レスクヴァの怒り
「ヴェリエの商人、クルーブの令嬢、ガルガロンの皇子……くそっ、まさかここに繋がるとはな。全部北の国の奴らのしわざだったか」
ディウルスがまだ子供のころの話ではあるが、ガルガロンの第二皇子トールとは面識があった。ガルガロンで行われた式典に参加した時に、幾度か言葉を交わしたことがあるのだ。
現皇帝ヴィーザルの異母弟、トールは先帝の側室の子で、王族として恵まれた待遇を受けていたわけではなかったようだ。幼いころならまだディウルスも彼と会ったこともあったが、成長するにつれてトールの存在は公の場から遠ざけられていたように思う。
今ではディウルスも、伊達男に育ったと小耳に挟むぐらいしかトールの近況は知らなかった。先帝が死んでからはその音沙汰すらもない。その存在を知らない者は多いだろう。アライベルよりもガルガロンから遠いレンブリックの王ロイドが、トールを知らないのも無理はない。
「すべてはガルガロンの陰謀……いやしかし、どこからどこまで……」
トールがアーニャを狙う理由はわかりたくはないがわかる。アーニャが傷つけば、彼女の祖国クラウディスがアライベルに戦争を仕掛けるきっかけになるからだ。ハルトラスをそそのかしたのも、警戒の目が公爵家に向かうことで王宮の警備が手薄になるのを狙ったとかそんな理由だろう。
クラウディス側とアライベル側が戦争で疲弊したところにガルガロンが参戦すれば、きっとガルガロンはいいところだけ持っていけるだろう。当然諸国がそれを許すはずはないが、そうやって大陸全土を巻き込む戦を起こして大陸中を引っ掻き回せば版図を拡大する機会も生まれる。リスクは大きいが、得られるものも多い。
そう、それはいい。いや、これっぽちもよくはないのだが、それはひとまず置いておく。
商人に扮して各国の令嬢をたぶらかし、最終的にはその記憶を消す。意味がわからない。これではただの、後腐れなく遊びたいだけの男ではないか。これをどうガルガロンの陰謀に結びつければいいのだろう。
無理やりこじつけるとすれば、魔術師シアルフィの力量試し、あるいは諸国の危機察知能力や防衛力のテストだろうか。それにしたって手段が手段だ。令嬢を巻き込む必要などないだろう。普通に遊びまわっているとしか思えない。
「ああもうわけがわからん! リット、ガルガロンに潜ませている間諜から何か連絡はないのか!?」
「それが、ちょうど先ほど報告が入ってきたのですが……ヴィーザル王は国内をまとめるのに手いっぱいのようで、諸外国の侵攻よりむしろ国内の制圧に力を入れているようです。トール皇子については、先帝の葬儀以来公の場には決して姿を現さないとしか」
「なんだと?」
「どうやら現在のガルガロンは、ヴィーザル王率いる革新派と保守派で対立が起きているようです。革新派と言ってもその主張は、今までのように武力をもって他国を制するのではなく平和的に他国と友好関係を築くべきだ、というものらしいですが」
「……ヴィーザル王自身には、侵略の意思はないということか?」
「わかりません。これだけ報告が遅くなったということは、どこかで妨害や工作が行われていた可能性がありますから。そもそも、ヴィーザル王の即位前は、先帝以上の暴君だという触れ込みだったんですよ? もはや何を信じればいいのか……。申し訳ありませんが、情報の精査には時間がかかると思います」
困り顔のリットは小さくため息をつく。これについてはリットの情報網もあてにできないようだ。ますますわけがわからないとディウルスは頭を抱えた。
「ふむ……。やはりレスクヴァ嬢から話を聞くしかないようじゃな。何かわかるやもしれんぞ」
「そうしたほうがいいかもね。嘘を見破る魔道具、持ってくるよ。入国審査の時にも使ったやつだから、すぐに持ってこれると思う」
「では、すぐにでも謁見の用意をしよう。ご婦人の支度は時間がかかるらしいが、なるべく早く来てもらいたいところだ。ほらディウルス、一応他国の令嬢に会うんだから身なりを整えたまえ」
「待ってください。陛下を前にしてしまえば、レスクヴァさんも警戒してしまうのでは?」
もう一人の渦中の人物、レスクヴァ。彼女からもたらされる話に何らかの手掛かりがあることを信じ、五人は急いで準備を進めた。
*
「珍しいね。あなたから呼んでくれるなんて」
それがサロンに来たレスクヴァの第一声だった。嘘を見破る魔道具は、それとわからないようテーブルの隅に置かれている。聞こえてくる声で嘘かどうかを判断するものなので、対象者が身に着けている必要はないらしい。
今、サロンにはレスクヴァとヴィンダールしかいない。他の四人は別室で待機中だ。この話はアーニャにもするべきだとディウルスが判断したので、今ごろは彼女に事情を説明しているだろう。
レスクヴァを騙すようで心苦しいが、背に腹は変えられない。ヴィンダールは意を決して口を開いた。
「なに、そなたに訊きたいことがあってな」
「?」
「こやつはシアルフィという名前の男じゃ。そなたはこの男を知っておるか?」
見せられたシアルフィの写真を見て、レスクヴァはさっと顔色を変えた。なんで馬鹿兄が、呟く声は驚きに満ちている。
「兄? こやつはそなたの兄なのか?」
「う、うん。子供のころに生き別れたし、あたしはこいつのことが大嫌いだから名前も忘れてやったけど、顔だけははっきり覚えてるよ。あたしをアライベルに行かせるよう仕向けたのもこいつ」
「なに?」
ヴィンダールは思わず身を乗り出した。横目で魔道具を見るが、目立った反応はない。今のところレスクヴァは嘘をついていないらしい。
「その話、詳しく聞かせてくれんか?」
「え……いや、それはちょっと……」
レスクヴァは渋っていたが、自分を見つめるヴィンダールの瞳が真剣なことに気づいたらしい。不承不承といった様子で彼女は語り出した。
彼女には婚約者がいたが、その男はシアルフィの魔術に誘導されてレスクヴァとの婚約を破棄したらしい。レスクヴァは婚約者に愛情があったわけではないので婚約破棄を受け入れたが、婚約者が無駄に顔の広い男だったせいで、レスクヴァの悪評がクルーブ公国の社交界に広まるのは時間の問題だった。
そんな状態では新たな嫁ぎ先など望めないが、だからといって修道院に入ったり行かず後家のまま実家に残るのも嫌だった。そこでシアルフィは、他国に行けばレスクヴァを色眼鏡で見ない貴族がいると言い、レスクヴァの養父母に対して彼女のアライベル行きを勧めたという。
「あたし、貴族令嬢としては失格だから。礼儀作法とか、全然わかんないし。そしたらあの馬鹿兄、“黙って笑っていればどんな男も落とせるに違いない”、だってさ。何様のつもりって感じ。でも、親も使用人もそうしろそうしろってうるさかったから、ここに来たばかりの時は猫を被ってたの。ついそれがはがれちゃって、それからはもう素で通してるけど……」
どこか恥ずかしそうにヴィンダールから目をそらし、レスクヴァはもごもごと呟く。彼女の猫がはがれたのは、枝の上にいたレスクヴァを見てヴィンダールが呟いた独り言が原因だろう。
「そなたがアライベルに来たのは、シアルフィがかかわっておったのか?」
「そうだよ。あいつは昔っから魔術で周りの人を言いなりにしてきたの。あたしが他国に行くしかないような状況を作って、行先もアライベルに限定されたんだ。父さんと母さんも操られてるみたいだったから」
レスクヴァの来訪はシアルフィが意図したものだった。そうなると、やはり彼女には何らかの役割があったのだろう。
とはいえ、ここまであけすけに真相を語るということは、レスクヴァは何も知らずにシアルフィの手駒にされていた可能性が高い。
シアルフィの魔術は、今のレスクヴァにはかけられていないはずだ。ルルクの話では、洗脳魔術は効果時間が短く定期的なかけ直しを必要とするという。レスクヴァがアライベルに来た時点でそういった類のものはなかったらしい。魔術がなくてもレスクヴァの手綱は御せるとシアルフィは考えたのだろうか。しかしレスクヴァの行動がシアルフィの意図したものでないのなら、彼はレスクヴァという少女を読み間違えたということだ。
「のう、シアルフィは他に何か言っておらんかったか?」
「……ここまで言っちゃったらもうしょうがないよね。すごく言いづらいことだけど、怒らないでよ?」
嘘や隠し事が苦手な性格なのか、ことの重大さを欠片も理解していないのか、あるいはその両方か。一度開いた口からは軽やかに言葉が飛び出る。なんでもないことのようにレスクヴァは告げた。
「“玉の輿に乗りたいならディウルス陛下と結婚すればいい”、みたいな。馬鹿だよね」
「なんじゃと!?」
「ご、誤解しないでよ! 馬鹿兄がそう言っただけで、あたしには全然そんな気なんてなかったから! そもそもディウルス陛下には婚約者さんがいるじゃない! あたし、他人を踏み台にしてまで幸せになりたいなんて思ってないよ! そ、それにあたしは……その、あ、あなたのことが……」
真っ赤な顔をしたレスクヴァはうつむいてごにょごにょと何かを言っている。ここまであからさまな好意を見せられれば否定などできそうもないが、その好意を利用しているのは他でもない自分自身だ。途方もない罪悪感に苛まれながら、ヴィンダールは視線を天井に向けた。
(あー……トール皇子の振る舞いにはこんな事情があったのかもしれんのう……)
トールも欲しい情報があって少女達に近づいたのかもしれない。口を割らせるには親しくなるのが一番だ。用済みになった少女の記憶を消してしまえばあとくされはなくなる。
ヴィンダールとこの仮説上のトールの違いは、ヴィンダールには少女の記憶を消してくれるシアルフィがいないことと、用済みになった少女を切り捨てるほどの非情さがないことだろうか。
「……儂も男じゃ。そなたのことは、悪いようにはせん。真実しか口にしておらんそなたが、望んで陰謀に加担したとも思えんしな」
「陰、謀?」
思いもよらない単語に、レスクヴァはきょとんと首をかしげる。そんな彼女に向けてヴィンダールは状況をかいつまんで説明した。
するとレスクヴァの顔がみるみる赤くなる。その赤みが意味する感情が先ほどまでとは百八十度異なるものだというのは、固く握りしめた震える拳が教えてくれていた。
「そなたの気が済むようにすればよい。どれだけ怒りをぶつけてくれても構わんぞ。抵抗はせんからな。そなたにはその権利が、」
「何回あたしを利用するのよあの馬鹿兄貴っ!!」
「えっ」
「人を思い通りに操れるって思って! みんな自分の思い通りになるって思い込んで! あいつのにやにや笑いを見たくないから縁を切ったのに、何一つ変わってないじゃない!」
「レ、レスクヴァ嬢?」
「結局あたしはあいつの手のひらの上で踊らされてるだけってこと!? ふざけるのもいいかげんにして! あいつが何を目的にしてるかは知らないけど、それすら利用して幸せになってやるって思ったのに! あいつのほうが一枚上手だったってこと!? 信じられない!」
ばん、とテーブルを勢いよく叩いて立ち上がったレスクヴァの目は完全に据わっていた。しかし彼女の怒りは目の前のヴィンダールではなく兄に向けられている。ヴィンダールは困惑しながらレスクヴァを見上げた。
「今日までアライベルの人達があたしに対して微妙に遠慮してた理由が、やっとわかったよ……」
「やはり、気づいておったか。うむ……その、すまん」
「でも、何から何まで馬鹿兄貴の計算通りになったわけじゃない……だってあたしは、ディウルス陛下に色目なんて使ってないもん……」
「そ、そうじゃな。それは確かにその通りじゃ」
ぶつぶつと呟くレスクヴァに、ヴィンダールは冷や汗を流しながら応じる。かっと目を見開き、レスクヴァはヴィンダールに向けて人差し指を突きつけた。
「あたしはもう二度と、あの馬鹿兄貴の思い通りになんてならない! なんでも言って、ヴィンダールさん! あたしにできることならなんだってするし、なんだって話すから!」
「よ、よいのか!? そなた、それでよいのか!?」




