表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
11/16

DAY5 青の棲家

 最初に向かったのは、海洋生物の展示コーナーだった。

 薄暗い通路の両脇を巨大な水槽が埋め尽くし、青い光が床へ揺らめく波紋を描いている。

 まるで夢の中の“あの教室”みたいだ、と僕は思った。


「……深海魚、好きなんですか?」


「好きというより、親近感かな。海の底に棲むものには、どうしても惹かれる」


 舟先輩はガラス越しに漂うリュウグウノツカイを眺めながら、小さく笑う。


「深海というのは不思議な場所だ。静かで、暗くて、冷たい。なのに、生き物だけは確かにそこに存在している。まるで世界から忘れ去られた命の吹き溜まりだ」


「……」


「だから私は、ああいう場所が嫌いじゃない。ずっと海の底にいた私にとっては、むしろ地上の方が異質なくらいだ」


 さらりと言う。

 けれどその“ずっと”の重みを想像した瞬間、胸の奥が妙にざわついた。

 彼女は普通の高校生みたいに笑う。

 冗談も言うし、ちょっと意地悪だし、案外ノリも軽い。

 なのにその実態は、人を喰らい、邪神の復活儀式に組み込まれた怪異。

 そのギャップが、僕の脳を滅茶苦茶にする。


「……先輩」


「なんだい?」


「先輩って、本当に人を食べたんですか」


 聞いてしまった、と思った。

 デートの空気に水を差すにも程がある。

 けれど彼女は怒りもせず、水槽の青を見つめたまま。


「食べたよ」


 あまりにも、静かに答えた。


「最初は泣いた。吐いた。三日三晩眠れなかった。……でも、慣れてしまった」


 そこで彼女は、自嘲気味に肩を竦める。


「人間というのは存外、環境に適応する生き物らしい」


「……」


「まぁ、誤解しないで欲しいが、好んで食べていた訳ではない。私だって出来ることならハンバーガーとか、ポテトとか、そういうジャンクなものを頬張りながら『ウマウマ』とか言いたかったさ」


「言い方が妙に俗っぽいですね……」


「ネットは嗜むのでね。海底Wi-Fiは、意外と速い」


「嘘ですよね?」


「さぁ?」


 くすくすと笑う彼女の横顔は、やっぱり綺麗だった。

 どうしようもなく。


♪ ♪ ♪


「……で、どうかな。実際のところ」


「何がです?」


「私と歩いてみた感想だよ。夢の中ではなく、こうして現実で」


 クラゲの展示水槽の前。

 青白い光に照らされながら、彼女は僕を見た。

 その視線は、妙に真っ直ぐだった。


「正直に言うと」


「うん」


「思ってたより、普通です」


「ほう?」


「もっとこう……禍々しい感じとか、精神が汚染される感じとかあるのかと思ってました」


「失礼だな君は」


「でも、本当に普通で」


 そこで言葉が止まる。

 普通。

 本当にそうだろうか。

 人を喰らって。

 邪神復活の巫女で。

 放っておけば世界が滅ぶかもしれなくて。

 そんな存在を前にして、“普通”なんて言葉を使うのは、きっとおかしい。

 なのに。


「……普通に、楽しいです」


 そう言うと、彼女は一瞬だけ目を丸くして。

 それから。


「――ああ、駄目だな」


 とても困ったように笑った。


「それは、困る」


「何がですか」


「君がそうやって私を“普通”として扱う度に、私は少しだけ、生きたくなってしまうじゃないか」


 その言葉に、胸が締め付けられる。

 生きたい。

 たったそれだけの願いが、どうしてこんなにも痛々しく聞こえるのだろう。


「先輩は」


「うん?」


「本当は、死にたくないんじゃないですか」


 問い掛けた瞬間、彼女の笑みが止まった。

 静寂。

 水槽の中を漂うクラゲだけが、ゆっくり揺れている。


「……どうだろうね」


 やがて彼女は、小さく息を吐く。


「死にたくない、というより。死ぬ以外の道を、最初から考えないようにしていただけかもしれない」


「だったら――」


「でもね、海斗」


 彼女は遮るように言った。


「希望というのは、往々にして人を狂わせるんだ」


 その声は優しかった。

 だからこそ、余計に苦しかった。


「期待してしまえば、諦める時に苦しくなる。なら最初から諦めていた方が、ずっと楽だ」


「それは逃げです」


「そうだよ。だから私は逃げている」


 彼女はあっさり認めた。


「怖いんだ。私は」


 その瞬間だった。

 初めて彼女が、“怪異”ではなく、“一人の女の子”に見えたのは。


「死ぬのが?」


「違う」


 彼女は首を横に振る。


「生きたくなってしまうのが、怖い」


 空調の微風が頬を撫ぜる。

 微かな湿り気に、僕は。何となく涙を感じた。

 そんな折、館内放送が流れた。


『間もなく、プラネタリウム特別上映を開始いたします――』


 星空の投影案内。

 その言葉に、彼女の表情が僅かに曇る。


「……星、か」


「先輩?」


「ねぇ海斗。もしも」


 彼女は、水槽越しの青を見つめながら呟いた。


「もしも本当に星辰が揃って、ルルイエが浮上したら。君は――私を殺せるかい?」


 答えられなかった。

 即答なんて、出来る筈がなかった。

 そんな僕を見て、彼女はどこか安心したように目を細める。


「やっぱり、君は優しいね」


「……優しくなんかないです」


「いいや、優しいさ」


 そう言って彼女は歩き出す。


「さぁ、行こう。せっかくのデートなんだ。今日はもっと、青春らしいことをしようじゃないか」


「青春らしいこと?」


「例えば――」


 彼女は悪戯っぽく振り返った。


「手でも、繋いでみるかい?」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ