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誓約の間にて その2


 教団の使節が踵を返す。

 養父母もそれに続くが、金箱だけはその場に残された。


 ヴランがそれを見て、首を傾げた。


「おや。謝意、忘れてますよ」

「置いておけ」


 ドルハが言う。


「虚偽申告の証拠として預かってやる」


 扉が閉まる。


 その直後、壁際の暗がりから拍手が湧いた。


 姿を隠して推移を見守っていたレクイエムの貴族たちだ。

 王を讃える拍手。

 そしておそらくは、王の前で退かなかったリアンノンへも向けられた拍手だった。


 契約を最も重んじるこの国では、王が己の契約相手を公然と守り、証拠と条文で敵を退けたこと自体が、一つの鮮やかな勝利なのだろう。


 だがリアンノンにしてみれば、褒められるより先にどっと疲れが来る。

 誓約の間の熱が引くにつれ、ようやく自分がずっと肩に力を入れていたのだと分かった。


 数秒後、ドルハが軽く指を上げると、拍手はすぐに止んだ。

 王の一動作で空気が静まるのは、何度見ても少しぞっとする。


「よく戦った」


 隣で、ドルハが短く言った。


「……王城特命技師は、大げさでは」

「足りないくらいだ」


 リアンノンは一瞬だけ目を見開き、それから、ほんの少しだけ肩の力を抜いた。


 だが、安堵して終われる雰囲気ではない。

 教団は退いたが、諦めたわけではない。むしろ、あの司祭の顔を見れば分かる。追い詰められている者の顔だった。


 ヴランが扉の方を見ながら、薄く息を吐く。


「さて。向こうは持ち帰って、揉めるでしょうね」

「揉めさせておけ」

「でも、次はもっと切羽詰まった顔で来ますよ」

「だろうな」


 ドルハの視線が、証拠机の上の焦げた祭具部品へ落ちる。


「連中に残された道は多くない。リアンノンを使うのではなく、リアンノンに頭を下げる。それ以外には」

「……それ、向こうが一番やりたくないやつですね」

「だからこそ、やる前に別の手を打つ」


 ヴランがそこで、懐から新しい紙束を抜き出した。

 さっきまで誓約の間の進行役をしていた顔から、完全に実務の顔へ戻っている。


「ちょうど、その“別の手”に関わる報告があるんですよ」


 ドルハが目だけで続きを促す。


「教団側の祭具、全部をこっちへ持って来られるわけじゃない。回収した失敗品や目録で見えてきた範囲には限界があります」

「中枢が向こうにある?」

 リアンノンが問う。


「あります。しかも、かなりの規模で」


 ヴランは紙を一枚広げ、机へ置いた。

 簡略化された祭具院の見取り図らしい。白地に細い線で、聖都近郊の保管院区画が描かれている。


「夜明光教団の大祭儀用中枢祭具は、聖都南区の祭具監理院地下保管院に据え置き。分解搬出不可。今さら王城まで運べる大きさじゃない」

「換装失敗したのは周辺部品だけで、本丸は向こうか」

 ディアストラが腕を組む。

「ええ。しかも仮組み直しが始まっています。大祭儀まで十日弱。連中、停止寸前のくせに現地で継ぎ足して間に合わせる気です」

「最悪ですね」

 リアンノンは素直にそう言った。

「失敗した構成のまま、さらに現場で誤魔化すなんて」

「連中からすれば、止めるよりはましなんでしょう」


 ヴランが紙の端を指で叩く。


「要するに、真相を掴むにも、直すにも、最終的には現地を見るしかない」

「なら――」


 リアンノンは迷わなかった。


「私が行きます」


 誓約の間が、一度しんと静まる。


 ヴランは「そう言うと思った」という顔をした。

 ディアストラも驚かなかった。ただ、金の瞳だけがわずかに細くなる。


 ドルハだけが、すぐには答えない。


 数拍おいて、低い声が落ちた。


「そう言うだろうとは思っていた」

「止めますか」

「止めれば、お前は怒る」

「よく分かっていますね」

「学習した。俺は雇用主だからな」


 場にかすかな息が戻る。


 だがドルハはそこで、視線をヴランへ移した。


「人間界側の受け入れ条件は」

「改革派の実務司祭から、共同調査要請を出させられます。今のままだと保守派が“攫われた技工の返還交渉”に戻そうとするでしょうが、こちらから先に委嘱状を叩きつければ、あちらも公には拒みにくい」

「いいな。その路線で進めろ」

「ただし――」


 ヴランはわざと一拍置いた。


「陛下ご自身の同行は、ほぼ最悪の外交カードです。聖都の祭具区画に夜の王が入れば、“聖域侵害”の大合唱になる」

「分かっている」


 ドルハの答えは早かった。

 その顔には「俺のリアンノンが心配だ、ついていかせろ」と書いてあるが、言葉の上では自制ができている。


「……どう止めるか考えていたのに」

「王が動けば、向こうはお前ではなく俺を見る。そうなればお前は“王に連れられた技師”でしかなくなる」


 それは、あまりにまっすぐな言い方だった。


「それでは意味がない。お前は王城特命技師として行く。俺の後ろに隠れてではなく、お前の名で」

「…………」

「それに、こっちにも仕事がある。それを疎かにしては片手落ちだ」


 ドルハの赤い瞳が冷える。


「グレイル・バシュ。あいつの裏をまだ探りきれていない」

 ヴランがそれを受け、言葉を続ける。

「旧監理局の押収帳簿、廃棄品処理記録、拘束具系の試験申請。ここを押さえておかないと、向こうへ渡った証拠だけでは逃げ道を残します。始祖王党派と教団の繋がりは、今まで掴みきれなかった。今がチャンスです」

「俺が王城を空ければ、その隙に焼かれる書類も出る」


 リアンノンは小さく息を吸った。


 分かる。理屈は、分かるのだ。

 ドルハが同行しないのは、彼女を切り離すためではない。むしろ逆で、彼女を独立した技師として立たせ、自分は別方向から敵の喉を締めるつもりなのだ。


 その上でなお、胸のどこかがわずかに沈むのだから、自分も面倒だと思う。


「用意してほしいものがあります。事前交渉で勝ち取ってもらいたいもの、とも言いますが」


 リアンノンは気持ちを立て直すように言った。


「言ってみろ」

「王城特命技師としての正式委嘱状。調査対象祭具への整備優先権。資料閲覧権。作業報酬の明文化。現地での名義保全。それから――」

「補助員の同行許可」

 ディアストラが横から口を挟む。

「必要だろ」

「はい。ディアストラ、よろしくお願いします」

「任せておけ。すべてもぎ取ってきてやろう」

 ドルハが即座に言う。

「ほかは?」

「できれば、武官の同行許可を」

「当然だ。向こうは確実に嫌がるが、今やお前はレイクエイムの高官に匹敵する権限を持っている。護衛なしではむしろ不自然だと突き通してやる」

「頼りになります」

「お前の王は頼れる男だからな」

「今後も頼らせてください」

「一生頼っていいぞ」


 そんなやり取りを聞いて、ヴランが肩をすくめた。


「では、今夜中に委嘱状と境界通行文を整えましょう。人間界側にも“保護対象の返還”ではなく“王城特命技師への現地整備依頼”としてこちらへ要請を投げるよう、他のルートを潰します」

「加えて、王城旧監理局の封印を強化しろ。始祖王党派は俺が黙らせる」

 ドルハが命じる。

「グレイルの残した記録を一枚でも焼かせるな」

「承知しました」


 その後の流れは早かった。


 貴族たちは退き、記録官が入り、誓約の間はすぐに実務の空気へ変わる。

 委嘱状の草案、護衛人数、通行札、国境検分の手順、現地受け入れ先の確認。机の上に紙が増え、役割が決まっていく。


 やるべきことがある時の王城は、ひどく効率がいい。

 感情と見栄を排除した、契約によって動くこの城は、そのすべてをあわせてひとつの生命体のような効率を見せてくれる。


 そして、それらに片がつく頃には、もう夜もだいぶ深くなっていた。


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