第6章 保健室の華君 ♢Side:不知火 焔
嵐が過ぎ去りし静寂の中。
片手で持ったティーカップに口をつけ、私は中に入っている紅茶を飲み干す。
やがて、口内へと広がっていく、ほんのりとした紅茶の味わい。
上品ではあるが主張が激しくなく、まるで流れるそよ風のように優しく通り過ぎる。
しかし......
「ふむ........少し、香味のバランスが崩れてしまったかな?」
空になったティーカップを片手に、私はそんなことを呟いた。
無論、茶葉自体は良い物を使っている。
多少バランスが崩れた程度では、味の質が落ちることなどありえない。
......ただまぁ、それを好むかと言われると話は別だ。
せっかく良い茶葉を使っているんだ。
どうせなら、一番良い味で飲みたいだろう?
ま、あのお気に入りのティーセットならば、もっと上手く入れられたのだろうけど......残念ながら、今は無惨な残骸へと変わり果ててしまっている。
やれやれ......これではまともにティータイムすら楽しめない。
これだから、暴れん坊のじゃじゃ馬レディには困ってしまうよ。
「しかし、まぁ........ふふっ......ずいぶんと、面白い少年だったね。それも、ぜひ午後のティータイムに誘いたいくらいには。
ふふふ......本当に興味深い。それも、君から聞いていた以上にね?」
言いながら、私はこの部屋にいるであろう、もう1人の人物へと視線を向けた。
すると、私の視線に応じるかのように、長身の男が姿を現す。
長いブロンドの髪をなびかせる、趣味の悪い仮面をつけた男。
傍から見れば不審者にしか見えない、私たちの協力者だ。
「ずっと盗み聞きしてたんだろう? 直接会わなくてよかったのかい? 今ならまだ、近くにいるとは思うけど」
「必要ない」
低く、そして仮面のせいか、くぐもった声が私の耳朶を打つ。
正直なことを言うと、コミュニケーションに支障をきたすレベルで聞き取りづらい。
よく、物語で仮面をつけながらペラペラと会話するキャラクターがいるが、あんなのは嘘だ。
実際はただただ聞き取りづらいだけだし、周りの状況によっては、何回も聞き返すことになるわけだからね。
だからここからも、裏では何回も聞き返したりしてるわけなのだが......全部挙げてたらキリがないので割愛させていただこう。
「まだあの少年が仲間になると、完全に決まったわけではない。そんな状態で僕の存在を明かすのは、愚策というものだろう」
「愚策も何も、君は彼に姿を見られているじゃないか」
「確かにな。......だが、それはそうと」
うわぁ...... 大人げな。
思いっきり、話を逸らされたんだけど。
......いやさぁ、そういうところだと思うんだよね?
これきっと、コミュニケーションが成立しづらいのは、仮面のせいだけではないよね。
間違いなく、彼自身にも問題があると思うんだよね、私は。
「お前こそよかったのか? この場所と、それにお前自身のことを明かしてしまって」
「あぁ......それなら問題ないよ」
彼の問いかけに、私は持っていたティーカップをテーブルに置きながら、肩をすくめた。
「あの少年は、偶然にも彼女という力を手に入れてしまった。その時点で、もう彼はただの部外者ではない。すでに平穏な日々とは縁遠い、こちら側の人間になってしまったのだよ」
「それとお前の行動の何が関係している?」
「分からないのかい? 彼が仲間になるにせよ、ならないにせよ、私たちは必ずどこかで交わる。そうなる以上、私という存在もいつかは必ず露見する。それが遅くなったか、早くなったかの違いでしかない」
「なぜそんなことが言い切れる」
「それこそ、君の方がよく分かっているだろう?
........目の前の真実を知った時、彼がどんな行動を取るのかを、ね?」
私の言葉に、仮面の彼は押し黙った。
......どうやら、全部図星のようだね。
まぁ、こう見えて私は、人を見る目にはけっこう自信がある。
彼があの真実を前に、停滞を望んだり、あるいは怖気づいたりと、そんな凡愚のような振る舞いをするとは思えない。
あの少年ならばきっと、自分から過酷な運命へと立ち向かってくれるはずさ。
———そう、私たちのようにね。
「そうなる未来が確定してる以上、彼とは敵ではなく、できれば味方として出会いたいだろう? だから、先手を打ったのさ。私という存在を明かすことでね?
........なに、そのためにあの少年の見送りはジル•ドレに任せてあるんだ。彼女の力さえあれば、この場所が露見することだってない」
ジル•ドレの周囲の視覚情報を歪める力さえあれば、あの少年にこの場所のことは分からない。
万一、彼が裏切るような展開になろうとも、盗み出された情報も少なく、信憑性だってない。
いくら私の名前が出されようとも、証拠さえ掴まれなければなんとでもなる。
......故に、この場所さえ分からなければいい。
この場所さえ守りきることができれば、私が潰されて負ける、という未来は回避できる。
———ただ、
「......これで、彼女の力を手に入れるには、あの少年の存在が必要不可欠となってしまった。........これは、非常に由々しき問題だよ」
「やれやれ......」と、我ながら洗練された仕草で首を振る私。
すると、それに対して仮面の男は、実に訝しげな様子を見せた。
「......それは一体、どういう意味だ?」
「言葉通りの意味さ。君ならば、言わなくとも分かるだろう?」
「分からないから聞いている」
少し、苛立ったような様子を見せる男。
......やれやれ。
さっきのといい、これだから本当に大人げがない。
君はもう少し余裕というものを持つべきだと、私は思うね。
「君も知っているとは思うが、“ 被検体X”———確か、フブキと言ったかな? 彼女という存在は非常に不安定だ。力に関してもそうだし、精神的な面に関してもね」
車イスの向きを変え、私は窓の下の方へと視線を落とした。
「少し彼と引き離しただけであの乱れ様........さすがの私も驚いたね。ジル•ドレがいなければきっと、今頃大騒ぎになるところだったよ」
「せいぜい人目についてしまうことくらいだろう? 何を大げさな」
「いや、そんなことはないさ。
......もう少しで、学園が木っ端微塵になるところだったんだよ?」
「っ......!」
おや。
さすがの彼も、これには驚きを隠せていないみたいだね。
———だがこれは、なんの比喩でも冗談でもなく、紛れもない事実だ。
......最初は、声を上げながら探し回っているだけだった。
とてとて、とてとて、と。自販機の隙間やゴミ箱の中など、そんなところにいるわけないだろうという場所を探し回っているだけの、非常に可愛らしく、微笑ましい光景だった。
———しかし段々と、その光景は地獄へと変貌していった。
自分の主がどこにもいないことに気づき、慌て始める少女。
その声色もどこか悲痛の色を帯びていき、無機質だった表情も、感情がはっきりと分かるくらいには歪められていた。
もはやただ事ではない。他の登校中だった生徒もそれに気づき、次々とその見知らぬ少女へと声をかけていった。
だが、次の瞬間。
辺り一面に、宝石のような雪が舞い始めた。
すると、それに呼応するかのように、虚ろな目で、少女はその小さな手を伸ばした。
———瞬間、前方にあったゴミ箱が粉々に消し飛んだ。
時間にして数秒。文字通り、その場には一片も残らない。
完全に、粉砕してしまったのだ。それも、手すら触れることなく。
そんなありえない光景を、私はジル•ドレの分身体の目を通して見ていた。
生徒が悲鳴を上げる前に、私はすぐさま分身体を彼女の元へと向かわさせた。
分身体の力を使い、周囲の視覚情報を歪める。
これでようやく部外者の目には届かなくなり、彼女と一対一という状況が完成する。
......だが、問題はここからだ。
いくら視界を歪めたとは言ったって、所詮は熱で生み出した陽炎。
言ってしまえば、空間自体は何も変化していないのだ。
もしここで彼女が戦闘を始めれば、周囲への被害は免れない。
それこそ、ゴミ箱程度では済まなくなるはずだ。
かと言って、今さら生徒に避難を促すのは無理がある。
所詮、ここにいるのは分身体。
持って数分........いや、彼女がその気にさえなってしまえば、数秒も持たないだろう。
彼女がどれほどの力を有してるのかは不明だが、さっきのを見る限り、きっと分身体で勝てるような相手ではない。
......失敗した。
まさか、ここまで彼女の精神状態が不安定だとは思わなかった。
あの少年を説得するには、きっとジル•ドレの本体を向かわさせた方がいいと思ったのだが、その全てが裏目に出てしまった。
分担を逆にした方がよかったし、そもそもの話分断させるのというのが大きな間違いだった。
力の優位性を相手に握らせたままにしないための策だったのだが........こんな事態になるよりかはよっぽどマシだ。
......さて、これ以上うだうだ考えていても仕方ない。
後悔先に立たずとも言うわけだし、せめて状況が好転するようには努力しよう。
例えそれが、数秒足らずの無駄な足掻きだったとしてもね。
だが、そんな時だった———
『..........は............ぉこ』
『?』
『........奏は........どこ............?』
それは、混濁する思考の中で、少女が漏らした言葉だった。
こんな混沌とした状況の中でも、少女はただ主のことを探し求めていたのだ。
......それも、たった1人きりで。
『................』
すると、またしても信じられないことが起こった。
なんと、自我を持つことのないとされているジル•ドレの分身体が、ゆっくりと、ある方向を指差したのだ。
それは、私たちの拠点。
私たちのアジトがある方向だった。
まるで、案内してやるからついて来い、と言わんばかりに。
......本来、こんなことはありえない。
さっきも言ったように、この分身体には自我がなく、基本的には本人、もしくは権限を持つ私の命令でしか動かない。
たまに突拍子のないことをしたりもするが、それは私とジル•ドレの思考が混ざって生まれたバグか、もしくは彼女の無意識下によるものが多い。
というか、それ以外にありえない。
......だというのに、この分身体は彼女の意思に応えた。
主に会いたいというその願いに、少年が待つであろう、あの場所を教えた。
無論、私はそんな命令を出した覚えはない。
彼女の本体はあの少年の説得中なわけだし、こちらの状況は分かっていないはずだ。
例え分かっていたとしても、そんな命令を出すとは思えない。
———だとすると、やはりこれが“ 被検体X”の力なのか。
自分の思うように、何かを書き換えてしまう力。
何かを無理やり、捻じ曲げてしまう力。
最初のゴミ箱についても、あの少年を探すのに邪魔だと思ったから。
彼女がそう思ったから、粉々に砕け散ったのではないか?
ふふっ......デタラメだね。
こんなの、少女の姿をした天災じゃないか。
彼女の機嫌を損ねてしまえば、たちまち周囲の事象が書き換わる。
しかもそれは、彼女が正気だとか、正気ではないとか、そんなものは関係ない。
例え無意識下だろうが、力を使えば何かが無理やり捻じ曲げられる。
......確かにこれは、【執行者】の連中が隠したがるのも頷ける。
そしてそんな彼女を、あの少年は手に入れてしまった。
奇しくも、彼女の意思の決定権を、その手中に収めてしまったのだ。
彼が命令さえすれば、その力によって何かが書き換えられる。
彼にとって都合の悪い何かも、命令一つで書き換わってしまうのだ。
......果たして少年は、自分が手に入れたものがなんなのかを理解しているのだろうか?
してないだろうね。
まぁどちらにせよ、あの少年の元にさえ連れていけば、おそらく彼女も正気に戻る。
向こうもそれをお望みみたいだし、ここは素直に従うのが得策というものだろう。
私は決して、無駄な被害は出したくないからね。
「それでお前は、この場に“ 被検体X”を連れてきたというのか?」
そんな、低くくぐもった男の声で、私の意識は現実へと戻った。
ん......まぁ、端的に言うとそういうことだね。
仮面のせいで表情は見えないが、明らかに怒っている、といった感じのニュアンスだ。
「........確かに、少し軽率な行動だったのは認めるよ。そのせいで、最悪な結果を招き入れそうになったことも。これは、素直に反省すべき点だ」
「ほう? お前が素直に謝罪を口にするとは........意外だな」
「失敬な。私だって、きちんと自分の過ちくらい認められるさ」
全く......どうしてこう皆揃いも揃って、私のことを人でなしにしたがるのかな?
こんな、清楚で可憐で清廉潔白なレディをつかまえて、一体何を言っているんだ。
これは、私に対するイジメなのではないかな?
イジメはいけないことなんだぞ! 絶対!
「まぁでも......この状況、完全に取り返しがつかない———というほど最悪でもない。不幸中の幸いとでも言うべきか、あの少年が間に入ってくれたからね」
そう言って、私はティーポットに入った残りの紅茶をカップへと注いだ。
......ずっと話していると、どうしても喉が渇いてしまうからね。
紅茶という飲み物は、喉のケアにもうってつけなんだ。
「......一番最悪なのは、彼女が制御不能の状態に陥ること。例えば、あまりにも不安定すぎてずっと暴走してしまうとか、あるいはそのご主人様が会話の成り立たない狂人だった、とかね?
だが幸いにも、今はそのどちらにもなっていない。彼女はあの少年といると安定するし、あの少年も決して話が分からない相手ではない。........いや、むしろ頭の回転は速い方のようだからね」
「貴様......何を企んでいる?」
仮面の奥より、射抜くような視線を送ってくる男。
口調に関しても『お前』から『貴様』に変わっているし、明らかに私に対して敵対心を向けているようだ。
———だが、あえて私はそれに気づかないふりをし、口調を変えないままに続けた。
「企んでるだなんて心外だな。私はただ、彼と仲良くなりたいだけさ。
......なに、つかみ自体は悪くないんだ。私の見立てでは、そう遠くない未来に状況は好転する。彼とだってきっと、共に紅茶の香りを楽しめる間柄になれるだろうさ。もちろん......本当の意味で、ね?」
そう言って覗いたティーカップの紅茶には、実に楽しそうな顔をした私自身がいたのであった。
次回の投稿は 3月23日(日) 12:00です。
平日投稿については、活動報告にてお知らせします。
よろしくお願いします。




