婚姻
居間へ入ると、維心がすぐに維月に手を差し出した。維月は微笑んでその手を取った。維心は、維月をそのまま引き寄せて、自分の腕の中に抱き寄せ、再び自分の椅子に並んで座った。
李関も、ためらいがちに手を差し出す。涼はすぐにその手を取って、李関の横に座った。
維心は言った。
「それで…主らはどうするつもりであるのか。」と維心は涼を見て言った。「涼は答えが出ないと蒼から聞いておるがの。ならば我からも李関に、あの宮の姫を勧めるつもりでおるゆえ。」
李関は横で体を緊張させた。維心から命じられたら、絶対に断れないからだ。涼が、維心を見て言った。
「私は、李関の妻になりたいと思っております。」李関が驚いて、涼の方を見た。涼も李関を見る。「李関、いろいろ無理を言ってごめんなさい。私…頑張るわ。李関も、私と一緒に頑張ってくれる?」
李関はホッとしたように微笑んだ。
「もちろんだ。これからは共に、何が起こっても諦めずに話し合って、生きようぞ。」
涼は嬉しそうに微笑んだ。
「李関…こんなに長い間、待ってくれてありがとう。私はきっと、いい妻になるように努力するから。」
李関は頷いた。
「我もよ。主が心安くあるよう、我も尽力するゆえに。」
涼は、李関に抱きついた。李関は維心の前であったので驚いてどうしようかと維心のほうを見たが、維心はそれに気付くとわざと維月を抱き締め、唇を寄せた。李関はそれを見てさらに驚いたが、きっと王は気を使って下さったのだろうと思って、自分も涼を抱き締めた。口付けるのは、後にしようとその時は我慢したのだった。
「なぜに主は我慢が出来ぬ。」慎吾が言った。「良いではないか、女の一人や二人。人であるのだからの、どう転んでも我らには嫁ぎようはないのであるから。」
嘉韻は憮然として言った。
「それでも、あれほど回りを囲まれたら鬱陶しくてならぬ。我はただ、ポン酢が何か知るために来たというのに。女に囲まれてベタベタとまとわりつかれるためではないわ。」
明人はため息を付いて、横を飛んでいた。鯉こくや鯛やヒラメの刺身、ついでに人の世の酒を堪能したところまではよかったのだが、人の世の酒をいたく気に入った嘉韻に、慎吾が別の場所をと連れて行った場所が悪かったのだ…確かに酒はうまかったが、三人の回りにたくさんの女が群がって大変だったのだ。特に、金髪の嘉韻は大変だった。元々あまり女自体を好きでない嘉韻にとって、耐えられないことであったのだろう。いきなり席を立ったかと思うと、ツカツカと出て行ってしまったのだ。仕方なく慎吾が勘定を済ませ、明人と二人で後を追って来たという訳だ。
「…まあなあ、わからんこともないけどよ。」と明人が言った。「嘉韻、あちこち触られまくってたじゃねぇか。オレと慎吾は黒髪だし珍しくもないみたいだったけどよ、嘉韻の金髪なんかめちゃくちゃ触ってたぜ?」
慎吾は渋々頷いた。
「まあの、我もやたら腕やら胸やら撫で回されるので、鬱陶しかったがの。最近の人の世のことを聞こうと思うておったゆえ…しかし、人の女はあれほど寄って来るものであったか?我の記憶ではああではないの。」
明人は苦笑した。
「行った時間と場所が悪かったんじゃねぇのか?みんな酔ってたじゃねぇか。ま、オレもしばらくはごめんだな。酒も食い物もうまかったが、あれじゃあ寛げねぇよ。」
嘉韻が大真面目に頷いた。
「酒は取り寄せようぞ。もうあのような場は我もごめんよ。」と遠い目になった。「それにしても、女とは、皆こんな風であるのかのう…。」
慎吾と明人は顔を見合わせた。マズい。ますます嘉韻が縁遠くなるではないか。嘉韻の場合、母上があれほどに美女であるから、顔立ちも端正だし、父が次席軍神で気も強いし、人の世でも神の世でも引く手数多なのに、もったいない。
そんな二人の気持ちなど知らずに、嘉韻はただうんざりとした面持ちで月の宮へと飛んでいた。
夜遅くに帰ったにも関わらず、宿舎の電気は煌々と着いていた。不思議に思って宿舎の談話室を覗いてみると、皆が集まって酒盛りをしていた。こんなことはついぞないのに。三人が呆然としていると、同じ連隊の三人目の小隊長、序列21位の光明が寄って来た。
「なんだ、今頃帰って来たのか?明人、まあこっちへ来て飲め。」
明人は光明に腕を引っ張られた。ぐいぐいと引っ張って行かれながら、二人を振り返ると、二人は付いて来る。三人は示された席へ座った。
「今日は祝いなのだ。だから、宮から酒が出たのだ。」
三人は顔を見合わせた。
「何の祝いぞ。」
嘉韻は怪訝そうな顔で聞く。光明は言った。
「李関殿が結婚なさったのです。」
三人は思わず立ち上がって叫んだ。
「ええ!!」
その声に、光明も回りの軍神達も驚いて一瞬黙ったが、またざわざわと話し始めた。明人は小声で言った。
「…あの、誰よりも女嫌いで有名だった李関殿が、一体誰と?」
光明は頷いた。
「王の妹君の涼様と。学校の先生ではないか。主、担任であったのだろう?」
明人は考えた。確かに、最初親父とここへ来た時から、飲みに行くような仲なのだとは知っていた。だが、まさか結婚など。李関殿は、涼先生ともそんなに接していなかったように見えた。
「そうか…まさかそのようなことがあろうとは。確かに筆頭軍神がいつまでも独り身な訳にも行かぬのだろうが。」
光明はこれまでこの席でいろいろな情報を仕入れたようで、ふふんと笑った。
「それがの、慎吾。李関殿はずっと涼様を想っていらしたそうであるぞ。涼様が元、人であったゆえ、がっちり結界を張って誰も寄せ付けぬようにしておられたらしい。人は一人に付き一人しか娶らぬのであろう?それで、必死に他の女からガードしていたらしいのだ。そしてやっと婚姻が成ったという訳よ。めでたいであろうが?」
慎吾は驚いて光明を見た。
「まさか、そんなことだったとは…。」
嘉韻は黙っている。何かを考えているようだ。明人が言った。
「確かにめでたいな。そんな思いが成就したってのが羨ましい。オレなんて願いを成就させようにも、願う女ってのが居ねぇからよ…毎日誰かが部屋に入って来ないかビクビクしてらぁ。」
光明は笑った。
「違いない。我だってそうよ。」と何かに気付いた顔をした。「そう言えば主ら、もう王に帰還のご報告はしたのか?」
慎吾はハッとして立ち上がった。
「忘れておった!」と嘉韻と明人をせっついた。「早よう参ろうぞ!」
三人は慌てて、王に会いに宮へと走った。
接見の間に入って頭を下げて待って居ると、蒼が入って来て玉座に座った。夜遅かったが、眠ってはいなかったようだ。そして三人の顔を見ると、ホッとしたように言った。
「表を上げよ。」三人が顔を上げる。蒼は満足げに頷いた。「元気そうだな。無事戻ってよかった。まあ、主らが何かあることはないであろうがの。」
嘉韻が言った。
「ご心配をお掛けいたしました。」
蒼は頷いて、しばらく黙っていたが、三人をじっと見ていて、ハッとしたような顔をした。三人は何事だろうと蒼を見守っている。蒼は言った。
「…主ら、まだ身を固めるつもりはないか?」と嘉韻を見た。「主、どうであるか。」
嘉韻は慌てたように頭を下げると、言った。
「まだ、そのようなつもりは全くございませぬ。」
明人達も同様に頭を下げた。なんだってこんな話になるんだ。
蒼はため息を付いた。
「やはりの…では、信明しかあるまいな。」
明人は慌てて顔を上げた。親父?!
「父が…何か?」
蒼はまた息を付いた。
「近隣の土地神がおるであろう?ここより西の位置にある宮の漠より願いがあっての。娘の嫁入り先にぜひ我が宮の者をとのことで…しかし、李関は涼と婚姻を済ませたばかり、長賀はこれ以上要らぬと申すし、他の軍神の将達も二人以上妻が居って…一人というと、信明しか居らぬ。後は独身の主ら。話はしたが、信明も渋っておっての…だが、オレが困っておるのを見ておって、誰も居らぬならと言ってくれておったのだ。」
嘉韻は蒼をじっと見ていた。他の宮の王なら、命じてしまうだろう。我が王は、無理強いはしない。あくまでこちらの意思を尊重してくれる…。
一方明人は、深刻だった。おふくろがきっと、えらいことになるような気がする。おふくろは龍だが、人の世で人だと思って育っていた。そんな何人も嫁もらって平気なはずはない。きっと親父もわかってるから、今まで一人しか居なかったんだと思う…。
明人の表情を見て、蒼は言った。
「明人?」
明人は顔を上げた。
「いえ…御前、失礼してもよろしいでしょうか。」
蒼は頷いた。
「下がるがよい。」
三人は逃げるように蒼の前を辞して、部屋へ転がり込んだ。
明人は、慌てて酒臭くなった着物を脱ぎ捨てると、新しい着物に袖を通して最近帰っていなかった家へと急いだ。父の気は宿舎にはない。恐らく、屋敷へ帰っている。
「親父!」
夜中にも関わらず、明人は家の戸を激しく開けて入った。居間で一人座っていた父が顔を上げる。
「…何でぇ明人、夜遊びしてたんじゃねぇのか。」
明人は言った。
「だから今帰って来たんだよ。親父、王から聞いた。あの、嫁の話…。」
信明はため息を付いた。
「そうか。やはり王はオレにってか?」
「まずオレ達にどうかって言われたんだが」明人は答えた。「断ったら、じゃあ親父しかないな、と。」
信明は頷いた。
「…まあな、次席でまだ400歳にもならねぇオレが、嫁が一人しかいないのが無理な話だったんだ。李関殿は結婚したばかりだし、そりゃオレしかないわな。」
明人は父の落ち着いた様子に戸惑った。
「…でも、おふくろは?話したのか。」
「話したからここにいないんでぇ。」父は言った。「王の命には従わねばならん。だからオレになんか言う訳にもいかねぇから、部屋にこもってやがるよ。ま、人の世で育ったんだし、こうなることはわかってた。だからオレだって他は断ってたんだしな。」
明人は気遣わしげに、父と母の部屋の方を見た。おふくろ、出て行く訳にもいかねぇし、どうするんだろう…。
父は続けた。
「屋敷はでかくなる。二人の妻が住める大きさに変わるんでぇ。だからって母さんの気持ちは変わらねぇだろうがな。オレも相手が小さな宮とはいえ王族だから、正妻にしなきゃならねぇ…母さんはますます辛くなる。困ったもんだ。」
おふくろは、月の宮へ来て楽しそうだったのに。やはりここも、神の世には変わりなくて…人の世ではあり得ない事が起こってしまう。明人は、父達の部屋へ足を向けた。
「ちょっとオレ、話して来るよ。」
父は小さく頷いた。明人はそれを見て、部屋に向かった。
「おふくろ?入るぞ。」
戸を開けると、明かりのついていない部屋で、母は一人泣いていた。明人は歩み寄った。
「おふくろ…こんな事になっちまって。」
母は顔を上げた。
「…こんな事、あるだろうって思ってはいたの。父さんの宿舎は驚くほど広いし、何人でも一緒に住めるような感じで…きっと、数人の妻が居る想定でああなんだろうなって。他の力のある軍神達は皆妻が多いし、父さんだけが一人きりだったから…でも、こんなに早くこうなるなんて。しかも王族なのよ。父さんにとっては名誉な事で、宮でも羨まれるほどだと聞いたわ。」
明人はため息を付いた。確かにそうだ。王族をもらえる軍神なんてそうは居ない。他の将の妻達も、たいがい一般の神だった。
「まだ王は決められた訳じゃねぇ。あくまで蒼様はこちらの意思を聞いてくれるんだ。」
母はキッと顔を上げた。
「でも、父さんは受けるつもりよ?王が困っていらっしゃるからと…私達は王に受け入れてもらえなかったら、龍の宮へ戻るしかなかったのだからと。」母は涙を流した。「でも、私には無理なの。わかってるけど、まだ納得出来ないの…誰かの下になってしまうなんて、思ってもみなかった…。」
明人は、かける言葉に困った。人の世から神の世へ移るとは、なんて大変なんだろう。まして女の立場が決定的に下の神の世で、女は本当に大変なのだ。きっと杏樹も、こんな風に何かと戦っているのだろう…。そして嘉韻を選んで、拒絶されて…。
「おふくろ…。」
明人は、自分に何か出来ないかと考えた。だが、人の世と同じように、神の世でもその理に逆らう事など、王でもない自分には無理な話だった。
明人はソッと部屋を出た。父が立ち上がって戸口に居る。
「親父?宿舎へ帰るのか。」
信明は頷いた。
「ここに居ても、やるこたぁねぇ。あっちで李関殿を祝うさ。お前はどうする?」
明人は迷ったが、自分も父に並んだ。
「オレも帰る。何も出来そうにないしな。」
二人は、宿舎へと並んで飛び立った。




