魅子
またまた別視点!
「もう!まじ最悪なんだけど!」
明後日まである修学旅行が急遽中止になってしまった。
なってしまった!!!
泊まる場所や旅行先の主要施設が同時に全て炎上、廃墟化したらしい。これには引率教員も続けられないと判断したようで、全員、帰宅することになった。
せっかくの修学旅行が、たった数日で終わるとか信じられない。しかも理由が「施設が燃えた」とか、どういうこと?保険とか大丈夫なの?先生たちも顔面蒼白だったし、完全に想定外の事態だったみたい。
まっ当たり前か。
バスで学校に戻らされて、そこから各自解散。私は荷物を抱えて、とぼとぼと家に向かった。
「兄貴、今頃どうしてるかな……」
両手骨折したって、兄貴の親友の大作さんから連絡が来てた。心配だし、早く帰って様子を見てあげなきゃ。
アパートの前に着いて、鍵を開ける。
「ただいま〜。兄貴骨折したって聞いたけど元気?」
ドアを開けた瞬間、思わず足が止まった。
兄貴が布団の上に座っていて、両手にギプス。そして兄貴に今にも詰め寄ろうとする後輩の火花と礼が制服のままいる。
「「え?魅子先輩?」」
二人の声が重なった。その後、兄貴も驚き言う。
「え?ミコちゃん?」
……は?
何この状況。
兄貴に久しぶりに昔の呼び方で呼ばれ、ほっぺが緩んで兄貴を見つめた。
それから私はゆっくりとバッグを下ろして、部屋に上がった。兄貴の手を見てから、二人に向き直る。
「火花、礼。あんたら何やってんの?」
その後は火花達に先輩としておこったり、火花達を庇おうとする舐めた考えを持った兄貴を怒鳴ったりして、後輩二人を家へ帰してやった。
なんて思慮深くて優しい先輩で妹なんだ私は。
そうして、私は改めて言った。
「ただいま、兄貴」
「うん。改めてお帰り」
兄貴が優しく私に告げると私は密着して兄貴の隣に座った。
「魅子?」
「さっきみたいに呼んでくれないの?」
普段は兄貴は学業やバイトで忙しいみたいで甘えられなかったから"今"甘えることにした。兄貴は私から予想だにしないことを言われて明らか動揺しているようだ。
「ミ……ミコちゃん?」
小さく、おずおずと呼び直してくれた。久しぶりに聞くその呼び方に、胸の奥がくすぐったくなって、つい笑顔がこぼれる。
「うん。やっぱりその呼び方、好き。私も呼び方戻していい?」
兄貴はまた、動揺した。少し困っているみたいだ。だってしょうがないじゃん?やっと私、最近兄貴に素直になれるようになって来たんだもん。
「戻すって?どういうことだい?」
「前みたいにおにいちゃんって呼びたいな」
お兄ちゃんは明らかに固まった。照れながら頭を掻く。
「……まじ?」
「だめ?昔は呼んでたじゃん。小学校の頃とか」
「それは子供の頃だろ。今さら……」
「今さら、がいいの。やっと最近、私、兄貴に素直になれるようになってきたんだから。修学旅行潰れて落ち込んでるし、両手骨折した兄貴が心配だし……甘えたいの」
私はそう言いながら、もっと密着した。肩が触れる距離。お兄ちゃんの体温が少し伝わってくる。普段は学業やバイトで忙しくて、こんな風に寄りかかる暇もなかった。だから、今くらいいいよね?
お兄ちゃんは深く息を吐いて、天井を見上げた。困った顔をしている。いつもの「どうしようもないな」という表情だ。
「……わかったよ。特別だぞ」
「え、いいの?」
「いいも何も、お前がそこまで言うなら。ただし、外では禁止な。恥ずかしいだろ」
「うん!約束」
私は満足して、兄貴の腕に抱きついた。
「あだだだ」
やばっ。骨折してる手に当たってしまった。
「ごめん。お兄ちゃん……」
慌てて体を離す。お兄ちゃんは顔をしかめながらも、ギプスの手をゆっくりと下ろした。痛そうだけど、怒ってはいない。
「……気をつけろよ。折れてるんだから」
「うん、気をつける。本当にごめん」
私は小さくなって謝った。せっかくの甘えモードが、一瞬でしぼんでしまった。
お兄ちゃんは息を整えてから、視線を逸らした。
「……もういい。今日はもう寝な。疲れてるだろ」
「お兄ちゃんこそ。このままじゃお風呂も入れないでしょ?」
「……まあ、な。両手だとどうしようもない」
「じゃあ、私が入れてあげる!」
「は?」
お兄ちゃんの目が点になった。私は立ち上がって、浴室の方を指差す。
「手、使えないんでしょ。背中も洗えないし、髪も無理でしょ。私が手伝えばいいだけの話」
「いや、さすがにそれは……」
「何が?家族なんだから。昔、熱出したときとか、逆にやってもらってたじゃん」
「子供の頃の話だろ……」
「今は手が折れてる特別な状況。文句言わない」
私は有無を言わさずタオルと着替えを用意した。お兄ちゃんは何度か拒否しようとしたけど、ギプスの両手を見下ろして、結局諦めたように肩を落とした。
「……わかった。ただし、変なことするなよ」
「す、するわけないでしょ。家族なんだからただ洗うだけ」
浴室に移動して、お湯を張る。お兄ちゃんはシャツを脱ぐのも一苦労だった。私が袖を持って引っ張り、なんとか上半身を露出させる。そして、お互い裸になった。
露出したお兄ちゃんの体は"傷"だらけだった。
あちこちに裂傷の痕、ひどい火傷痕。普通の人では見るに耐えないだろう。これはお兄ちゃん全ての不幸によるものじゃない。"私の不幸も被っているからだ"。
シャンプーを持ったまま、背中に残る古い火傷の跡を見つめる。小学生の頃、私が火事に巻き込まれそうになったとき、お兄ちゃんが庇って負ったものだ。腕にある裂傷は、中学生のときに私が階段から落ちそうになったのを支えてくれた痕。背中の大きな古い傷は母親……だった人から私を守ろうとした時にできた傷痕。他にも、いくつもいくつも。
私のお兄ちゃんは偉大な人なのだ。
私が傷つきそうになると、先に動いて、先に傷を負って。不幸体質のお兄ちゃんは、自分の不運だけじゃなく、私の分まで引き受けてきた。
私は黙って髪を洗い始めた。優しく、丁寧に。力を入れすぎないように。背中の傷に触れないよう、スポンジを滑らせる。お湯をかけて流すとき、お兄ちゃんが小さく息を吐いた。
「……痛む?」
「大丈夫。慣れてる」
「慣れててほしくないな」
「今更だろ」
私は胸が苦しくなった。でも、今ここで泣いたらお兄ちゃんが困る。だから、黙って体を流し続けた。
洗い終わって、タオルで優しく拭く。傷の上を通るとき、指先が少し震えた。着替えを手伝って、ボタンを留め、ギプスの隙間に水が入っていないか確認する。
リビングに戻ると、お兄ちゃんは布団に座って、深く息を吐いた。
「助かった」
「……当然でしょ」
私はお茶を淹れて、お兄ちゃんの分を口元に近づけた。
「はい」
「ありがとう、ミコちゃん」
その呼び方が、今日は特に優しく聞こえた。
私は自分の湯呑みを両手で包みながら、お兄ちゃんの傷だらけの体を思い出す。
修学旅行は潰れた。
でも、家に帰ってきて、お兄ちゃんが無事で、久しぶりに甘えられて、お風呂まで入れて。
そして、また「私の分まで」傷を負っていることを再確認した。
……お兄ちゃん。
本当に、ありがとう。
私は小さく、心の中でそう呟いた。
でもデレデレな妹大好き




