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婚約者

漠は、月の宮の西に位置する地で、長い間人と共に過ごして守って来た土地神だった。

大きな宮は持たず、数人の臣下達と共に軍も持たずにそこに居た。人を守ったり、願いを聞いたりするのに、そんな大きな宮は必要なかったからだ。

他の神達も、別にそんな小さな宮まで侵攻しようとはしないので、漠は長い間ゆったりと過ごしていたが、新しい神には少し警戒していた。考え方の違う神で、自分達まで滅するつもりであったなら、大変であるからだ。近くに月の宮が出来た時も、挨拶に出掛けてその王の穏やかさにホッとしたものだった。

そんな漠にはかつて二人の妃が居た。

正妃がとてもキツイ性格の女で、もう一人の妃とそれは諍いを起こした。もう一人の妃に子が出来た時も、正妃のあまりの狂乱ぶりに漠はその行く末を案じ、宮から出して、人の巫女に育てさせた。そうすることで、その王女はのびのびとなんの憂いもなく人の世で育ったが、妃は心労のあまり亡くなってしまった。そして、正妃もその後亡くなり、漠は王女を宮へと戻した。

そしてそれから30年余り、神の世にも慣れた王女であったが、しかし物心付くまで人の世に居たこともあって、どうしても人の世の考え方が抜けない。今でも隠れて人の世へ出掛けて行ってはぶらぶらと散策しているのも、漠は知っていた。神の男ではどうも考え方が合わず、王女はいくら縁談を持って来ても首を縦に振らなかった。

仕方なく、人の世で生活していた者や人が集う、月の宮へ助けを求めることになったのだ。王の蒼は期待に沿えるか分からないが、探してみると言ってくれた。

そのことを王女に知らせると、王女は言った。

「月の宮の軍神は、青銀の甲冑を着ておりますか?」

漠はなぜにそんなことを知っているのかと思ったが、頷いた。

「そうよの。確かにそうだった。主、軍神に縁付きたいと思うか。」

王女は少し考えたが、頷いた。

「どうしても嫁がねばならぬと申すなら、そう願いまする。我は月の宮の軍神のかたに嫁ぎたい。」

漠は、そんなに都合よく探せるかわからぬと思ったが、渋々頷いた。

「ま、一応言ってみるがの。あちらもそうそう縁を探しておる軍神ばかりではないぞ。何しろ軍神には、黙っていても女が寄って来るゆえな。」

漠は、蒼からの答えを待った。無理かも知れぬと、半ば諦めながらであったが。


一方蒼は、悩んでいた。

臣下とは言っても、無理矢理に縁付けるなど避けたい。王であるのだから命じれば済むことは重々わかっていたが、臣下達にも生活があるのだ。うまく行っていることを、それで潰したりはしたくなかった。

信明が受けてくれるとは言っても、おそらく気が進まぬものであろう。明人の母は人の世で育った龍で、神の世に慣れずに仕方なく、また人の世に行っていたのだと聞いている。なのに二人目の妃が来るなど、おそらく耐えられないことであるのではないか。

なので蒼は、まだ命じることが出来ずにいた。

明人は、毎日考え込んでいた。立ち合いの時も、慎吾相手に何度も負ける始末、仕方なく控えの席に戻り、汗を拭いていると、嘉韻がやって来た。

「心ここに非ずではないか、明人。どうした?」

今は仕事中なので、明人は敬語で言った。

「家の事でいろいろと思うことがありまして。」

嘉韻は手を振った。

「ああよい。もう今任務を離れたのだ。普通に話すが良い。」

明人は嘉韻を見上げた。

「おふくろは人の世で育った龍だったんだ。だから龍の宮に慣れなくて、親父は仕方なくおふくろ連れて人の世へ行ってたってのに、今になって二人目の妻がなんだとなっちまってよ。元々オレのせいでこっちへ戻って来たし…責任感じるんでぇ。」

嘉韻は頷いて、隣に座った。

「こっちでは当然のことでも、人の世では違うのだな。主らと過ごして、我はいくらか理解出来ているつもりぞ。それで、王はなんとおっしゃっておるのだ。」

明人は下を向いた。

「まだ、命は降りねぇ。きっと、王も無理にってのが嫌なんだと思うんだ。お優しいかただからな。人だったかただし。どうしたらいんだろうな。」

嘉韻はため息をついた。

「我が娶ると言えば良いのか?だがの、それは無理な話よ。そんなことで娶っておったら、我には妻が何人になるか分からぬわ。前世の炎嘉様のようになってしまうわ。」

明人はフッと笑った。

「妃が21人居たって奴か?確かにな。」と南の方向の空を見上げた。「そういえば、炎嘉様が封印を解かれて、龍王に南の砦を任されたと聞いた。鳥の宮があった場所だから、炎嘉様には向いていると思ったようだ。嘉韻、会いたいんじゃねぇのか?」

嘉韻は同じように空を見て、頷いた。

「そうよの。炎嘉様とはまた話したいと思うておる。しかし我らが南の砦へ行く用などないであろうが…ま、今しばし時を待ってみるよ。」

明人は、また父と母のことに意識を戻していた。嘉韻が娶ることはない…オレも無理強い出来ない。しかし、オレのことはオレが決められる…オレがもらえばいいのか。

明人はそんな考えが浮かんだことにためらって、首を振った。なんでこの歳で嫁もらわなきゃならねぇんだ。王族でもあるまいし。だが、いざとなれば、それしかあの二人の夫婦仲を留める方法がないのも確かだ。

あれから、父は屋敷に戻らなくなり、母も父の宿舎に泊らなくなった。二人が会うことが極端に少なくなっているような気がする…父も、職務に忠実な龍の軍神なのだ。王が命ずるなら、妻のことも考えられなくなるのだろう。

明人は訓練終了の合図と共に、足取りも重く宿舎へ引き上げて行った。

それを心配そうに慎吾と嘉韻が見送っていた。


蒼は、信明と明人を自分の居間へ呼んだ。二人はすぐにやって来て、並んで入って来て膝を付いた。

「王、お呼びでしょうか。」

蒼は頷いた。

「いよいよ返事をしなきゃならなくなったのだ。信明よ、しかし、主は本当に妻を迎えて良いのか。オレに気を使っているなら、主は己の生活を考えよ。オレは臣下の家庭を壊すつもりはないからな。」

信明は黙った。困っているのだろう。この王は臣下の生活のことまで思いを巡らすような王で、それゆえに無理強いせず、またそれゆえに無理にでも頼みを聞きたくなる風情であるのだ。

「…神の世ではよくあること。これを納得出来ねば、神の世には住めませぬゆえ。」

信明が言った。蒼はその意味を悟って、ため息を付いた。

「やはりそうか。ならば、仕方ない…無理にと言えぬ。今回は主には言わぬ。」

信明は驚いたように顔を上げた。

「しかし王、他にとなると困られるのでは…まさか王が迎えられる訳ではありますまい。小さな宮の王女であるし…。」

蒼は頷いた。

「そうなのだ。身分柄それは叶わぬ。困ったの…。」

明人は、父を見た。父は下を向いてじっと思い詰めたように考えている。おそらく、蒼のことを考えて、自分が迎えると自分から願い出ようかと考えているのだ。願い出れば、蒼も頷くであろう。信明が意を決したように顔を上げた時、明人は先に叫んだ。

「オレが!」父が横でびっくりしてこちらを見た。「王、オレがその王女を迎えます。」

蒼は驚いたように明人を見た。信明が言った。

「主…犬や猫をもらうのとは訳が違うぞ!」

明人は、頷いた。

「オレには誰も居ない。想う女も居ない。なので何の柵もない。親父が迎えるなら、オレが迎えたほうが、万事丸く収まる。」

信明は明人を、複雑そうな表情で見た。蒼は言った。

「…本当にいいのだな?オレは今日、向こうへ返事を出すぞ?後で気が変わったと申しても、変えることは出来ぬ。」

明人は今更後にも退けず、頷いた。

「はい。」

蒼は微笑んだ。

「よし、決まった。ホッとしたぞ…明人、礼を申す。」と、傍の巻物を見た。「王女の名は、紗羅(さら)と申す。年は向こうの方が上であるの…ま、神世では同い年ぐらいぞ。時期などは、追って知らせようぞ。」

明人は頭を下げた。

「は!」

蒼は息を付いて穏やかに言った。

「下がって良い。」

二人はそこを辞して、宮の回廊を歩いた。

ずっと黙っていた信明が、明人に言った。

「…明人、すまねぇな。お前に気を使わせちまった。だがな、今は逃れても、いずれこういうことになることは分かってたんでぇ。だから、お前がもらうことはなかったのに。」

明人は苦笑した。

「確かにな…また違う宮から、明日にでも言って来る可能性もある。だがな親父、今回は親父は見送った方がいい。おふくろが尋常でないほど意地になってるようだったじゃねぇか。帰ってこのことを伝えて、それからよく話し合って来いよ。それで、こういうことがある可能性があるんだってこと、納得させて心の準備させて来い。オレ、時間稼ぎしてやったんだからさ。親父達が仲悪いと、オレも落ち着かねぇんだよ。」

父はじっと考え込んでいたが、頷いた。

「違いねぇ。お前の言うことはもっともだ。あいつにはしっかり話して来る。しかしな、これからお前は大変だぞ?顔も知らねぇお姫様だ。どんな風に育ったかもわからねぇしよ…お前も覚悟しな。」

明人は、ため息を付いて頷いた。それにしても、なんでこんなことになるんだよ。

父が自分の屋敷に向けて飛び立って行くのを横目に、明人は宿舎へ足を引きずりながら帰って来た。すると、戸の前には、慎吾と嘉韻が待って居た。

「主の気が戻って来たので、急ぎ参ったのだ。それでどうであったのだ?主の父は、やはり妻を迎えるのか?」

明人はふらふらと戸を開けながら、二人に部屋の中を示した。二人は急いで明人に付いて部屋へ入って来る。明人は言った。

「オレがもらうことになっちまった。」

「ええ!?」

二人は大きな声で叫んだ。明人は椅子に座った。

「王は親父が困ってるのを知って、なら迎えなくていいって言ったんだ。だが、親父は王が困ってるのを見て、自分から願い出ようとした。だから、オレが思わず自分がもらうって言っちまった。で、決まった。」

慎吾と嘉韻は顔を見合わせた。

「…しかし、主、本当にそれでいいのか?顔も知らぬ上、もちろんのことどんな女かも分からぬのだぞ。そりゃあ王族であるから、柄は悪くないであろうが。」

慎吾は、気遣わしげに言う。嘉韻も頷いた。

「わざわざ己から苦労をかって出ぬでもよかったものを。主はどこまで人が良いのよ。」

明人はうんざりしたかのように頷いた。

「わかってらぁ。もういいんだよ。これで丸く収まるんだからよ。この話はもうやめだ、やめ!」

明人はパパッと着物を着換えると、持ちこんでいたテレビゲームのコントローラーを出して来た。

「さ、やろうぜ、この前の続き。もうオレ、相手が来るまではこのことは忘れてるって決めたんでぇ。」

慎吾と嘉韻はおずおずとコントローラーを手にした。そして、その夜は徹夜でゲームに没頭したのだった。

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