第18話 救出作戦
イルムガード共和国軍における最高位職、司令長官の公邸は、首都メルテシティ郊外の高台に建っていた。
邸宅の周りはぐるりと高い塀で囲まれていて、正門と裏の通用門にはそれぞれ守衛が二名一組で常駐している。
1階には警備員室があると司令官から聞いている。守衛の他にも警備の人間は何人かいるはずだ。
夜の闇の中、スノウはシュウと共に、邸宅の裏手にある通用門近くの物陰に潜んでいた。
スノウが目で合図を送ると、シュウは無言で腰袋から灰色の丸い団子状の物体を取り出した。
ピンポン玉くらいのその物体には導火線が繋がっていて、ライターで火を付けるとジジジと燃え上がった。
シュウは火の付いたそれを持って塀に近付くと、大きく振りかぶってそびえ立つ塀の向こうに投げ込む。
高い塀に阻まれてここからでは確認できないが、投げ込んだ物体は勢い良く煙を吐き出しているはずだ。
この煙を吸い込むと、激しい頭痛に見舞われ意識を失う。いつぞや共和国軍の憲兵に逮捕され、移送されている途中にスノウ自身も吸い込んだ煙だ。
無味無臭で色もない為、防ぐのはかなり難しい。だが一時的に失神するだけで、そのほか人体に害は無いという。
これを作った男の名はセグレトという。スノウと同じ殺し屋の仲間の一人だ。
「……なんだかんだ役に立ってるね。セグレトの発明品」
再び物陰に隠れたシュウが呟く。
「仲間を実験台にする癖さえなかったら、まあまあ使える奴なんだがな……」
ため息混じりに返すと、シュウが苦笑いを浮かべた。
「ま、頭のイカれた奴であることには変わりないけどね~」
言いながら、シュウは取り出した防塵マスクを付ける。
「まったくだな……」
スノウも同じようにマスクを付けると、更にネックウォーマーを口元に引き上げその上に被せた。
「この上に付けるの?」
シュウが怪訝な表情で言った。
「白いマスクじゃ目立つだろう」
「二重に付けたら苦しくない?」
「別に。俺は動くには支障ない。キツいんだったら付けなくてもいいぞ」
「も、もちろん付けるよ! 聞いてみただけ」
誘導尋問じみたことを言ってしまったが、シュウには効果があったようで、いそいそとマスクの上に黒いネックウォーマーを重ねている。
人相を隠す用途もあり、スノウは暗殺などの任務中はいつもこのネックウォーマーを付けている。今回はたまたま防塵マスクと二重で使用することになり、多少呼吸はし辛いだろうが、それで運動能力が制限されるとは思わなかった。
「さて、そろそろ行くか」
スノウは立ち上がると、塀の下まで近付いて立ち止まった。それから塀に背を向ける形でくるりと向きを変える。
上に向けた両手の平を身体の中心で重ね、中腰になって身構えた。
シュウは先程の場所から動かずに、肩や腕を回して身体をほぐすと、こちらに向かって手を振った。
「それじゃあ行くよ~」
少し体を屈めてからシュウが駆け出す。
シュウは見た目こそ細身だが、身体能力が高い。瞬時にトップスピードに達すると、スノウの目前まで一足飛びで近付き、スノウの重ねた手の上に片足を掛ける。次の瞬間、スノウは息を止め、全身に力を込めた。
「──ぐッ!!」
助走によるスピードとシュウ自身の体重が両腕にのしかかる。スノウはそれに耐え、シュウを後方に放り投げた。
公邸の塀はコンクリート製で、登って超えられないことはないが、無闇に触れるのはセンサーなどに察知される可能性があるので、避けたほうがいいだろう。
だったら塀に一切触れることなく飛び越えればいい。飛び越えるには少々高いが、スノウの補助とシュウの身体能力があれば、超えられない高さではない。
「よっとッ!」
シュウは見事な身のこなしで塀の向こうに消えた。
着地の音は聞こえたが、それ以外の音はしない。
どうやら成功したようだ。あとはシュウが内側から通用門の鍵を開ける算段になっている。
スノウは周りを警戒しながら素早く通用門に近付く。
ガチャっと音がして鋼鉄製の扉が開いた。
「マジですごいよ、セグレトの奴」
門扉から顔をのぞかせたシュウが唐突に言った。
スノウが眉を寄せると、生意気な少年は顎をしゃくる。
示した先には警備員らしき男がうつ伏せに倒れたまま動かなくなっていた。
門の近くに一人と、少し離れた所にもう一人。もう一人の警備員も同じ様に倒れて動かない。
確かに例のガスはこちらの狙い通りの効果を上げている。
「この煙団子があればどこにでも侵入できちゃうんじゃない?」
「安心するのは早いぞ。ここからは時間との勝負だ」
「分かってるよ!」
そう答えると、シュウが敷地内の建物に向かって駆け出した。スノウも後に続く。
ここからは時間との勝負。
センサーを避けることはできたが、監視カメラのすべてを避ける事はできない。
周りが異変に気付く前に目的を果たし、逃走しなければならないのだ。
スノウは音もなく走り抜け、建物の正面に回る。
公邸の正面玄関まで来ると、壁に背中を貼り付け息を潜めた。
正面玄関の脇に警備員用の詰め所があった。玄関とは別に警備員が使う通用口がある。スノウはその通用口のドアを叩いた。ノックのつもりではない。何かがぶつかった様な、不審な音になるように。
ドアの向こうで人が動く音がして、ガチャっとドアが開いた。すかさずシュウが火の付いた煙団子を投げ込む。
「ぐあッ!」とか「何だどうしたッ!?」とか声が聞こえたが、数秒すると静かになった。
物音のしなくなった警備員室の中に入ると、やはりここでも倒れて動かなくなった警備員が3人。
「ヤバい。僕、何か楽しくなって来たかも……」
顔を半分隠すマスクの下で、シュウが小さく笑った。
◆◇◆
母は、父が亡くなってからというもの人が変わってしまった。
私の事も、妹のユリヤの事も分からないようで、毎日飽きもせず窓の外の変わらない景色を眺めては、日に何度も旦那様はいつお帰りかと尋ねて使用人達を困らせた。
日に日に壊れていく母から逃げるように、私は共和国軍に入隊した。帝国との戦いが激化していく中、前線部隊に配属された私は、目まぐるしい日々を過ごした。
だが、それで良いと思っていた。忙しい日々を過ごしていれば、その間は母の事も、置いてきてしまったユリヤの事も忘れることができる。
上流階級の子弟として生きてきた私にとって軍隊での生活は辛いことが多かったが、心許せる仲間もでき、少しずつ慣れてきた頃、私は不思議な夢を見るようになった。
それは、妙に現実的な夢だった。
始めは上官に叱られる夢だったり、物を無くす夢だったり。
変な夢だなと思っていると、夢で見た出来事そのまま同じことが、現実で再現されるのだ。
不思議な事があるものだ。最初はそんなふうに思っていた。
だがしばらくすると、どうにも自分一人では抱えきれない様な夢を見るようになった。
自分の所属部隊が、帝国軍の攻撃を受ける夢。
それは誰も予想していなかった急襲で、その攻撃により共和国軍は大きな損害を出してしまうという夢だった。
まさかこれも、現実になるのだろうか。
上官に報告すべきかどうか迷った。報告したところで笑われるに決まっている。
まあ、でも、笑われてもいいから話してみよう。
ジール中隊長なら、面白がって聞いてくれるかも知れない。
私は信頼していた直属の上官に、酒の肴のつもりで話してみた。
案の定、ジール中隊長は笑って聞いてくれた。
それから数日後、中隊長室に喚び出された。
何か怒られるような事をしただろうか。
そう訝しみながら部屋に入ると、ジール中隊長は少し前のめりになりながら、君のお陰で損害を出さずにすんだと労ってくれた。
どうやら私の話した夢の内容が、現実にも役に立ったらしい。更に中隊長は、他にも同じ様な夢は見ていないかと尋ねてきた。
役に立つのならと、私はその場で覚えている限りに話した。その頃には、あの不思議な夢を毎日のように見ていた。
「その夢をやっさんに見せていたのがユリヤさんだって言うのか!?」
ジェイスは助手席からミラー越しにツルギに尋ねた。
ツルギは車窓から夜の街を眺めながら小さく頷く。
いけ好かない殺し屋の二人は、ヒメルを救出しに司令長官公邸に向かっている。
あの二人がヒメルを連れてこの場所にやって来るのを、今は車の中で待っていた。
運転手のヘルミナは、周辺の警戒をする為、車の外にいる。
待つ間、ジェイスは気になっていた事をツルギに尋ねた。
書斎での作戦会議のあと、ツルギとユリスが二人だけで何を話していたのか、ジェイスは気になっていた。
ガンデルクから帰る際の車中で、ツルギが父親に対してすべて白状させてやると息巻いていたのを覚えているし、これからしばらくこの国を離れなければならないのに、親子の仲が険悪なままでは居た堪れない。
そんな懸念もあって、ジェイスは同席するつもりだったのだが、ツルギたっての希望でその時は仕方なく席を外したのだ。
だがやはり気になって、頃合いを見計らって尋ねたのだ。
「うん。総督はユリスのその夢のお陰で、それからいくつも功績を上げていって、どんどん偉くなっていった。でもユリスが見る夢は、ユリスの周りで起きる事に限定されていたんだよ…」
「じゃあ、やっさんが陸軍部長になれたのは──!」
「ユリスの言う通り、粛清に加担したからっていうのももちろんあるだろうけど…、それ以外にも、軍の中枢においておけば、それに関連した夢を見るだろうって総督が思ったからじゃないかな」
ジェイスは眉間に縦皺を刻んだ。
何だよそれ。
やっさんを英雄とかいう輩が今でもいるのは知っているが、その実態がよくわかんねえ予知夢だって言うのか。
やっさん個人の能力を認めたわけではなく……。
「…おい、ちょっと待てよ。仮にジールのおっさんがそう目論んでたとして、何でその夢を見せてたのがユリヤさんってことになるんだ?」
「ユリヤが死んじゃってから、まったく見なくなったから」
「いや、だからって…──!!」
「あたし思ったんだけど、総督は、前からユリヤが魔女だって気付いてたんじゃないかな」
「はあッ⁉」
ジェイスは思わず助手席から後部座席を振り返った。ツルギは顎に手を当てながら難しい顔をしている。
「ユリスが予知夢を見なくなって、何で見なくなったのか、少なくともその原因を探ろうとすると思うんだよね」
「探ったとしても、それでいきなり『そうか魔女か!』にはいくらジールのおっさんでもならねえだろーがよぉ!」
「うん。ならない」
「ぅおいッ!」
こいつ、ふざけてるのか?
ツルギとの会話はいつもこんな感じだ。いつも振り回される。
「でも、ハインロット一族のことは調べたと思うんだよね……」
ハインロット家は、イルムガード共和国内では少し異質な一族だ。
とにかく古い家で、共和国になる前の旧王国時代から存続する家門である。代々女性が家督を継ぎ、片田舎に広大な土地と古めかしい城を所有している。
ユリヤに保護されていたジェイスも、その城で幼少期を過ごしていた過去がある。
「ハインロット家のことを調べたジール総督はユリヤに行き着いた…。ユリスの特異な能力は、ハインロット家の当主の方が持っているのかも知れない…。でもそれに気付いたその時にはもう、ユリヤは死んだ後だった……」
ジェイスは、ゴクリと喉を鳴らす。
「つまり、ジールのおっさんは……?」
「帝国にいる魔女のためにユリヤのクローンを造ったわけじゃないのかも知れない。それよりも前…。帝国に話を持ち掛けられる前から、ユリヤの特殊な能力を知っていた……」
ジェイスはそれきり、言葉を続けられなかった。