第20曲 子豚の面目躍如と御老公
庵へ向かう準備を整えるため、機構の小部屋にいたエセンたちはいったん『土竜のお宿』へ戻った。
扉を開けた途端、
「エセンちゃん、おかえりなさいです!」
「おかえにさい!」
ビョルクとテンに突進されて、そのまま後ろへ倒れそうになったエセンの背中をラハーレが支える。
「エセンちゃん、おつかれさまなのです。ぼく、エセンちゃんのおきにいりをおごってあげます」
宣言するなり首から下げたがま口を握りしめ、テンと手を繋いで部屋から飛び出したビョルクを、慌ててヨンカが追った。
奥の部屋から出てきたポランがエセンとラハーレを労う。
「ふたりともお疲れさま」
「ああ、そちらもな」
「ポラン、帰ってたのね!村はどうだった?」
「初動が迅速だったからな、あとは現地の人たちでなんとかなると思うよ。既存の流行り病であればほとんど対処できるくらいには、薬材の備蓄も十分にあったしね。とはいえソヘラ市長があの人でなかったら、こんなものでは済まなかっただろうな」
グレカディオの情報によれば、ホヌラ山頂にて半裸で愛を叫んだ男は、現ソヘラ市長と非常によく似た外見の人物であったらしい。
市長は実際、過去に数々の奇行を目撃されている御仁なので、その話を聞いた全員が「あの人ならやりかねない!」という表情をしたが、とにかく仕事だけはできる男である。
そこへ、勢いよく扉を開けてビョルクが戻ってきた。
「はい、エセンちゃん、卵こーひーです。ラハーレさんにはふつうのこーひー、かってきました」
得意満面の笑みで、使い捨て容器を差し出すビョルク。
紙製の容器には、側面に茶色い卵が色付き眼鏡をかけ、親指を立てた絵が描かれている。
地下神殿へ来るとエセンがいつも寄る、持ち帰り専門珈琲店の図象である。
このしるし、以前から某安全運転の騎士にそっくりだなと思っていたエセンだが、それを聞いたポランは笑いすぎて息が止まりそうになっていた。
ラハーレが常ならぬ血相を変えた様子で近寄って来たが、エセンは小さくかぶりを振ってその動きを止めた。
「ビョルク、ありがとう〜。私のお気に入りを覚えててくれたのね」
エセンはビョルクの頭を撫でてやってから、ヨンカに目配せした。
「はーい、お子さまたちはそろそろ寝るお時間ですよ〜。ヨンカと一緒にお部屋へ行きましょうね〜」
ヨンカは異変を感じさせない自然な態度でふたりを促し、部屋の外へ連れ出した。
「じゃあエセンちゃん、お休みなさい」
「エセンちゃ、おやすみ、さい」
護衛のためだろう、ポヴランがそっとあとを追って行く。
シャルリアンテはこちらの部屋の外に、見張りとして残るようだ。
子どもたちが出て行ってからしばらく、室内では誰も言葉を発さなかった。
子豚のレオンベルガーだけがエセンの足元を忙しなく回りながら、高い声で鳴き続けている。
くるるるると昇り調子を繰り返す独特の喉の鳴らし方は、地震多発地帯で揺れの直前に鳴らす警報音に似て、人の危機感を煽る。
グレカディオが小さくため息をついた。
「そういえばこの子、ただの愛玩動物じゃなくて毒味豚なんだったわ〜」
「ラハーレの方にはまったく反応してないようじゃな」
「レオンちゃん、毒が入ってるのはこっちだけ?」
エセンの問いに、レオンベルガーがこくりと頷く。
「ラハーレ、そっちの珈琲は無事みたいだから、飲んで大丈夫!」
「いや、この状況でひとりだけ珈琲飲むとか、ないでしょ?」
周囲は呆れ顔だが、エセンはきょとんとしている。
「エセン、それこっちに寄越して。成分分析する」
ポランが使い捨て手袋をはめた長い腕を伸ばして、卵珈琲の容器を受け取る。
容器に印刷されたシャルリアンテ似の卵親父と現状の深刻さとの対比が、なかなか超現実的である。
「レオンちゃん、ありがとうね」
使命感に溢れたきりりとした表情でエセンを見上げるレオンベルガーを、ジンシャーが褒めるように舐めてやっている。
ラハーレはほんの一瞬、泣きそうな顔でエセンを両腕に包み込んだあと、鬼気迫る様子で電子端末を叩き始めた。
グレカディオは複数台の携帯電話機を使って、あちらこちらに指示を飛ばしているようだ。
シャンテがオードと通信を繋ぎ、珊瑚色の髪のベケルが険しい表情で状況を説明し始めたその時、映写幕の向こうで何やら騒がしい音がしたと思えば、
「エセンちゃんやー!!大丈夫かー!!!」
至近距離での大音声に、画面の端に追いやられたオードが迷惑そうな表情で耳を塞いだ。
「あ、御老公来ちゃったか」
「そろそろ出て来る頃だとは思ったが」
『御老公』またの名を『研究所の化石』。
研究所の裏庭には、所員たちから『秘境』と呼ばれる別棟がある。
御老公は日頃、草むらに覆われた別棟にほぼこもりきりで、なんなら御老公に会ったことのない新入り研究員からは、幻のいきものと思われている節がある。
ただエセンのことは、物心つかぬうちから見ているせいか自分の孫のように思っているようで、とかくエセンが絡むといろいろ面倒くさい御仁なのである。




