第11話:出発
ミナが目を覚ますと、セリスが窓際のテーブルに座って紅茶を飲んでいた。
ガラス戸を開け、外の空気を深く吸い込む。静かな朝の時の流れが、瞬間止まったかのようなひと時だった。
「おはよ~」
ミナの派手な寝ぐせ姿に、セリスは苦笑する。
「ミナ姉おはよう。お茶淹れておくから、顔洗ってきたら?」
セリスと違い、ミナは朝に弱かった。
外は快晴だった。外界の空とは違い、ユグドラシルの領域は自然環境の育成に適した天候が常に保たれている。
けれど、この朝はいつもより空気が澄み渡り、遥遠くに見えるユグドラシルの姿が雄大で美しかった。
空を見上げるとセリスの不安も晴れていくような気がした。
昨日までは、ミナに相談したものの再調査には後ろ向きだった。ミナと会ったことで、セリスを襲っていた孤独感が薄れはじめていた。
”今なら行ける、ミナ姉もいる。ユグドラシルの異変は、私が必ず解決してみせる”
セリスの中で僅かな勇気が生まれ、ユグドラシルを守るという使命感に拳を握りしめていた。
なにより、駆けつけて来てくれたその気持ちが嬉しかった。
「お、この紅茶おいしいね」
「口に合ってよかったよ」
セリスは静かにお茶を飲みながら、どこか嬉しそうな表情をしていた。
お茶を飲み終わって間もなく、ミナの顔にはいつもの覇気が宿っていた。
「さぁ、いこうか!」
「……ミナ姉、ちょっと待って。そのスーツケースは何?」
「決まってんじゃんー、観測スーツだよ?」
「自前の持ってきたの?ラボにも予備があるけど……」
ミナは人差し指を横に振りながら遮るように言った。
「私ねー、観測スーツにはこだわりがあるの。このケースは気にしないで」
極度の潔癖というわけではなかったはずだったと少し気になったが、セリスはそれ以上言及することはなかった。
人は誰しもこだわりがあり、他人に指摘されたくないこともある。
特に、セリス自身はその点が強く、表向き反発こそしないものの、心の内に壁を作ってしまうことが多かった。
幼少期から人と関わる機会が少なかったことも影響していたのかもしれない。
ミナは第3区画の職員ではなかったが、第2区画特別主任として、入管に問題はなかった。二人はラボに到着し、早速更衣室へ向かった。
スーツに着替えたミナを見て、セリスはしばらく言葉を失っていた。
「ミナ姉……そのスーツ、私のと別物みたいね」
「でしょー。標準よりちょっと重いけど、慣れれば気にならないんだよ」
調査用の観測スーツをカスタマイズできるという話しは聞いたことがあった。セリスは標準のままであったが、センサーを調整している者やAIのパラメータを変更している者もいた。しかし、ミナのスーツはそれらと違いパーツが標準とはまるで違っていた。
「前まで標準だったよね。それ、自分でカスタマイズしたの?」
「まさか!できるわけないじゃんー。ナタリアにアップグレードしてもらったんだよ」
──ナタリア・グレイヴス。第6区画特別主任。
彼女はユグドラシル領域の施設における整備と安全管理を担っている。
環境破壊が起こる前のロストテクノロジーの研究や再現を趣味にしており、自宅は工房と化している。ミナとは年齢が近い事もあり、変わり者同士で仲がよかった。
セリスが同伴していたことで、アルバトロスへの搭乗や観測区域への立ち入り手続きは問題なかった。
まだ出所時間には早く、施設にほとんど人がいなかった事もよかった。
「スムーズに行けたねー」
「早く来てよかった……。ミナ姉がみんなに見られたらちょっと騒ぎになってたかも」
「え、私って人気者?」
ミナが自分を指さすようにしてセリスを見ている。
「そうじゃなくって、そんな珍しいスーツ来て私とウロウロ歩いてたら目立ってしまうよ」
セリスの溜息混じりの姿とは対照的に、ミナはさも愉快そうに笑って歩いていた。
地下のロータリーに向かうと、セリス専用のアルバトロスが路面を滑るようにして迎え出た。
「おー、これが第3区画のアルバトロスなんだね」
「え、区画毎にアルバトロスって違うの?」
普段、装備品にあまり興味を示さないセリスだったが、アルバトロスの仕様の違いには少し驚いた様子だった。
「そうだよ、環境によって最適化されてるんだって」
以前、街の男の子たちがアルバトロスを見て興奮していた姿に、少し納得したような気がした。
いつものように、ウィンドウを全開にしたアルバトロスが走り出した。
「へぇ、セリスってウィンドウいつも開けてるんだ」
「うん。少しでも自然を感じていたくて」
緑の大海原を駆け抜ける空気が気持ちよかった。
「お、ウィンド・スプリンターがいるね」
「え、ミナ姉はウィンド・スプリンターが見えるの?」
セリスは驚いた様子でミナに聞き返した。この鳥は透明感のある羽を持ち、非常に速く風の流れに溶け込むように飛ぶ。人間の目には留まりにくい。
「違うよー、私のスーツに音波センサーがあって、鳥とか把握できるんだよね」
「すごいね。じゃあ森の中の小動物もわかるの?」
「そうだよ、生態系の状態を詳しく把握するのに、AIに連携させるとすごい便利。まぁ、すっごい高くついたけど……」
「……他にはどんな機能があるの?」
「じゃーん」
ミナは小型のナイフを取り出した。
「え!?なに?」
セリスは怪訝な表情で見つめる。ミナは、自身のスーツの肘の部分をナイフで傷つけたのだった。
「自己修復機能だよー」
傷ついたスーツは短時間のうちに元の状態に修復されていく。
「うちはさ、変異種の調査とかで過酷な環境に行く事もあるから、これが助かるのよー」
「すごい……。でも、これも高くつくんだよね」
「これだけでひと財産だよ」
二人が乗ったアルバトロスが森を目指して駆け抜けていく。
朝日が差し込む車内は、明るく楽しかった。二人の胸には未知への探求心で溢れていた。




