教団からの封書
◇
再分類作業は、その夜から本格的に始まった。
西塔の隣、使われていなかった一室が臨時検分室として開放される。
長机が四台。仕分け棚。記録板。保守工具。洗浄槽。封印用の黒布。
リアンノンが要求したものは、その夜のうちにほとんど揃った。
王命の速さには、ときどき少し引く。
部屋の入口には、四つの札が掲げられた。
契約具。
保護具。
拘束具。
所有具。
リアンノンは最初の一つを掲げながら、小さく息を吐く。
「これでようやく、話が始まります」
ディアストラが大箱を運び込み、棚の前へ置く。
ヴランは記録係として黒革の台帳を広げ、必要に応じて人員や書類を差配する。
そしてドルハは、部屋の隅に立ったまま、静かにその様子を見ていた。
「王」
「何だ」
「見ているだけなら邪魔です」
「……帰れと言っているのか」
「いいえ。立つ位置を変えてください。灯りが遮られます」
ヴランがペンを落としかけ、ディアストラが咳払いで笑いを誤魔化す。
対するドルハは、数拍の沈黙のあと、本当に半歩ずれた。
「これでいいか」
「ええ、助かります」
それで満足したのか、ドルハは何も言わない。
こういうところだけ妙に素直で厄介だ。
最初に手をつけたのは、契約具だった。
採血環、勤務刻印帯、通行証輪、夜勤保温札。
適正に使われているものは、驚くほど理に適っている。
過剰労働を防ぎ、越権接触を記録し、緊急時には自動で解除される。
とても公平だ。
次に保護具。
日光避け布、暴走時自傷防止帯、未熟種用鎮静環。
こちらは本来、人を守るための設計が多い。だが保守が雑だと簡単に拘束具へ転ぶ。
そして拘束具。
ここから空気が一段重くなる。
さらに所有具。
分類札を掲げた瞬間、ディアストラの耳がぴくりと動いた。
「嫌な名前だな」
「でも必要です。そういう法ですから」
リアンノンは札をまっすぐ整える。
「所有はある種の契約です。曖昧にすると、また境目が消えます」
ドルハが部屋の隅で、わずかに目を細めた。
その表情は読みづらい。
けれど少なくとも、否定ではなかった。
夜は長い。
けれど、仕事にも終わりはある。
分類の途中、ディアストラがふと足を止め、ひとつの古い革箱を見下ろした。
蓋には何の印もない。
ただ、持ち手だけが異様に擦り切れている。
「これ」
「知っていますか」
「……匂いを覚えてる」
箱を開けると、中には細い黒環が三つ入っていた。
簡素な型だ。だが内側の刻印が、妙に美しい。
使う者の負荷を最小限にする配慮が見える。
「古い保護環ですね」
リアンノンがそっと手に取る。
「未成熟個体の暴走抑制用。でも、これは奪うためじゃない。循環を逃がしてる」
ディアストラが低く言った。
「昔、いたんだ。暴走しやすい子供に、まずそれをつける婆さんが」
「監理官ですか」
「違う。看守でもない。世話係みたいな……たぶん、もう死んでる」
リアンノンは環の内側を撫でる。
丁寧だ。
使う側の痛みを減らすための刻印がある。
同じ“つけるもの”でも、こんなに違う。
「残しておきましょう」
「使えるのか」
「手入れすれば」
そう答えると、ディアストラはどこかほっとした顔をした。
奪うためだけの道具ばかりではなかったと知ることが、彼にとって少し意味を持つのかもしれない。
リアンノンはその環へ札をつける。
――保護具・再調整優先。
その文字を見ていたドルハが、静かに言った。
「良い札だな。分かりやすい」
「当然です。分類が正しければ、使い方も少しは正せますから」
「……そうか」
低い返答。
そこには、昨日まではなかった重みがあった。
王は王として、この国の冷酷さを知っている。
そして今、その一部を手ずから分類し直す修復師を見ている。
怖い国だ。
怪物の国だ。
けれど、直す余地があると示された今、その怖さは少しだけ種類を変えていた。
壊れているから、直す。
誰が壊したかは忘れない。
でも壊れたままにはしない。
それがリアンノンの仕事であり、たぶんこれからこの城で求められる役目でもあるのだろう。
夜明け前、最初の仕分け棚が半分ほど埋まったところで、ヴランがペンを置いて大きく伸びをした。
「いやあ、壮観だね。こんなに分かりやすく“城の悪癖”が並ぶとは」
「壮観ではありません」
リアンノンは冷たく言いながら、最後の札を書き込む。
「面倒です」
「そうとも言う」
「でも、進んでる」
ディアストラがぽつりと呟いた。
その声に、部屋の視線が少しだけ集まる。
彼は山積みの箱と、新しく分けられた棚を見渡しながら続ける。
「昨日までなら、俺はここに並ぶ側だった」
誰もすぐには口を挟まなかった。
その代わり、リアンノンが一枚の検分票を彼へ差し出す。
「今は補助員です」
ディアストラが目を瞬く。
「これ、次の棚番号。保護具の再保守候補を資料室へ運んでください」
「……ああ」
「あと水分補給も」
「はい」
「返事が仕事慣れしてきましたね」
「働いてるからな」
そのやり取りに、ヴランが笑い、ドルハが小さく鼻を鳴らす。
否定的ではない音だった。
リアンノンは新しい札へペンを走らせる。
――再設計。
――即時停止。
――使用可。
――要意思確認。
言葉を分ければ、世界は少しだけ見やすくなる。
少なくとも、自分にはそうだ。
そしてそのとき、検分室の扉が控えめに叩かれた。
侍女が一礼して入ってくる。
銀の盆の上には、封書がひとつ。
「陛下。人間界より、光印付きの書状が」
空気が、ほんのわずかに変わった。
ドルハが封を受け取り、目を落とす。
赤い瞳の色が、ゆっくりと冷えていく。
「……教団か」
ヴランが横から文面を追い、眉を寄せた。
「差出は夜明光教団、聖具監理院。『大祭儀用聖具の再調整につき、至急協議を請う』……ずいぶん切羽詰まっていますね」
夜は、まだ静かだった。
だがたぶん、その静けさは長くは続かない。




