見たくなかった名前と、上司(王)の怒り
光印付きの封書は、壊れた魔導具より厄介だ。
魔導具なら、壊れた箇所を見つけて、ばらして、整えて、直せばいい。
けれど手紙は違う。
どれほど狂った文面でも、封を切った時点で、書かれていること自体は変えられない。
西塔隣の臨時検分室には、その夜もまだ灯りが残っていた。
再分類待ちの管理具、台帳、押収品の木箱。机の上は整然としているのに、空気だけが落ち着かない。
そこへ侍女が入ってきて、深く一礼した。
「陛下、人間界より、光印付きの書状が」
――空気が、すっと冷えた。
●
ドルハが封書を受け取る。
乳白色の厚紙に、光輪の紋の封蝋。夜明光教団の正式印だ。
嫌な予感しかしない。
無言で封を切ったドルハの赤い瞳が、文面を追うごとにゆっくりと冷えていく。
横から覗き込んだヴランが、先に眉をひそめた。
「……ずいぶん露骨ですね」
「何と書いてあるんですか?」
リアンノンが問うと、ドルハは書状を机に置き、低い声で読み上げた。
「夜明光教団聖具監理院より、レクイエム王家へ。大祭儀用祭具群に重大な不具合が発生した。ついては、養親宅より不当に連れ去られ、貴国に留め置かれている保護対象技術工、リアンノンの身柄を、三日以内に返還されたし」
ディアストラが即座に唸った。
「……連れ去られた?」
「ああ。そう言っている」
ドルハの声音には、怒りが滲んでいるというより、呆れに近い冷たさがあった。
「さらに、『返還が速やかに行われた場合、協力への謝礼として相応の金銭を用意する』ともある」
「謝礼、ねえ」
ヴランが紙を指先で弾く。
「言い換えれば、金を積むから返せってことだ。しかも“本人の保護”を掲げながら」
リアンノンは、差し出された別紙を受け取った。
教団の正式文面に添えられたのは、商会側の確認書と請求書だった。
そこには見慣れた商会印――養父母のものがある。
協力金、借財整理、返還後の精算。読みたくもないほど分かりやすい。
リアンノンは静かに息を吐いた。
「金に困って私の血を売ったのは、あの人たちです」
声は冷えていた。
怒鳴るより、ずっと冷えていた。
「その結果、私はここで雇用契約を結んだ。そこまでは向こうも分かっているはずです」
「だろうな」
「なのに今さら『さらわれた』『返してほしい』ですか」
紙を置く。
薄い紙なのに、嫌に重たく感じた。
「都合がよすぎる」
ディアストラが吐き捨てる。
「最初に売って、後から攫われたことにするのか」
「教団も、それを承知で話を作っているんでしょう」
リアンノンは請求書の欄を指した。
「見てください。“返還協力金”。“借財相殺”。“追加整備契約再締結時に再計算”――もう隠す気もない。私を戻せば商会に金が入り、教団の不具合も片づく。だからさらわれたことにした」
ヴランが乾いた声を出した。
「保護と救済の顔をしながら、実際は買い戻しか」
「ええ。ずいぶん分かりやすいです」
ドルハが机へ指先を置く。
「だが、ひとつだけ、理解できん」
赤い瞳がリアンノンを見る。
「なぜ、今さらお前なんだ。――無論、リアンノンの修復師としての技術も、人格も、人柄も素晴らしいことは分かる。俺が保証する」
「は、はぁ」
「普段褒める機会がないからってそうも露骨に」とヴラン。
「リアンノンは天才」とディアストラ。
ドルハは、黙れと視線を送ってから言葉を続ける。
「だが、修復師が世界にひとりしかいないわけじゃない。教団だって、専門知識のある技術者がいるはずだ。なぜリアンノンにこだわる?」
その問いに、検分室が静まった。
教団に技師がいないわけではない。
養父母の工房にいた頃でさえ、リアンノンはそう教えられていた。自分の代わりなどいくらでもいる、と。
それなのに、王家相手に光印付きの公文を寄越し、金まで積んで、返還を迫る。
ただの人手不足でやるには、大げさすぎた。
リアンノンは、同封されていた不具合報告に目を落とした。
部品名。
交換箇所。
失敗した再調整の回数。
搬入済み、再停止、再換装、同期不良、流路不整合。
リアンノンが「さらわれた」ことによる、教団の被害をアピールする書類だ。
「……変ですね」
「何がだ」
ドルハが問う。
リアンノンは紙をめくりながら、ゆっくりと答えた。
「並んでいる部品の種類です。導光輪、中継芯、連結環、祭壇接続爪、位相合わせの補助板……どれも単体で完成する道具の部品じゃない」
「つまり?」
「組み合わせ前提です。大きな一基の祭具を構成するための、接続部材ばかり並んでいる」
ヴランが書類を引き寄せた。
「それが問題かい」
「問題です。かなり」
リアンノンは眉を寄せた。
「私、昔から似たような部品を何度も回されていました。壊れた輪、欠けた芯、噛み合わせの悪い小さな中継具。ひとつひとつは半端で、完成形が見えないものばかりだった」
地下工房の冷たさが、ふと指先によみがえる。
箱に放り込まれた金属片。廃材だと言われたもの。直しても賃金は出ないと言われたもの。
「私は、全部ばらばらの品だと思って直していました」
「だが、違ったかもしれない」
「はい」
リアンノンは顔を上げた。
「もしこれが全部、大祭儀用祭具の構成部品だったなら……話は変わります」
ドルハの目が細められる。
「ヴラン」
「はい」
「調べろ。監理院が出した不具合報告の対象部品、その搬入記録と換装履歴を洗え。最近の発注量、焼却処理、廃棄帳簿もだ」
「押さえるべき荷は?」
「大祭儀関連を優先。失敗した換装品があれば、現物ごと持ち帰れ」
「承知しました」
ヴランは即座に一礼し、書類を数枚抜き取って検分室を出ていった。
残された沈黙の中で、ディアストラが首を傾げる。
「だいさいぎ?」
「大祭儀。教団にとってはとても重要な儀式です。夜からの侵略――つまり、レクイエムのような国に対しての防壁を維持するための儀式です」
「……結界を維持する道具?」
「そういうことです」
リアンノンは不具合報告から目を離さないまま答えた。
「……ただの修理人が足りない、という話じゃない気がしますね」
「だろうな」
ドルハの声は短い。
「連中は“技師を貸してほしい”ではなく、“返還しろ”と言ってきた。お前でなければならない理由がある」
リアンノンは紙の上の部品名を見つめた。
見覚えのある型番がいくつもある。自分が何度も何度も直した種類だ。
だが、そこに自分の名は残っていない。
「……たぶん、最悪な事実ばかり上がってくるんでしょうね」
「たぶん、もう最悪な事態が進行している途中だ。だが――」
ドルハは、珍しく優しい目をして、こう言った。
「お前は、俺の大切な部下だ。困った事態は、上司を頼れ」




