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30/33

調査開始

    ◇


 通されたのは、応接用というより実務用の部屋だった。


 白木の長机。帳簿棚。高い位置に細く切られた窓。香茶を楽しませるためではなく、書き、比べ、処理するためだけに整えられた空間だ。

 客をもてなす気配は薄い。代わりに、ミスは許さない、とでも言うような働きにくそうな空気だけが行き届いている。


 だが、清潔な部屋だった。

 清潔すぎて、逆に分かる。

 香と薬草で隠してはいるが、床の奥には薄く焦げた金属の匂いが残っていた。


 部屋の中央には、すでに三人が待っていた。


 白法衣の上から深い青の肩掛けをまとった神官長。

 細身で神経質そうな監理官。

 その少し後ろに控える、まだ若い書記官。


 いずれも顔色がよくない。

 寝不足と焦りと、隠しきれない疲労が、白い肌の下に透けていた。


「ようこそお越しくださいました、技師殿」


 神官長が、あまりにも整った声音で言う。

 やわらかな笑み。低い姿勢。けれど、そこに安堵はない。切羽詰まった者が、礼儀を盾にしているだけの顔だ。


「茶でも――」


「いりません」


 リアンノンは椅子にも座らずに言った。

 元々はこちら側に住んでいた身からすれば少々申し訳ない気持ちがないわけではないが、ドルハからは「作業時間を圧迫しかねない雑事は一言で切り捨てろ」と助言をもらっている。

 円滑に物事を進めるための儀礼を挟んでいる時間は残されていない。


 教団はリアンノンを頼ってきたが、もし失敗すればすべて、リアンノンの責任となるだろう。

 だからこそ、とにかくレクイエムの代表者としての肩書を全力で使って、最短で必要なものを揃えなければならない。


「図面と換装記録、それから整備履歴を。大祭儀用中枢祭具の全体図も必要です」

「……まずは、現状説明から」

「すみません、不要です。善意や建前や隠した事情があるのは察しますが、今は本当に時間が足りないので、理解してください」


 神官長の口元が、わずかに引きつる。


「説明は書面で足ります。必要なのは、私が見て判断できる情報です。――隠しごとがあるなら今のうちにすべて教えてください。後から見つかると、修理ではなく責任追及に作業時間を割くことになります。責任問題にしたいのではなく、作業従事者として作業時間にすべての労力を注ぎ込みたいのです」


 監理官が眉をつり上げた。


「ずいぶんと高圧的だな」

「違います。期限が短いだけです」


 リアンノンは淡々と返す。


「あと十日もないのでしょう。でしたら、気分を害しただの礼を尽くせだのに時間を使う余裕はないはずです」

「貴女は……!」


「監理官」


 神官長が静かに制した。

 それだけで、監理官は不本意そうに口を閉ざす。


 リアンノンはそのあいだに、部屋の入口近くへ視線を落とした。

 白い石床。その一角だけ、妙に均一に擦れている。丸く、円を描くように。

 しかも縁が、うっすら焼けていた。


 彼女はそちらへ歩み寄り、しゃがみ込む。

 手袋越しに床へ触れ、目を細めた。


「……やはり」


「何か?」

 書記官が恐る恐る尋ねる。


 リアンノンは顔を上げないまま答えた。


「転送門の痕跡です」

「……は?」


 神官長たちの空気が止まる。


「荷車ではありません。車輪なら付く傷は轍の形になる。こんなふうに円周だけ均一には焼けない。しかも石目の内側に、残留魔力の渦がある」


 指先で、薄く残った流れをなぞる。


「短距離ではないですね。かなり強い転送です。ここ最近、繰り返し使われています」


 監理官の顔色が変わった。

 神官長は一瞬だけ目を閉じ、それから静かに吐息をつく。


「……書類を」

「神官長?」

「転送した物品の目録も出してください」


 低い命令に、書記官がはっとして一礼する。

 慌てた足音が廊下へ消えた。


 ディアストラが、リアンノンのすぐ後ろで小さく鼻を鳴らした。


「有能」

「威圧するの、不得意なんですけどね」

「ドルハに似てきた」

「冗談を」


 リアンノンは立ち上がる。


「ともあれ、隠し事を見つけたら全部指摘しましょう。修復にあたって、見えている情報は多いほうがいいですから」

「何を運んでるんだと思う?」

「そこまでは、現時点では分かりませんね。でも、魔力で作られたゲートを通す危険を犯してでも運び込みたい、街道を使った正規ルートでは届けられない荷物となると、あまり想像したくないものなのでしょうね」


 神官長が長机の向こうで、どこか疲れきった目をしてこちらを見る。


「……その観察力は、噂以上のようですね。あなたのような方がいると知っていれば、あの商会から早々に引き抜いておくべきだった」

「似たような立場の子たちは大勢いると思うので、今後救ってあげてください」

「ああ。今回のことで教団にも風穴があく。少しはマシな組織にしましょう」

「ええ。それが良いと思います」


    ◇


 やがて戻ってきた書記官は、腕いっぱいに帳簿と紙束を抱えていた。

 机へ置く手が震えている。


「直近三年分の換装記録、故障報告、照会記録です」

「三年?」

 リアンノンは眉を寄せる。

「足りません。できるだけ多く、少なくとも十年分は必要です」

「じゅ、十年……!?」

「構成部品の癖を見るなら、それでも短いです」


 監理官が苛立たしげに言う。


「そんなもの、今から全部は――」

「直近の資料から見ます。今の構成が分かるものは……」


 リアンノンは一番上の帳簿を開いた。

 ページをめくる。導光輪、接続環、中継芯、祭壇位相板。見慣れた部品名が並ぶ。

 何度も見た。何度も直した。だが、そのどれにも自分の名はない。


 胸の奥が少しだけ冷える。

 それでも指は止めない。


「……これは」


 呟いたのは、五冊目の照会記録だった。


 欄外に、短い記号がいくつも並んでいる。


 G・B

 再調整推奨

 拘束安定補助導線併用

 生体緩衝路にて補完可


 リアンノンの視線が止まる。


「これ、誰のサインですか?」

「外部顧問の――」


 若い書記官が答えかけ、神官長の顔色をうかがって口をつぐむ。

 神官長の胃は、随分と痛そうだった。

 けれどリアンノンは待たない。


「誰です?」

「……グレイル卿、です」


 監理官が、諦めたように言った。


「正式には、外部技術顧問グレイル・バシュ。数年前から、祭具中枢の不具合対応で助言を」

「やっぱり」


 リアンノンは小さく呟く。


 ディアストラが身を乗り出した。


「知ってる名か」

「ええ。レクイエム旧拘束房監理官です」


 ディアストラにも、以前の例の場所で少々関係があるわけだが、今は黙っておく。

 帳簿の余白を、指先で軽く叩く。


「修復の癖がどれも同じです。月銀の逃がし方、腐食液の使い方、補助導線の継ぎ足し方。東訓練棟で見た改竄と同系統の、荒い修復技術」

「……東訓練塔?」

「以前、事件がありまして。人が死にかねない装置の改造を平気で実行する方です」


 書記官の顔が青ざめる。

 神官長は長く黙ったままだ。


「監理院は、その人物が何者か知っていて雇ったのですか」

 リアンノンが問うと、神官長はやがて、静かに首を振った。


「正確には紹介されたのです。祭具の中枢は古く、既存の技師では手に余る。そう言われて」

「誰に?」

「中央評議会からです。形式上は、聖具監理院への助言役として」

「形式上……。でも、実際は――」


 リアンノンはその言葉を繰り返す。

 神官長が目を伏せる。


「……貴女の言う通りですね。こちらの持っている情報も、だいぶ改ざんされているようだ。ここはすべて、貴女に委ねるべきでしょう」


 その声には、観念が混じっていた。


「中枢祭具をご覧いただきたい。最上層です」


 監理官がぎょっとする。


「神官長、正気ですか!? 時間を稼げと言われて――」

「正気でないのは、今の祭具のほうだ」


 ぴしゃりと言い切るその声音に、部屋が静まった。


「このままでは大祭儀に間に合わない。ならば、ここでようやく来た本物の修復師に見せるしかないでしょう」


 言葉の後半で、神官長はまっすぐリアンノンを見た。

 それは懇願ではない。少なくとも、そう見せない努力の顔だった。


 リアンノンは書類束を閉じる。


「えぇ、行きます。案内お願いします」


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