表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

31/33

王、来たる

    ◇


 最上層へ続く階段は、途中から礼拝堂めいた造りへ変わった。


 高い天井。白い柱。乳白色の導光管。

 光が満ちているのに、どこか寒い。


 ディアストラが一段上がるごとに鼻をひくつかせる。


「焦げの臭いが強くなった」

「……ええ」


 リアンノンも感じていた。

 金属。薬液。焼けた月銀。そこへ薄く混じる、もっと生っぽい匂い。


 最上層の扉が開く。


 その瞬間、リアンノンは目を見開いた。

 ドルハやイヴァでなければ気付かない程度の表情変化ではあったが。


 大祭儀用中枢祭具は、巨大だった。


 白銀の環が幾重にも重なり、祭壇の上空でゆっくりと回転している。中央には柱のように太い導光芯、その周囲を取り巻く中継輪、位相調整板、補助枝管。天井から落ちてくる朝の光を、まるごと巨大な器へ注いでいるような構造だ。


 美しい。

 それだけ見れば、たしかに神の御業と呼びたくなる。


 けれど、近づけばその美はすぐに剥がれる。


 継ぎ足された受け口。

 磨耗を誤魔化すために削られた縁。

 歪みに合わせて無理に角度を変えられた接続部。

 そして――


「……私の触ったパーツばかりですね」


 思わず、声が漏れた。


 神官長が振り返る。


「分かるのですか」

「分かります」


 リアンノンは祭壇へ近づく。

 祭具の受け口へ指を添え、導光芯の側面をなぞり、それから下部の連結環を見た。


「ここ。接触面の磨き方。第三枝管の逃がし方。位相板の留め具を欠けたまま使うために、受け側を半寸だけ落としている。全部、私がやった調整です」


 地下工房での夜が、脳裏にちらつく。

 壊れた部品。雑に投げ込まれた箱。何の部品かも知らされず、ただ直せと言われたもの。


 あれらが、ここにある。


「……こんなところに」


 ディアストラが低く言う。


「ええ。しかも、思った以上にど真ん中に」


 リアンノンは祭具を見上げる。

 さらに一歩、祭壇の根元へ寄ったところで、今度は別のものが目に入った。


 祭壇の周囲に、等間隔で並ぶ接続口。

 白銀の外装に溶け込むように隠されているが、レクイエムの日々でさらに磨かれた魔導具修復師の目は、見たくないものまで見てしまった。

 細い導線が、そこから中枢へ伸びている。


「…………」


 リアンノンは、しばらく黙った。


 神官長は何を意味するのか理解しているように、顔を伏せる。

 監理官は目を逸らした。

 書記官だけが、何も知らない子供みたいな顔で祭壇とリアンノンを見比べている。


「これ、人を繋いでいたんですね」


 誰も、すぐには答えなかった。


 代わりにディアストラが唸る。

 喉の奥に低く溜まる、獣じみた怒りの音だった。


 リアンノンは膝をつき、接続口の内側を覗き込む。


「緩衝路。しかも、生体側へ流す設計です。暴走した光の位相を、外部の器へ逃がして均す構造」

「それが何だと言うのだ」

 監理官が言う。

「大祭儀ほどの出力だ。何らかの緩衝材は――」

「緩衝材に人間を使うのが異常だと言っています。教団の法でも罪にあたるのでは」


 リアンノンは振り返った。


「しかもこれ、教団の従来技術じゃありません。レクイエム旧式拘束具の応用です。吸い上げ、押さえつけ、流れを均す。人体をバッファとして扱う時の発想そのもの」

「…………」

「書面どおりでした。グレイル卿の技術ですね」


 祭壇の根元には、薄く擦れた跡が残っていた。

 椅子か、台か、何かを定位置へ固定していた円形の跡だ。

 接続口の数は、ひとつではない。二つでもない。

 四つ、六つ、八つ。


 リアンノンは目を細める。


「ひとりでは足りない。複数人を繋いでいたんですね」

「それは――」

「誓願者の奉仕、ですか?」


 リアンノンは監理官の言い訳を先に潰した。


「なら記録があるはずです。接続時間、体調変化、回復処置、同意文。どこにあります?」

「…………」

「ないなら、奉仕ではありません。ただの隠蔽です」


 書記官の顔から血の気が引く。

 神官長は、もう否定もしなかった。


「……最初は、こんな形ではなかったのです」


 かすれた声で、彼は言った。


「ごく短時間、成人の神官が立ち会い、監督下で余波の魔力を受けるだけだった。そう説明されました。ですが年々、祭具の揺れが大きくなり、換装は噛み合わず、負担は増え――」

「人を増やした」

「……はい」


 リアンノンは祭具から目を離さない。


「最悪です」


 言葉が硬くなる。

 静かだが、冷えていた。


「壊れた祭具を、壊れたまま人で支えた。しかも、その歪みの中心に、私が直していた部品がある」

「リアンノン」


 ディアストラの声は低い。

 慰めではない。止めようとしているわけでもない。ただ、そこにいると伝える声だ。


 リアンノンは息を吐いた。


「……ともあれ、これはもう、大祭儀まで保ちません」

「何だと?」

 監理官が顔色を変える。

「今も無理に押さえています。いつ機能停止してもおかしくない。これ、夜の世界との間の結界を維持しているのですよね? もう結界も長くは保ちませんよ」

「だが、まだ替えのパーツが――」

「転移門で違法に運び込んだパーツが?」

「…………」


 空気が重くなった、そのときだった。


 聖堂の端、壁際の円陣が、突如白く光りはじめる。


 誰かが息を呑む。

 転送門だ。


 次の瞬間、光が裂けた。


 飛び出してきたのは、ひとりの男だった。


 灰銀の髪。痩せた頬。古い貴族めいた黒衣の裾を翻し、着地と同時に男は振り返る。

 手にした黒い杭のようなものを、転送陣の中心へ叩きつけた。


 ばきり、と嫌な音がした。


 白い光が乱れ、円陣そのものがひび割れる。

 魔法陣の線が逆走し、床の上で弾けた。


「はぁ……はぁ……まったく、これであやつも追ってこれまい」


 男は息を吐き、唇の端を歪める。


「忌々しい夜王め」


 その横顔に、リアンノンは見覚えこそなかった。

 けれど、空気が答えを知っていた。


 グレイル・バシュ。


 東訓練棟の焼印板にあった名。

 帳簿の欄外にあった癖。

 壊れた拘束具の奥に残っていた、古い悪意の主。


 神官長が青ざめる。


「グレイル卿……! なぜ今ここに!」

「卿などと、いまさら」


 男――グレイルはそこで、ようやく周囲を見た。

 白い聖堂。神官たち。そして祭壇前に立つ銀髪の娘。


 その目が、わずかに見開かれる。


「……ほう」


 笑った。

 ひどく愉快そうに。


「これはこれは。噂の修復師殿までいるとは。王が妾をとったと聞いたが、もう捨てられたのか?」

「妾ではありませんし、捨てられたのでもありません」


 リアンノンは言う。

 声が、少しも震えていないのが自分でも不思議だった。


「技師として来ただけです」

「同じことだ」


 グレイルが一歩、踏み出す。


「お前は直すためにいる。最初からそういう娘だった」


 その言い方に、ほんの一瞬だけ、地下工房の冷たい石壁が脳裏に蘇る。

 箱。金属片。見えない報酬。役に立つから働けと言われた夜。


 身体が、わずかに強張った。


 その隙を見逃さず、グレイルの指先が動く。

 祭壇の根元から細い光の導線が跳ね上がった。白銀の蛇のように、まっすぐリアンノンへ伸びる。


「リアンノン!」


 ディアストラが叫ぶ。


 次の瞬間、灰色の毛が爆ぜた。


 巨体が膨れ、爪が伸び、黄金の瞳が獣の鋭さを宿す。

 狼の姿へ変じたディアストラが、リアンノンの前へ躍り出る。

 光の導線――魔力の奔流がその肩を掠め、火花が散った。


 唸り声。

 白い聖堂に、夜の獣の咆哮が響く。


 グレイルが嗤う。


「なるほど。犬まで侍らせているか」

「狼だ!」

 低い、獣の声だった。


 だがグレイルは気にしない。

 さらに別の導線が、祭壇から持ち上がる。


「下がっていろ。修復師は壊れた祭具の前でだけ価値がある。余計な口は要らん」


 その一言で、リアンノンの胸の奥で何かが切れた。


 怖い。

 でも、怖いだけでは終わらない。


 昨夜、ドルハが言った。


 ――もし現地で、お前の権限を、その生きる権利まで含めて、何らかの権限を少しでも奪おうとする者がいたら、それを使え。


 リアンノンは懐へ手を入れる。

 黒銀の境界印。


 冷たいそれを、握りしめた。

 王があれだけ念入りに言い含めてきたのだ。

 何も起きないはずがない。

 ならば――


「ディアストラ、三秒作ってください」


「任せろ!」


 狼が吼えた。


 ディアストラがグレイルへ飛びかかる。

 聖堂に爪音が走る。

 グレイルがリアンノンから視線を外した。

 リアンノンはその間に、一歩前へ出て、白い床へ境界印を叩きつけた。


 かつん、と小さな音がする。


 次の瞬間。


 ――夜が、咲いた。


 白い石床の上に、黒銀の紋が一気に広がる。

 水面に墨を流したような、しかしもっと静かで、もっと深い何か。

 境界印を中心に、夜そのものが扉の形を取った。


 光がひとつ、呼吸を止める。


 そして、その闇の奥から、低い声が落ちた。


「ようやく呼んだな、リアンノン」


 白い聖堂の空気が、一変した。


 冷たく、濃く、甘い夜。

 人間界の白い光が押し返される。

 黒を纏った男が、裂けた夜の中央に立っていた。


 濡れ羽色の髪。血を思わせる赤い瞳。

 いつもよりずっと機嫌が悪い顔で、それでもひどく綺麗だった。


 ドルハだ。


 その姿を見た瞬間、リアンノンの肩から、ばかみたいに簡単に力が抜けそうになった。


 ――ああ、もう大丈夫だ。


 そう思ってしまった自分に、少しだけ驚く。


「ば、馬鹿な……!」


 グレイルが初めて声を乱した。


「転送門は壊したはずだ!」

「だから何だ」


 ドルハの声は低い。

 それだけで、聖堂の温度が一段下がる。


「門を壊せば追えないと思ったか」


 赤い瞳が、ゆっくりと細められた。


「俺の修復師が緊急事態だと判断した時点で、お前の負けだ」


 次の瞬間、ドルハの足元から影が走る。


 黒い獣のように床を裂き、グレイルの足首へ噛みつく。

 男が跳び退るより早く、ディアストラが横から飛び込んだ。

 狼の巨体がぶつかり、祭壇脇の支柱へグレイルを叩きつける。


 白銀の外装が軋む。


「この……畜生が!」

「吠えるな」


 ドルハは慌てない。

 ただ指を小さく動かしただけで、祭壇から伸びていた導線の半分が黒い影に呑まれ、沈黙した。


 グレイルが歯を剥く。

 爪の先へ、白い光が集まる。人間界の祭具と、レクイエムの拘束技術を継ぎ合わせた、ひどく悪趣味な術だ。


「夜の王といえど、聖域で無事に済むと――」

「済ませる気がないのはお前だろう」


 ドルハの声が、すっと落ちる。


「人を器にしたか」

「必要な犠牲だ!」


 グレイルの返答に、リアンノンの指先が冷える。

 ディアストラの耳がぴくりと動いた。


「祭具は守らねばならん。光の壁が落ちれば、誰が困ると思う。定命の人間どもを少し繋いだ程度で――」

「少し?」


 リアンノンは思わず言った。


 グレイルがちらりとこちらを見る。


「少し、ですか」

「そうだ。器のひとつやふたつ――」

「八口あります」


 リアンノンは祭壇の根元を指した。


「最低八人。負荷分散の跡から見て、入れ替え前提ならもっとです。記録がないということは、消耗した人数も分からない」


 グレイルの目が、わずかに眇められる。


「……だからお前が要るんだよ、小娘」


 ぞっとするほど穏やかな声だった。


「壊れたものを見れば、放っておけんのだろう。なら直せばいい。昔のように」

「昔のようにはしません」

「するさ。お前はそういう性質だ。名をやろうが、金をやろうが、結局は壊れたものへ手を伸ばす」


 その言葉に、ドルハの赤い瞳がひどく冷たく光った。


「よく喋る」


 次の瞬間、影が跳ねる。

 グレイルの右腕が、肘から先ごと床へ縫い止められた。


 悲鳴。

 白い聖堂に、血の匂いが散る。


 ディアストラが一気に間合いを詰め、狼の牙で男の肩口へ食らいついた。

 グレイルが振り払おうとするより早く、ドルハが至近へ立つ。


 黒い外套の裾が、白い石床をなぞる。


「お前の言う通りだ」


 低く、静かに、王は言った。


「リアンノンは壊れたものを見れば、手を伸ばす」


 その声がひどく甘く聞こえたのは、怒りが極まっているからだ。


「だからこそ、お前のような壊し方をする奴が嫌いなんだよ」


 グレイルの喉元へ、影が絡みつく。

 締め上げるのではない。逃げ場だけを、正確に奪う。


 男の瞳が見開かれた。

 もう反撃の余地はない。


「ディアストラ」

「ああ」


 狼が喉を鳴らす。

 次いで、変じた前脚で男を床へ押さえつけ、そのまま転がっていた祭具用拘束帯を引き寄せた。

 皮肉なことに、今もっとも正しく使われた拘束具だった。


 数息後には、グレイルは床に組み伏せられていた。


 荒い呼吸。

 砕けた転送陣。

 散乱した光の残滓。


 聖堂はようやく、動きを止める。


 リアンノンはそこで、ようやく息を吐いた。

 緊張がほどけると、膝が少しだけ笑いそうになる。


 ドルハが振り返る。


「怪我は」

「……ありません」

「本当か?」

「本当にです」


 それから、リアンノンは小さく目を細めた。


「来ないと、言っていたはずですが」

「同行しないとは言った」


 ドルハは、いかにも当然の顔で答える。


「召喚されないとは言っていない」

「ずるいですね」

「王権というものは、こういう時にも使える。我が国の代表者の命の危険に際し、最も適切な人員を送り込んだという方便が必要だったが」


 あまりにも真顔で言うものだから、リアンノンは数拍だけ黙ってしまう。

 その横で、ディアストラが獣の姿のまま、喉の奥で笑ったような音を立てた。


「よかったな、お嬢」

「業務中ですよ」

「はいはい、リアンノン」

「今後気をつけてください」


 そう言い返した時点で、自分の声がすっかり落ち着いていることに気づく。


 さっきまで、白い壁に押し潰されそうだった。

 昔の自分に引き戻されるような、嫌な冷たさがあった。

 なのに今は、夜がひとかけらあるだけで、驚くほど呼吸がしやすい。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ