おやつの時間―ディウルスの場合
「ひどいありさまだな」
祝宴から一週間経った、ある日の昼下がり。アッシュに請われてサロンに来たディウルスの目に映ったのは、死屍累々といった様子の惨事だった。
無言でシュヴァルツヴァルダー・キルシュトルテを食べる死んだ目のルルク、一心不乱にアプリコーゼン・クーヘンを頬張るレキウス、真っ青な顔でシュネーバルを口に詰め込むヴィンダール。全員今日は非番のはずだが、城内にはいたらしい。
彼らの前の長テーブルにはこれでもかと言うほどに山盛りになったお菓子があり、その向こうではリットが底冷えのする嘲笑を浮かべている。この異様な現場にディウルスを案内したアッシュは呆れたようにため息をつき、彼らから少し離れた二人掛けの丸テーブルに着いた。丸テーブルにもお菓子は載っているが、その量はさほど多くない。
「じゃあそういうわけでディウルス、好きなだけ食べてくれ。……ああ、お前の席はこっちだぞ」
「まあ、食べられるだけ食べるとするか……」
目のついたお菓子の皿を適当に取って丸テーブルに着く。彼らとの付き合いは長いほうだ、この状況が一体何なのかは見ただけでわかった――――リットの怒りが爆発したのだ。
レキウスは、その生真面目な性格からしてリットを怒らせることがほとんどない。お菓子の匂いにつられたか、あるいはディウルスのように誰かに招かれたのだろう。問題は、見るからに苦しそうなルルクとヴィンダールだ。リットが抱いた怒りの対象はこの二人で間違いない。
「まだたくさんありますから、どんどん食べてくださいねぇ」
「そ、そっか……」
「うっ……」
「少し、休ませてくれんか……?」
「休む……? ああ、紅茶ですね。紅茶のおかわりも用意してありますよぉ」
リットはにやにやと嗤いながらヴィンダールのティーカップに紅茶を注いだ。苦しい、助けてくれと言わんばかりの弱者の言葉に一切耳を貸さず、それどころか笑顔で追い打ちをかける。そのさまはまさしく悪人のそれだ。
リットが手製のお菓子を振る舞うのはさほど珍しいことではない。しかし、今回のようなこれはまた別のものだ。この時間は、いつのころからか『拷問』と呼ばれていた。終わりの見えないお菓子責め。もう腹は膨れたと訴えたところでリットは聞く耳も持たない。にたにた嗤いながら平然と勧めてくる。確かに彼の作るものはおいしい、おいしいのだが何事にも限度はある。
これは、リットのストレスが限界に達した時に行われる一種の儀式だ。気を鎮めるために作った無数のお菓子を、ストレスの元に食べさせる。無関係な者にもお裾分けとして振る舞われはするが、基本的にその大部分は元凶達の胃袋に収められることになっていた。
「おい、あの二人は何をやらかしたんだ?」
状況は飲み込めた。だが、そこに至るまでの経緯がわからない。ディウルスに思い当たる節はなかった。普段は無理矢理食べさせられる側に回ることが多いディウルスだが、今回は少し離れた場所に案内されたということはほぼ無関係なのだろう。
「あの時は私もひどく酔っていたから、最後までいたとはいえ詳しいことは忘れてしまった。だが、一応スティから顛末は聞いている。長い宴会だったが、スティを含めて何人かは酒の量を抑えていたためかろうじて覚えていたらしい」
アッシュの妻にしてリットの姉、スティファーシア。上級文官として出仕はしているものの、図書室の外にはめったに出ない。そのため、読書やら勉強やらが嫌いなディウルスにはとんと縁のない女性だ。昔はそれなりに会う機会もあったのだが、成長と同時になんとなく疎遠になっていった。
スティファーシアはエリザレーテとは違って本来仕官する予定はなく、年も少しディウルスとは離れている。だが、ディウルスはしょっちゅうリットの家に行っていたので馴染みはあった。しかし特別親しいわけでもなく、幼馴染みの一人といってもそこまで深い付き合いがあるわけではなかった。
彼女が夜会に参加することもほとんどないので、今となってはアッシュの家に行った時ぐらいしかスティファーシアを見ることもない。アッシュの様子から元気にしていることはわかるので、特に気にはしていないが。
「これはお前達の祝宴の日に開かれた、六次会の話なんだが……」
「なんだそれは? 聞いてないぞ」
「そりゃあ、お前とアーニャ様の邪魔をしてはいけないからな。各国の要人を招いた宴の後、お前には黙って催したんだ」
「……まあいい、続けろ」
「その最中、酔ったヴィンダールが私達の制止を振り切って、リットの取り皿に香辛料をべったりつけた。……彼の嫌いなメーアレティッヒを、な」
「ああ……」
メーアレティッヒは、鼻をつんと刺激する辛さが特徴的な香辛料だ。一部の肉料理の薬味として広く愛用されているが、リットは決してそれを口にしない。
ソースとしても薬味としても、人に供するものならば好みに合わせて使用できるようにするが、自分が食べる分には用意しないのだ。あのつんとした味は痛みだとすら思えると、リットはよく言っていた。
「とはいえ、取り皿なのだから交換すれば大丈夫だ。盛っていた料理にも多少付着してしまったようだが、そこはエリザが食べたらしい。……次の問題は九次会だった」
「一体お前達はいつまで宴会をしていたんだ」
「白ヴルストが出たから、九次会の時点では翌日の午前だったんだろうな。……その大皿に盛られた白ヴルストに、レキウスが私達に断りもなくケチャップをぶちまけたんだ。まだ皮が剥かれていなかったのは不幸中の幸いだが」
「なんだって!?」
どうやらレキウスへの評価を改めなければいけないようだ。たとえ酔っていたからだったとしても、大皿の料理に勝手に何かをかけるなんて許されない。それも白ヴルストにケチャップだ。白ヴルストには甘いマスタード、その絶対の掟を破る邪道の食べ方。いくら皮を剥いて食べるものとはいえど、あまり容認できる振る舞いではなかった。
「その過程でケチャップがリットにかかりもしたらしい。酔っていたから手元が狂ったんだろうな。そして極めつけが、十二次会の席だ」
「十二次会」
「ルルクはそれまでずっと飲んでいたようだが、いくら大蛇とはいえさすがに限界が来たらしい。……そう、誰彼構わず口説きだしたんだ。その中にはエリザもいた。後はわかるだろう?」
「やらかしの方向性が急に変わったんだが?」
ほぼ全員が酔っ払っている席で、酔うと一番面倒な青年が酔っ払った。十二次会ともなれば、さすがに気心の知れた者しかいない場だろう。だが、だからこそ厄介だ。止める者も止められる者もいなくなる。
「祝宴を開くまでの激務から解放されて、お前が結婚できたことで肩の荷が下りて、存分に楽しむための宴の席でそのありさまだからな。リットはここ数日厨房に立ち続けだったらしい」
「なるほど、事情はわかった。リットに無理をさせないよう、俺も気をつけねばな。……ところで、お前は向こうに行かなくていいのか? お前も、一つやらかしたことがあるだろう?」
「私は別にリットを怒らせたわけではないからな。私自身の懺悔はとうに済ませたさ」
エリザレーテは身体こそ不自由だが、調子がよければ招かれた催しの類いには必ず顔を出す。彼女も相当の酒好きで、何より楽しいことが好きだからだ。
一方でスティファーシアは、私的な催しにはまったくと言っていいほど来ない。たとえ公的なものであれ、夫が仕事をしている場に自分が顔を出すわけにはいかない、と多くの場合は断っている。そのスティファーシアが、かなり長く続いた宴席に最後までずっと残っていた。酒もあまり飲まなかったのに、何故彼女はすぐに帰らなかったのか。いや、そもそも何故参加したのか。普段の晩酌とは違う、特別な宴だったから――――違う。確かにそうだが、彼女にとって重要なのはその先だ。特別な宴だから、夫は羽目を外しすぎると――――一人では馬車に乗れるかもわからなくなるぐらい飲むと、わかっていたから。
「スティの黒い髪と白い首筋には深い紅がよく映える。ディウルスも、アーニャ様にお似合いになるものとお好きなものを常に考えておくといい」
「その必要はないだろう。あいつはなんでも似合うからな」
本心を照れ隠しの軽い口調でごまかして、大きく切り分けたリンツァートルテを口に運ぶ。そのディウルスの返事にアッシュは目を丸くしていたが、すぐにふっと微笑んだ。




