約束
尺の都合で書ききれなかった部分を補完するための内容をぼちぼち更新していきます。
基本的に細かい世界観の説明やサブキャラの話が中心になりますので、読んでも読まなくても本筋には特に影響ありません。
蛇足と感じる方もいらっしゃると思いますが、その場合は見なかったことにしていただければ幸いです。
「いい式じゃ……」
「えっ、あ、あの、あれはいいの? 国王陛下が全身ビールまみれになってるんだけど……ひゃっ!」
がちゃんがちゃんとひっきりなしに割れる陶器の音と食用には適さないような小さく硬いじゃがいもが飛び交う中、身をすくめるレスクヴァの横でヴィンダールはしみじみと呟いた。そうしている間にも、誰かがヴィンダールに陶器でできた皿を渡す。
「そなたら、それでもアライベルの民か! そのような甘い勢いでは祝福の音が届かんぞ! これは魔払いの儀式でもあるんじゃ、もっと力を込めて叩き割らんか! 儂が手本を見せてやろう!」
「怖い怖い怖い! アライベルの結婚式怖い!!」
近いせいか、ヴィンダールが皿をレンガの道に叩きつけた時の音はひときわ大きく響いた。狂ったように陶器を壊しつづける群衆の前ではレスクヴァの悲鳴さえも掻き消える。周囲に素面がいれば助けを求めるところだが、どいつもこいつも真昼間からビールを浴びるように飲んでいて顔が真っ赤なので役に立ちそうもない。一応レスクヴァも参加にあたって何が起きるか聞いてはいたが、とんでもないことだった。
唯一上から降ってくる色とりどりの花びらだけが美しいが、正直に言うと場違いにもほどがある。ビールとじゃがいもがところ構わず乱舞しているのだ。花びらが散っていたところで、それにひたる余韻はない。そもそも花びらとビールが同じところから降ってくるときもある。一体どうなっているんだ。アライベル人にとっては感慨深いのかもしれないが、レスクヴァにとっては花びらよりじゃがいものほうが目についた。当たると痛いからだ。
「うぐ……。ビールをかけるとすごく綺麗な金色に染まるのが我がラヴァンカー商会製ウェディングドレスの売りとはいえ、さすがに私の自慢のドレスがあれだけビールまみれになると胸が痛いわね。ウェディングドレスなんて結婚式の間は白くないほうがいいのはわかってるけど、せっかくの純白が塗りつぶされるのはもったいない……。でも、新雪を踏んでるみたいなこの感覚は好きぃ……」
「姉ちゃんもたいがい面倒だよな。結婚式がビールぶっかけ祭りになるのはいつものことだし、ドレスなんてどうせすぐ元の白に戻るから別にいいだろ。てか、姉ちゃんが一番ビールかけてんじゃん。……あっ、ミリリがいる」
「ちょっとそこの人達! 何普通に前見ながらじゃがいも投げてるの!? 危ないでしょ! せめて投げるほうを見て……いっ、痛い! 痛いってば!」
「ん? アライベルの結婚式は初めてか? ぶつけられた数だけ幸せになれるんだ、自分から当たりにいっていいんだぜ? ぶつけられっぱなしが嫌ならぶつけ返していいしな。ほら、これやるから思う存分投げて来いよ」
「あら、観光の方? それじゃあ記念ですし、ビールもたくさんかけてあげましょうか? ほらアルト、じゃがいもばっかり投げてないで貴方もやってあげて」
「完全な善意……!?」
ええい、ままよ。郷に入っては郷に従え。姉弟らしいダークブラウンの髪の男女にされるがままになっているうちに、レスクヴァもすっかりすべてがどうでもよくなった。姉のほうに言われるままにビール瓶の中身をぶちまけながら、弟の言うとおりにじゃがいもを投げる。何だか楽しくなってきた。ヴィンダールと一緒に陶器割りに参加するあたり、彼女もだいぶ出来上がってきた証拠だろう。
「すごい! ディウルス様が二人もいますね! え? どこにいってしまうんです? あっちに行けばいいんですか?」
「じっとしていろアーニャ! ええい誰だ、アーニャにビールをかけたのは! こいつにかけるのはジュースにしろと言っただろう!」
かろうじて開けられた通路を、アーニャを横抱きにしながら歩くディウルスの怒声は陶器が割れる音が響く中でも構わず通る。だが、返事のほうまで聞こえるとは限らない。護衛として後ろに控えるアッシュとミリリが「これだけビールが飛び散っていればかかるだろう」「この盛大さじゃ回避は難しいでしょうね」とビールでべたべたになりながら話しているが、ディウルスが無反応なあたり二人の声は届いていないのだろう。
「痛い! じゃがいも痛いっす! なんでこんなもん投げてるんすか!? 独身の嫉みっすか!? 自分も陛下に投げたいんすけど!?」
「それがすべてではないけれど、大体間違っていないのが恐ろしいわね。カルトッフェル投げのはじまりは、まだアライベルが国ではなかったころ……四百年もの昔にさかのぼるというわ。当時の領主、」
「ごめんなさい今その話聞く余裕はちょっと自分にはないっすー! 嫉みなら新郎にだけ向けて投げてくださいー!」
通路に面したところに立っているにもかかわらず、いたるところから飛んでくるじゃがいもを必死の形相でかわしつつウィザーは叫ぶ。一方のアリカは涼しい顔でじゃがいもに当たり、時には受け止めてから飛んできたほうへと投げ返していた。
「陶器とビールにも何か意味があるのでしょうか……」
「祝福と魔除け、ですわね。本来は日程をずらしたりして順番に行うものなのですが……時代の流れとともに一度にやるようになりましたの。おかげでこの騒ぎようですわ」
「これは古来より伝わる儀式なのである。長年生活に寄り添ってきた古びた陶器の最後の役目が、新たなる門出を迎えた者の災厄をすべて背負って割れるということなのであるな。ビールもまた悪しきものを祓うと信じられているのである」
エバとリアレアが言葉を交わす中、人をかきわけてやってきたのはリアレアの夫のレキウスだ。彼の手にはクロプセがある。どうやら軽食を調達してきたらしい。音楽隊が陽気な曲を演奏しているほうに出店があるらしく、その辺りには人垣もできていないが、音楽に合わせて踊る人々の姿が人ごみから垣間見える。アライベルにとっては王の結婚式など一種の祭り扱いのようだ。エバとリアレアの分のクロプセを渡しつつ、レキウスはひときわ山盛りになった肉団子を思いっきり頬張った。
「異国の方には慣れない光景かもしれませんが……この騒ぎも、新郎と新婦がここに辿り着くまでのことですわ。これほど盛大なものはそれこそ王族の結婚式ぐらいですもの。あまり見られない光景ですし、しばらくこの喧騒に身をゆだねるのもいいものですわよ」
エバ達がいるのは教会からまっすぐ伸びる通路の終着点である広場だ。距離としてはそれほどでもないが、アーニャ達がここに着くまでがやけに長く感じる。参列者が多く、祝いの嵐がひっきりなしにくるせいもあるだろう。エバのいる位置からでも教会は見えるのだが、アーニャ達の歩みはとてもゆっくりなものだった。
その教会のバルコニーの上では、宮廷魔術師達が造り物の花びらを降らせている。もちろん、地上に向けて笑いながらビールを降らせたり力の限りじゃがいもを投げたり、バルコニーで構わず陶器を割ったりしている魔術師もいるが。
すべてのバルコニーに数人の魔術師が待機しているが、地上にも不測の事態が起きないよういたるところに魔術師達がいる。教会以外の、辺り一帯を見渡せるほど高い場所にいるのも結婚式を盛り上げるための仕掛け人達だ。
「<黄金の恵み、豊穣なる実り。すべての夢に祝福を。我らに流れる血液よ、大地を潤す雨となれ>! ははっ、こういう形での復帰なら悪くない! ビール片手にすべてを特等席で眺められるし、最高の一言に尽きるね!」
「ねえちょっと、ワインとか出せないの? ビールも悪くないけど、ワイン出しなさいよワイン。ワインおいしいわよ。あとケークル、ビールおかわり! それからじゃがいもももっと持ってきなさい! あたしを差し置いて結婚した奴らにありったけぶつけてやるんだから!」
「はいセレス様、お水ですよー。じゃがいもはまた後でにしましょうねー」
「米と造花を生み出す魔法陣と本物のビールが湧いて出てくる詠唱呪文なんて開発したのはうちの国くらいだろ……。この米も本物ならかなり有用な研究だったんだけどな……」
「《元素召喚:風》! 国内なんてちっちゃいことは言わずに大陸中に飛んでいけばいいのにね! ディウルスとアーニャの晴れの日だ、盛大に祝いたいじゃないか!」
「お前がやるとほんとにそうなるからな!? ほどほどにしとけよ!?」
魔法陣の上にこんもり盛られた花びらと米も、ルルクがはしゃいだ声を上げるたびにぶわりと広がって散っていく。そのたびに隻眼の魔術師ベストルが悲鳴じみた声を上げながら終わりの見えないシャワーの作成作業に入っていた。その横では車椅子に腰掛けたエリザレーテがビールを地上へ向けて無尽蔵にかけ続けている。詠唱派、魔法陣派、術式派。それぞれ不仲とされる魔術師の三大派閥だが、この日ばかりはどの場所でも協力する姿が見られた。飲んだくれの大司教とそれを諫める弟子が紛れ込んでいることに突っ込む者はここにはいない。
*
「それはそれは……盛り上がっていますねぇ」
「一目見たくて、行ってきましたけど……やっぱりこわかった、です……。ひ、人がたくさん……」
「まあまあまあ! ロゼル様、大丈夫ですの!? 素敵なドレスがビールと潰れたじゃがいもで汚れてしまっているではありませんか。さ、あちらに宮廷魔術師がいますから、落としていってくださいな。わらわも教会前に行きたかったのですけれど、テトルとイリーシスに行かせてもらえなくて。愚兄はどうでもいいのですけれど、アーニャお義姉様と早くお会いしたいですわ。ねえロゼル様、お義姉様はどんなドレスをお召しになっていらしたの? ……あっ、やっぱりおっしゃらないで。驚きが消えてしまうわ。まずはこの目で見ないと! ねえリット様、お義姉様達はあとどれぐらいでここにいらっしゃると思う?」
「そうですねぇ……。あと十分もすればお見えになると思いますよ? こちらの準備はすでに終わっていますし、いついらっしゃっても問題はありませんが」
一方、王宮の庭園はそれほどの騒ぎになってはいない。この場所が喧騒の中心地となるのはもうしばらく後のことだ。教会前の騒ぎをぐったりしたロゼルがリットに伝えると、彼は嘲笑……に見える喜びの表情を浮かべた。リットはシェニラの相手をしつつ、使用人達に指示を出す。教会前の広場で最後の儀式が済めば、次は庭園での立食式の宴会だ。
今日から数日間、陽が沈むまでは庭園のほぼすべてが一般開放され、騒ぎの舞台はここに移る。宮廷料理人達はもちろん、王都で評判の食事処の料理人達もこの日のために腕を振るった。主役である国王夫妻は陽が沈まないうちに別の宮殿に向かって他国からの賓客の相手をしなければいけないわけだが、それまで食事や休憩はできるはずだ。
出される料理の安全面、庭園の警備、目を光らせなければいけないことは多いが、今日という晴れの日に騒がずしていつ騒ぐのか。準備自体は以前から行っていたことではあるし、すべてを投げ出したくなるほどの苦ではない。国を挙げて国王と王妃を祝福したいのだから仕方ないだろう。
「ふふ……。今日という日のために焼きあげた、特製バウムクーヘン……振る舞える時が楽しみですねぇ……」
たとえリットが倒木かと見紛うほどの大きなバウムクーヘンを見て怪しげな笑みを浮かべていたとしても、それは別に国王夫妻を毒殺したいとかそういう意図はない。単純に、祝いたいだけなのだ。
*
ディウルスとアーニャがようやく広場に着いた。それをバルコニーから眺めたルルクはにっと笑う。
「よし、最後の仕事――《元素召喚:水》《洗浄》、ついでに《覚醒》!」
ルルクが宣言すると、途端に雲がないにもかかわらず辺り一帯に雨が降り注いだ。雨によって人々の全身や街道を汚したすべてが洗い落とされて虹がかかる。降っていた時間は短かったが、酔い覚ましの効果もあるその雨が人々に落ち着きを与えるには十分だった。突如振ってきた冷たい雨に、誰もがはっと我に返る。続けて他の魔術師達が温風を吹かせて日光を強めたことで、濡れた身体もすぐに乾いた。
広場に置かれた丸太、その傍で待っていた役人がディウルスに渡したのは大きなのこぎりだ。夫婦で協力して丸太を切る。それは、いかなる苦難に見舞われようとも二人で力を合わせて乗り越えることを誓うための、アライベルの結婚式における古くからの習わしだった。太い丸太はアーニャの細い腕では到底切れず、かといって大雑把なディウルスでは力任せに刃を立てるだけで切れる気配もない。アーニャの繊細さとディウルスの力、二つが合わさることでようやく真っ二つになった丸太を前に、観衆は今日一番の歓声を上げた。
「……ねえ、ヴィンダールさん。馬鹿兄達は投獄されて、こうして国王陛下とアーニャ様は無事に結婚できたじゃん。つまりさ……これで全部終わった、ってことなんだよね?」
冷静さを取り戻したレスクヴァは、無事に丸太を切り落とせて満面の笑みを浮かべるアーニャと満足げなディウルスを見つめながら傍らのヴィンダールに問いかける。その声は決して大きいとは言えなかったが、よく通った。
「ん? そうじゃな、そういうことになるかのう。じゃが、本番はこれからじゃぞ。宴は……」
言いかけて気づく。彼女が言っているのは、そういうことではないのだと。
「……お手柔らかに頼むぞ。一度した約束を反故にすることはせんが……儂にもできないことはあるからな」
「うん。じゃあまずは……ヴィンダールさんのお休み、あたしにちょうだい?」
茶目っ気たっぷりに笑うレスクヴァを見て、ヴィンダールは微苦笑を浮かべる。幼馴染みが伴侶と永遠を約束した横で、こっちはこっちでとんでもないことを約束させられたらしい。




