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黙って笑え。それ以外は望まない  作者: ほねのあるくらげ
第三章

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34/67

一方そのころ

「お前らに言ってもわかんねぇだろうけどさ、今あたしはすっげぇイライラしてんだよな」


 アーニャ直属の侍女頭、アリカはそう吐き捨てた。彼女の部下である三人の侍女はそんな上司の様子に苦笑し、はたで聞いている近衛騎士もひきつった笑みを浮かべている。


「下手すると、お前らのせいで全部台無しになるとこだったんだぞ? なあ、そうなったらどう責任取ってくれるんだよ?」


 アリカの足は満身創痍の女の頭の上にあった。アリカの周囲には無数の死体が転がっていた。アリカの視線の先にはがたがたと震える男がいた。しかし誰も彼女を止めようとはしない。


「アリカ様、もう殺しちゃってもいいんじゃないですか? 多分そいつ、ただの使いっぱしりですよ。どうせ大した情報なんて持ってませんって」

「エーラの言う通りですよ。こいつらから聞き出すより、私達で調べたほうが早いです」

「ですね。別にこいつがいようがいまいが構わないですし、さっさと殺しちゃいましょうよ」


 侍女達が進言すると、アリカはそれもそうかと言いたげに目を細めた。足を少し動かすだけでかろうじてまだ息のあった女の首が潰される。アリカはそれについて特に反応を示す事なく男のもとへ一歩一歩近づいていった。

 男は短い悲鳴を上げて命乞いを始める。彼の必死の嘆願は、アリカ達を笑わせる事ぐらいの効果しかなかったが。


「知らなかったとは言わせねぇぜ。お前らは、事もあろうに王家の紋章がついてる馬車を襲ったんだ――覚悟ができてねぇわけねぇよな?」


 容赦はいらない。金属製の靴を履いたアリカの蹴りがただ一人生き残っていた男の骨を砕く。襲撃者達のリーダー格だった男は、惨めなうめき声だけを残してそのまま意識を失った。

 まだ殺すわけねぇだろ、と嘲笑を浮かべたアリカはすぐに男から興味を失ったようにさっさと踵を返す。いつまでもこの男にばかり構っているわけにはいかない。やる事は山積みなのだ。


「エーラ、そいつを適当に縛り上げて尋問の準備をしろ。ビビはケディーとイーファに連絡して、間諜どもを動かすように言っとけ。エフェシアはアーニャ様と合流。他の連中に混じって通常業務だ。せいぜいアーニャ様に気取られないように動くんだな」


 三人の侍女に指示を出し、返り血のついた頬をぬぐう。メイド服も少し汚れてしまった。新調したほうがいいだろうか。


「団長の読み通りでしたね。念には念を入れて正解でした」


 近衛騎士の一人がそう呟く。この場にいるのは全員がディウルスとアーニャの側近だが、自分達の主人とは別行動を取っていた。もちろん護衛の主力であるアッシュやミリリなどは主人に同行しているが、彼らも側近の中では腕の立つ者達ばかりだ。

 彼らが主人から離れているのはある理由がある。侍女でありながらアーニャのドレスとよく似たドレスをまとい、特別に作らせた銀髪のかつらをつけたエーラは、後ろから見るかあるいは遠目からならアーニャに見えた。ディウルスとよく似た背格好をしたとある騎士は、服装すらも彼と似ている。彼らは従者の立場でありながら、わざとそんな恰好をしていた。何故なら彼らは囮だからだ。

 実は、今日ディウルスとアーニャがニーケンブルク宮殿に赴く事はごく一部の者しか知らない。公には、二人はニーケンブルク宮殿とは反対の方角にあるまったく別の宮殿に向かう事になっている。不審者がアーニャの周りに現れた事に警戒心をあらわにしたディウルスを安心させるべく、アッシュをはじめとした重臣達があらかじめ手を回していたのだ。

 使用人はニーケンブルク宮殿にもいる。王宮から連れていく従者は最低限の人数で構わない。滞在に必要な物は、あらかじめニーケンブルク宮殿の近くの街を治める貴族、セトラ侯爵家の馬車を借りて宮殿まで届けさせた。ディウルス達を乗せる馬車もセトラ家の家紋が入っているものだ。

 実際にニーケンブルク宮殿に向かう馬車は二台だけで、従者や荷物を運ぶための大仰な馬車の列も作っていない。だが、セトラ家が派手な事を好まないのは有名な話だ。対外的には、セトラ家の次男ヴィンダールあるいは当主のラドシェーダが実家に向かっているようにしか見えないだろう。疑う余地はないはずだ。

 その一方で、表向きの滞在先である反対の方角の宮殿に向けて王家の馬車も出発させた。多くの従者と荷物を運んでいるように見せかけるべく、空っぽの馬車が列をなして進む光景は内情を知る者から見ればさぞ滑稽だっただろう。ディウルスはもちろんアーニャがそういう形式ばった事を望んでいないというのは知っている者なら知っている。二人の性格を知っていて、しかし滞在先の真実を知らない者達はそろって首をかしげたはずだ。

 そして、王家の馬車はあと四台出ていた。向かう先は宮殿ですらなく、とりあえず前述の馬車とは違う方角を目指せばそれでいいというぐらい適当なものだ。アリカ達が乗っていたのはこの馬車だった。

 わざわざ三方向に向かう馬車を用意したのは、襲撃先をバラけさせると同時に襲撃者がいた時に少しでも多く情報を集めるためだ。三つの馬車がすべて襲われたならその時はその時だが、相手がどこを襲うかによって分析が違ってくる。

 本物のディウルス達が乗っている馬車が襲われたなら、ディウルスとアーニャの身近なところに裏切者か内通者が潜んでいる事になる。馬車の列が襲われたなら、相手はディウルスとアーニャの事をよく知らないのかもしれない。襲われたのがアリカ達なら、襲撃者は少し頭が回るのだろう。馬車の列がダミーだと気づいたからこそアリカ達の馬車を狙ったのだから。もっとも、セトラ家の馬車を襲わなかった時点で敵の情報収集力はたかが知れているのだが。

 結果、襲われたのはアリカ達の馬車だった。他の馬車が襲撃されたという連絡はない。どうやら襲撃の糸を引く者は、頭は回るが情報収集力に欠けるらしい。アライベルの事情に疎い、と言い換える事もできるだろう。

 アリカ達を襲ったのは盗賊だった。しかしただの盗賊にしては統制がとれすぎている。もちろんそんな盗賊団がいないとは限らないが、それにしても装備が充実しすぎていた。それがアリカ達に通用するかは別としても、彼らの装備はすべて実戦向きのもので、おまけに使い込まれていてよく手入れされているものだったのだ。

 盗賊ごときがあれだけのものを揃えられるなら相当荒稼ぎしているのだろうが、この地域で盗賊が活発化しているという話も大きな被害を出している盗賊団の話も聞いた事がない。考えられるのは、つい最近傭兵崩れ達が盗賊に転向したか――――傭兵団がわけあって盗賊団の真似事をしているかのどちらかだ。

 しかし当然の事ながら、傭兵ギルドは“盗賊に扮して馬車を襲え”などという犯罪の臭いしかしないような依頼は受注させない。仮にこれが傭兵の仕業だというなら、ギルドを通していない非公式のものだとみるのが妥当だろう。

 一応傭兵につてはあるので、そちらのほうから盗賊団の実情を探ってみる事にしよう。どうせ自分はアーニャと合流しないのだし、自由に動ける時間はある程度取れる。王宮勤めの侍女になるという事で一時期傭兵としての活動は控えていたが、つてを辿るくらいならなんとかなるだろう。

 気になる事はもう一つある。襲撃者のリーダー格は、「お姫様には傷一つつけるなよ」と叫んだのだ。そして彼らはディウルス役の騎士には目もくれず、アーニャに扮したエーラを狙った。単純な暗殺とはまた違う、きな臭いものを感じてアリカは不愉快そうに鼻を鳴らした。


* * *


「やあアリカ、久しぶりだな」


 とても貴族が来るところとは思えないような薄暗い酒場に足を運んだアリカに真っ先に声をかけてきたのは、陰気に笑う青年だった。彼の事はアリカもよく知っている。アリカはそのまま彼と同じテーブルについた。

 アーニャとディウルスに扮した者達が乗った馬車が襲撃されてから一日。今頃アーニャ達はニーケンブルク宮殿で何も知らずに過ごしているだろうが、そうしている間にも事態は動いている。まだ量は少ないだろうが、なるべく鮮度の高い情報を手に入れるためにアリカはここに来ていた。そもそも、あの襲撃の時に一人だけ生かしておいた男からある程度の情報は搾り取れている。ここで得られる情報量が少なくても、裏付けさえできれば十分だった。


「調子はどうだ、ファルター」

「まあまあだ。お前はどうなんだ? 令嬢暮らしは窮屈じゃないか?」

「そうでもねぇよ。なんだかんだで結構楽しんでるぜ」


 アリカの昔なじみである傭兵、ファルター・フリーデンは彼女が伯爵令嬢だという事を知っている。彼とはアリカが立ち歩きできるようになる前からの付き合いだ。何度も背中を預け合った仲という事もあり、アリカはファルターの事を誰よりも信頼していた。

 だが、未来の王妃付きの侍女頭になったという事までは伝えていない。単純に言う時機を逃していただけだが、今回はそのおかげで公平な視点からファルターを見る事ができる。ファルターを疑いたくはないが、集める情報はできるだけ客観的なもののほうがいい。


「あたしの事はいいんだよ。それより、最近なんか面白い話はなかったか? 例えば……そうだな、ギルドを追い出された傭兵崩れが王都の近くで暴れてるとかよ」

「……親父さんが何か言ってたのか?」


 ファルターは糸目をわずかに開いてビールジョッキを置いた。アリカは否定も肯定もしない。その反応に、ファルターは「お嬢様は何でもお見通しだな」と呟いて小さくため息をついた。

 アリカの実家であるアルジェント伯爵家は、代々アライベルの傭兵ギルドを支援している。そもそも、アルジェント家の始祖が傭兵ギルドの初代ギルド長で、その武功を当時の国王に認められて叙勲されたのだ。その繋がりからアルジェント家と傭兵ギルドの間には切っても切れない縁があり、当代当主の一人娘であるアリカも傭兵ギルドの傭兵達とは何かとかかわってきた。アルジェント家のならわしで素性を隠して傭兵として傭兵ギルドに登録した事もあるが、ほとんどの人間には伯爵令嬢だと知られていた気がする。


「俺の知る限りだと、王都近郊で暴れられるような度胸のある傭兵団で除名されたところはないはずだ。暴れてる奴がいたなら、そいつは傭兵崩れじゃない。受注したのがそういう依頼だったんだろ。もちろん、ギルドを通してない依頼だ」 

「何か心当たりでもあるのか?」


 尋ねると、ファルターは重々しく頷いた。さっそく当たりか。ウェイトレスを呼び止めてビールを頼み、アリカは口角を吊り上げた。追加のビールを頼みながらファルターは続きを語る。


「傭兵は信用が命だ。まっとうな傭兵団なら、ギルドを通さないっていうだけならまだしも犯罪まがいの依頼には手を出さない。だが、最近妙な依頼の打診をされた傭兵団がいくつかあったらしい」

「どんな依頼だったんだ?」

「……お前にぼかしても仕方ないか。ルーギリッツに聞いた話だと、ある馬車を襲ってほしいというものだったそうだ。どう考えても普通じゃないよな」


 ファルターが名前を出したのは、彼とはまた別の傭兵団に所属する傭兵の名前だった。彼とはアリカも何度か顔を合わせた事がある。真面目で気難しい職人気質の男で、嘘をつくような人物ではない。


「そもそも、最初は“秘密を守れる者にだけ依頼したい。詳しい話は受注後に”なんてふざけた内容だったそうだ。怪しいと思ったルーギリッツがそこを無理やり聞き出した結果、そんな事を言われたそうだ。もちろん依頼を蹴ってすぐにギルドに通報したらしいが、そのおかげで他にもいくつかの傭兵団が同じような依頼を持ちかけられていた事がわかったんだ」


 当然どの傭兵団も受注を拒んだらしいが、と付け加え、ファルターは届いたジョッキを呷った。


「俺のところの傭兵団にもそんな依頼が来てたんだよ。団長がさっさと依頼人を叩きだしてくれたおかげで深くかかわらなくて済んだが、犯罪の片棒を担ぐ羽目になったかと思うとぞっとするぜ。……だが、報酬は破格だった。いくら怪しくても稼ぎがいいんだ、よそに知られないように受注したところが一つはあってもおかしくないだろ。直接の関係はないだろうが、姿を消した傭兵団だってある。そういう依頼に手を出して、危ない事に巻き込まれたのかもしれないな」


 普通、傭兵団への依頼はギルドを通して行われる。依頼主がギルドに依頼の受注を委託し、集まった依頼をギルドのほうで紹介し、傭兵団がそれを受注していくシステムだ。それは公平性を保つためだったり双方の安全性を保障するためだったりするのだが、たまにこの正規の手順から外れた者が出てくる。

 彼らがギルドを通さない理由は様々だ。ギルドへ依頼の保障金を払うのを惜しんでいたり、ギルドへ依頼委託の手数料を払うのが嫌だったり――――秘密裏に犯罪を依頼したかったり。後者はともかく前者の二つは実際に犯罪かと言われると微妙なところという事もあり、傭兵団と直接やり取りする依頼者は後を絶たなかった。

 犯罪だと言いきれない以上、そういった依頼者と傭兵団の存在は傭兵ギルドも渋々黙認していた。しかし今回の件は、明らかに犯罪の臭いしかしない依頼が直接傭兵団に打診されている。悩みの種どころか、ギルドの裏方達の胃に穴が開きそうな話だ。きっと今頃は傭兵ギルドも血眼になって依頼者を探している事だろう。というか、仮にしていなくてもアリカとアリカの父がそうさせる。


「……そうだな。もうこんな事が起きないよう、きっちり調べさせてもらうぜ」

 

 アリカは冷たいビールで唇を湿らせる。ファルターの話は、捕まえた男の話を裏付けるものだった。男もファルターと似たような事を言ったのだ。王家の馬車を襲って銀髪のお姫様をさらってほしいという依頼が来たから実行しただけだ、依頼主についてもそれから先についても知らない、と。

 依頼を受けただけだろうがなんだろうが、はいそうですかと釈放できるわけがない。男は今も獄中だ。近々正式に裁きが下ると思う。それまでに男が、依頼主の手の者に殺されなければの話だが。


(……その依頼主とやらは、何が目的なんだ?)


 傭兵を雇って馬車を襲わせ、名指しでアーニャをさらおうとして。依頼主の狙いが見えない。

 アーニャの名誉を傷つけ、婚約を破談にさせる事が目的だったのだろうか。たとえ実際には何もされていなくても、さらわれたという事実があるならどうしても疑惑の目は向けられてしまうだろう。

 アーニャを嫌うクラウディスの人間の犯行か、と一瞬思うが、それにしてはクラウディス側になんの利点もない。アーニャが幸せになる事が許せない、とまで嫌悪が突き抜けたならまだしも、そのせいでアーニャは祖国に帰ってくるかもしれないのだ。本当にアーニャが嫌いなら、そんな事を望むとは思えなかった。

 アーニャをディウルスの妻と認めない人間がアライベルにいるとも考えづらい。アーニャとディウルスの仲を引き裂いて得をする人間などどこにもいないのだ。アーニャがいなければ、もう王妃のあてはないのだから。

 嫉妬に狂った令嬢が暴走する心配をしなくていいのは、ディウルスにまったく女っ気がなかった事の数少ない利点だろうか。これがほかの国なら王の異母妹でありディウルスに世継ぎが産まれなければのちの王母になれるシェニラが疑われるのかもしれないが、意志の意味でも頭脳の意味でも彼女にそこまでの悪事が働けるかは微妙なところだ。

 王妃の権力を求めた佞臣が自分の娘を王妃にするため、邪魔なアーニャを追い出そうとしているというのも考えづらい。そんな思考を持った貴族がいるなら、アーニャとの婚姻話が出る前にさっさと自分の娘を売り込んでいるだろう。下級貴族の出では王とは釣り合わないと、ほぞを噛みながら引き下がった者ならいたかもしれないが。少なくとも、アリカに思い当たる節はなかった。

 それならやはり、クラウディス王女(アーニャ)を傷つける事でアライベルを貶め、クラウディスとアライベルの間に火種をもたらそうとしている外国の仕業だと見るのが妥当だろう。

 あるいは、単純にアーニャをディウルスから引き離して我が物にしたかったから、というのも考えられるのではないだろうか。

 ――――いや、まさか。夢見がちなわりにどろどろとした恋愛小説よろしく真実の愛を気取った略奪劇でもあるまいし、とアリカはとっさに浮かんだ突飛な考えに苦笑しながら、つまみのヴルストに手を伸ばした。

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