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ポワルドゥルキャロットのカールバーンが来るまでの4日間、僕は徹底的に言葉を習った。いわゆる敬語というやつだ。
使用人頭のマテテショヴによると、僕の言葉は外国人とは思えないくらい上手だそうだけど、やはり敬語を知らないのでは困るということだ。
敬語というのはただ丁寧に話せばいいわけではなく、自分が遜った態度を示すことや相手を立てることを意味するから、円滑な対人関係を築くためには必要なものだと思う。とはいえ、ただ相手を立てればいいわけではない。たとえば日本人は謙遜した態度を美徳とするけれど、欧米では自分の意見はきちんと言った方が良いとされる。
そんな感じで気づいたのは、デュウの村では自分のやりたいことやして欲しい希望を述べる言葉に特徴があって、日本風に言えば「〇〇したいのですが」的な言い方が数種類あるようだ。これは遜りすぎてもないし、我を通す言い方でもなくて素晴らしいと思った。こういう言い回しがあるということは、この民族では相手を慮りつつも自分の意見をきちんと伝えることが大切と考えているのだということがわかる。
おっと、無駄に言語と文化の持論を語りすぎてしまった。
「ポワルドゥルキャロットは元々同じ民族だから、言葉はかなり近い。敬語ができていれば、ちゃんと伝わりますよ」
ということで、デュデュの村の敬語を習う。僕は新しい言語を覚えるのは苦にならないから良いんだけど、ほかにもいろんなことを覚えなければならなかった。
お城での暮らしは、村とは全然違うし、人もたくさんいるし、今まで気楽に過ごしてきたのがうそのように規律正しい団体生活のようだった。日本の小学校を出ている僕としてはそんなに難しくないけれど、ちょっと久しぶりすぎて面食らう。
足を洗う仕事は、どんどんやらせてもらうことにした。
外の門から入ってきて、使用人の扉、主人の扉、お客様の扉があるんだけど、最初の日は使用人の扉のそばにいさせてもらった。
いろんな用事で出入りする使用人たちで、時間のある人に足を洗う実験台になってもらう。
「ここで足を洗う仕事をさせてもらうことになりました。ミツヒコと言います。よろしくお願いします」
挨拶がてら足を洗わせてもらうと、こちらも使用人仲間のことを覚えるし、相手も僕のことを覚えてくれる。
「(((((((っ・ω・)っ係のオンブリカルと言います」
「(((((((っ・ω・)って何ですか?」
「村へ行く時に乗る動物のことです。(((((((っ・ω・)っを世話しているんです」
「あああの(ダチョウの)ことですか。僕もここへ来るときに乗りました。大人しくて賢い動物ですね」
「そうなんです。従順に言うことを聞くし、とても賢いです。それに可愛いでしょう?」
うん、ダチョウ愛にあふれているなあ。
使用人と言っても、デバルド(エプロン)の長さの長い人もちらほらいた。仕事によって長さが違うというし、領主のデュデュは後ろを引きずるくらい長いから、身分を表すものでもあるんだろう。
くるぶしくらいまである人は、話し方もとても上品だった。言葉を覚えている身としては、すごく参考になった。
「ああ、私はあなたに言葉を教えるように言われていますよ」
という教師の足も洗った。彼は本来はこの村の言葉の研究をしている人らしい。
「村に来てから、文字をあまり見かけていないのですが、お城では文字を使うのですか?」
聞いてみると、教師は嬉しそうに話し出した。
「もちろんあります。私は文字を絶やさないことが第一の使命なのです。しかし、文字そして言葉は生き物ですから、どんどん時間の流れによって変化していきます。それを書き留めておかなければ、文字は廃れてしまうでしょう。
ただ、それを記すためには動物の皮がなかなか手に入りません。最近では腐りにくい植物に書き記すこともしていますが、永遠に残すためにはもう少し改良が必要です。古い物では石板に掘られた文字もあるのですよ」
「そうなんですかー。それは興味深いですね」
「あなたに言葉を教えますから、カールバーンが帰って落ち着いたら文字も教えてあげましょう」
「え、良いんですか?」
それはすごく嬉しいぞ。僕は語学の習得が好きなんだ。文字がないと思っていただけに、教えてもらえるとなるとすごく貴重なことだ。
僕が嬉しそうにしているせいか、教師もすごく嬉しそうだった。言葉を教えてもらう前にこうやって会えて、話せてよかったと思う。
使用人のこともわかったし、彼らがどんなことを好むのかも知ることができた。
お湯に関しては「もうちょっとあったかい方が良い」という意見が多かった。
とりあえずおおむね良好で、みんな喜んでくれた。一応、もう少し冷たい水の方が良いという人もいたので、そこらへんはどちらの意見にも応対できるようにしたらいいんじゃないかと思う。
お湯を沸かせる場所も確保したし、布も準備した。
それからなんと、僕のデバルドが新しくなった。お城でもデバルドは基本的に自前なんだけど、僕は今まで畑にいたこともあって、外の作業をする人の長さだから、それではおかしいらしい。それで、使用人頭のマテテショヴが膝丈のデバルドをくれたんだ。これ、誰のだろう。布の貴重なこの村で、デバルドひとつもらうなんて、かなりありがたいことだよね。
「私が仕事を始めたころに使っていたものだよ。古いけれど我慢してくれたまえ」
「そんな大切なものを。ありがとうございます」
古くたって全然気にならない。
ちなみに、サイズも気にならない。僕は少し細身だけど、ピッタリ体に合った服ではなくて、ゆったりとしているエプロンのようなものだから、脇を結んでしまえばサイズはそんなに気にしなくても着られる。
身に着けてみると、デバルドの丈が変わっただけなのに、なんだか身が引き締まるというか、お城勤めらしくしなくちゃなという気持ちになった。
言葉も少し覚えたし、あとはポワルドゥルキャロットのカールバーンが来るのを待つだけだ。
明後日には、お客様の扉が開く。僕はどんな世界を見られるのだろうか。楽しみなような、少し緊張するような気がした。