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それっきり、彼女は黙り込んだ。

まるで俺なんかいないみたいに、メイク台の前に置かれた猫脚のゴブラン織りのスツールに座って、黙って酒を飲み続ける。


いや、これは明らかに俺を無視した態度だ。


俺は少しだけいらついて、声をやや大きく張った。


「なあ、ハーランを探しているんだ、なんでもいい、知っていることがあったら教えてくれないか?」


彼女はちゅぽんと音を立てて酒瓶から口を離し、酒でどろりと濁った眼を俺に向けた。


「うるさいわねえ、そんな大きな声出さなくても、聞こえてるわよ」


「だったら、教えてくれ、ハーランは……」


「知らない、あんたに教えるようなことは何もないわ」


それから彼女は、ひきつったように「ひひっ」と笑った。

いかにも俺を小バカにしたような、しかしどこか卑屈な印象のある笑いだった。


「だいたい、あなたが聞きたいのは、ハーランが今どこにいるかでしょ。そんなこと、私だって知らないわよ」


彼女は再び酒瓶に口をつけて、中身を呷りながら言葉で俺を煽った。


「案外、あんたと一緒にいるのが嫌で出て行っただけなんじゃないの?」


俺だって、その可能性を考えなかったわけじゃない。


私立探偵を名乗ってはいても、俺の稼ぎは自分の小腹を満たす小遣い銭程度で、生活費のほとんどを稼いでいたのはハーランの方だ。

自分の稼ぎを食いつぶすヒモ男に愛想をつかせたとしても不思議はない。


今度は俺が黙り込む番だった。


彼女はそんな俺の沈黙を何と思ったか、少しあごをあげて微笑んだ。


「何か言い返してごらんなさいよ、色男さん」


「それでも、俺は……」


「だいたいアンタ、ハーランを見つけてどうする気よ。これ以上、あの子の羽をむしらないであげて」


「むしってなんか……」


「二千万デラー」


突然彼女が口にした数字の意味が解らなくて、俺は間抜けな声を出す。


「はあ?」


「二千万よ、二千万デラー。ハーランが自分の人生を買い戻すために必要な金額」


彼女がまた、ちゃぽんと音を立てて酒瓶の中身を呷る。


「この街の女はね、多かれ少なかれ店に借金をしているの。もっとも、完済して自分の人生を買い戻すことのできる女なんて、ほんの一握りだけど。それでもね、あの子はまじめだから、どんな仕事も文句ひとつ言わずにこなして……もう少しで自分の人生を買い戻すだけの貯金をしていたわ、なのにね、その金で、あの子はあんたの人生を買ったの」


「待ってくれ、話が見えない」


「つまり、あの子は異世界人であるあんたの市民権を獲得するために貯金をはたいちゃったのよ!」


「そんなの、初耳だ」


「そうでしょうね、あの情け深い子が、あんたにそんな裏事情を聞かせるとは思えないもの」


「じゃあ、ハーランがここへきていたのは!」


「貯金をはたいてしまったからよ」


瞬間、酒に濁っていた彼女の瞳が怒りの色をたたえて見開かれた。


「貯金をはたいてしまった上に、あんたも養わなけりゃいけない……あの子はあんたのために、それこそ身を粉にして働いていたのよ!」


自分の言葉に興奮してしまったのだろうか、彼女は自分の髪を掻きむしって悲鳴みたいな声をあげた。


「ああ……出て行って! 私だって、あの子がいまどうしているかなんて知らない! こうやって飲んだくれて、それでも無事を祈ることしか、私にはできない! あんたが望むような情報はなにも持っていないんだから! 出て行ってよ!」


彼女は酒瓶を俺に投げつけようとした。


しかし、まだ十分に中身の残った重たい酒瓶を振り回すには、彼女は少しばかり酔いすぎていたようだ。

グラマラスな体が重心を崩してぐらりと大きく揺れる。


俺はその隙に乗じて、酒瓶を投げようとしている彼女の腕を掴んだ。


「なにすんのよ!」


鋭い悲鳴と、そして、俺の指先に強い静電気のような衝撃が……。


雷よ(サンデラ)!」


彼女が酒瓶を投げ捨て、詠唱とともに右手を前に突き出した。

魔法を使う気なのだ。


「あんたがいなければ……あんたさえいなければ、あの子は不幸になったりしなかった!」


パリッ、パリッと音を立てて、彼女の右手の先に小さな火花を散らす雷の球が膨れ上がった。


俺はその光景をぼんやりと眺めながら、不思議な感覚に囚われていた。


(ああ、以前にもこんな状況があったな……)


それは、この世界に来る前の記憶ーー彼方の世界で俺が死んだ、あの瞬間の記憶だった。

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