トールの目的(前編)
「それで、すべて終わった後にお前がレスクヴァ嬢の言うことをなんでも聞くかわりに、レスクヴァ嬢は俺達に協力してくれることになったのか?」
「うむ……そのような認識で構わん」
自分達が来る前に何があったのかは聞くに聞けない。ヴィンダールがあの短時間でやけにやつれたように見えるのは気のせいだということにして、ディウルスはいまだ怒りが冷めていない様子のレスクヴァを見た。
「あ、あの、どうか落ち着いてください」
そのディウルスの横で困惑しながらもレスクヴァをなだめようとしているのはアーニャだ。その声すらも今のレスクヴァには全く届いていないようだが。
ヴィンダールがレスクヴァと話をしている間、アーニャはすべての事情を打ち明けられていた。かつて遭遇した不思議な人が一国の皇子だということにはアーニャも驚いたようだが、「砂漠の人だと思っていましたが、雪国の人だったんですね」という若干ずれた回答以外は特に何の感想もないらしい。アーニャの記憶が消されていないということは、彼女はシアルフィと遭遇していないということなので、それについては少し安心したが。
「あの馬鹿兄貴に復讐するためならなんだってやるよ。そもそもあたし、別にあの馬鹿兄貴の手駒なんかじゃないし。向こうはどう思ってるか知らないけど、そんな勘違いをしてたんだったら絶対に後悔させてやるんだから!」
そう啖呵を切ったレスクヴァは、今までいかにシアルフィに迷惑をかけられたかをつらつらと語る。一番壮絶だったのは、幼いながらも卓越した魔術の才能を持つシアルフィが魔術を悪用して多くの人の命を奪い、家族ともども処刑一歩手前まで行ってしまったことだろうか。それをトールが助け、それ以来シアルフィはトールに服従し、トールに仕えるため家族の前から去ったらしい。
その後両親を相次いで失って孤児になったレスクヴァは、ピアロース家の養女となった。トールの口添えがあったからだとか。しかしだからといってレスクヴァがトールに感謝しているというわけでもなく、むしろ勝手にシアルフィを助けて自分を貴族社会に放り込んだことに対して憤りを感じているようだ。
「やっぱりあの男はあの時死ぬべきだったんだよ。あいつのせいで今までどれだけの人の人生がめちゃくちゃにされたことか。でも、もう好きにはさせないんだから」
「心強いですね。それでは早速ですがレスクヴァさん、貴方がこの国に来た理由ですが、何故シアルフィはそのように貴方を誘導したんでしょう。何か心当たりはありませんか?」
「あの馬鹿兄には、自分の意思ってものがないの。あいつは皇子の言葉でしか動かない。トールの従者になってからのあいつがやることは、全部トールのためなんだから」
「つまりディウルスとレスクヴァ嬢を恋仲にすることがトール皇子の望みだったということかい? アーニャ様とディウルスの間に亀裂は走るだろうが、戦争の火種としては少し弱いような……」
首をひねるアッシュに、レスクヴァは平然と尋ねる。どうしてトールが戦争をしたがっていると思うの、と。
予想外の質問に、ディウルス達は驚きながらも大陸の情勢を説明する。ガルガロン帝国の皇帝が代々好戦的な性格なのはレスクヴァも承知のようで、それ自体は特に彼女も異論はないようだ――――だが。
「でも、あの皇子は違う。トールは多分、国のことなんて考えない。自分の望みを叶えるためなら戦争だって起こすだろうし、望みを叶えようとして戦争が起きても気にしないだろうけどね。でも大事なのは、トールにとって“戦争”なんてあくまで手段でしかないの。今までもそうだったし、これからもきっとそう」
以前からガルガロン帝国内では領土内の内紛が問題視されていたらしい。多くの属国を抱えているのだから、領民には帝国に対して相応の不満があってしかるべきだろう。
しかしレスクヴァは、そうした内紛の一部はシアルフィの暗躍によって起こされたものだと主張する。そうした内紛は、過程やもたらされる結果の違いこそあれすべてトールに利益が出るような方向で終わったからだ。たとえばトールがその内紛を収めて民に感謝されるとか、トール個人を目の敵にしていた貴族が殺されるとか。
「あたしはトールとも馬鹿兄とも数えるほどしか会ってないけど、一応これでも伯爵令嬢だから。宗主国の皇子の話なんて、嫌でも耳に入るんだ。それに父さんと母さんは、今の皇帝陛下のことが昔からあんまり好きじゃないみたいで。二人ともトール派の貴族なの。だから結構、トールの情報は持ってるよ。だから断言できる。皇帝陛下はよくわからないけど、少なくともトールは戦争を起こすためにあたしをこの国に送ったわけじゃないよ」
「なら、お前が俺を誘惑することで何が起きる? トールの奴は一体何が望みなんだ?」
「そうですね……発想を変えてみればどうですか?」
失礼を承知でたとえますが、と前置きをし、アーニャはディウルスとレスクヴァを交互に見た。
「もしもレスクヴァ様がシアルフィさんの思惑通り、ディウルス様と親しい仲になったとしましょう。そうすると、わたしの立場はなくなってしまいますよね。わたしはディウルス様に嫁ぐためにアライベルに来たのに、そのディウルス様は婚約者であるわたしではなく違う女性を愛しているのですから」
「それはそうだ。もっとも、もしレスクヴァがそんな女でも、あいにくと俺の心は動かなかったと思うぞ。アーニャにそんな仕打ちをする気はないから、安心しろ」
「あたしだってわざわざ略奪しようなんて考えないよ! 考えてたらここにいないって!」
むっとするレスクヴァに謝罪し、真顔でそう告げるディウルスに感謝の言葉を述べ、アーニャは言葉を続ける。
「でも、本当にそんなことになったなら――ディウルス様の評判、地に落ちると思いませんか?」
「それはそうですね。アライベルは一夫一妻の国。たとえ国王であれど側室を持つことは認められていません。浮気は浮気、許されざる行いです」
「アライベルの王は騎士の中の騎士であり、ディウルスもまたそれを体現する男だ。婚約した方がいながら他の女性に心を許すなど、騎士道に反する。そんな王のありようを、民は認めないだろう」
「無神経すぎるきらいはあるけど、まっすぐで誠実なのがディウルスのとりえでしょ。それを奪ったら、ただの馬鹿じゃないか。誠実さがいきすぎて、一周回って不誠実になるならともかくさ」
リットとアッシュが深く頷く。ルルクの言葉はただの悪口に聞こえなくもないが、そんな軽口も彼にとっては日常茶飯事なのだろう。アーニャは苦笑しながらディウルスを見上げた。
「自分で言うのもなんですが、トール皇子がわたしに声をかけたということは、少なからずあの方はわたしに興味を持っているんだと思います。ですがわたしはディウルス様の婚約者。トール皇子のものにはなれません。普通なら、ですが」
アーニャがディウルスに愛想を尽かせば。ディウルスが周囲の同情や援護を受けられないほど嫌われていたら。
トールは傷ついたアーニャの心に寄り添える。アーニャは婚約者に裏切られた傷をトールに癒してもらえる。婚約者に捨てられたディウルスは、自分が最初にアーニャを裏切っているため誰にも味方をしてもらえない――――レスクヴァがディウルスと親しくなれば、トールは誰にも咎められずにアーニャを手に入れることができる。
トールがアーニャにもう一度会うことなど簡単だろう。王からの愛を失った王の婚約者など、王から冷遇されるに決まっている。その動向に注意など払わないに違いない。トールにはシアルフィという強力な魔術師がいるのだから、王宮に侵入することだってできるかもしれない。アーニャとディウルスの心がお互いから離れていれば、あとはどうとでもなるはずだ。
「一度会ってほんの少し言葉を交わしただけで、しかもお誘いをお断りした方がそれほどわたしに執着するかはわかりませんが……」
「断られたから余計に燃え上がる、ってことはあるかも。トールの奴、欲しいものは全部手に入れないと気が済まないうえに手の届かないものほど欲しがるっていう厄介な性格だから」
アーニャが立てた仮説の唯一の問題点は、レスクヴァがあっさり解決した。ディウルスは目を丸くしてアーニャを見ている。
「確かにそれなら筋が通る。よく思いついたな、アーニャ」
「たいしたことではありませんよ。ひどい恋人に振り回されて悲しんでいる主人公を別の男性が慰め、やがて主人公は恋人と別れを告げてその男性と結婚をする……昔、そんな恋愛小説を読んだことがあったんです」
何が役に立つかわからない。あの本を読んでいてよかった。クラウディスにいたころの生活に少しだけ感謝し、アーニャは控えめにはにかんだ。
「そうなると、ルルクが臥せっておる間に起こった襲撃未遂事件も少々意味合いが変わってくるのう。あれはアーニャ様に危害を加えるためのものではなく、アーニャ様をさらってトールのもとまで連れていくためのものじゃったかもしれん」
「正面から奪うのに失敗したから次は搦め手で、ということか。だが、その搦め手もこうして失敗した以上、また何か仕掛けてくるかもしれないな。そんなことは私達が絶対にさせないが、最悪ディウルスを亡き者にしようとしてくるかもしれないぞ」
「トール皇子の目的が開戦ではなくアーニャ様にあるならば、陛下とアーニャ様がご結婚なさってからも油断はできませんね……。特にトール皇子は国益を無視して動くぶん、条約で縛れないのが厄介です」
どうしたものかと一堂は考え込む。そんななかでルルクはあっけらかんと言い放った。
「じゃ、直談判でもすればいいんじゃない? 直接トールを押さえつけることもできると思うよ。ヴィーザルと交渉できるだけのカードは持ってるんだし、さ」




