第6章 保健室の華君 ♢3
「え〜、コホン........では改めて、これから本題に入ろうと思うのだが........」
すると不知火は、座る場所がないため仕方なく地べたに腰掛ける俺たちの方を思いっきり指差し、そして、
「君たち、真面目に聞く気あるのかな!?!? これから私は大事な話をするんだよ!?!?!?!?」
もう我慢の限界だ、とばかりに大声で叫んだ。
身振り手振りと、どれも実に荒っぽい仕草で、もはや爽やかさのかけらもない。
「私は奏のサーバント。いつ、どこでも、ずっと一緒にいなくてはいけない存在。奏の隣が、私の居場所」
まずそう答えたのは、俺の右腕をガッチリホールドしたフブキ。
すっかりいつもの調子に戻ってはいたが、ゼロ距離までピッタリとくっつき、俺から全く離れようとしていない。
これでは俺は、全く身動きが取れない。
「........まぁ、君は......うん、確かにそうだね。彼と無理やり引き離してしまったわけだし、私たちにも責任はある。
だけど———」
すると、不知火はフブキとは逆、俺の左側に座る人物へと視線を向ける。
「君は関係ないよね!?!?!? 私のサーバントである君が、なんで我が物顔でそこに座っているのかな!?!?!?!?!?」
次に彼女が目をつけたのは、なぜか俺の左腕をぎゅっと掴んでいるジル•ドレだった。
ただ掴むといっても、フブキと違って遠慮しているのか、力もさほど強くなく、そこまで距離が近いというわけでもない。
どちらかと言うと、そっと肩を寄せている、という表現の方が正しい構図だ。
「何を騒いでいるのですか、マスター? 大事な話があると言うなら早くしてください」
「うん、そうしたいのは山々なんだけどね? その前に、なんでそんなにくっつく必要があるのか、聞かせてくれないかな?」
「あぁ、そこはお気になさらず。私がそうしたいからそうしているだけなので」
「うん、説明になってないよ? もっと分かるように説明してもらおうか?」
どこまでも澄ました顔をするジル•ドレに対し、引きつった笑みを浮かべる不知火。
もし、このシーンを漫画で表現したとしたら、間違いなく彼女のこめかみには怒りマークがついているはずだ。
「........はぁ。全く、小うるさいマスターですね。そんなんだから、あなたはモテないのですよ?」
「失敬な。“保健室の華君”などと呼ばれる私が、モテないなんてわけないだろう?」
「女性にだけ、でしょう? 男性からは、一度もモテたためしがないくせに。少しは奏さんのことを見習ってください」
なぜか突然、引き合いに出される俺。
見習うも何も、不知火の言う通り俺は誰からもモテたためしがないんだが.......なぜ、そんな奴を土俵に立たせたのだろうか。
......ダメだ、全く分からん。
後、不知火の場合は、顔が良すぎて皆近づきづらいだけだと思うぞ?
「........はぁ。分かりましたよ、マスター。では、私の分身体をそのまま隣に置いておくので、それで我慢してください」
「うん、そういう問題ではないよね? 私はそういうことを言ってるわけではないよ?」
そう。
実はさっきからずっと、不知火の隣にはもう1人のジル•ドレ———すなわち、彼女の分身体が立っていた。
ただし、俺の隣にいる彼女とは違い、表情も変わらなければ、一言も言葉を発していない。姿形は同じでも、本当にただそこにいるだけの、生きている置き物のような雰囲気だ。
ちなみに、フブキをここまで連れてきたのも彼女の分身体らしく、ここで合流してからは、ずっと不知火のそばを離れていない。
........ただ、ちょっと気になるのは、さっきから分身体の不知火を見る目が、まるでゴミを見るかのような目であるということだった。
『........オマエヲ......コロス........』
「ねぇ、これ本当に大丈夫!? 今明らかに、殺すって言ったよね!?」
「大丈夫ですよ。たまに言葉を発することはありますが、特に深い意味はありませんから」
「......本当に?」
「ええ。ちょっと気性が荒いだけで、それ以外は問題ないですよ」
「それダメなやつだよね!?!?」
連携が取れているんだか、いないんだか。
まるで、コントのようなやり取りを始める不知火とジル•ドレ。
......というか、そんな状態のやつが、一体どうやってフブキをここまで連れてきたんだ?
言葉もまともに交わせないのに?
なんか、サーバント同士のシンパシー的なやつでもあるのだろうか。
「あぁ〜、全く......どいつもこいつも........君だってそうだ!」
「え? 俺?」
すると突然、不知火は俺の方を指差すと、なぜか抗議の対象を俺へと切り替える。
「だいたいこれは、君のだらしなさにも問題があると思うのだよ! 今だって、女をはべらせて、両手に花ってか!? かー、いやらしい!!
ちょっと顔が可愛いからといって、なんでもやっていいとは———って、ぬぉっ!?」
不知火が言い終わるが否や、隣に控えていた分身体が、その場でいきなり剣を振るった。
身を屈んで回避する不知火だったが、その剣閃は、思いっきりテーブルの上のティーセットに命中。
カップの破片と中の紅茶が周囲へと飛び散り、哀れな残骸へと成り果てる。
剣筋がめちゃくちゃだったから良かったものの、どう考えても殺意を感じさせる一撃だった。
『チッ........ノガシタカ........」
「ほら、マスターが騒がしくするから、分身体がそれに反応してしまったではないですか」
「違うよね!? 今のは明らかに、何者かの悪意があったよね!?」
「........気のせいでは?」
「よし。では、それが一体何の間なのかを説明してもらおうかな?」
妙に長い間の後、思いっきり目を逸らすジル•ドレ。
これは明らかに、何かを隠しているような素ぶりだった。
......というか、いつになったらこのコントは終わるんだ?
見てる分には面白いが、さすがにこれ以上はいつまで経っても話が進まなくなるぞ?
一応、大事な話(?)なんだろうし、ここは俺からも一言言った方がいいのではなかろうか。
どっかの誰かさんも、そろそろ限界みたいだしな。
「———あの、ジル•ドレさん。不知火のやつもそろそろ限界みたいだし、一旦離れてもらえると助かるんだが......」
「っ———!? そんな........!?」
すると、ジル•ドレさんは明らかにショックを受けたような仕草で、その場へと崩れ落ちる。
「........ぐすん........私のことを、もう嫌いになったのですか.......? 私が近くにいるのは、そんなに嫌なのですか........??」
「あ........いや、そういうわけじゃなくて......!」
「さっきはあんなこと言ってくれたのに........やっぱり私とは遊びだったのですね............ぐすん......」
やばい、やばい、やばい、やばい!!
これは、非常にマズい!!
......この現象、俺は本で読んだことがある。
これはおそらく、地雷を踏み抜いてしまった、というやつだ!
ちょっとした何気ない発言で相手を傷つけたり、自分ではそんなつもりがなくとも、何か触れてはいけない部分に触れて相手を怒らせたりという、コミュニケーション上における大失敗のことである。
これをやってしまうと———特に男子が女子相手にこれをやってしまうと、その男は最低野郎というレッテルを貼られ、軽蔑の対象となる。
一体どこをどう踏み抜いてしまったのかは定かではないが......彼女の様子を見てる限りきっとそうだ。
こういった場合、何をどう間違ったのか分からないままに謝るとさらに深みにはまる。
『分からないまま、謝っているのか!?』と、さらに相手を怒らせる可能性があるからだ。
かと言って、なんで怒っているのか、と直接聞くなんて論外だ。そんなことをしたらどうなるかは言うまでもない。
......だからこそ、今俺がやるべきことはむやみに謝罪したり、ましてや弁解したりすることではない。
いつもと同じように、ありのままの気持ちを伝えることだ。
「何回も言うが、俺はジル•ドレさんのことを嫌いになんかならない。ましてや、遊びであんなことを言ったわけでもない」
「でも......さっき、離れろって........」
「だからアレは、いつまでも話が進まなかったから言っただけで、近くにいるのが嫌とかそういうつもりはない」
「!」
ようやく、その場ですすり泣くのを止めるジル•ドレさん。
顔を上げ、涙でいっぱいになった真紅の瞳で俺の方を見つめてくる。
「本当........ですか?」
「ああ、本当だ」
「本当に......私のことを嫌いになってないですか?」
「当たり前だ」
「では........これからもこうやってくっついていてもいいですか?」
「え......まぁ、時と場を考えてくれるなら、俺は構わないよ。そんなことでよければ、だけど」
「! そう、ですか........!」
さっきの泣きそうな顔から一転、心底嬉しそうな表情を浮かべるジル•ドレさん。
一体なぜそこまでこだわるのかは謎でしかないが......まぁ、本人が嬉しそうならそれでいいや。
どうせ考えたって、今の俺には分からないだろうし。
それに、これでようやく話も進みそうだしな。
「私はここを離れるつもりはない。ここは絶対、渡さないから」
「分かった。話がややこしくなるから、今は少し静かにしててくれ」
耳をピンと立て、なぜか対抗心をむき出しにするフブキだったが、また話が脱線しそうだったので少し黙っててもらった。
「え〜、こほん........気を取り直して、そろそろ本題を話そうと思うのだが........」
「?」
と、不知火がキザったらしく指を鳴らすと同時、部屋内に聞き覚えのあるチャイムが響き渡った。
まさか......これって、
「ホームルーム開始の予鈴さ。残念ながら、時間切れのようだね」
「は!?」
不知火の言葉に、今度は俺の方が声を上げた。
......いや、だって。
そう言いたくもなるじゃん。
あれだけ苦労させられたっていうのに、それが全部無駄だったって言うんだぜ?
そりゃ、叫び声の一つや二つ上げたくなるじゃん。
「全く、マスターがいつまでもくだらないことにこだわるからですよ? ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと話を始めればよかったのです」
「君が言えた話ではないけどね? ......どちらにせよ、君だって遅刻するのは嫌だろう? 宇野奏くん?
すまないが、この続きは放課後ということにさせてくれたまえ」
「今すぐ済ませられないのか? もしこの間に、
【執行者】の連中が攻めてきたらどうする?」
「それなら問題ない。奴らはそう簡単に、君には手を出してこないはずさ。———もっとも、王に背くような奴ならば話は別だが......そんなのは滅多にいないからね。ほぼほぼ、皆無と思ってくれて構わない」
キザったらしく首を横に振り、そう断言する不知火。
俺が会った限りは、そんなことを気にするような奴には見えなかったが........きっと彼女の方が、俺よりも奴らについては詳しいはずだ。
そんな彼女がそうだと言うのだから、きっとそうなのだろう。
とりあえず今はそう思うことにした。
じゃなきゃ、マジで遅刻する。
「そこに扉が見えるだろう? そこを真っ直ぐ行けば、保健室前の廊下に出れる。後は自分の教室を目指して進んでくれ」
「それは分かったが......放課後、続きを話すんだろ? 結局ここはどこなんだ? 保健室に行けばいいのか?」
「すまないが、まだそれを言うわけにはいかない。
......後、補足をすると、ここは保健室ではない」
「なんじゃそりゃ。じゃあ、放課後どうするんだよ?」
「ふむ、そうだね......」
すると、不知火は顎に手を添え何か考えるような素ぶりをした後、俺の方へと顔を向けた。
「では、こうしよう。放課後、君の教室まで、ジル•ドレを迎えにあがらせる。
———そして、改めて全てを話すとしよう。そう、今後のことについてを、ね?」
瞬間、全てを見透かしたような緋色の瞳が、真っ直ぐと、俺のことを射抜いた。
その時に俺は、もう彼女からは逃げられないのだと悟った。




