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一斉検分となぜか嫉妬している我が王

    ◇


 一斉検分は、それから怒涛の速さで進んだ。


 日が沈めば資料室。

 夜半は保管庫。

 明け方前には各棟を回る。


 リアンノンは台帳と実物を照合し、ディアストラは現場の匂いと配置の不自然さを嗅ぎ分けた。

 どの管理具がいつから痛み始めたか、どの保管庫がよく使われ、どこが“なかったこと”にされているか。

 人間には分からない痕跡を、彼は当たり前のように拾っていく。


「こっちの棚、最近動かした匂いがする」

「台帳上は三年未使用です」

「嘘だな」

「ええ、嘘です」


 そういう会話が増えた。


 補助員としてのディアストラは、想像以上に優秀だった。

 重い木箱を片手で運ぶのはもちろん、封印庫の古い金具を傷つけず外し、拘束具の装着感についても具体的に説明できる。


「この型は、締めると最初に鎖骨へ来る」

「ここですか」

「もう少し内側。で、痛みを逃がそうとして肩を前へ入れると、今度は呼吸が浅くなる」

「……設計が悪いですね」

「すごく悪い」

「再設計候補です。修復ではなく」


 即決で札をつけると、ディアストラが妙に感心した顔をする。


「迷わないな」

「迷っている時間がありますか?」

「いや、ない」


 ふたりは意外と、相性が悪くない。

 少なくとも、仕事の上では。


 ただし、当然のようにそれを面白く思わない者もいた。


「ずいぶん、仲がよろしいようで」


 ある夜、資料室へ補充資材を届けに来たヴランが、積み上がった木箱の向こうで淡々と指示を出すリアンノンと、それに黙々と従うディアストラを見て、いかにも愉快そうに目を細めた。


「同僚ですから、職場の空気は大切です」


 リアンノンが答える。


「まぁ、そうだよねぇ」

「何か問題でも起きましたか?」


「僕にはないよ。ただ、陛下の機嫌には多少、影響があるかなあってだけで。もちろん僕の胃に悪い方で」


 その言葉が終わるか終わらないかのうちに、資料室の奥の空気がひやりと冷えた。


 いつからそこにいたのか。

 黒い影が本棚の間から現れる。


 ドルハだった。


 リアンノンは、もはや少しも驚かなくなっていた。


「王」


「その呼び方は変わらんな」

「役職名です」


 定型になりつつある応酬を横で聞きながら、ヴランが肩を震わせる。

 ディアストラは木箱を抱えたまま、露骨に警戒を強めていた。


 ドルハの視線が木箱を抱えた青年へ落ちる。


「便利そうだな」

「便利です」


 リアンノンが答えると、ドルハの片眉が上がった。


「そうか」

「重量物の移動効率が三倍近く改善しました」

「……そうか」


 その“そうか”には、いろいろな感情が圧縮されていた。

 だがリアンノンは気づかないふりをして、机の上の検分票を差し出す。

 実際に気付いていないのかもしれない。


「こちら、再設計候補一覧です。拘束房系が想定より多い」


 ドルハは紙を受け取り、ざっと目を通す。

 目を通すだけで終わらず、数歩近づいて大机の上へ広げられた区画図まで見た。


 こういうところは、本当に王なのだと思う。

 興味を持ったときの入り方が、ただの見物人ではない。


「この印は」

「保守履歴不明。実物優先検分が必要なものです」

「こっちは」

「台帳外。ディアストラの証言ありのものです」

「なるほど」


 赤い瞳が静かに細まる。

 怒っているわけではない。考えている目だ。


「東の古い訓練棟、か」


 彼は区画図の一角を指で叩いた。

 ディアストラが金の瞳を向ける。


「そこは昔、狼影族の捕縛兵を慣らすのに使われてた」

「記録にはないです」

「だから隠してる」


 それを聞いて、ドルハの視線が一段低くなる。

 温度のない、王の目だった。


「立ち入り許可は」

「通常権限では不可です」


 リアンノンが答えると、ドルハは迷いなく自分の印章を外し、検分票の余白へ押した。

 黒銀の王印が紙に沈む。


「これで足りるか」

「十分です」

「なら今夜行け」

「今夜?」


「隠される前に見るべきだ」


 判断が早い。

 リアンノンは小さく頷く。


「合理的です。さすがは王」


 その返答に、ドルハの口元がわずかに動く。

 気に入ったのだろう。


 ただ、その直後にディアストラが大机の向こうからリアンノンへ保守記録箱を差し出したのを見て、また視線が冷えた。

 よく分からないが忙しい王だ。


「陛下」


 ヴランがわざとらしく咳払いをする。


「ついでに明文化しておきます? 検分期間中、ディアストラの補助業務は有効で、業務妨害にあたる私情による差し止めは禁止、だとか」


「お前は本当に余計なことを言う。まるで俺が私情で動いているかのようだ」

「先回りしておかないと、修復師殿にあとで叱られそうなので」


 ドルハが何か言い返しかけるより先に、リアンノンが頷いた。


「明文化は重要です。レクイエムはそういう国では?」

「ほらね」

「……好きにしろ。だが、王命の場合は除くと書いておけ」


 不承不承といった返答だったが、拒否ではない。


 ディアストラが、珍しくほんの少しだけ勝ち誇ったような顔をする。

 ドルハの赤い視線がすぐさまそちらへ刺さった。

 静かな火花が散る。


「出発は一刻後」


 ドルハが言う。


「東訓練棟には俺も行く」

「現地立ち会いですか?」

「王命の履行確認だ。重要だろう」


 建前としては十分だろう。

 リアンノンは素直に頷く。


「助かります。封印が残っているなら解除権限が必要なので」


「……まぁ、そういう考えでもいい」

「ほかに何かありますか」

「ない」


 たぶんある。

 あるのだろうが、リアンノンには分からないので問題なかった。


    ◇


 東の古い訓練棟は、王城本体から少し離れた場所にあった。


 使われなくなった石造りの長棟で、回廊を外れた先に半ば埋もれるように建っている。窓は狭く、高い。蔦が絡み、扉の金具は赤黒く変色していた。

 目立たない。

 だからこそ、隠し棚には向いている。


 夜は深く、空気は冷たい。

 先頭を歩くのはドルハ。その半歩後ろにリアンノン、資料箱を持ったディアストラが続き、最後尾にヴランと警備がつく。


「匂うか」


 ドルハが問うと、ディアストラが即座に頷く。


「古い血と、油と……焦げた月銀。最近も開けている」


「台帳は」

「廃棄保留、百三十年前から不動」

「嘘ですね」

「嘘だな」


 リアンノンとディアストラの返答がほぼ重なった。

 ヴランが後ろで小さく笑う。


 訓練棟の扉には三重封印がかかっていた。

 表向きは封鎖済み。けれどリアンノンが近づいてみれば、封印陣の端に新しい継ぎ足しがある。


「開閉痕あり。しかも素人です」


「どんどんやれ」


 ドルハに言われ、リアンノンは扉の封印を検分する。

 古い王家式封印の上から、管理係が勝手に簡易封を継ぎ足している。これでは開けるたびに本体の封印を削る。

 なんて雑なことを、と思わず眉が寄る。


「……壊し方が下手ですね」


「そこに腹を立てるのか、お前は」

「当然です。壊さず使ってほしいものです」


 リアンノンは封印陣の痛んだ部分を一時的に繋ぎ直し、継ぎ足された簡易封だけを抜いた。

 扉が低く鳴る。


 開く。


 中は暗かった。

 湿り気と、錆と、長く閉じた空気。そしてその奥に、確かに“使われた”匂いが残っている。


 魔石灯が掲げられると、内部が浮かび上がった。


 壁一面の棚。

 黒鉄の輪。

 腕環。

 足枷。

 咬止具。

 沈静帯。

 そして、首環。


 大小さまざまな管理具が、びっしりと並んでいた。


 リアンノンは一瞬だけ息を詰める。

 量もそうだが、問題は状態だった。

 どれも整然と保管されているように見えるのに、近くで見れば修理ではなく継ぎ接ぎだらけだ。古い規格に新しい部品を押し込み、用途の違う刻印を無理に流用し、摩耗した箇所を別型の金具で誤魔化している。


「……ひどい」


 思わず零れる。


 ディアストラが低く唸るように言った。


「ここ、俺たち狼影族だけじゃない匂いがする」

「ええ」


 獣人種、夜妖精、半魔族、そして人間用の簡易拘束具まで混ざっている。

 設計思想の違うものを一括管理していたのだ。

 ただの拘束具なら別だが、これらはすべて魔力を帯びている。

 別種の魔力を一緒に置いたら、壊れるに決まっている。


「台帳外の在庫、ずいぶんあるねえ」


 ヴランが棚番号を見ながら眉を上げる。


「これを“廃棄保留”で通してたなら、管理係は相当度胸がある」


「度胸ではないだろう」


 ドルハが静かに言った。


「慢心だ」


 その声音に、訓練棟の空気がまた少し冷えた。


 リアンノンはひとつずつ札をつけ始める。

 使用停止。

 再設計。

 即時廃棄。

 保守可能。

 危険。


 ディアストラは棚の前を歩き、知っている型の使用感を伝える。


「これ、締まりは弱いが、長時間つけると骨が痺れる」

「刻印が内側に寄りすぎです」

「こっちは見たことある。眠りを深くするって言われてた」

「眠りではなく、筋弛緩ですね。危険です。下手をすると心臓が止まります」

「……そうか」


 そうやって検分していくうちに、リアンノンはある癖に気づいた。


 継ぎ足し方が、同じなのだ。


 月銀の角の逃がし方。

 腐食液の使い方。

 刻印の削り順。

 誰かひとりの癖が、複数の首環に残っている。


「同一人物です」


 リアンノンが言うと、ドルハが振り向く。


「何が」

「改竄の手癖です。給血環も、昨夜の首輪も、ここにある数点も。たぶん同じ系統の手」


 リアンノンは、棚の下段から抜いた首環の内周を示した。


「それに、この削り方は城内で使うだけの管理具のものではありません」

「どういう意味だ?」

「管理外……外へ連れ出す目的……でしょうか。搬出か、外部接続を前提にした作りです。少なくとも、拘束房だけで完結する目的ではありません」


 さらに銀板の端を拡視鏡へ寄せ、目を細める。


「番号の打ち方もレクイエム王城式と違います。――以前、光印付きの人間界製魔導具で、似た刻み方を見たことがあります」


「管理係の仕業だと思うか?」

「あるいは、それを教えた者がどこかに」


 ヴランが棚の背後を調べ、一本の古い焼印板を取り出した。

 黒鉄に王城管理部の旧印が残っている。


「旧拘束房監理官の印だ。……十数年前に退いたはずだけど」


「名は」


 ドルハが問う。

 ヴランが板の裏を確かめる。


「グレイル・バシュ、ですね。始祖王党派です」

「奴か。まだ生きていたな」

「ええ。今は北の別邸で隠居を」


「呼び戻せ」


 短い命令だった。

 それだけで、今後の処理が決まる。


 リアンノンは棚の下段にしゃがみ込み、さらに奥を覗く。

 そこに、ひどく不自然な箱があった。

 外側はただの資材箱。だが鍵の形が違う。管理具用ではなく、貴重品用だ。


「これ、開けてください」

「罠の可能性は」

「あります」


 言いながらもリアンノンは箱から目を離さない。


「でも、中身が本命です」


 ドルハが前へ出る。

 黒い影が箱へ伸び、鍵孔をなぞるだけで、中の仕掛けがひとつひとつ潰れていくのが分かった。

 繊細というより圧倒的な解き方だ。

 王が本気になれば、大抵の封は意味をなさない。


 蓋が開いた。


 中に入っていたのは、細い銀板の束だった。

 契約板に似ている。だが記述がない。いや、見えにくいだけだ。


 リアンノンは一枚を取り上げ、拡視鏡を当てる。

 そこに浮かび上がった文言に、思わず目を細めた。


「……隠し条項です」


「何?」


 ヴランが覗き込む。

 銀板には微細な追加刻印があり、通常の閲覧では見えないよう加工されていた。

 内容は単純で、悪辣だ。


 契約具へ見せかけた管理具に、所有権補助刻印を忍ばせる。

 自発契約のように見せかけながら、解除権を一方的に管理側へ偏らせるための裏技術。


「ひどい」


 リアンノンは低く言った。


「契約具と所有具の境界を、わざと曖昧にしてる」


 ディアストラが、箱の中の銀板を見て歯を食いしばる。

 金の瞳の奥に、怒りとも嫌悪ともつかない色が走った。


「それで、あいつら……」


 言いかけて、彼は口を閉ざす。

 思い当たることが多すぎるのだろう。


 ドルハが銀板を一枚取り、無言で確かめる。

 次の瞬間、その手の中で銀板が音もなく砕けた。


 ぞっとするほど静かな怒りだった。


「ヴラン」


「はい」

「証拠保全。関連台帳、旧監理官、現管理係、拘束房長、すべて確保しろ」

「承知」


 影が訓練棟の床を這う。

 命令が下りたのだと、影そのものが理解したように見えた。


 リアンノンは砕けた銀板の残りを見下ろしながら、背筋を少しだけ冷たくする。

 ほんの少しだけ、怖い。

 やはりこの国の王は、怒ると怪物だ。

 だが同時に、王は今、曖昧にされていた悪意を切り分けている。

 それにこの怪物はなぜか、リアンノンに敬意を持ってくれている。

 むしろ安心感がまさった。


「全部、持ち出します」


 リアンノンは言う。


「再分類が必要です。契約具、保護具、拘束具、所有具。混在を解かないと、また同じことが起こる」

「できるのか」

「できます」


 即答すると、ドルハの赤い瞳がこちらを向く。

 その視線の重さにも、少し慣れてきてしまった自分がいる。


「ならやれ。存分に」


「人手が足りません」

「何人必要だ」

「……あとふたり」

「俺の近衛を付ける。魔具の知識がある者がいる」

「場所も」

「部屋を用意しよう。お前の部屋から近い場所でいいな?」

「許可札の上位権限も」

「無制限だ。徹底的にやれ。期待している」


 返答が速い。

 そして、そのやり取りを横で聞いていたディアストラが、不意に小さく息を吐いた。


「……変だな」


「何がですか」


 リアンノンが聞くと、彼は棚の並ぶ訓練棟を見回しながら言った。


「前なら、こんなの見ても“そういうもんだ”って思ってた」

「ええ」

「でも今は、腹が立つ」


 その一言に、リアンノンは少しだけ目を細めた。


「正常です」


「そうか」

「壊れたものを壊れたまま使い続けるのは、腹が立つものです」

「……リアンノンは、そこに他人も含めるんだな」

「含めます。壊れたものを壊れたままにするのは、誰だって生理的に嫌では?」


 答えると、ディアストラはしばらく黙っていた。

 やがて、どこか困ったように、それでいて嬉しそうにも見える顔で笑う。


「参ったな」

「何がですか」

「そのうち、本気でお嬢って呼びたくなるかもしれない」

「業務時間外なら知りません。ですが聞こえない場所で言ってください」

「そこは折れてくれるのか」

「業務外ですから」


 横で聞いていたヴランの瞳が、笑みの形になる。

 ドルハの視線がまた冷える。


「……勤務時間の管理も必要かもしれないな」

「記録表を作りますか?」

「……半分は冗談だ。だが報告書に付け加えてくれ」

「了解です、陛下。いやあ、嫉妬もここまでくると立派な管理項目ですね」

「黙れ。嫉妬ではない」

「えぇー?」

「勝手な邪推は許さん」


 訓練棟の冷たい空気の中で、ほんの少しだけ笑いが混じる。

 それは場違いなほど小さいものだったけれど、たしかに息がしやすくなる種類の音だった。


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