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異聞・妖刀百物語  作者: 痴れ者ラボ
サムライ×フロンティア ~前日譚~
45/76

LordBullet◎5




 空に浮かぶ月は、満月であった。


 だから――とは言えぬまでも、その夜は不思議と心が昂ぶっていた陣十郎は、意図に反して広大なソン家の敷地をフラリと散歩するように歩いて居た。

 夜が明けもう一日過ごせば、いよいよソン家を後にする。

 主にそう告げた事実と思いがけず世話になった日々が寂寥となって、陣十郎の首を上に向けさせる。

 乾いた空には、いつか百合と見た満月。

 当たり前の話だが、異国の地にあっても月の見え方はそう変わらない。

 ただ季節のせいか、あるいは気候のせいか、月はやや赤い。

 まるで陣十郎の旅往きを象徴するような、不吉な血の色を思い起こさせるような、そんな満月の夜だった。


「……む。とうとう、無くなったか」


 唐突に、ホンファに貰った琥珀の酒を瓶ごと傾けていた陣十郎は、落胆の声を上げた。

 赤い月を肴にしての月見酒であったが、風流な試みを楽しむには瓶の中身が少々足りなかったらしい。


「むぅ……まあ、良いか。旅先で捨てるにはちと忍びない。丁度良い頃合いかの」


 呟いて、空になった瓶のラベルをしげしげと見る。

 月明かりを頼りにすれば読めない事はなかったが、生憎英語の読めない陣十郎には何が書いてあるのか理解出来ない。

 しかし、ラベルを眺める内送り主の様々な表情が浮かんできて、ほろ酔い気分に影を差す。

 未練ではない。

 まして後悔や迷いでもなかったが、彼女を愛して生涯を共にするという選択がいまだ手の中にあるが為、空き瓶はやけに重く感じられた。


「むふ、わしゃつくづく不器用なもんだの。百合を連れて逃げる勇気が無かったから、ここでこうしておるというに」


 独白は久しく使って居なかった、日本語である。

 陣十郎は意を決し、持っていた空き瓶をその場に放り捨てて、幾つかあるソン家の通用口へと足を向けた。

 勿論ソン家の外へ出て、当初の目的通り新天地を彷徨う為だ。

 その為の荷物は必要最小限であるが、既に身に付けている。

 家人には明後日に出立する旨を伝えていたが、それは嘘であった。

 己は綿津見に捨てられた、忌むべき死人。

 惜しまれて見送られるなど、分不相当にも程がある。

 人に関わらねば生きていけぬとて、陣十郎には偶々世話になり気が付いたら消えていた程度の関わりで丁度良いのだ。


「ん?」


 ――ふと。

 陣十郎は足を止め、進む先は月光の向こうの闇を凝視した。

 時間にして一分程か。

 腰の刀に手を伸ばしはしなかったものの、僅かな緊張が陣十郎の小さく密度ある体躯に漲る。

 が、それもすぐに霧散してしまった。


 「赤い月のせい、か? 気のせいなら良いが」


 誰に語りかけるでも無く呟いて、陣十郎は再び歩き始める。

 この先にある通用口は、広大なソン家の中で最も人気の少ない出入り口だ。

 一瞬、剣呑とした気配を僅かに感じ取った気がした陣十郎は、一応は自身の気配を殺して再び歩を進めた。

 手練れの侵入者などが僅かに気配を漏らした可能性も考えられたが、行く先に人の気配を感じる事から十中八九、屋内警備にあたる者が発露した感情を読み取ったのだろう。

 大方、夜勤となる警備の者がよく行うポーカーにでも負けてイラついているのだろうが、それを殺気と読み違えるのは流石にどうかしている。

 満月のせいであるのか、どうも感覚が鋭敏になりすぎているのかもしれない。

 殺気を纏う必要がある者、それを隠す必要がある者にしては、先に感じる気配はあまりに強すぎるのだ。


 故に、この先に居る者は警備の者であると陣十郎は断じて、過敏な反応をしてしまった己の未熟さに人知れず呆れた。

 が、そうであっても黙ってソン家を後にするつもりの陣十郎には、見つかる訳にはいかない理由がある。

 陣十郎は注意深く進み、通用口の前で二人の人影を認めた所で、近くにあった物置小屋の影に身を潜め様子を伺う事にした。

 果たして、陣十郎の読みは外れており、人影は警備の者ではなく一組の男女であった。

 ――男女は微かに聞こえてくる会話から、なにやら小声で言い争いをしているようだ。

 女の声には聞き覚えがあり、それがルェイジーのものだと理解した所で陣十郎ははっとする。

 僅かながら、血の臭いが辺りに漂っているのだ。


 即座に腰の“百合”に手を掛け、周囲に気を配る陣十郎。

 ルェイジー達以外に、人の気配は無い。

 改めて彼女達を観察してみると、そのむこう、通用口が開け放たれたままであることが伺えた。

 もしや、暴漢を屋敷内へ侵入する手引きでもしているのだろうか。

 そう考えて、しかし陣十郎はすぐさまこれを否定した。

 暴漢の手引きにしてはいつまでも通用口の前に留まっていることは不可解であるし、屋敷の方で騒乱が起きている雰囲気でも無かったからだ。

 あるいは、これから手引きを行う所であるのかもしれなかったが、口論をしている所からその可能性も薄いだろう。

 ではどういう事か。


「こんな時間にどうした、ルェイ」


 少し悩んだ末に意を決し、陣十郎は声を掛ける事にした。

 ルェイジーの口論の相手をしている男には見覚えがある。

 確か、ソン家の使用人を取りまとめる使用人頭だ。

 開け放たれた通用口、使用人頭と口論をするメイド。

 状況的には恋人との秘密の逢瀬を咎められたか、仕事に嫌気がさして逃げようとした所を見つかったか。

 薄く漂う血の臭いに引っかかりつつも、陣十郎はそう考えて二人を仲裁すべく姿を現す事にしたのである。

 彼自身、ソン家の者に見つかるには憚られる状況であるのだが、ルェイジーとは“知らぬ仲”ではない。

 困っているようにも見て取れれば尚更、見て見ぬ振りをしてまで自分の我が儘を通さねばならない法もまた、陣十郎は持ち得なかった。

 何より、通用口は目と鼻の先である。

 いざとなれば強引にでもそこを走り抜け、ソン家を後にできるのだ。

 しかし――


「ウスキ様?! お願いです、た――」


 突如現れた陣十郎を認めるや、ルェイジーは何かを叫びかけながら陣十郎の元へ駆け寄ろうとし、中程でその場に崩れ落ちた。

 慌てて駆け寄る陣十郎の目に映るのは、地に倒れ伏すルェイジーの背に刺さるナイフと、通用口から逃げ出す使用人頭の姿。

 追うか追わぬかを陣十郎は刹那に選び取り、うつ伏せに倒れるルェイジーを抱き上げて、声を上げた。


「誰か! 誰かおら――」


 しかし。

 助けを呼ぶその口を、弱々しく塞ぐのはルェイジーの細い手。

 何故――そう、陣十郎は聞こうとした瞬間、ルェイジーは大量の血を吐いたのだった。

 どうやら背のナイフは、彼女の肺を貫いているらしい。

 ――致命傷である。


「ご、ふ……ウス、キ、様」

「……しっかりせい、ルェイ。何があった?」

「ホン、ファ……小姐が、攫われ……ました」

「何?! まて、それはどういうことだ」

「わたし……帰りたかった……、清国に……母さ……」


 言いかけて、激しく咳き込むルェイジー。

 咳をする度に夥しい血を吐く為、陣十郎の服はおろか顔にまで血の斑点がにじむ。


「ルェイ」

「リュウ(劉)は……誘拐するだけだって……誰も傷つけないっていった、のに……だからわたし……」

「リュウ、というのはあの使用人頭の事か」

「ウスキ、様……」


 陣十郎の名を呼びながら、ルェイジーは懐に手を入れた。

 次に弱々しく懐から抜かれた手の中には、紙幣の束が握られている。

 ルェイジーはそれを血で汚しながら陣十郎に指しだし、最後の力を振り絞った。


「これ、で……小姐を……」

「ルェイ、もう喋るな」

「小姐は、アルカ……トラズ島に……わた、し……もう、帰れ……媽、媽……」


 すとん、と差し出していたルェイジーの腕が地に落ちる。

 手にはくしゃくしゃになった紙幣が握られたまま。

 陣十郎はしばし絶命し脱力したルェイジーの亡骸を抱きかかえていたが、徐に彼女の背のナイフを抜いてから地に降ろした。

 次に懐より手ぬぐいを取り出し、血を浴びた自身なと放って置いてルェイジーの顔を丹念に拭いてやる。

 それから彼女の手から紙幣をもぎとり、死人の懐に押し込んだ陣十郎は。


「……すまんな、ルェイ。わしゃ、もうソン家の仕事は請け負わんのだ。この金は受け取れん」


 そう語りかけるや、陣十郎は立ち上がり左手を立てて僅かな間、冥福を祈る。

 束の間の後、徐に踵を返した陣十郎は屋敷ではなく外に向かってゆっくりと通用口から外へ出たのだった。


 通用口から伸びる小道は一本道で、大通りに出るまでの途中、陣十郎は一度だけ足を止めた。

 進むにつれ強くなっていた血臭の元がそこであると判ったからだ。

 程なく小道の脇、その茂みの向こうに陣十郎は死体を発見する。

 死体はダードゥであった。

 ホンファの護衛役を務める大男は、ルェイジーと同じくナイフで背を刺され、既に息絶えていた。

 屋敷で僅かに漂っていた血の臭いは、ダードゥのものであったらしい。

 恐らくは屋敷内で殺された後、発見を遅らせる為に外に持ち出されたのだろう。

 何を想うか陣十郎は、事切れたダードゥもルェイジーと同じように弔ってやり、再び大通りに向かって歩き始めるのである。

 そして、人気の無い大通りに出た際。


「……アルカトラズ島、と言っておったか。ルェイやダードゥにも世話になった事だし、やはり仇くらいはとってやらんと浮かばれんか」


 そう呟いて大陸の奥である東では無く、海のある西に向かって駆け出したのだった。



 アルカトラズ島。


 サンフランシスコ市より沖合二.四kmの位置に浮かぶこの島は、南北戦争が終わった今では軍事監獄として利用されていた。

 元々は灯台があるだけの無人島で、カリフォルニア州がメキシコからアメリカ領となった際、ジョン・C・フレモントという人物がこの島を購入したのだが、政府による徴用により国有地となっている。

 後の時代にはザ・ロック、監獄島とも呼ばれる事になるこの島は、南北戦争が終わったばかりである現在ではもっぱら、反乱罪で捕まったインディアンや政治犯が収監されていた。

 これらの犯罪者はロウアー・プリズンと呼ばれる刑務所棟に収監されていたのだが、つい最近まで軍事要塞であった故にか、一度収監されたならば最後、脱出不可能であると評されるに相応しい場所であろう。


「ですのでホンファ小姐。そのような場所に向かうのですから、もう諦めて大人しくしてもらえますか?」


 馬車の中、ソン家の使用人頭であるリュウは目の前で猿ぐつわをされ、大の男二人がかりに取り押さえられている主家の娘に、諭すようにそう言って困ったような笑みを浮かべた。

 対するホンファはというと、むが、と怒りの声を上げながら必死に暴れようとしている。

 身の危険を感じて抵抗しているのでは無い。

 目の前でダードゥを殺された怒りに加え、これまで忠実に見えてソン家に仕えていた使用人頭が裏切った事への怒りが、十五の乙女に獣のような声を上げさせていたのである。


 ルェイジーに諭された後での事だ。

 ホンファは早速、陣十郎と和解すべくダードゥを伴って酒を買いに出ようとした。

 父に見つかると流石に拙いので、人気の無い通用口から外にでようとした所、突如ダードゥが倒れてしまったのだ。

 その背には深々とナイフが刺さっていて、少女はいつか陣十郎と出会ったあの日を既視してしまう。

 しかしダードゥはその時とは違い、正確に背中から心臓を貫かれ既に意識は無い。

 ホンファは生来の気の強さからか、声を上げるより先、反射的にナイフを投げた者の姿を見ようとした。

 それが拙かった。

 何時の間にか背後に立っていたその相手が使用人頭のリュウであると知った時には既に遅く、彼女は何故か鍵が開いていた通用口から雪崩れ込んできた男らに口を塞がれた上に後ろ手に縛られ、あれよという間に拉致されていたのだった。

 必死に暴れて抵抗したのも束の間、馬車に押し込まれてしばらくした後に、使用人頭のリュウが乗り込んで来た時、彼女は全てを悟った。

 つまりはソン家の内部に裏切り者が居て、自分はその奸計に嵌まり拉致されたのだ、と。

 ――何故だ! 何故、ソン家を裏切る!

 ホンファは馬車の中、唯一許された視線での非難にそのような意図を乗せて対面に座るリュウを睨みつけた。

 リュウはそんなホンファの感情を読み取ってか、ゆっくりと二度首を振り、彼女が初めて見るような獰猛な笑みを浮かべて口を開いた。


「何故、と仰りたいような目ですね」

「うぐ、が、ぁ!」

「簡単な事です。私は漢民族。ソン家の方々は清国人。相容れるわけがないではないですか」

「が、あああ!」

「おっと。暴れないで下さい。何、殺しはしませんよ。貴女のお父上がアルカトラズ島で“壊れた”貴女に面会をするまでは、ね」

「ぐ、が!」

「あ、ご心配なく。一応、逮捕状も出ているんですよ。良かったら見ます? もっとも、正面切って逮捕に伺うと色々と面倒なのでこうやって強硬手段に出ているのですが」


 リュウはおどけたようにそう言って、懐から一枚の紙を出し、ヒラヒラとホンファの目の前で泳がせた。

 その様は大いにホンファの怒りを煽ったようで、怒りに満ちたくぐもったうなり声をホンファは上げ続けて居る。

 猿ぐつわが無ければ罵倒なり怨嗟の言葉なりがリュウに浴びせられるだろうが、今の彼女にはそのような権利すら行使できる状態では無い。

 ――突如。

 両脇に座った大男に押さえつけられながらも、狂ったように抵抗するホンファの頬をリュウの右手が掴み上げた。

 リュウはそれまでの紳士然とした態度は何処へやら、ぐいとホンファの顔を上に向けさせ、互いの鼻が付く程に己の顔を近付けるのである。


「いいか、よく聞け。お前はこれから犯される。まずは“おえらいさん”がたっぷりと、お前が十五年大切に守り守られてきた操を汚すんだ。その後はオレだ。じっくり、徹底的に全部の穴を可愛がってやる。オレの次は小汚い部下ども、その次はあの島の囚人、次に犬、最後には豚だ」

「――っ!」

「精々泣き喚け。抵抗しろ。それもできなくなったら、お前には麻薬を打ってやる。それから、また犯す。何度も、何度でもだ。お前がブっ壊れてクスリと男のモノしか考えられなくなり、自分から犯してくれと頼むようになって、豚を恋人だと信じるようになった頃、親父と会わせてやるよ。それまでは決して逃げられねぇ。助けも来ねぇ」


 まるで加虐性愛が形になったような、凄惨な笑みをリュウは浮かべた。

 ホンファは近すぎるリュウの顔から、目鼻くらいしか確認出来なかったがそれでもそのおぞましい笑みに戦慄して、身を強ばらせてしまう。

 彼の言葉は決して脅しなどでは無い。

 直感的にそう理解したからか、ホンファを焦がす怒りの炎は急激に萎み、かわりに恐怖が全身の力を奪い去る。

 リュウはそんな彼女の変化を目ざとく見つけて、徐に猿ぐつわを外してやると、ペロリと一度だけ形の良い少女の唇を舐め上げた。


「理解したようだな?」

「やっ、やめろ」

「心配するな。手足を切るような事にはならねぇよ。それより、ソン大人の心配をしなきゃ。アルカトラズ島はそりゃもう、警備の厳しい場所だ。壊れた娘を見て接見しにきた父親が錯乱し、結果射殺されるなんざ、良くある話だと思うだろ?

「やめ、ろ、リュウ……」

「まあ事が終わりゃ、お前はオレが嫁に貰ってやる。“ソン家の為”にな」

「やめ、て……」

「ああ、因みに裁判だが……アルカトラズ島で裁判官殿が直々にベッドの上でシて下さるそうだ。小姐は容疑者なんで、鎖に繋がれたままだがね……ま、心配するな。オレ自らが“弁護士”として同席してやるから」

「い、嫌……」

「無論、裁判の前にたぁっぷりと“おえらいさん”の身体検査があるんだが……っと、港に着いたようだ。……お? “おえらいさん”はどうも待ちきれないようだな。ほら、窓の外を見てみろ」


 そう言って、リュウは馬車の窓にかけられたカーテンを引く。

 ホンファは身を拘束する大男の手によって、無理矢理窓に顔を近付けさせられた。

 窓の外は、月夜に照らし出されたサンフランシスコの港であるようだ。

 馬車は既に桟橋近くにさしかかり、ホンファが乗せられる船らしき木造の中型帆船が見える。

 その乗船ハシゴの袂には、人だかりができていた。


「見えるか? アレ、全部お前のお相手だぜ。……おー、“おえらいさん”の姿も見えるな。同じ船に乗るつもりか? はは、ホンファ小姐、良かったな。島に着く前から船の中で“おたのしみ”をはじめるようだぞ」


 煽るようなリュウの台詞に、ホンファはとうとう言葉すら出せなくなる。

 すっかり全身に広がっていた恐怖が、この時彼女の全てを支配していた。

 もし、この時ホンファがもう少し冷静で居られたならば、馬車から降りた時、船に乗り込む際、隙を見つけて海に飛び込む等考えついただろう。

 だが親しい者を目の前で殺され、女としての恥辱をありったけ与えられる未来を宣言されて冷静でいられる程、少女は強くない。

 やがて馬車は広めの桟橋の中程で停止し、ギ、と音を立てその扉は開かれた。


「降りろ」


 冷たく、無慈悲にリュウは宣言する。

 ホンファは拒否の意思というよりも、恐怖に足を竦ませ思わずその場にへたり込んでしまった。

 が、すぐさま彼女を拘束していた大男に立たされて、強引に馬車から引きずり降ろされてしまう。

 馬車から男達までの距離は約十ヤード(九メートル)程。

 獣欲をぶつける娘を品定めさせるつもりなのか、わざとそのような距離をあけて馬車を停車させたらしい。

 あるいは、ホンファの絶望と恐怖をじわり膨らませる為か。

 ホンファを待ち構える一団の数は、二十前後に見て取れる。

 やや遠目であっても一目でわかる荒くれ者達に混じり、身なりの良い者が数名。

 彼らがリュウの言っていた、“おえらいさん”であろう。


「歩け」

「……い、嫌……」

「引きずって言っても良いが、お前もソン家の誇りとやらを持ってるんだろう? ギリギリまでみっともない真似はしたくないんじゃないか?」

「誰か……誰か……誰か! 助けて!」


 その光景は正に自身の陵辱の始まりを告げる光景に思えて、とうとうホンファの恐怖は堰を切ってしまった。

 彼女は再び暴れ出し、恥も外聞も無く声を上げて助けを呼ぶ。


「誰か! 誰か助けて! ダードゥ!」

「全く仕方ねぇな。おい、もう一回猿ぐつわするから、したらお前ら引きずっていけ」

「へい」

「助け、むぐ、うううう!」

「諦めろ。オレはナイフが得意でね。ダードゥの奴は心臓を一刺し、もう死んでるよ。――よしっと。行け。間違っても油断して海に飛び込まれるなよ?」

「かしこまりやした」


 抵抗も虚しく、再び猿ぐつわをされたホンファはズルズルと桟橋の上を引きずられて行く。

 全力で抵抗を試みたが、体格に二倍以上差がある大男二人がかりで両脇を固められては、どうしようもない。

 ただ、一つ。

 必死で暴れていた為か、リュウがした口を塞ぐ猿ぐつわが思いの外早く緩んで、数ヤード引きずられた所で口が自由になった。


「ふ、あ、助けて! 誰か!」

「あ、こら! 往生際の悪いガキだな」

「お願い! ダードゥ! ダードゥ!」

「死んだっつってんだろ!」

「助けて、誰か!」

「ええい、大人しくしろ! 船に乗ったら好きなだけ叫ばしてやるから!」

「嫌っ、シーラン!」


 ――それはこの夜で唯一、ホンファに訪れた幸運であったのか。

 その名を口にした瞬間、ざっと背後から風が吹いた。

 同時に、両脇から万力でもって体を拘束していた男達がの体が弛緩し、倒れ込む。

 遅れて、ゴトリと桟橋の上に何か重い物が転がるような鈍い音。


「やっと追いついた。……まったく。そのような声を張り上げんでも、聞こえておるわい」


 だぽん、と桟橋に落ちた二つの生首が海に落ちた頃、ホンファはやっと何が起きたのか理解した。

 不意打ちとは言え自身の側を疾風の如く駆け抜けざま、大男二人の首を切り落とす芸当ができる人間など、ホンファが知る限りサンフランシスコには一人しか居ない。

 先程までの恐怖は何処へ行ったか、ホンファは気が付いた時には既に駆け出していた。

 突如眼前に現れた、小男に向かって。


「シーラン!」

「うおっと、こりゃ。いきなり抱きつくな、海に落ちたらどうする」


 その光景はあまりに現実味が無く、当人達を除いてその場に居る全ての者達は呆気にとられていた。

 だが、男達がホンファに遅れて何が起きたのか理解をした時、無数の銃口が一斉にただ一点、泣きじゃくる少女を抱き止めた闖入者へと向けられる。

 禍々しいまでの赤い満月の夜、月光は明るく全ての銃口は違わず小男に弾丸を撃ち込めるだろう。

 対する小男は、二人の大男の首を切り落としたらしい珍しい形のサーベルを手にするのみ。

 その疾風のような登場に驚きはすれ、場の勝敗は誰が見ても明らかであった。

 ――故に、誰も予測出来ない。

 今、正に祟り成す夜が始まろうとしている事に。

 そしてホンファは見る事になる。


 おぞましい刃の、白く清廉な輝きを。





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