私の陳述(後)
「まあ、お兄ちゃんがそう言うなら__まんまと罠にかかった私と上野さんは非常に無為な3時間を過ごした。けど、その結果重要な証言に辿りつくことができたの」
私達が何故スーパー高砂に向かい、そこでどんな証言を手に入れたのかを兄に説明した。
向かいの机の陰から自分の失態に対して絶望に打ちひしがれる男のうなり声が聞こえる。まるで崖の下に潜むトロールのようだ。
「私達の調査の結果、昨日の晩、新木場亨は居酒屋 酒有己治人で飲み会をしており、その後その他ぐでんぐでんの成人男性3人と一緒にスーパー高砂に行った。
買った物は酒瓶5本」
それから私は新木場と酒宴をしていた例の3人のメモを読み上げる。
「その3人にはある共通点がある。4人目にはない共通点よ」
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中野浩一
新木場と同マンション307号室住民
自営業 2児の父親 愛妻家
趣味 釣り
蒲田義則
隣町にマンションを借りている。
会社員 新婚で4人の中で一番若い。
趣味 スケートボード
北千住昌
同マンションの近くの一戸建て 両親と同居
フリーのライター
趣味 温泉巡り
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「共通点、、?成人男性??」崖の底から聞こえてくる声にはとりあえず無視する。
「深夜一時、まだまだ飲み足りない4人組がスーパーで酒瓶を大量に購入。
その後、彼らの足取りは終えていない。
もちろん、そのタイミングでお酒を買ったという事は当然これからまだ飲むつもりだし、居酒屋で飲むのは諦めたってことが分かる。
それから酒瓶。缶チューハイとかじゃなくて酒瓶であるということ。
更に雨は今朝の明け方まで降っていた。
つまり外の公園とかで屯するつもりではなかった。
では、どうするつもりだったのか?
答えは簡単よ。
2次会の会場は誰かの家ってこと。
ここで意味を帯びてくるのが、さっきの共通点。
つまり、この4人のメンバーで新木場亨を除く全員が誰かしらと同居しているということ。
そして、新木場亨だけが一人暮らし。
そうなれば自然風向きはどうなるか、彼らは飲み会の会場を新木場亨の部屋にしようとするはず。
あの違法改築の部屋にね。
場には酔っていたが、酒は一滴も飲んでいないあんたが慌てた事間違いなしね。
あの部屋を、酔っ払いとは言え人に見せるわけにはいかない。
そこであんたは禁忌を破ったの__そう、お兄ちゃんの部屋を身代わりに差し出したんでしょ?
たとえば、お兄ちゃんを自分の甥っ子で居候させているんだ、そんな風に説明して、お兄ちゃんの住んでいる部屋に案内した。
そもそも自分の部屋の正体を隠している事から、彼らが新木場亨の部屋に行くのは__新木場亨の部屋と言う場所に案内されるのは、昨日が初めてのはず。
実際、5階であることは同じだし、酒に酔っている面々にはそれがまさか違う部屋だとは思わないでしょう」
__つまり、これは重大な契約違反なのだ。
深夜1時過ぎに家に訪れて酒盛りをしだすなんて罰を与えられて当然だ。
そして、この一連の騒動の原因こそがこれだった。全て私にこの契約違反を気づかせない事が目的の新木場亨なりの策略だったのだ。
「__お兄ちゃんに迷惑をかけないようにって私、言ったわよね?」
「、、、」
私はうつむいて物も言えずにいる契約違反者を放って置いて、今度は兄に向き直る。
兄は自分の事にも関わらず新木場の横暴の話を他人事のように聞いて笑っていたが、私の目を見ると「あれ、今度は俺が告発されるのかな?」とまた楽し気に言った。
「さて、新木場亨がお兄ちゃんの家に暴挙の果てやってきたことは分かった。
次は何故、浅草さんの靴がお兄ちゃんの部屋にあったか。
__えーと、まず浅草さんは3日前の夕方5時頃に上野さんと別れてその後の消息がつかめなかった。
街で聞き込みをしても誰もピンク頭の男の目撃情報を与えてはくれなかった。
帽子をかぶっていたにしろ、もし店を利用したりどこかでとどまっていたりしたら誰かが浅草さんを注意深く見て記憶に残しているはず。
もちろん、本職の刑事ばりの聞き込みをしたわけじゃないし、靴を脱ぐ条件から範囲はかなり絞ったから、中には3日前に上野さんと別れた後の浅草さんを見た人もいるかもしれないけど、それはもう気にしない事にする。
上野さんも最初、浅草さんが部屋の前で待っているかもしれないって思ったって言ってたでしょ?
付き合っている恋人がそう言うのよ?
そこには憶測もあるかもしれないけど経験則だって当然ある。
そして、浅草さんは実際に上野さんの部屋の前で上野さんが帰ってくるのを待ってたのよ。
ねぇ、お兄ちゃん」
「なんだい?あやか」
私の言葉に「ん?」と兄は首を傾げる。
まるで邪気のない様子に私の心は折れかけるが、それをぐっと堪える。
私「人を拾うのはやめてって私何度も言ってるよね??」
兄「なんで犬や猫やそれから種々様々な動物は良くて人間はダメなのか。
人間だって動物の一種なんだ。仲間外れは可哀そうだろう」
私「人間には悪い人もいるでしょ?」
兄「じゃあ、大丈夫だよ。
浅草さんは悪人ではなかったんだから」
兄はにっこりと微笑んだ。
こうなると私が言える事は無い。どうしたって兄には甘くなってしまうのもなのだ。ため息が漏れる。
「分かった、これに関しては後でよくよく相談しようね。
これではっきりした。
浅草さんが505号室の前で捨てられた子犬のように上野さんの帰りを待っていた。
そこへ、バイト帰りのお兄ちゃんが現れる。
時間で考えても6時以降に帰ってくるお兄ちゃんが505号室の前で黄昏ている浅草さんと鉢合わせするのはつじつまが合うわ。
浅草さんは5時にはまだ喫茶店に残されていて、それからこのマンションにやってきたのだから。
そして菩薩のごときお兄ちゃんがそれを見逃すとは思えないと私は考えた。
お兄ちゃんは浅草さんを家に招いた。犬や猫に対してそうするように。
だからお兄ちゃんの家には浅草さんの靴があった。
そして二日後、酔っ払い連中を連れてきた新木場はその靴を履き間違えてそのまま家に帰り、今日の騒ぎへと至る」
これにて『失踪した見知らぬ隣人の靴が、なぜか自分の部屋に置いてあった』の謎は解決。
__私が言い切ると兄は立ち上がって手を叩いた。
「素晴らしいね、実に素晴らしい!
その通りだよ、とても面白かった」
大はしゃぎの兄に私は一瞬気圧された。兄に全く裏がないのは知っている。けど、こういう時の兄は何だか人間らしくないというか、、少し怖く感じるのだ。
もちろん、それは本当に一瞬のことで直ぐに兄はいつもの優しい微笑みを浮かべて『私のお兄ちゃん』に戻る。
私はほっとして息を吐いた。
「でも、分からない事が二つあるの」
「なんだい?」
「まず一つは、どうして浅草さんが3日間もお兄ちゃんの家に居座ってたかってこと。それに今日私が来た時には家には確かにお兄ちゃん以外誰もいなかった。浅草さんはどこにいたの?」
「それは簡単さ、工事現場だよ」
予想だにしない答えに私はきょとんとして兄の言葉を繰り返す。
「工事現場?」
「ああ、浅草さんからどうやらお金に困っているらしくて相談を受けたんだ。
ずっと人に借りたままだったお金をどうにかして返したいって。
2日前からそこで働いていたんだよ。
朝5時から午後3時まで、休憩1時間15分の日給1万3000円。
昨日は雨だったけど、それでもやる事はあるからね」
「お金を借りたままだったって、、」
「十中八九、上野さんだろうね。
彼女、上野財閥のご令嬢だよ。一度パーティーで姿を見掛けたことがある。向こうは俺に気づかなかったみたいだけど。
あのスニーカーも彼女からのプレゼントで、浅草さんは今まで相当上野さんを頼りにしていたらしい」
兄が私の教育を考慮してか、マイルドな表現を使ったがつまりはヒモ男である。
「もしかして浅草さんって上野さんがお金を返さない事に怒ってると思ってるの?」
__いや、充分それも怒っていい事なんだけど
私の問いかけに兄は首をかしげる。
「違うの?
俺は話を聞いていてそう言う事かなって思ったから棟梁にお願いして雇ってもらったんだけど」
なるほど、全てが合点いった。
浅草さんは少しでもお金を返すまでは会わす顔がないと思ったのだろう。
それは恐らく新木場にそそのかされて黒髪に染めた事からも納得がいく。
自分なりの誠意を見せたかったのに違いない。
大事な靴がなくなっていることにも気づかなかったのだから。
そうか、工事現場ではニッカボッカに足袋だ。浅草さんが自分の靴を履く機会がない。
それなら気づかなくても納得だ。
新木場ならともかく普通の人がそう長い間他人の靴を履いている事に気づかないと言うのは無理があると最初から不思議に思っていたのだ。
それに工事現場で働くなら当然ヘルメットをかぶる。
一緒に働いている仲間ならまだしも朝5時には家を出て職場にいるのだから、ピンク色の髪の男の目撃証言が出てこないのはなんら不思議ではない。
「それで、もう一つの分からない事って?」
解消された一つの疑問により、更にもう一つの疑問の効力が増す。
「間違えたもう一つの靴は一体どこへ行ったの?
私が来た時、家にはお兄ちゃんの靴しかなかったのに」
監視員である私の来訪はその性質上、基本抜き打ち__つまりアポなしなのでもし、兄が女の子でも連れ込んでいたら恐ろしい事になる。心の準備もなしに兄の彼女に会うなんてとてもじゃないが無理だ。
だから、兄の家に来て私が真っ先にすることは靴の確認なのだ。
ところが、私が来た時には新木場亨が履いていたであろう靴はどこにもなかった。
浅草さんも新木場の靴を履かなかったとなると、ここにあるはずの新木場の靴は一体どこへ行ってしまったのだろうか?
私の問いかけに兄はにこにこと笑みを浮かべる。
「ああ、それは酷い汚れだったからね」
兄は立ち上がって私を手招きすると、カーテンを引いてドアをスライドする。
兄の指差すそれを見て私は静かに言った。
「お兄ちゃん」
「ん?どうしたの?」
「お兄ちゃん、こうなること全部最初から分かってたんでしょ」
「え?なんのことかなぁ」
適当な誤魔化しで私をからかう兄に厳しい視線を寄こす。
恐らく兄は全てを知っていてそれでなお「このまま黙っていた方がおもしろそう」という理由から口をつぐんで事の成り行きを見ていたに違いない。
新木場亨が関わると、突然享楽主義に転身してしまう兄に私は頭を抱えた。
__この先も何度も頭を抱える羽目になるとは知らない私はこれが最後であると信じてやまなかったが。
兄はそんな私の肩をまるで励ますように優しく叩くと、ベランダの室外機の陰からそれをひょいと持ち上げる。
「うん、いい天気だったからすっかり乾いたね」
満足そうに新木場亨の靴を眺める兄に私は溜息を吐いた。
、、、あれ?なんか忘れているような__




