ。ルクレール銃だぁ……!」
ちょうど近くで射撃訓練を行っていた兵士が、突然そんなことを言いだした少女に驚いて固まる。しかし、近くにヴォルフガングがいることに気が付き、あわてて礼を取った。
「皇帝陛下!」
「ああ、構わん。これは皇妃のニコレットだ。変なことを言いだすかもしれんが、気にするな」
ヴォルフガングが先にそう言っておくことにした。ニコレットが「何それー?」と言っているが、彼女には自分が変わっているという自覚がないのだろうか。ほら、言ったそばから。
「あっちはバイエ銃ね! 私はバイエ銃は撃てないんだけど」
「……その言いようだと、ルクレール銃は撃てるのか?」
ルクレール銃は狙撃用の銃だ。原型はニコレットの母が開発したものである。改良が進んでいるので、ニコレットは「最新式っ」と叫んだのである。
一方のバイエ銃は近距離での射撃を想定している。つまり、戦争で使おうと思ったらこちらの方が使用しやすい。また、バイエ銃は小さく、軽量でもある。
「母が狙撃型銃の開発者だもの。試射は私が行っていたわ」
そう言えば、前にもそんな話はしていた気がする。ニコレットのキラキラした目を見て、ヴォルフガングはため息をつく。
「撃ってみるか?」
「やるやる」
ニコレットは即座にうなずいた。ヴォルフガングは小さくため息をつき、彼女にルクレール銃を渡す。
「本当に大丈夫か? 重いぞ」
「平気平気」
そう言って、的の前に立ったニコレットは銃の点検を行う。そして、銃を構えたところで、言った。
「的、近くない?」
「……」
確かに、ルクレール銃の最大射程は200ヤードと言われる。しかし、せいぜい100ヤードが狙撃限界である。実際に、誰にやらせてもそれ以上の距離だと命中しなかった。
おののいたヴォルフガングと兵士たちであるが、ニコレットの言うように、もう100ヤードほど的の位置を下げた。
そして。
「5発すべて当てるか……」
5発ほど試射させたのだが、全て的に命中している。軍の狙撃手もぎっくりである。ニコレットは誇らしげに言った。
「母が開発した銃の試射はすべて私がやってたもの。愛用の銃だったら400ヤード先の的でも狙えるわよ」
ヴォルフガングもそれなりに射撃は得意であるが、ニコレットには負ける。しかし、女性である彼女は腕力がないので、発射の衝撃がほぼそのまま伝わるバイエ銃は撃てないのだそうだ。撃ったことはあるそうだが、肩が抜けたらしい。それにしても。
「お前、ますます何者かわからないな……」
「だから、私はニコレット・ド・ロワリエだって。あと、ヴォルフ様の妻だねー」
ニコレットが笑みを浮かべて言った。銃を持っているのが残念なほど美しい笑みだった。
「そう言えば、その愛用の銃はどうしたんだ?」
「嫁ぐのに持ってこれるわけないじゃないの。私は持って行こうかと思ったんだけど、修道院長に『嫁ぎ先にそんなものを持って行ってはなりません!』って取り上げられちゃったわ」
「……そうか」
「置いていっても、だれも使えないと思うんだけどね。っていうか、持ってこれても、国境越えの時に取り上げられたわよね」
「それはそうだな」
その取り上げられたニコレットの愛用の銃がとても気になる。しかし、彼女にもそれなりの常識はあったようでほっとした。ヴォルフガングは、彼女は浮世離れしていると言うよりも非常識だと思っていた。
「ニコラ、聞いてもいいか? 何故、お前に撃たせるとそんなに命中率がいいんだ?」
もしかしたら軍の訓練に使えるかもしれないと思ったのだが、ニコレットの返答はいまいちだった。
「そうだねぇ……。改めて聞かれると困るんだけど、私は女だから、あまり力は強くないんだよね。銃って、重いでしょ。撃った時の反動を軽減するためにどうしても重さは必要なんだけど。きっと、みんなはこの銃の反動を押さえつけようとするから、当たらないのかもしれないわね」
確かに、銃を撃つときはその反動を押さえつけようとしてしまう。
「ほう。なら、お前はどうしているんだ?」
「えーっと……」
いつも打てば響くような返答をするニコレットであるが、今回は何となく歯切れが悪い。
「そうだね。衝撃を受け流しているのかもしれないわ。少なくとも、私が引き金を引いた後に、腕は跳ね上がっているはずだし」
「それだと、弾がぶれるのではないのか?」
「……えっと。やっぱり衝撃を受け流してるんだと思うわよ。私は、衝撃を全部受け止めてるつもりはないもの」
「……そうか」
銃はしっかり持っていないと着弾がぶれると思うのだが。もう、この命中率の良さはニコレットのセンスがなせる業のような気がしたヴォルフガングであった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます。
ルクレールっていえば戦車なんですけどね。この話では狙撃銃として登場した名前です。ちなみに、実際のこれくらいの時代には狙撃銃なるものは存在しないようですね。
次は明後日(12月24日)に投稿します。クリスマス・イブだぁ……。
 




