第14章ノ2 猫の祠
立ち上る陽炎の中、さいかは意気揚々と手作りの小さな旗を振っていた。さながらバスガイドのようだ。
「それでは、右手にございますのが……『鮮魚店・魚丸』でございまぁす!」
さいかの手の差すほうには、昔ながらのたたずまいを残す鮮魚店があった。海を模した水色の日よけの下には、大きな水槽や、氷が敷き詰められた発泡スチロールが所狭しと並んでいる。
「ここ、よく子供の時におじいちゃんと買い出しに来てたな……。近くの漁港でとれた魚だから、新鮮なんだよね」
ほまれが懐かしそうに水槽を覗き込むと、そこには口をぱくぱくとさせた魚たちが、わずかな力を振り絞るかのように懸命に泳いでいた。
「それで……ここは、化け猫になんの関係があるの?」
ひめが不思議そうに、あたりをきょろきょろと見渡す。
「もしかして……これ……?」
小鶴が、鮮魚店と隣の店舗との間にあるわずかな隙間のような暗い路地で足を止めた。
ひめが小鶴の隣で体をかがめ、暗がりの中を覗き込む。そこにはひっそりとした小さな祠があり、ぽつりと一つ、苔むして黒ずんだ『猫の石像』が置かれていた。
「にゃんこの石像、かわいいっ」
小町も隣で身をかがめ、声を上げる。
「そう。この石像、昔からあるんだけど……絶対何か化け猫伝説と関係あると思うんだよねぇ」
さいかが、手に持った旗を興奮した様子でぶんぶんと激しく振る。
「なんだ、まだ何が関係してるか分かってないんだ」
ひめが呆れたようにため息をついた、その瞬間。鮮魚店の奥の引き戸がガラリと勢いよく開いた。
「それは……猫神さまの祠だよ」
水色の日よけの奥からぬっと顔を出したのは、前掛けを締めた少し強面のおじさんだった。
「柊おじさん、こんにちは!」
さいかが元気よく挨拶する。彼はこの『魚丸』の店主であり、月見商店街を古くから支えてくれている重鎮の一人だ。
「ほまれちゃんじゃないか! 元気か!」
柊さんは、ほまれたちを見るや否や、強面を崩して満面の笑みを浮かべた。
「お久しぶりです……!」
幼少期の姿しか知らないはずのおじさんが、大きくなった自分を一目で認識してくれたことに、ほまれの胸の奥がじんわりと温かくなる。
「なんだか、すっかり大きくなったな。店、繁盛してるんだって? 頑張ってな」
柊さんは目を細め、優しくほまれの肩をポンと叩いた。
「ところで、柊さん。この猫の銅像は、なんのためにあるんですか?」
今までオカルトにはあまり興味のなさそうだった小鶴も、だんだんと謎解きに惹かれてきたのか、前のめりになって質問した。
「あぁ、これは私が勝手に作ったんだよ。ちょうど……ほまれちゃんたちが生まれた頃くらいか。月見商店街にあった神社と猫塚が老朽化で取り壊されることになってな。わしは『予算があるならもう一回建て直してやったほうがええ』って言ったんだが、当時の町内会長が聞き入れてくれんくて。なんだか不憫に思ってな……それに……」
柊さんは、ひょいと近くの発泡スチロールに並んでいた小魚を一つ手に取ると、祠の前に置かれたお供え用の小皿の上にそっと置いた。
「それに……あの猫塚が取り壊されて以来、野良猫がよく出るようになってな。ますます気味が悪いんで、それでこの小さな祠を建てたんだよ」
ほまれやさいかにとっては、子供の頃から猫が当たり前のように商店街にいたので、そういうものだと思い込んでいた。だが、言われてみれば、かなりの数の猫がこの月見商店街に住み着いている。商店街の人々がどこか猫に優しかったのも、こういった経緯があったためかもしれない。
「……でも、その猫塚と神社、どこにあったんだろう……?取り壊されたような場所もないし…」
さいかが首を傾げて考え込む。
「みんなもよく知っとる場所だよ。ほら、ほまれちゃんがまだ小さいときやっとった……夏祭りの会場がそこだっただろ」
柊さんの言葉に、ほまれはハッと息を呑み、目を丸くした。
「遺跡公園のことですか!?」
「そうそう。あそこの正式名称はな……たしか『猫塚前松木神社公園』だったかな」
ほまれの脳裏に小さな電撃が走った。
(もしかして……大五郎が執拗にあの遺跡公園を気にしてたのって、これと何か関係があるの……?)
「なるほど。怪異になった化け猫を鎮めていたはずの猫塚を壊しちゃったから、猫が急激に増えたり、化け猫の噂やらが出るようになったと……」
さいかは手帳にメモを取りながら、ふむふむと深く頷いた。もしかしたら、伝説の巫女『お松』と松木神社にも何か繋がりがあるのかもしれない。さいかを、抑えきれないオカルトへの高揚感が襲っていた。
「ねえ、おじさん。その化け猫って何をするか知ってますか? どんな悪さをするとか……」
ひめが、核心に迫るようにまっすぐな視線で聞いた。
「うーむ……化け猫は、妖艶な女によく化けると聞くがな……。それで男をたぶらかすんだ」
「だったら! 五郎さんは関係ないんじゃない!? あんなむさくるしいおじさんには化けないでしょ!」
ほまれは、なんとかこの窮地を乗り越えようと、ここぞとばかりに隙を逃さず畳みかけた。
「えぇー! 人間に化けられるんでしょ!? 必要とあらば、おじさんにだって、おばさんにだって化けるわよ! それに……五郎さんのあの感じ、大五郎のふてぶてしさにそっくりなのよね……」
ほまれの必死のフォローは、ひめには全く届かなかった。それどころか、彼女の顔は完全に確信めいた表情へと変わっていた。
「やっぱり! 大五郎は化け猫よ! だから二人が同時には存在できないのよ!」
ついにひめは、たどり着いてはいけない答えにたどり着いてしまった。もはや言い訳のしようがない。
いや、いっそのこと本当のことを言って、楽になってしまった方が良いのではないだろうか?
……いやいや! いくらひめのことを信用しているとはいえ、噂というのはどこからどう漏れ出るか分かったものではない。 ほまれの頭の中であらゆる可能性が沸き上がる。
ひめから他のみんなへ伝わり、そのうちに町全体へ広まり、やがては日本中に知れ渡り、はたまたSNSを通じて世界へと情報は拡散していく――。 国境を越えて大バズりする大五郎の姿を想像し、ほまれはゾッと身震いした。
「とりあえず……遺跡公園に、もう一回行ってみようか。何かあるかもしれないし……」
メモを書き終えたさいかが顔を上げた。
「そうね! そうしよう! それが終わったら、『こいこい』に戻って五郎さんを問い詰めてみなきゃ!」
好奇心に駆り立てられたひめの熱は、もはや留まるところを知らず、どこまでも燃え上がっていた。
「あはは……」
ほまれは、燃え上がるひめとさいかを見つめながら、乾いた笑いを漏らすしかなかった。もはや自分の力では、この好奇心の暴走機関車を止めることはできない。彼女の顔には、完全に全てを天に委ねたような潔い諦めの色が浮かんでいた。
「帰るんなら、 これ持っていきな! 今日はいいのが入っててな」
背を向けたほまれたちを、柊さんが張りのある大きな声で制止した。振り返ると、おじさんは手近にあったビニール袋をひょいと引っ張り出し、発泡スチロールの中から適当に見繕った車エビを次々と放り込み始めていた。
ずしりと重くなった袋を、おじさんは気前よくほまれに差し出す。
「えっ! いいんですか? こんなにたくさん!」
ほまれが慌てて受け取り、ビニール袋の中を覗き込むと、そこには氷と一緒に、まだピチピチと元気に跳ねる立派な車エビが何尾も入っていた。透き通るような美しい縞模様の殻が、夏の強い日差しを反射してキラキラと輝いている。
「ありがとうございます! 帰ったら、大切に使わせてもらいますね!」
ほまれはパァッと顔を輝かせて深々と頭を下げた。商店街の温かな人情が、ほまれの心にしみわたった。
その横で、一人しずくは薄暗い祠の奥へと静かに視線を向けていた。
祠の陰には、いつの間に集まったのか。 何匹もの野良猫たちが身を寄せ合い、こちらをじっと監視するように見つめていた。彼らはしっぽをパタパタとせわしなく揺らしながら、「にゃごにゃご」「みゃぁーお」と低く鳴き交わしていた。




