244-「旧き者、新しい者-5」
「そうですか、もう旅立たれましたか」
「ええ。今朝早くね」
ファクトを見送り、姉妹らも目的地へ向けて
宿を引き払おうとした朝。
2人を訪ねてきたのは予想外の相手、シンシアであった。
後ろにはいつもの冒険者装備のアルスも立っている。
だが、2人だけで他に同行者はおらず馬2頭のみ。
「出来ればご挨拶と素晴らしい物を頂いたお礼ぐらいは、
と思いましたが間に合わなかったようですね」
「こっちとしてはこの場所に2人がいることの方が驚きなんだけど……。
いいの? 王様のところにいなくて」
キャニーの疑問ももっともなことであった。
東から災いであろう何かがやってくることを予言、予知したのは
他でもない、シンシア自身である。
追加で何かを感じた時に、手を打てる場所にいるのが当り前であろう、と。
しかし、どう見ても今の2人は旅立ちの様相だ。
大きな戦いが目の前にあるらしい現状からいえば、
立場ある人間が旅立つのはあまり良いとは言えない。
「シンシアが気になる遺跡があるっていうんで、探索に行くんですよ」
言葉の中身の割に楽しそうにアルスはそう口にする。
いくつもの戦いを経験してきたのだろう。
シンシアの魔法やポーションでも治りきらない
傷跡が、顔や腕にいくつも見られる。
それも、今となっては戦いを潜り抜けた証。
出会ったころの少年らしい幼さというべき
物をあまり感じないことに姉妹は驚いていた。
鍛えられ、引き締まった様子を感じる体から、
その力強さが伝わってくる。
仮にも王女であるシンシアが護衛をまともにつけずに、
という言葉も彼の今の実力の前には大人しくなるのではないか。
2人はそんな印象を受けるのであった。
「じゃあその後は戻ってくるんだね」
アルスとシンシアの後ろにいる馬を見、
ミリーはそう問いかける。
「はい。整備され始めた転送柱を使えば1週間もかからずに往復できそうです。
本当に便利になったものです。最近では魔法の道具袋もいただいてしまって……。
ファクト様は一体いくつ世界に革命を起こせば気が済むのでしょうね」
シンシアがそう言いながら振り返った先にあるのは馬の背の荷物。
正確には、長旅をするには不釣り合いな小さな荷物である地味な袋達。
だが、それらは見た目に反してかなりの量の物品が入れられる魔道具であった。
アイテムボックスもどき、とファクトが心の中で呼んでいる新作である。
エンシャンターらへの供与を始め、一部では実用化されている。
平たくすると50センチ四方にしかならない布袋だが、
5メートル立方もの容量を持つ特殊な空間を宿した物。
素材に老トレントの表皮や、背に乗れそうなほどの体躯の狼種の毛皮、
強力な蜘蛛型モンスターの糸などを使い作り上げることで
袋ながら、武具に付けるような特殊効果の1つを付与することに成功した結果であった。
もっとも、作るための素材の種類はともかく、
素材のランクを下げても作成自体は可能であることがわかったので
ファクトはそういった廉価版の一部から自分以外にも作成を依頼しているという現状だ。
素材のランクによりその容量に差が出る、ということはわかっているので
今後、必要に応じたバリエーションが多くつくられることが予想されている。
「お弁当が次の日でも暖かいっていうのはすごいわよね」
「うんうん。手を突っ込んで出したいものを考えるだけでつかめるのもいいよね」
シンシアのつぶやきに、姉妹はそろって頷き、その有用性を口にする。
販売上、将来名前を付けるとしたら魔導袋、とでも名付けよう、
とファクトが考えている袋型の魔道具は見た目はただの袋である。
そんな見た目の割に信じられないほどの大容量、と
数がいきわたれば物流に革命を起こすことは間違いない。
だが一番の問題は、魔力が供給される限り、中身は劣化しないということにあった。
とはいえ……人間が持って使う以上、常に魔力を供給するというのは不可能である。
常に袋を意識して供給を続けることで
理論上は一切劣化しないのだが、どうやっても寝るときは無理であろうし、
普段でも集中が途切れるタイミングがあるのは間違いない。
容量は魔力を供給していなくても変化しないが、
放っておくと中身の時間はそのまま経過する。
つまり、暖かい物は冷め、冷たい物はぬるくなる。
下手に食材を入れておくと出した時には腐っている、
ということも発生するであろう仕様は
この類のゲームなどをやったことがある人間にとっては不便だが、
そんな経験がある人間は今やファクト1人。
その上で一般の馬車などによる輸送を排除することのないように、と考えた仕様なのであった。
「さて、名残惜しいですがお別れでしょうか。お父様の気が変わる前に出かけないと」
一通り世間話のように語り合い、シンシアはそういって優雅に一礼し、馬へと近づく。
「またね。うん、きっと次はファクトも一緒に遊びに行けるはずよ」
キャニーのその言葉に、微笑むシンシアはふと思い出したように顔を姉妹へと戻す。
「そうでした。ファクト様が戻ったらお伝えください。東の黒い昇竜が、
2頭となりぶつかり合っている、と。良い話なのか、悪い話なのか何とも言えませんけど」
「貴女が言うと、まるでおとぎ話の一節みたいなのよね。必ず、伝えるわ」
舗装された道を、静かに2頭の馬が去っていくのを
姉妹は見送る。
次は、自分たちの番である。
部屋へと戻り、荷物をまとめる。
冒険者としては異様に軽装といえる2人。
武装は別として、旅に必要な食料や道具を考えると
近くに出かけ、戻ってくる程度しか身に着けていなかった。
背負った布袋はいわゆるリュックのようになっているが、
それでも大した量は入らない。
勿論、普通であれば、だ。
「まったく。一体金貨何枚分になるのかしらね」
「うーん、想像つかないね。ファクトくんは単に軍勢がしばらく戦えるぐらい、
とか言ってたけど……出す場所が大変だよ」
ため息をつく姉妹の背にあるリュック型の魔導袋の性能は
当然と言えば当然だが、シンシアが持っていた物とはケタが違う。
大きさ自体は大きめのリュックであるが、その容量は
作った本人からして、ここまでうまくいくとは、と言わしめた物。
4トントラックでざっと5台ほど。
それが一袋の容量だ。
容量をファクトが確かめた際、
成体のドラゴンは入らないっぽいな、などとつぶやいたのをミリーは聞き逃さなかった。
これでもファクト自身が使うゲーム機能そのままの
アイテムボックスの容量からいえば少ないのだが、
それを知る者はファクト以外に誰もいない。
そんな空間に詰め込まれているのはファクトが元々所有していた
余り気味の各種素材や、余っていたポーションや薬草類。
さらにそこにキャンプの中に入ってひたすら作り上げた
汎用タイプの武具、矢じりなど。
軍事物資、の一言で済ませるには大規模な物資が詰め込まれているのだった。
一番の激戦が予想される草原地帯にそれらを預けるように姉妹は依頼されているのだ。
「ま、何はともあれ、行きましょうか」
姉の言葉に妹は頷き、2人ともまずは徒歩で街を出、街道に出たところで
グリフォンの背に乗り空の旅人となった。
──フォールヴァル砦近郊
砦へと続く道を数台の馬車、そしてその護衛である冒険者が先を急いでいた。
「ち、追ってくるな。最近大人しいんじゃなかったのかよ」
「覚えたんでしょう。我々がお買い得な肉の塊だと」
悪態をつきながらも速度を緩めず、
振り返る先に小さな影。
しなやかな体に凶暴な力を秘めた、シャドウウルフの群れだ。
以前であればやや厄介、といった程度であった相手だが
人間側がスキルなどを手に入れたように、シャドウウルフたちは
より鋭く、より素早くなっていた。
手練れの冒険者でも油断は全くできないのだ。
多くは護衛により撃退されるが、
運の悪い一団はまれに、シャドウウルフの前に敗北する。
「人数が多いときには痛い目に見るって覚えたってか?
冗談じゃない……あと少しなのに」
男の愚痴が当たりであることを、彼以外の誰も喜ばない。
ただ、愚痴りたい気持ちは全員同じであった。
最近のシャドウウルフはあまりにも賢すぎた。
どこでどう覚えたのか、運ばれる馬車と
その荷台にある物資こそ魅力的だという動きをしてきていたのだ。
護衛を無力化し、食料品を中心にあさっていく姿はまるで狼の皮のかぶった人間。
下手に護衛を殺していけば、直に討伐の戦力が
繰り出されることをシャドウウルフは身を以て経験しているのだった。
それゆえに、厄介極まりない知能ある獣。
既に怪物と呼ぶべきであろう彼らに、この一団も追われていた。
「このままだとマズイな。迎え撃つか」
「上手くやっても赤字ですね……はぁ」
今回の馬車は2台。
しかも最近は怪物の襲撃はめったにない。
そんな条件と規模故、護衛も彼ら2人だけなのだった。
依頼を受けられる以上、それなりの実力があるはずの2人だが
二桁に届きそうな狼の群れに、無傷ではいられないだろうことが予想される。
ギルドで受けた時の契約内容とその報酬具合を思い浮かべ、
ため息をついてしまう男。
気をとり直し、先制の一撃を放つべく、
剣士タイプにしては珍しい魔法の詠唱を始めたところでふと、空を見上げた。
熟練に足を踏み入れた冒険者の経験が、気配を感じさせたのだ。
「ん? なんだありゃ……鳥にしちゃでけえな」
一拍遅れて、相棒である愚痴を言っていた男も空を見上げ、異常に気が付く。
小さかった影が見る間に大きくなり、
視線をその勢いのまま下ろした先にはシャドウウルフの群れ。
咄嗟に武器を構えなおした2人の前で、
空から舞い降りた影が群れにぶつかるように突撃していく。
「ぶつかる!」
男の声と予想に反し、優雅な着陸。
だが、突風がその影を中心に吹き荒れ、
土煙が冒険者2人と馬車を襲う。
「わぷっ、なんだ。追加の襲撃か?」
「いえ、あれは!」
せき込みそうな土煙がすぐに晴れ、視界に入った状況に
男は叫ぶ。
その視線の先では、鳥とも馬とも違う巨体と、
2人の小柄な人影が地面に降り立っていた。
「こんにちわ、狼さん。そして、さようなら」
突然のことに硬直しているシャドウウルフへ、
人影のうちやや小柄なほうがそう言葉をかけたかと思うと、消えた。
少なくとも、その速度は
冒険者2人にとってはそのぐらいに見えたのだ。
『ギャフッ!』
それは悲鳴か、それとも傷口から空気の漏れた音か。
群れの先頭にいた一頭の首から鮮血があふれ出たのは、
そんな声の少し後であった。
「こういう相手で毛皮に傷をつけないのは基本よね」
やや遅れて、もう一人もシャドウウルフへととびかかり、その手にしたダガーで
あっさりと一頭の首を落とす。
瞬く間に二頭の仲間を殺されたシャドウウルフが怒りの声をあげ、
乱入者である少女2人へと襲い掛かるべく走り出す。
が、それを邪魔する者もいる。
『グアッ!』
全身から魔力を隠さずに噴出させ、少女2人と一緒に
降り立った巨体、グリフォンのグリちゃんは風の魔法である
不可視の刃をいくつも繰り出した。
見えない鋼線の罠に飛び込んだかのように、
シャドウウルフたちがあちこち傷をつけて思わず後ずさる。
「駄目よ、毛皮が使えないじゃない」
「でもグリちゃんは私たちのために頑張ってくれたんだもんねー?」
間合いを取るべく下がったシャドウウルフを見たまま、
同じくグリちゃんの元へと戻る少女2人。
いや、実際の年齢としてはもう少女とは呼べないのかもしれない。
同年代と比べ、やや発育不良なのを気にする2人だが、
無い物ねだりをしてもしょうがないことに気が付いたのか、
数を減らしたシャドウウルフへと改めて向き合う。
「あ、思わず助けに入ったけど、もしかしていらない?」
「え? い、いや、助かる」
獲物の取り合いは時に刃傷沙汰になるのは冒険者の中では常識であり、
助け合いは当然にしても後の分配を考えると
乱入されるのを好ましく思わない冒険者もいることは間違いなかった。
少女、キャニーはそれを心配して声をかけるが、
武器を構えたまま硬直していた男は我に返ると歓迎の意を示す。
彼らの目的は護衛であり、討伐ではないのだから当然のことだ。
赤字もありうるボーナスタイムなど、ないならないほうがいいのだ。
「そう、他にも出てくるかもしれないからそこで警戒してて」
遠慮なく倒していいらしいことが分かったキャニーは
そのまま隣にいるもう一人の少女、ミリーへと頷き、一緒に駆け出す。
シャドウウルフの群れが全滅するのに、
わずかな時間しかかからなかったことに
護衛の冒険者2人と、その依頼主である商人たちは驚きを隠せなかった。
「やるじゃないか。助かったよ」
「ええ、本当に。マナストライクも一発きりですしね……。
砦についたら何か食事でも……ええと、砦が目的地でいいんですよね?」
警戒を続けながらも、脅威が去ったことに安心し、
ねぎらいの声をかける冒険者2人。
静かな、コンビでは頭脳担当の様子の男が
2人のそばにいるグリフォンにちらりと視線を向けながらも確かめるように問いかける。
空から舞い降りてきたとはいえ、
このあたりに何かあるとしたらフォールヴァル砦ぐらいな物だ。
キャニーたちの目的地もそうであろうと考えたのだ。
「ええ、そうよ。よかったら砦までご一緒しない?
今なら使役されたグリフォンも合わせてよ」
本来であれば護衛の2人や商人たちから
提案すべきであろうことを、あっさりとキャニーから口にする。
実際には2人にとってグリちゃんは使役というより
家族のようなものだが、説明が難しいので
使役しているということにしているのだった。
「おお、それはそれは。ご一緒しましょう」
これまで黙っていた商人はこれ幸い、と
同行を承諾し、宥め終えた馬の歩みを再開させる。
危機から脱したうえ、追加の心配も少なくなることは歓迎なのであった。
程なく、道の先に建造物が見えてくる。
「さて、フィル王子がここにいるらしいけど……」
「ちゃんと伝言を伝えて、物資も渡さないとね」
自分たちが頼りにするファクトが不在の中、
どこまで戦えるのか。
じっとしていると不安は増すばかりだが、
それでもやれるだけのことをやるしかない。
そう思い直し、砦の門をくぐるのだった。