玲
玲は、宮の重苦しい雰囲気を感じていた。
軍は、極力一般の神達に不安を与えないようにと軍以外には有事のことを話さない。玲はまだ一般人扱いであったので、詳しいことは何もわからなかった。
だからと言って、あの慌ただしい軍宿舎へ行っても、明人達には詳しい話を聞くことも出来ないだろうと分かっていた。なので、まだ自分には許されていない宿舎の中を伺って、皆がどう過ごしているかを見ていた。
最近の軍神達は、皆甲冑のまま寝ているようだ。それはつまり、いつ出撃命令が出てもいいようにということだろう。なので玲も、眠らないようにした。内定されてから甲冑は玲の手元にも届いていたが、まだ軍は正式に玲を配属してくれない。早くしないと、自分は入隊を許される予定なのに、これではこの戦に出ることが出来ないではないか。
玲は毎日、じっと宿舎のほうを伺っていた。
そんなことも数日、ついうたた寝してしまった玲の耳に、宿舎からけたたましい警報が聞こえて来た。何事かと飛び起きて宿舎の方を見ると、宿舎から次々と軍神達が飛び出して行く。玲は咄嗟に悟った…出撃命令が下ったのだ!
玲は慌てて甲冑を見に付けた。真新しいそれは、明人や慎吾や嘉韻に比べると質素なものだったが、それでも玲は嬉しかった。身につけるのに少しもたついてコロシアムに急ぐと、もう軍神達は飛び立って行くところだった。玲は気付かれないように顔を伏せて最後尾に付いて飛び、軍に付いて鳥の宮に到着した。
…謀反を起こしたのは、鳥だったのか。
玲はそこでやっと事態を飲み込んだ。李関の念が飛んで来る。
《龍王妃が捕えられておるので、これより個々に軍を殲滅して行く。龍王の下知に従う。》
玲は緊張した。ではきっと、父上もあの龍軍の中にいらっしゃる。どの辺りなのか…。
そんなことを考えていると、龍王の声が響き渡り、感じたこともないようなものすごい闘気が湧きあがる中、龍軍が一斉に鳥の宮へ向けて降り始めた。玲がどうしたらいいのか回りをきょろきょろ見回していると、また李関の念が早口に聞こえた。
《第一師団正面、第二師団西、残りは月に付いて東へ行け!》と李関自身は正面へと向かった。《行け!》
玲は困った。自分はどこへ付いて行けばいいのだろう。しかし月の宮の軍は、一斉に龍軍を追って三つに分かれて降下して行く。玲は迷っている暇はないと思い、すぐ前の軍神について必死に飛んで付いて行った。
前の軍神が行った先は、東だった。
東は鳥の軍神の数も少なく、鳥の宮でも居住区になっている場所らしかった。守りはだいたい王の居る場所に集中して集められることが多い。なのでほとんどの軍神が、中央を奥に向かっての筋に配置されているようだった。
それでも、先頭を行く龍の将に向かって来る軍神の数は、尋常ではなかった。なのにその将は、事もなげに一太刀で一人一人簡単に散らせて行く。遠目に、あれは将維なのだと玲は思った。皇子は、やはり実戦でもあれほど滑らかに動けるのだ。
将維に気を取られていた玲は、自分にも向かって来る軍神に気付いて慌てて構えた。玲は一人以上の数を一度に相手をしたことはない。それでも、冷静にその太刀を受け、裁いた。立ち合いの技術だけは、気の弱さを補えるように必死に磨いて来た。手数は掛かるが、玲でも相手を倒すことは出来た。
玲がホッとしていると、相手は次々に向かって来る。目の前の月の宮の軍神が、太刀を受けて下へと落ちて行った。それを見て、玲は急に身震いし始めた…これは実戦。負けたら、それは死なのだ。
十六夜は将維からかなり遅れた後方を、敵を封じながら進んでいた。封じるのは、刀で斬り付けるより時間が掛かる。簡単には行かないのだ。
しかし十六夜には、神を殺すことが出来なかった。敵とはいえ、自分に直接仇成した訳ではない軍神を、敵の種族だからと簡単に殺すことがどうしても出来ない。月の光を降らせ、封じて、その繰り返しだった。
回りの囲みをそれで事もなげに封じた十六夜は、ふと顔を上げた。遥か後ろに遅れた軍神が、鳥の軍神数人に囲まれている。見たところ、かなり下の兵らしかった。気がとても弱い。ちらりと見えた甲冑が、月の宮の青銀の物だと分かった時、十六夜はすぐにそちらへ飛んだ。月の宮の軍神は、まだひよっこばかりなのに!
鳥の囲みで中が見えない状態だったが、十六夜は回りの鳥を一気に封じた。
突然のことに驚愕の表情を浮かべた鳥達は、一斉に下へ落ちて行く。中からは、やはり月の宮の甲冑を身に付けた、まだ若い龍が、肩で息をしながらあちこちに傷を作って浮いていた。十六夜は、その龍に見覚えがあった。
「お前…玲じゃねぇか!なんでお前がここに居るんでぇ!」
この龍は、5年以上も士官学校を出してもらえなかったほど、軍神には向かないと判断されていたものだった。しかし真面目に毎日訓練場へ出て、必死に頑張った結果、技術だけは誰よりも向上したと聞いた…それで、蒼がそれほどならばと宮の守りに限定させて、軍神にしてやるようにと命を出したのだ。
軍は渋ったが、宮の中だけならばと入隊を承諾したと言っていた。それが、なぜこんな戦場へ来ているのだ。
「我は、入隊を許されていました。でも、この有事で告示が遅れているだけだったのです。なので、出撃命令に、必死に後を追って来ました。」
十六夜は険しい顔をした。
「宮の守りを命じられた隊もあった。お前は、どの隊に入隊予定だったんだ。」
玲は下を向いた。
「第三師団第二連隊第三分隊です。」
十六夜は玲を睨んだ。
「…その隊は宮の守りを命じられている。お前はどっちにしろ命令違反だ。帰ったら、処分は覚悟しろ。」
玲は唇を噛んだ。明人も慎吾も嘉韻も戦っているのに。なぜ、我だけ宮の守りなど…。
十六夜は回りを見回した。ここはかなり後方で敵も味方も軍神はもはや少ない。将維はもはや宮へと到達し、中の鳥を殲滅に掛かっているのが見える。玲を連れて行く訳にも行かないが、一人で中央後方の補佐隊の所へまで行かせられない…鳥に出逢えば、一発で仕留められるからだ。しかし、自分も守っている軍神達がまだ前方にいる。戻る訳には行かない。十六夜は仕方なく言った。
「…仕方ねぇ。オレの後ろにぴったりついてろ。言っとくがここは戦場だ…ままごと遊びじゃねぇんだよ。斬られたら死ぬ。それを肝に銘じて付いて来い。」
玲は頷いて、十六夜に付いて飛んだ。よかった、まだ戦える!
…しかし、実際はそんなに甘いものではなかった。
斬り込んで来る敵は容赦なく、十六夜が居なければ何度死んでいたかわからないほど多くの敵に囲まれた。技術だけは磨いて来たものの、前線に近付くほど敵の将の気の力は強くなり、己に小さく結界のようなものも張っているので、ただ斬ったぐらいでは傷も付かなかった。
十六夜は軽く手を上げるだけで、神を封じることが出来る。ゆえに、相手を殺すこともなく戦闘不能にして下へ落として行くことが出来た。
やはり、月の力は並のものではなかった。十六夜がどんどんと前に進んで行くのに、やっと付いて行っていた玲は、ふと聞きなれた声を耳にした。
「…月であらせられるか?我は龍軍中央に居た修と申す者、以下部下でございまする。命により、こちらの援護に参りました。」
十六夜は頷いた。
「こっちも粗方片付いた。指示は将維から受けてくれ。」
修は言った。
「将維様より、こちらの様子を見て来るように言われて参りました。後方はもう、終わったということでしょうか?」
十六夜は回りを見た。
「…いや、まだ数人潜んでやがるな。じゃあ、手分けして残ってるヤツを片付けちまおう。」
修は頭を下げて、部下に合図した。部下達は頭を下げると、ちりじりに散って、気を探って足元の崩れた宮の破片の間を飛び回っている。玲は言った。
「我も、それぐらいであればお手伝いできるかと思いまする。潜んでおるものを探しまするゆえ。」
十六夜は厳しくたしなめた。
「駄目だ!潜んでいるのは、オレや龍の軍神達に太刀打ち出来ないからだ。オレから離れて一人になったら、お前なんか一発でアウトだぞ。おとなしくしてろ。」
修はびっくりしたように、玲を見た。
「主…玲か。」
玲は頷いた。
「はい、父上。」
修は複雑な表情をしたが、眉を寄せて十六夜を見た。
「月の宮では、このような気の弱いものまで前線に送るのですか?」
十六夜は首を振った。
「そんはずはねぇだろうが。お前の息子か?オレだって迷惑してるんだ。勝手について来やがって、オレが見つけなきゃ死んでただろうよ。一人で帰す訳にも行かねぇから、こうして連れて歩いてるんでぇ。事情は知らねぇが、もっとしっかり教育しな。命が掛かってんだからな。オレは命を粗末にする奴は嫌いなんでぇ。」
修は黙って玲を見た。玲は思っていた…確かに、気は弱いかもしれない。でも、我も軍神を何人か倒した…全く役に立たない訳じゃない。
「しかし、我は何人か軍神を倒しましてございます。入隊を許されていたのです…まだ告示されてはおりませんでしたが。」
修は無表情に言った。
「何人か倒した?それが何であるのだ。己で己の道を開いて来たのではあるまい。月が居らねば、とうに死んでおったであろう。その程度で軍神などと言うのではない。主のは、それはただの遊戯よ。務めを果たしておるのではない。」
玲は、言い返そうとして、そして黙った。父の言っていることは、間違っていなかったからだ。
「我は…」玲はぶるぶると震えながら言った。「我だって、父上のように軍神になれる気があったなら!我は好きでこのように生まれついたのではありませぬ!」
玲は、鳥達が退いたその空を、東に向かって飛んだ。
「あ、こら!!戻れ、玲!」十六夜が叫んで追う。「まだ潜んでいるヤツが居るって言っただろうが!」
修も急いで後を追った。玲が…まさかそのように思っておったとは…。目の前を、赤い閃光が走った。
「玲!」
十六夜が叫ぶ。玲が身を丸めて地上へ落ちるのを、修はまるで違うものを見るかのような気持ちで見ていた。十六夜が尚も止めを刺そうとしている鳥に向かって、気を発した。その鳥は大きく吹き飛ばされて、修がそれを刀で斬り捨てた。
「玲!」十六夜が玲を抱き上げている。「駄目だ…出血が止まらねぇ…」
修は傍に駆け寄って玲を見た。玲は脇腹を気で貫かれ、息を荒くして冷や汗をかき、青い顔をしていた。
「軍医の所へ連れて参る。」
修が言うと、十六夜が立ち上がった。
「いや、オレが行く。オレのほうが早い。お前はここで務めを果たせ。」
十六夜はキッと空を見上げると、物凄いスピードで中央後方にある補佐隊の天幕へ向かった。




