友として
「リュシアンと知り合ったのはもう十年以上前のことだ。ぼくは長いことガッリアへ留学していてね」
アルフレッドは柔らかな笑みを浮かべながら、滔々と語り出す。
「ガッリアの先々代王弟・ワロキア伯のもとで共に学んだんだ。ああ、ユージェーヌとも親交を深めたっけ。みなで切磋琢磨しながら、よく学び、よく遊んだな」
若き王子の緑色の瞳の中には、たしかな懐旧の念が浮かんでいた。
「リュシアンとは本当に気が合った。彼が侯爵家の嫡男でさえなかったら、ぼくの側近としてこっちへ連れ帰ってきたのになぁ」
「さようでございますか……」
そうならなくてよかった、と真っ先に思ってしまい、メリザンドは少しだけ目を伏せた。もしそうなっていたら、メリザンドはいったいどこの誰と結婚させられていただろう。あるいは、王に見初められることさえなかっただろうか……。
「だからバルテ夫人、なにか困ったことがあったら、遠慮なくぼくを頼っていいよ。それを伝えておきたくて、この場を設けたんだ」
「……そ、それは」
またもや意外過ぎることを言われ、感情が追い付かない。アルフレッドの眼差しは優しく、心の底から旧友の妻を歓迎しているように思えた。
「身に余るお言葉……まことにありがたく思います。ですが、わたしは……」
メリザンドは口ごもる。
――わたしは、リュシアンさまの妻とは名ばかりで……。
『バルテ侯爵夫人』でありながら、その役目を一切果たしていない。リュシアンには愛を告白され、いつか夫婦に戻ろうと誓い合ったが、その約束が果たされる日がくるのかわからなくなってしまった。
にもかかわらず、バルテ侯爵夫人の名をかさに着て他国の王子を頼ったりなんかできるものか。
「うん、あなたの複雑な立場はよくわかっているよ。ガッリア公式寵姫だものね」
アルフレッドの声は相変わらず穏やかだ。だが、その目がわずかに細められ、鋭い光が宿る。
「いや、あなただけじゃなく、あなたたちの事情は、よくわかっているつもりだ。ぼくは、ユージェーヌがあなたを見初めた場にいたからね」
メリザンドは驚きに目を見開く。
「……なにを、おっしゃって」
「リュシアンは、本当に残念だったね……」
目線を落とすアルフレッド。彼の哀憐に満ちた表情を見て、メリザンドはかすかにわななく。
――この御方は、なにもかもご存じなのだわ……!
彼は、ユージェーヌとリュシアンの友として、三年前の国立歌劇場の桟敷に同席し、すべてを目の当たりにしていた。
最初にメリザンドに惹かれたのはリュシアンであること。そこに横恋慕するような形で王が割り入ったこと。
メリザンドが公式寵姫の任を解かれたあとは、リュシアンと改めて夫婦としてやり直すと約束したこと、それが当面叶わなくなってしまったことさえも知っているのだろう。
おそらく、リュシアンとは文通で近況を報告し合っているのだ。
――リュシアンさまったら……わたしのことをどんなふうに綴っていらっしゃるのかしら! しかも他国の王子さま相手に!
自分のあずかり知らぬところで、あらゆることを暴露されているのかと思うと、恥ずかしいやら憤ろしいやら。
「旧友たちが愛した女性と、直接会えてよかった」
「……それは」
心から嬉しそうなアルフレッドの言葉を、メリザンドは素直に受け取ることができなかった。口元に自嘲が浮かぶ。
「凡庸な女で、さぞ落胆なさったでしょう」
「その人並みの可愛らしさの中に、彼らは光り輝くものを見出したのだろう。数多の美女たちにはない、特別ななにかを」
人並み、という単語だけがメリザンドの耳に残った。自覚しているつもりでも、面と向かって言われると傷つく。
「落胆した、というのは否定なさらないのですね」
ついひねくれた言葉が口をつく。アルフレッドは何度かまばたきしたあと、心底困ったような表情で頬のあたりを掻いた。
「こういう女性が好みだったのか、と驚きを抱いていることは確かだけれど。彼らに愛されるに不相応な女性だとは、これっぽっちも思っていないよ。まあ三年前は、『ちょっと幼すぎやしないか』と戸惑いはしたけれどね」
「お恥ずかしい……。社交界に連れ出されるようになったばかりの、世間知らずな娘でしたから」
うつむいて身をすくめると、アルフレッドは「うぅむ」とうなる。
「ぼくがあなたに対して感じた、素直な印象を述べても?」
「……どうかお聞かせください」
覚悟を決めてうなずき、面を上げる。アルフレッドは、緑色の瞳に真剣な色を浮かべていた。
「若く可憐で……そして、聡そうな女性だと思った。温順そうでいて、強い芯を持っているように感じる」
――聡そう……強い芯……。
心中で王子の言葉を反芻しながら、安堵と苛立ちという相反する感情を胸に抱く。
地味だの貧相だの、そういった悪罵ではなかったことにはホッとした。しかし、メリザンドのどこをどう見て、聡いだの強いだの感じたのだろうか。
「お褒めにあずかり光栄です」
いろいろと問い詰めたい気持ちをぐっとこらえ、四角四面の返答を返しておいた。初対面の、しかも他国の王子を相手にして、過度に感情的になるべきではない。
アルフレッドは困惑顔で笑い、軽く肩をすくめる。
「やすやすと他者に心を許さないのも、美徳だよ。若いのに、己の立場をよく心得ている」
「ええ……」
曖昧に返事をするメリザンドに、アルフレッドは再び真剣な眼差しを向ける。
「ぼくはね、父の傍で頭の緩い女たちをたくさん見てきた。同時に、ただの愛人にしておくにはもったいないような、素晴らしい女性もたくさん見てきた。ゆえに、女性を見る目はあるつもりさ」
「さようですか……」
「わたくしも殿下と同意見ですよ」
不意に、プルヴェ夫人が口を挟んだ。ハッとして目をやると、彼女はアルフレッドへ向けて軽くこうべを垂れていた。
「殿下、話に割り入る無礼をお許しください」
「お気になさらず。談話の場では、誰もが好きなときに好きなように発言する権利がある」
アルフレッドが深い喜色を浮かべる。己の意見を肯定する者の出現を歓迎しているようだった。
「メリザンド、あなたがガッリア王宮でどれほど賢く強かに振る舞ってきたか、このわたくしが一番よく知っていますよ」
「プルヴェ夫人……」
彼女の称賛は素直に受け取ることができたが、十全に喜ぶことはできない。
――でもわたしは、イベール夫人やソフィア・ウィリスの足元にも及ばない……。
彼女たちへ、明確な劣等感を覚える。人気、才覚、奉仕の心……あらゆる面で負けている。
ちらりとイベール夫人をうかがうと、ばっちり目が合う。彼女は、メリザンドの苦悩を見透かしたかのようにくちびるをつり上げたが、笑っているのは口元だけで、瞳に宿る光はどことなく優しい。
いったいどうしたことかと疑念を抱きつつも、プルヴェ夫人の声に耳を傾ける。
「慎ましく生きてきた令嬢が、いきなり公式寵姫として王宮へ上がることになって。にもかかわらず、あなたは立派に役目を果たしてきた。贅沢に溺れることなく、驕ることなく。それを誇ってもいいのですよ」
「ん~、でもぉ、公式寵姫になってまだ一年もたっていないのでしょう? これから堕落するかもしれないわぁ」
茶々を入れるイベール夫人を睨みつけながら、プルヴェ夫人は続ける。
「国王陛下も、あなたの可憐さだけでなく、そういう気質を見抜いた上で傍に置き続けたいと、王宮の女主人にしたいと望んでいるのでしょう」
「そ、そうでしょうか……」
戸惑いつつ、王の姿を脳裏に浮かべる。型破りなところはあるが、聡明な男だ。ただメリザンド可愛さだけで、『王宮の女主人』などという大それた役目を押し付けたりはしない、というのはもっともな意見だと思う。
王妃の茶会に招かれたときも、ヴィクトワールと仲違いしたときも、決して嘴を入れてこなかったのは、メリザンドならば必ずうまく立ち回ると信じてのことだったのかもしれない。
あるいは、試していたか……。
――わたしに盲目的な愛を囁きながら、その裏でわたしの立ち振る舞いを見ていらっしゃったというの……?
メリザンドを見初めたときから、『王宮の女主人』に据えることが夢だと言っていた。メリザンドがそれに相応しい女だとわかったからこそ、夢が現実のものになると喜んでいるのかもしれない。
――いえ、すべて憶測にすぎない……。
気を引き締めるメリザンドの耳に、アルフレッドの柔らかな笑声が届いた。
「あなたのことをよく理解している、素晴らしい友人をお持ちじゃないか。それだけでも、あなたの人柄を十分に証明しているようだ」
「ええ、ありがとうございます……」
謙遜するのをやめて微笑んだのは、プルヴェ夫人の顔を立ててのことだ。




