表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

29/29

聖都へ

 人間界の朝は、レクイエムの夜よりよほど冷たかった。


 気温だけを考えれば大差はないのだろう。

 それでも、この土地がリアンノンを拒んでいるかのような錯覚が、彼女に冷たさを感じさせていた。


 立ち並ぶ灯りは、石畳を容赦なく照らしている。

 王城の黒い塔と夜霧に慣れた目には、それだけでリアンノンには眩しすぎた。


 馬車の窓越しに見える聖都南区は、どこまでも清潔だった。

 白い壁。白い尖塔。乳白色の旗。通りを横切る者の衣服まで、汚れひとつ許さない潔癖なさで統一されている。


 整っている。

 整いすぎていて、息が詰まる。


 ――この街以外は、本当にひどい有り様だったのに。

 建前と見栄で飾り立てられた街並みは、リアンノンが吐き気を覚えるのに十分だった。


 リアンノンは膝の上に置いた書類束を押さえた。

 王城特命技師委嘱状。

 境界通行文。

 人間界側への照会状。

 その上に重ねた黒銀の境界印だけが、この白い街の中でひどく異物めいて見える。


「お嬢、大丈夫か」


 向かいの席でディアストラが言った。


「大丈夫。あと、今は業務中なのでお嬢禁止です」

「それならいいけど。噛みつきそうな顔、してた」

「噛みつくかもしれませんね」

「一撃で仕留める噛みつき方、今度教える」

「狼式ですか」

「うん」

「本当に教えてもらおうかな」


 ディアストラは窓の外を眺め、それから鼻先を少しだけ動かした。


「変だな」

「何がです」

「匂い、変な感じする」


 ディアストラは眉を寄せる。


「祭具院なんだろ、ここ。もっと金属と油と焦げた石の匂いがしていい。重いものを運び込んでる街なら、荷車の泥とか鉄輪の削れた粉の匂いも混じる」

「でも?」

「薄い。なのに、変な焦げだけある」


 リアンノンも窓の外を見る。


 たしかに、祭具監理院区画へ近づいているわりに、通りは妙に静かだった。

 部品を積んだ荷車の列も、整備工房にありがちな金属音も少ない。

 あるのは光印を掲げた門と、静かに行き交う白衣の人影ばかり。


 昨夜、東門を出る直前にヴランが言っていたことを思い出す。


『発注量と交換部材の数のわりに、街道側の搬送痕が薄すぎるんですよ。焼却場も、倉庫も、荷運びの記録はあるのに、轍が浅い。変でしょう』


 あの時はただの違和感として聞いた。

 けれど今、目の前の静けさを見ると、その違和感がじわりと形を持ちはじめる。


「……荷車じゃない、のでしょうか」

 リアンノンは小さく呟いた。

「ん?」

「まだ断定はしませんが。でも、少なくとも普通の搬送ではなさそうです」


 ディアストラの金の瞳が細くなる。


「また嫌なやつか」

「たぶん」


 馬車が速度を落とした。

 白い石の門が見える。

 夜明光教団祭具監理院、南保管区画。

 光輪の紋が、朝日にきらりと反射した。


 御者が停めると同時に、門前にいた白法衣の役人が二人、こちらへ歩み寄ってくる。

 どちらも表情は丁寧だが、視線の置き方に慣れがあった。

 人ではなく、案件を見る目だ。


「レクイエムより到着した技術工と補助員、ですね」


 年嵩の役人が馬車の窓へ向かって柔らかく言う。


「ご安心ください。保護対象者であるリアンノンの帰還については、こちらで適切に――」

「――違います」


 扉を開ける前に、リアンノンは言った。


 役人の口が止まる。


「私は返還物ではありません。王城特命技師として、現地整備依頼に応じて来ています」

「ですが、教団側記録では――」

「その“教団側記録”は、昨日の時点で虚偽申告の疑いありとして記録されています」


 リアンノンは馬車を降りながら、書類束を引き抜き、突きつけた。


「委嘱状。照会状。整備権限明記の別紙。必要ならここで読み上げますか?」

「…………」


 もうひとり、若い役人の目が紙へ吸い寄せられる。

 王印付きの正式文書だ。無視できるはずがない。


「加えて、私の身柄拘束、単独連行、作業権限の取り上げは、契約違反としてその場で記録します。私は、レクイエムを代表した王権代行者です」

 リアンノンは淡々と続けた。

「私は話をしに来たのであって、回収されに来たのではありません」

「……失礼しました」


 年嵩の役人が一礼する。

 口調は丁寧なままだが、表情が硬くなった。


「では、委嘱技師殿としてご案内します」

「そうしてください」


 ディアストラが横で小さく鼻を鳴らす。


「相変わらず容赦ないな」

「先に言っておかないと、後が面倒です。代表者である以上、代表者として呑めないことははっきり断らないとレクイエムの不利益になります」

「それもそうか」


 門をくぐる。


 内側は、外よりさらに白かった。

 磨きすぎた石床、柱、壁面、回廊。どこもかしこも光を反射して、目が乾くような明るさだ。

 だが近くで見ると、綺麗なだけではないことも分かる。


 床の一部に、薄く円形の擦れ跡がある。

 荷車の車輪痕にしては、広すぎて均一だ。

 しかもその周囲だけ、石目がわずかに焼けている。


 リアンノンは歩を緩めた。


「どうかされましたか」

 役人が振り返る。


「いえ」


 そう言いつつも、目は床から離さない。

 運搬路にしては、妙だ。

 重いものを頻繁に通したなら、もっと線がぶれる。

 けれどこれは、同じ円周だけが何度も焼かれ、擦られたみたいに均一だった。


 ディアストラも同じ箇所を見ていたらしい。

 ごく小さく、舌打ちに近い息を吐く。


「……やっぱり焦げてる」

「ですね」


 案内役の足は止まらない。

 見えていないふりをしているのか、本当に気づいていないのかは分からない。


 だが、どちらでもよかった。

 少なくともリアンノンには見えた。

 この街では、見えないところで何かが繰り返し出入りしている。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ