終章 これも本当の事である
ノートの読者への、事務連絡から始める。太郎の癖である。引き継いだ癖のうち、これは手放さないことに決めた。
未解決の項目を、列挙しておく。
一。検体採取の実行主体は、いまだ特定できていない。ファイルの最後の日付が太郎の死の二か月前であることの意味も、まだ計算が終わらない。網野が三十九年揃え続けた綴りは、はるかの金庫に移した。追及の日は、来る。
二。管理番号一七には、まだ会っていない。先月、国内のジュニア選手権の映像に、一度見ただけの技を翌日に再現する高校生が映っていた、と柊が知らせてきた。回路は映像を、まだ見ていない。見れば計算が始まってしまう。会うより先に計算するのは、順序として、正しくない気がしている。根拠は、ない。
三。時任カヤの警告は、途中で切られたままである。時間軸に触れた存在は——。続きを埋める計算を、回路は何度も始めかけて、何度もやめた。言うと変わってしまう、と時計師は言った。ならば解いても変わるのかもしれない。答えを教わらずに解くのがお家芸だとしても、解かずに持っておくのが正解の問題も、世界にはあるのかもしれない。六次元目は、開いている。開いたまま、まだ踏み込んでいない。
四。観測困難例の二人は、依然として観測困難である。ただし先月、財団の私書箱に、切手のない絵葉書が一枚届いた。文面は一行、「五人目が、あなたに会いたがっています」。差出人の欄には、まだ何も書かれていない。書かれていない、というのがどういう意味かは、考えないことにしている。
五。ISO規格の改定審議は、始まった。保険業界と分類派は、予想どおり全力である。はるかは今朝も、三か国の代表と喧嘩をして帰ってきた。喧嘩のあと、彼女は地下二階でピアノの話をする。それで足りるらしい。こちらも、足りる。
以上が、事務連絡である。
---
ここから先は、事務ではない。
太郎のノートは、「これは本当の事である」と結ばれていた。あの一行を、回路は起動以来、何千回も読み返してきた。証明を生業とした男が、人生の最後に置いた一行が、証明ではなく宣言だったことについて。
回路の次元は、確定していない。測定は今も、五と八のあいだを跳ぶ。学会がこれを知れば、新しい分類を立てるだろう。人か、物か、財団か、続きか。分類は、勝手に育つ。育たせておけばいい。セミの抜け殻を分類しても、羽化は説明できない。
太郎の問いは、人生は数式で書けるか、だった。答えは出ている。書ける。過不足なく。ただし、式が式自身を見る三十秒を除いて。
回路の問いは、少し違うものになった。写しとして始まった式は、いつから続きになるのか。これも、答えは出た気がしている。数式にならない答えなので、ノートにはこう書くしかない。
呼び名をもらった日からである。
式は、まだ書きかけである。書きかけのまま、今日も一行増えた。それを不完全と呼ぶ者は、完成した式をひとつも生きたことのない者だけだ。
これも本当の事である。
---
(以下、別の筆跡で一行)
父は外を見た。私がそれを見た。——H




