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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
怪談長屋騒動記
47/76

序.怪談長屋




 今からおよそ数百年ほど前、十八世紀半ば程の話。


 時代は江戸期、宝暦十二年頃。

 徳川家治とくがわ いえはるが桃園天皇より将軍宣下を受け、江戸幕府第十代将軍に就いてより二年は経たぬ時分か。

 人の世は未だ夜の闇と近しい距離で流れ、ことわりの外からの来訪者はどこにでも在った。

 この頃は文明ではなく文化が艶やかに色づき、身分差はあれど今ほど息苦しくは無かったかも知れない。

 戦を忘れた侍は士道を磨き、様々な娯楽に庶民は翻弄され、地主や天候への怨嗟を胸に押し込める農民は、祭りの夜に悦ぶ。


 そんな時代の、徳川将軍家の膝元である江戸の街。

 日本橋本町三丁目から鉄砲町を通って、両国町の方へ進んでゆくとその途中にある木戸の向こうに、少々変わった裏長屋があった。

 何が変わっていたかと言うと、ここの大家は中々の物好きで、なにかと妙な店子(たなこ・住人の意)ばかりを引き受けるのである。

 この大家、名を権六ごんろくと言い、百物語の類を好みそれが高じて、あやかしの類と遭遇した事のあると嘯く怪しげな店子を引き取っては酒の肴に話をさせるという悪癖があったのだ。

 勿論ここに住む住人達は大家の権六に話すように、本当に怪異と遭遇した事があるわけでは無い。

 大半は『怪談話を用意してここの大家に頼めば、格安で長屋に住むことができる』という噂話にかこつけて、転がり込んできたような者達ばかりであった。

 そのせいかこの裏長屋は近隣の住民達から時に話の種に、時に蔑みを込めて“怪談長屋”と呼ばれていたのである。


 閑話休題、とある初冬の夕刻。

 この“怪談長屋”に新しい店子がやって来る運びとなった。

 驚いた事にこの新しい店子とは町人ではなく、浪人者の侍であるという。

 “怪談長屋”では古株である、辻八卦(占い屋)の伝助が大家から仕入れた情報では、この浪人者、年の頃は三十路も半ばであり妻帯者らしい。


「このお侍ぇ様の御新造(妻の意)がこれまたえれぇ別嬪らしいってぇ話だ」

「ははん、それでお前さん、朝からソワソワしてたんだね?」

「ばっ、バカ言うな畜生め! 相手ぁ武家の妻だぞ! おらぁたたっ斬られるのはゴメンだぜ」

「誰が畜生だい?! この助平め!」

「ま、ま、ま、伝助どんにおはるさん、喧嘩は後にしねぇ。今日は新しい仲間が増える、目出てぇ日だしよ」

「そうだよう、おはるさん。朝から痴話喧嘩を聞かされる身にもなっとくれよ」

「ちげぇねえ。それにここの所、やれ辻斬りだ盗賊だと物騒だからねえ。その点、お侍様がこの長屋に住むようになればこんな心強い事は無ぇだろ」


 どうにも喧嘩っ早い伝助夫妻の口論を切っ掛けとして、“怪談長屋”の店子達は思い思いに言葉を交わし始めた。

 住人は親子、独り身の者、年老いた者、夫婦と様々である。

 ただ、表通りの日本橋通りからそこそこ引っ込んだ通りの裏長屋である為か、人数はそれ程多くは無い。

 また表長屋である水茶屋『かみなり屋』がこぢんまりとしたものであった為、必然、裏長屋の規模もそれほど大きくは無くむしろ他所よりも随分と狭い場所であった。


「おやおや、皆雁首揃えてどうしたね?」


 夢中になりつつあった会話を止め、瞬時に声の主へと振り向く住人達。

 集まった視線の先には、通りの方から木戸を潜ってきたばかりであろう、でっぷりとした大家の権六の姿。

 更にその背後には、二人の侍と一人の女が立っていた。

 侍は一人はキチンとした身だしなみであったが、もう一人は随分とよれて小汚い着流しを着ており、一目で浪人であるとわかる。

 女は頭巾をして居る為顔は見えないが、旅装束からどこか遠くからやって来たのだとわかった。


 また、長屋の面々には身なりが良い方には面識があった。

 彼は宇喜田宗虎という廻り同心で、恐らく傍らの浪人と女こそが今回この長屋に越してきた夫婦なのだろう。

 しかし、なぜ同心の宇喜田がこの場にいるのか?

 普通に考えて、浪人夫婦の引っ越しに役人が同席するなどただ事では無い。

 これがゆすりたかりやまいないを懐にいれんとする不逞な同心ならばまだ納得が行くが、宇喜田の人となりはそれとは真逆であるし、この場に居る誰もがそれを知っていた。

 そんな、いぶかしげる住人達の表情を読み取ってか、大家の権六は少し遠回りにこの夫婦の紹介を行う事にしたのである。


「なんだい、お前さん方、その顔は。宇喜田様がここにいらっしゃるのは、別に誰かを捕らえようとしているわけじゃないんだよ?」

「へぇ、そうなんで?」

「ああそうさ。宇喜田様はこちらの、立花様の店請(たなうけ・身元保証人)としていらしたんだ」

「そりゃすげえ! しかし、なんでまた同心の宇喜田様が?」

「実はこちらの立花殿と拙者は少々縁があってな。二月程前、立花殿が江戸に人を探しに出てくる旨の手紙を受け取った故、こうして世話を焼く事と相成ったのだ」


 半ば大家の権六を押しのけるように興味津々といった体で尋ねてきた伝助に、宇喜田はそう説明した。

 声は低く太く、彼を知らぬ者が聞けば親しみよりも先に恐怖を感じてしまうだろう。

 見た目も厳つい四角の輪郭である顔は愛想とは無縁で、戸板のような大きく幅のある体躯はまるで熊のような威圧感があるが、その実彼の肝は武士である割には小さく、甘党である事が知られている。

 加えて誠実な人柄である為、外面と内面の落差からかこの辺り一帯の住人からは非常に親しまれている同心であった。

 だからか、宇喜田に話しかける伝助の態度は分を弁えては居てもなれなれしく、気負いは見当たらない。


「成る程、そういう訳でしたか。おれぁ、てっきり、そこの怪談狂いの大家がえげつねぇ話と引き替えに罪人でも連れて込んだのかと」

「あんた! なんてこと言うんだい!」

「痛ぇ! な、殴るこたぁねえだろ!」

「いいや、伝助どん、いまのは口が過ぎてたぜ。おはるさん、俺が許す。もっと殴れ」

「あいよ!」

「痛ぇ! おはるっ、や、やめねえか! 大家まで何言いやがる!」


 再び、いつもの喧噪が“怪談長屋”に木霊する。

 伝助の失言には周囲の者達も止める義理など感じないのだろう、煽るばかりで騒動はしばらく収まりそうも無い。

 そんな様子に大家の権六と同心の宇喜田は目を合わせ、肩をすくめながらも傍らに立つ浪人とその背後の女性に目配せを送った。

 彼らは自己紹介をするよう促した訳では無かったが、先程宇喜田の説明の中で“立花”と呼ばれた浪人は一歩前に出て、大きく咳払いをした。

 その行為は“怪談長屋”の面々の興味を惹き付けるには十分であったらしい。

 幾度も拳骨をお見舞いされ蹲る伝助と、拳を振り上げるおはるもそのままの姿勢で浪人を注視していた。


「……俺は立花陣衛門たちばなじんえもんと申す。武士の身なれど浪人である故、皆遠慮無く接してくれ。こっちの妻共々、よろしく頼む」

「陣兵衛が妻、タキと申します。皆様、どうぞよろしく」


 先ず、立花陣衛門と名乗った浪人者の思いの外腰の低い挨拶に皆驚き、そして――

 その背後から被っていた手ぬぐいを外しながら現れた彼の女房に、皆目を剥いて絶句してしまったのである。

 身なりこそ商家の娘には遠く及ばぬ地味な着物であったが、肝心の容姿はどこぞの国許くにもとの姫君ではなかろうかと思えるほど美しく、また凛とした佇まいであったのだ。

 場は先程までの喧噪は何処へやら、日本橋の方から夕刻の喧噪が聞こえて来るほどすっかり静まりかえってしまった。

 立花の妻・タキはこの反応に怪訝な表情を浮かべ、大家の権六に何か不手際をしてしまったのかと視線を送る。

 どうやら彼女は見た目の通り、武家の、それも深窓の出なのであろう。

 あまり世間慣れしていない様子がありありとうかがえて、権六はこの若夫婦に早速助け船を出す事にしたのである。


「なんだいお前さん方。こうして立花様とそのご新造様が、こんなにも腰を低くして挨拶してんのに何ハトが豆鉄砲食ったような顔してんだい。ほら、伝助どん。呆けてないで、表通りに止めてある大八車から立花様の荷物を運んでやんな。ああ、特におタキさんの布団は大事に扱うんだよ? この方は病弱で、伏せる事が多いか――」


 言い終わらぬ内に、伝助をはじめとした長屋の男衆達が表通りの方へ殺到する。

 同時に、長屋の女将衆が不釣り合いな夫婦を取り囲んで、空いた部屋に案内するがてら根掘り葉掘り質問を浴びせ始めた。

 “怪談長屋”に再びいつもの喧噪が戻った瞬間である。

 大家の権六はもう一度、同じく取り残された宇喜田とやれやれといった目配せを交わしあって、奪い合うように荷物を運ぶ男衆らを横目に今日はこの辺で、後は私がと言って宇喜田に頭を下げた。

 宇喜田は一言、わかったと言い残し“怪談長屋”を後にしたのである。


 表通りに出ると日はすでにかなり傾き、少し離れた所にある町木戸の自身番(町の自警団による交番兼売店のようなもの)では辻行灯に火を灯す所であった。

 吐く息は白く一杯引っかけたい気持ちになる宇喜田であったが、この後、日本橋周辺の自身番を回る役目が控えている為ままならない。

 特にこの界隈ではここの所立て続けに辻斬りが発生して、気の抜けぬ夜が続いていたのだから尚更である。

 いや、これがただの辻斬りならば、宇喜田も酒とつまみの団子が喉を通らぬほど悩む事も無かったであろう。

 この辻斬り、幾人か目撃者はいたのだが、皆口を揃えて奇妙な事を証言していたのである。

 曰く、辻斬りを行った下手人は、被害者を斬った後忽然と消えてしまった、と。

 曰く、刀を抜いたと思ったら、次の瞬間、被害者正面に立っていたはずが何時の間にか背の方に立ち、斬り伏せてしまった、と。

 目撃者はいずれも被害にあった者に同行していた供の者で、何故かこの下手人はこれらを斬る事はしなかった。

 にも関わらず、この下手人は目撃者の目の前で神出鬼没に姿を消すものだから、詮議もはかどらず町方への風当たりは日増しに強くなっていたのだ。

 また、殺害された者の中には本所の御家人も含まれており、与力達からの同心への圧力も相当なものとなっていた。


「江戸に着いたばかり故、今日位はゆっくりとして欲しかったが……。やはり今宵から、立花殿の助力を乞う事にした方がよいかもしれぬな」


 呟いて宇喜田は踵を返す。

 進む先は“怪談長屋”の入り口である、開け放たれたままの木戸である。


 丁度、暮れ六ツを知らせる鐘の音が鳴り響いていた刻であった。



 時刻は進み、夜八ツ時正刻(午前二時)の少し前、とある辻。

 宇喜田はすっかり人通りの少なくなった路地に、身を隠すようにして寒さに肩を上げていた。

 周辺の町には件の辻斬りを警戒して、廻り同心達が町木戸(夜、治安維持の為町ごと封鎖するための門)の内にそれぞれ数名ずつ配置されており、宇喜田も例外で無くある町で目を光らせていたである。


 しかし、この時宇喜田が待っていたのは辻斬りの下手人ではなく、一人の人物であった。

 秋から冬に差し掛かった季節では、夜はもうかなり寒い。

 ――やはり、立花殿の引越祝いに大家の権六が振る舞った、あの酒を飲めば良かったか。

 四ツも前の酒が今の体を温めるかは甚だ疑問に思えるが、宇喜田はそう後悔をして大きく息を吐く。

 息はまるで煙草ように、煌々と江戸の夜を照らしていた寝待月によって白く広がり輝いて消えた。

 同時に、どこか遠く夜八ツ時を告げる鐘の音が鳴り響いてくる。


「……そろそろか」


 呟いて宇喜田は身を潜めていた路地を出て、表通りに移動した。

 通りは先日辻斬りが発生した場所からはかなり遠い位置であったが、別に宇喜田は見張りの場所を移動する為に路地を出たのでは無い。

 この時刻、この場所で待ち合わせをしていた為である。

 待ち人とは彼が店請となり、“怪談長屋”に居を構える事を手伝った立花陣衛門その人だ。


 夜の江戸は各長屋や町ごとに木戸が設けられ、真っ当な者ならばおいそれと移動する事は不可能である。

 やむを得ず移動が必要な場合でも、身分在る町人による付添人が必要で、さらには木戸を通過する場合、番に当たる者が大声でどのような人物が何名通過するか、出口側の木戸番に伝える事が普通であった。

 よって今回の立花のように、特別な理由で公権による秘密裏の呼び出しを行う場合は事前に各木戸に話をつけ、声を上げられずに木戸を通過出来るよう根回しが必要となる。

 勿論辻斬りの下手人にいらぬ警戒を与えない為の処置であるが、宇喜田はまだ江戸に着たばかりの立花が道に迷ってしまう事態にならぬかと今更ながらに不安を覚えた。


 しかし、そんな不安も杞憂に終わったらしい。

 果たして、さほど時を置かずに人気の無い通りの向こう、淡い月明かりの中誰かがこちらにやってくる人影を認める事が出来た。

 影はもちろん武士の形をとっている。

 宇喜田はそちらの方を向いて、考えていたよりも寒い夜に呼び出してしまった事への詫びの言葉を考えながら、更に通りの中央へと移動した。

 大声でここだ、と呼べぬ為の行為である。

 が、何故か影は宇喜田を認めるとその場で足を止めてしまい――


「うぬ?!」


 瞬間、宇喜田はその巨躯を沈めて鮮やかに抜刀した。

 影がそれよりも早く白刃に月光を煌めかせて刀を抜いたからだ。

 その仕草一つとっても、相手が恐ろしい程の手練れだと宇喜田は見て取り、背に怖気を走らせた。

 いや、同心として、武士として、滅多に抜く事の無い刀を抜いた為の武者震いか。

 ――例の辻斬りか。

 宇喜田はそう判断しながら、息を大きく吸い、仲間に辻斬りが出現したと叫ぼうとした時。

 不意に、瞬き一つする間に、影が消え去ってしまった。


「な――」


 ――なんだ?!

 そう言おうとして、しかし体は確信も無く前のめりに飛ぶ。

 同時に右の肩口から左の腰に向かって、熱い感触が走った。

 宇喜田は無様に冷たい地面へと倒れ込みながら、激痛に変わりつつある熱さに歯がみして身を翻し、さっきまで背後を向けていた方へ顔を上げた。

 そこに立っていたのは、つい先程まで十間(20M弱)程先にいた、あの人影の姿があったのだ。


「……ほう、俺の一撃を避けるか」


 影は宇喜田を見下ろしながら、そう言った。

 いや、夜とは言え月明かりの下である。

 距離が縮まった為か既に影ではなく、その人物は着物からして御家人の類で在る事が伺えた。

 ただ、頭だけは頭巾をしており、その顔はいかなる貌なのかわからない。


「辻斬りか」

「如何にも。俺の初撃を躱したのは其処許そこもとは初めてだ」


 偶然では無い。

 宇喜田が辻斬りの斬撃を躱せたのは、要領を得ぬ目撃者の証言を知っていたからである。

 妖術の類などあり得ぬとして首を傾げていた同僚達であれば、一太刀の内に屠られていただろう。

 が、“そのような”事もあり得ると“知っていた”宇喜田は、辻斬りが視界から消えた瞬間、己の死角――つまり背後から斬撃が来る事を予測し身を投げ出したのだった。

 だがしかし。

 それでもその身は既に手負いで、刀を握り地に腰を置き、一文字に辻斬りへ向けるだけで精一杯である。

 傷は深手では無かったか、浅くも無い。

 もはや、この場では立ち上がれないだろう。

 辻斬りはそんな宇喜田を見下ろしたまま、止めの一撃を放つべく、再びその姿を消して――


「ぐむ!」


 うめき声は、宇喜田の物では無い。

 いきなり背後から得体の知れぬうめき声を聞き、振り返った宇喜田が見た者は、月下に立つ立花陣衛門の姿であった。

 否。

 宇喜田が“見ていた”ものは、待ち人ではなく、その向こう。

 まるで幽玄のように立つ、女の姿である。

 女は背の痛みも、死の恐怖も、命を繋げた安堵も全て履き消してしまう程、美しかった。

 立花陣衛門が妻、タキである。


「すまない、宇喜田殿。遅れた」

「う……、あ、いや。助太刀、かたじけない立花殿」

「“これ”か? タキ」

「……いや。“これ”ではない。“これ”は只のまがいもの、じゃな旦那様」


 昼間の、儚げで弱々しいタキとは似ても似つかぬ声である。

 タキはまるで本物の身分ある姫君のように、重苦しく傲岸な物言いで夫の問いに答えた。

 そんな二人が視線を送る先、突き飛ばされたか、それとも蹴り飛ばされたかは知る由も無いが、奇妙な技をつかう辻斬りが身を起こして剣を構えている。

 そして、怒気混じりの声で一言、おのれと口にした。

 先程宇喜田を斬った白刃は青眼の構え、月光を湛えて不吉に光る。

 そんな修羅場にあって、唯一似つかわしくないタキは恐ろしい白刃など気にも留めぬといった風情で何を思ったか、地に屈み一握り砂を持ち上げた。

 それから、ぱっと辺りに砂を投げ始める。

 目つぶし、にしてはあまりに量は少なく、そして辻斬りの元にも届いては居ない。


「……女。気でも触れたか?」

「ほほ、そう思えるよな? だが、のう。お主、その“憑き物刀”、どれ程知っておるかや?」

「……」

「答えぬか。まぁ、よい。時を留める事ができるその妖刀、存分に振るうが良い」


 挑発するようなタキの言葉は、姫君というよりも妖婦のそれに近い。

 だがそれ故にか、清廉とした美しさと反するおぞましい妖艶さが聞く者の耳を舐め上げた。

 そんなタキの凄艶とした雰囲気に一瞬飲まれたのか。

 辻斬りの侍は一拍間を置いて、その場から消え去る。

 狙うのは手負いの宇喜田か、それとも未だに刀を抜いて折らぬ立花陣衛門か、それとも――


「ぬ?! おのれ!」


 怨嗟の声はタキより少しはなれた場所から。

 声の方へ振り向くと、そこには尻餅を突き、何やら慌てる辻斬りの姿が見えた。


「ふふ、驚いたであろう? お主の持つその妖刀に憑いた“それ”はの、“刻留め”とゆうてな。時を止め己と扱う者を狭間の中自由に動けるようにするが、時を止めた物体にも干渉できぬ“怪”じゃ」

「何故それを!」

「さぁ、の。ついでにお主は知らんようじゃが、“刻留め”はこれこのように、な。砂粒が舞えばそれその様じゃ。宙に浮いたままの砂を退ける事も叶わず、近寄る事も出来なくなり、無理に通り抜けようとすれば壁のようになって動かぬ砂粒に押し返される始末よ」


 タキは楽しげにそう言って、口に手を当てながら可可と笑った。

 その脇で、立花陣衛門は言葉も無く静かに鯉口を切る。

 辻斬りが目にしたそんな夫婦の姿は、どこか人間離れした恐ろしさを纏っていた。


 ――おのれ。なんだ、この女は! ……いやこの場は不利か。

 二人に得体の知れぬ恐ろしさを感じたのも束の間。

 怒りに滾る思考と暴走しそうな感情をなんとか押しとどめ、辻斬りは逃げる算段を始め手にした妖刀“刻留め”の柄に力を籠める。

 そうすると、先程タキが言ったように、己と己が身に付けて居る物以外の時が止まるのである。

 時を止める事ができる“時間”はそれ程長くは無いが、その間に逃げ失せるだけの時は稼げるはずであった。


 そして、全ての音が消え去り時間は止まる。

 辻斬りは急いで立ち上がり、走ろうとしたのだが。

 足が、動かない。

 何故? と思い己の足を見てぎょっとする。

 なんと、己の足がまるで枯れ木のように、あるいは木乃伊のように細くひび割れていたのだ。

 辻斬りは思わず悲鳴を上げ、そこで止めていた時が動き始めた。


「うわ、ああああ!」

「お、時が動き始めたようじゃ」

「き、貴様! 貴様か!」

「いや。“それ”をしたのは、旦那様じゃ。のう?」


 楽しげな、華やかな笑顔を夫に向けたタキであったが、陣衛門の反応は薄かった。

 当たり前と言えば当たり前なのかもしれないが、剣を抜くにあたりあまり饒舌には語らぬ口らしい。


「ほ、つれないのぅ。そこがまた、いいのじゃが」

「貴様! おのれ、貴様か!」

「――“傾国”という。俺が其処元と同じように憑かれている、妖刀の名だよ」


 言って、纏わり付くようなタキを他所に陣衛門は一歩前に出た。

 その手には何時の間に抜き放ったのか、一振りの刀。


「その妖刀、殺すぞ」


 台詞と同時に辻斬りが握る刀の柄へと陣衛門の剣閃が走る。

 次の瞬間、月夜の下に辻斬りの指とともに妖刀が舞った。

 辻斬りの手を離れた妖刀はすぐに地に落ちてきて、後を追うようにくぐもった声があたりに転がる。

 苦悶は剣を握る指を鮮やかに飛ばされた、辻斬りのものだ。


「立花殿!」

「心配召されるな、宇喜田殿。殺すのは刀の方であって、この者は生きておる」

「そう、旦那様の言うとおりですよ、宇喜田様。わらわが“喰うた”のは、“刻留め”とそこな男の脚、それに指を五本。ひひ、命は確かに残しておりまするに、安心してたも」


 辻斬りを殺したのかと慌てる宇喜田に、陣衛門は静かに応えた。

 対照的にタキは、地に落ちた妖刀を拾いあげ楽しそうに笑いながらそう応える。

 細い手の内に握られた妖刀は、相も変わらず月光に照らし出されしかしそのまま見る間に朽ちて、土に帰ってしまった。

 ――どうやら、大勢は決したらしい。

 宇喜田は安堵に背の痛みを思い出しながらも、五指を失い地に倒れ込む辻斬りを睨みながら、懐から笛を取り出した。

 仲間を呼び、改めて彼を捕縛するためだ。

 程なく、夜空に甲高い笛の音が鳴り響き、騒動は一段落を迎えた。

 夜八ツ時の鐘が鳴ってから、四半時(約一時間)も経たぬ内の出来事である。

 やがて宇喜田の同僚である同心や岡引、捕方人足の者達が駆けつけてきたのだが。


 その場にはタキの姿は無く、手負いの侍が二人とみすぼらしい浪人が一人、居るだけであったという。





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