判明した事実とリアンノンの決意
◇
その後の三日間、レクイエムは教団への返答を保留した。
リアンノンは西塔と検分室を往復しながら、押収した管理具の再分類を進める。
ディアストラは補助員として記録を取り、旧式拘束具の装着感や整備の癖を洗い出していった。
ドルハは表向きは冷静だったが、王城内の出入りに対して厳しく目を光らせていた。
そして四日目の夜、ヴランが戻った。
扉が開くなり、土埃のついた外套を脱ぎながら、彼はいつになく率直に言った。
「当たりだよ」
後ろには兵士が二人、細長い木箱を運んでいる。
「国境手前の回収路で押さえた。監理院が焼却処理に回すはずだった“換装失敗品”だ。帳簿も確保した」
兵士が木箱を机の脇に下ろし、金具を外す。
中に納められていたのは、銀白色の中継器と接続輪だった。
新造部品らしく外装はきれいだが、焦げ跡がある。導光管の一部はひび割れ、接続爪は焼けて黒ずんでいた。
リアンノンはすぐに箱の前へ寄った。
「……魔力逆流ですね」
「祭壇組み上げ時に停止、そのまま一部が焼けたそうだ」
ヴランが帳簿を広げる。
「興味深いのはここからだ。監理院はここ半年で、祭具の接続部や外装部を一気に新造に切り替えている。ところが交換した端から不具合が出た。再修理、再停止、再換装、全部失敗」
「芯材の製造記録は?」
リアンノンが問う。
「ほぼなし」
「……でしょうね」
もう工具を手に取っていた。
ディアストラが無言で作業台を寄せる。
ドルハは灯りの角度を変えた。
さすがは頼れる助手と、頼れる上司だ。空気を読んでくれる。
留め具を外し、外装板を外し、内部の流路を露出させる。
リアンノンの動きがそこでぴたりと止まった。
「……やっぱり」
「何か気付いたのか」
ドルハが問う。
リアンノンは、焦げた接続部を指先でなぞった。
「新しく作った側は、規格通りなんです」
「悪いことかい?」
「本来は良いことですが、この場合は悪いことですね」
彼女は古い芯材と新しい接続輪の噛み合う部分を示す。
「こっちは教本通りの寸法、教本通りの角度、教本通りの流量。とても正しい。でも、古い芯材側はもう“教本通り”じゃない」
ヴランが目を細めた。
「誰かが勝手に改造した?」
「改造というより……修復の積み重ねです」
リアンノンは慎重に言葉を選んだ。
「欠けた歯をそのまま戻せないとき、隣の歯の角度を少し変えることがあります。割れた導光路をつなぐとき、流れが淀まないように受け側を削って逃がすこともある。座りが悪いなら、接触面を磨いて噛み合わせをよくする。私は、そういう手入れをずっとしていました」
ひとつひとつ挙げながら、彼女は自分のしてきた作業を思い返す。
「その場で一番よく動くように、ですか」
ヴランが言う。
「はい。だって、私はそれぞれが単体で動く魔導具だと思っていたから」
検分室が静まり返る。
リアンノンは続けた。
「壊れたものを渡されて、直せと言われる。なら、単体で最も滑らかに動くよう調整するしかありません。すり合わせも、かみ合わせも、負荷の逃がし方も、全部その部品に合わせて整える」
「しかし実際には、単体ではなかった」
ドルハが低く言う。
「はい」
リアンノンは、焦げた中継器を見下ろした。
「全部、大祭儀用祭具のための部品だったんです。別々の道具じゃない。一基の大きな祭具を組み上げるための、パーツだった」
ディアストラが息を呑む気配がした。
「……じゃあ」
「私が単体ごとに最適化した分だけ、全体の噛み合わせも変わっていったんです」
リアンノンははっきりと言い切った。
「しかも、それがひとつやふたつじゃない。導光輪も、中継芯も、接続爪も、祭壇連結環も。私が直した部品が中枢側に積み重なっていけば、祭具全体の“実際に動く規格”が、元の設計からずれていく」
ヴランが帳簿へ視線を落とす。
「だから、新造品を入れても適合しない」
「ええ。新品が悪いわけじゃありません。規格通りに作ってあります。でも、現物の方がもう元の規格では動いていない」
リアンノンは、焦げた継ぎ目をそっと持ち上げた。
「今の祭具は、設計図の上の祭具じゃないんです。長年の修復と現場合わせで、別のものになっている」
「その“別のもの”を唯一直せるのが、お前ということか」
「たぶん、えぇと、おそらく……」
リアンノンは苦く答えた。
「少なくとも、どういう癖で、どこをどう削れば流れが通るか、私は手で覚えています。向こうの技師が設計図だけ見て新品を入れても、合わないんです」
ヴランが息を吐いた。
「なるほどね。やっと見えた」
彼は帳簿を指で叩く。
「教団は最初、お嬢さんを売られても大丈夫だと思った。代わりの修理人を入れて、規格通りに部品を作れば済むと思っていた」
「でもそれでは済まなかった」
「うん。なぜなら現物はもう、規格通りじゃなかったから」
ドルハが低く笑った。
愉快だからではない。敵の腹の底が見えた時の笑いだ。
「だから金を積んででも返還要求か」
「そういうことです」
リアンノンは頷いた。
「私が修理したものじゃないと駄目だった、というより――正確には、私が整備してきた部品が祭具の大半を占めるようになってしまったんです」
自分で口にして、ようやくその異常さが実感を伴ってきた。
地下工房で、価値のない廃材だと言われたもの。
名も残らず、賃金も出ず、ただ直して終わるはずだったもの。
それが今や、教団の大祭儀を支える中身そのものになっている。
「……ひどい話ですね」
誰に言うでもなく、リアンノンは呟いた。
「よかれと思って、私は頑張って修理していたのに」
「だが、それらをつなげた結果、祭具はお前なしでは維持できなくなった」
「はい。私なにも悪いことしてないですよね、これ」
「うん」
「えぇ」
「ああ」
リアンノンは顔を上げた。
「だから“さらわれた”ことにしてでも取り戻したい。売った事実を隠してでも、金を積んででも」
「家族愛ではなく」
ディアストラが低く言う。
「運用維持のため、ですね」
リアンノンは淡々と答えた。
ヴランが肩をすくめる。
「宗教も商売も、やってることはずいぶん俗だ」
「俗でも、焦っているのは確かだろう?」
ドルハは返還要求書を手に取り、そのまま机へ置いた。
「大祭儀まで、あとどれほどだ」
「十日ほどです」
ヴランが即答する。
「十分に切羽詰まっているな」
数拍の沈黙のあと、ドルハが命じた。
「ヴラン。失敗した換装例を、さらに集めろ。焼却前のもの、廃棄帳簿、発注書、全部だ。向こうがどこまで“リアンノンが整えた現物”に依存しているか、証拠で固める」
「了解」
「ディアストラ。訓練棟と拘束房の検分は続行。ただし、教団系の荷や人の動きが混じったら優先して拾え」
「任せろ」
「リアンノン」
名を呼ばれ、リアンノンは顔を上げた。
「お前はこの失敗作の山を分析できるか」
ドルハが木箱の中の失敗品を示す。
「どこがどう噛み合わなくなっているのか、現物で示せ。連中が欲しがっているのが“娘”でも“保護対象”でもなく、“お前の整備した祭具”なのだと、誰の目にも分かるように、完璧に」
「はい」
返事は、驚くほどすんなり出た。
もう分かってしまったからだ。
教団が欲しいのは、リアンノンというひとりの人間そのものではない。
正確には、リアンノンに無償で積み上げさせた修復履歴と、彼女の手でしか維持できなくなった祭具の現実だ。
それを今さら返還などという言葉で包み直そうとしている。
リアンノンは袖をまくり、工具を手に取った。
「始めます」
「今からかい」
ヴランが半ば呆れたように言う。
「壊れているので」
「あっ……そうだった。きみはそういう子だったね」
小さく息をついてから、リアンノンは付け加えた。
「それに、向こうが金で買い戻せると思っているなら、先に証明しておきたいんです」
「何を?」
ディアストラが問う。
リアンノンは焦げた接続輪を作業台へ載せた。
「私が整えたものは、もう向こうの帳簿通りには動かないってことを」
ドルハの赤い瞳が、わずかに細められる。
「悪くない」
短く、王は言った。
「なら、連中からの喧嘩は俺が買ってやる。だが勝つのは怒りや恐怖によってではない。記録と現物、リアンノンの技術だ」
「望むところです。です、けど、なんですけど――」
「なんだ、歯切れが悪いな」
「このまま進むと、私のために、教団と争うことになるのでは?」
まず、ヴランとディアストラが顔を見合わせた。
その次に、ドルハがおかしなものを見るような顔をした。
「この国は契約で動いているんだぞ。強大な力を持つ者が寄り添って生きていくために、何もかもを契約という形で進めることにした支配者の国だ」
「それは、はぁ、知っていますが」
だから何だと言うのだろうか。
首を傾げるリアンノンに、王は心底呆れてこう言った。
「俺は、お前と契約したんだ。主従を示す血の契約ではない。お前の技術と知識を認めて契約を交わした。それなら、お前を害そうとする者は、俺が排除すべきだ」
理屈の上では、そうなのだけれど。
「契約不履行は戦争より重い罪なんだよ。契約し、部下とした者を守れなかったら、王の力不足を追求される」
ヴランの言葉に、まだリアンノンは納得がいかない。
だが、それにつぐ王の言葉で、ようやくリアンノンは得心した。
「――俺は、一度守ってやれなかったからな」
あの、懐中時計のことだ。
「もう、あんなのは御免だ。それに――」
王は、とてもいい笑顔でこう続けた。
「リアンノン、俺はお前を気に入っている。肩入れしても構わんだろう?」
「分かりました。では、よろしくお願いします」
リアンノンは工具を差し込み、焦げた中継器の内部を静かにほどいていく。
「……王よ、彼女を口説くのは並大抵の労力では足りないのでは?」
「リアンノンはそういうの、興味ないと思う」
「うるさい……黙れ……」
「…………? ともかく、急ぎ作業にかかります」
設計図の上の規格と、現場で生き延びた規格は違う。
教団はその差を見誤った。
だから壊した。
そして壊したくせに、今さら金で取り戻そうとしている。
だったら、こちらがやることはひとつだ。
壊れた現実を、現物ごと暴くこと。
数刻後、ヴランが返答草案を持って戻ってきた時、作業台の上にはすでに最初の分解図が広げられていた。
「陛下。教団への返書は?」
「簡単だ」
ドルハは一顧だにせず言う。
「返還要求には応じない。だが使節は受ける。連中が保護だの返還だのとほざくなら、誓約の間で現物を前に言わせろ」
「養父母も呼びますか」
「呼べ。金の話をしたいなら、堂々とさせてやる」
ヴランが、少しだけ楽しそうに口角を上げた。
「承知しました」
リアンノンは分解図から顔を上げる。
「私も同席します」
「当然だ」
「保護対象としてではありません」
「分かっている」
ドルハは彼女を見る。
「王城側の技師としてだ。それも王直轄の腕利き修復師として」
その一言で、胸の奥のどこかがわずかに熱を持った。
守ると言われるより、その方がずっといい。
囲うのではなく、立つ場所を渡される方が、ずっと。
「では、証拠を揃えます」
リアンノンはそう言って、再び手元へ視線を落とした。
向こうはきっと、まだこちらを甘く見ている。
金を積めば、言葉を飾れば、保護を掲げれば、連れ戻せると思っている。
けれど、その判断は遅すぎた。
彼らが廃材と呼んで切り捨てたものは、今や祭具の中枢だ。
彼らが名も残さず使い潰した修復師は、もう黙って返される側にはいない。
教団はじきに来る。
ならばその時は、言葉ではなく、壊れた祭具そのもので答えてやればいい。




