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迎えの使者

 髪を結われながら、アーニャ・クラウディスは小さくため息をつく。彼女としては特に意味のない動作だったが、彼女に長年付き従う侍女エバ・アンスは手を止めた。どことなく主君の表情に影が落ちているような気がして、丸みを帯びたエバの顔がみるみる険しくなる。


「やはり此度の婚礼は、気が進まれませんか?」

「……いいえ。ただ、少し緊張しているだけです。それに、昨日はよく眠れませんでしたから。楽しみで楽しみで、すっかり目が冴えてしまいました」


 気にしないでと告げるようにアーニャは微笑む。ため息をつくのはエバの番だった。しかしアーニャはそれに構わず、早く髪を結んでと続きを促した。


「ねえ、エバ。わたし、幸せですよ。だって、ようやくわたしを必要としてくれる人が現れたんですもの。これでやっと、王女としての役目を果たせます」

「姫様……」

「それにわたしは、一人で行くのではありません。あなたも、ウィザーもついてきてくれる。心配する事など一つもないでしょう?」


 それを聞き、エバはぎゅっと唇を引き結んだ。これからアーニャは婚礼のために異国に赴く。その彼女についていくのは自分を含めて二人だ。たったの二人。曲がりなりにもアーニャはこの国の王女であるというのに、嫁入り道具も必要最低限のものだけだった。

 輿入れの際に二人しか従者を連れて行かない王女など聞いた事もない。だが、主君はそれをしようとしている。いや、させられようとしている。そしてそれがおかしい事に、この哀れな少女は気づかない。慣れ親しんだ側近を二人も連れていけるだけで幸福だと、信じ切っているのだ。


「アライベルはどんな国なんでしょう。わたしの夫となる方はどんな方なんでしょう。アライベルの使者様が到着なさるのは、十六時ぐらいでしたっけ? ああ、それまで待ちきれそうにありません……」


 クラウディス王国第四王女アーニャ・クラウディス。彼女の婚約は、ついひと月ほど前に決まった。相手は今までろくな国交のなかった大陸の国、アライベル王国の王だ。

 十七歳のアーニャに対し、アライベル王は二十二歳だという。年齢は釣り合っているし、身分も申し分ない。アーニャの父王は、早々にその縁談をまとめた。

 二人の婚約は、両国の同盟締結のために結ばれたものだ。小さな島国であるクラウディス王国が大陸に進出するための足掛かりとするために、アーニャの父にあたるクラウディス国王バルトロイは娘達を餌にして他国と同盟を結ぼうとした。それに引っかかったのが、アライベル王国というわけだ。

 本来一年以上は設けていいであろう婚約期間を半年とし、その時間をアライベル王国で過ごす。それが婚約にあたって決定されたスケジュールだった。婚礼準備の期間は実質ひと月しかない。アライベルとクラウディス、どちらがそう言い出したのかはエバはもちろんアーニャにもわからないし、その強行スケジュールに口を挟む事もできなかった。

 今日は、夕方からアライベル王国からの使者が来る予定だった。未来の王妃アーニャを迎えに来るのだ。アーニャの侍女エバ、そして近衛騎士ウィザー・メルもそれについていく手筈になっていた。

 ウィザーは「アライベルの王様がアーニャ様を泣かせるような奴なら、即行でアーニャ様を助け出して愛の逃避行でもしてやる」などとくだらない事ばかりうそぶく青年だが、剣の腕は確かだ。本当にそんな事をされたらたまらないが、まさか実行はしないだろう。それに、アーニャの輿入れについていく者はそれぐらいの気概があったほうがいい。ウィザーの言動には頭を痛めてばかりのエバも、今回ばかりは彼を咎められなかった。


「エバ、とびきり可愛くしてくださいね。はるばるいらっしゃった使者様を、がっかりさせたくありませんもの」

「ふふ。姫様は、そのままでも十分お美しいですよ」


 それはエバの本心からの言葉だった。流れる星を集めたような銀色の長い髪も、気品を宿した瞳も、ほんのり色づいた唇も、形のいい鼻も、滑らかな白い肌も、すらりと伸びた手足も。すべてが美しく調和し、アーニャ・クラウディスという少女を一種の芸術品のように見せている。

 彼女を着飾る事を許されるという事はエバにとっての誉れだったが、それと同時に重圧だった。自分が何か余計な手を加える事でアーニャの魅力を損ないはしないか、そればかりが気にかかる。だが、結論から言えばそれは杞憂に過ぎない。本当に美しいものは、何をしても美しいのだから。

 どんな男も、アーニャを一目見れば心を奪われるだろう。ただこの国では、その美貌をもってしても迫る悪意をはねのけられなかっただけ。アライベル王国にいけば、アーニャはすべてのしがらみから解き放たれる。アライベルの王は、きっとアーニャを愛してくれるに違いない。

 だから大丈夫。アライベルでもアーニャが冷遇されるなど、万に一つもありえない。


「本当? それならいいんですけれど」


 アーニャは鈴を転がしたように笑った。エバも微笑みながら、丁寧にアーニャの髪を編み込んでいく。

 やがてすべての支度が終わった。荷物の最終確認をしていればすぐに約束の時間になるだろう。どきどきと胸を高鳴らせながら、アーニャは時計を見つめていた。


*


「お初にお目にかかります、アーニャ姫。アライベル王国宰相補佐官、リット・ログレイ・ロラディオンと申します」


 十人ばかりの使者の一団を引き連れた青年は、そう言って恭しく一礼した。父王が鷹揚に頷き、ちらりとアーニャを見る。


「アーニャ・クラウディスです。お見知りおきを、閣下」


 アーニャは慌ててドレスの裾をつまんで膝を折った。指先はわずかに震えている。リットと名乗った青年の、血を思わせる赤黒い瞳は値踏みするように細められていた。

 冷たい視線がアーニャの全身を刺す。やがてモノクルの向こうにある血の瞳と、アーニャの瞳が数秒間ぶつかる。アーニャは何も言えなかった。


「……失礼。アーニャ姫があまりにもお美しいので、思わず見入ってしまいました」

「あ……お、お気になさらないでください……」


 身体を縮こまらせ、何とかそれだけ告げる。不出来なその対応に、失望したような父王と嘲笑を浮かべる王妃達や異母兄姉達の、責めるような空気が伝わってくるような気がした。


「ロラディオン殿。今日中に、アーニャはアライベルに?」

「ええ。こちらで転移の陣を用意させていただきます。アーニャ姫とお付きの方々には、それを使って我が国に来ていただければと」


 リットは唇の端を吊り上げた。何か含みのあるような笑みだ。それが恐ろしく、アーニャは思わず俯いた。すかさずアーニャの背後に立っていた第一王女が背中をつねる。

 痛みに驚きつつ、アーニャはなんとか顔を上げた。リットはアーニャを見ながら怪訝そうな顔をしている。だが、第一王女が何かした事には気づいていないようだ。アーニャはぎこちなく微笑みながらお茶を濁した。


「そうか。……こちらの準備はとうにできておる。なんなら今すぐにでも発ってもらって構わぬが」

「こちらにも、準備がありますので。出発には一時間から二時間ほどいただきたいのですが」


 役立たず(アーニャ)を連れてさっさと帰ってくれと言いたげなバルトロイの言葉に、リットはやんわりと拒絶の意を示す。その瞬間、使者の一団の中にいたローブをまとった眼鏡の青年とアーニャの視線が交差した。

 人間離れした美貌をもった、線の細い青年だ。彼は人当たりのいい笑みを浮かべ、アーニャに向けて軽く会釈をする。アーニャも微笑みながらそれを返したが、果たしてうまくできただろうか。使者達に向けて何か失礼な態度を取らないか、クラウディスの王女として恥じないよう振る舞えているか、そればかりが気がかりだった。


「……うむ。では、そのように頼む」


 バルトロイは不服そうな表情を見せるが、リットは笑みを深めるだけだ。これ以上食い下がっても無駄だと悟ったのか、やがてバルトロイはため息をついた。その時に彼がわずかにリットから目をそらしたのを、アーニャは見逃さない。


(……お父様でも、リット様にはひるんでしまわれるのですね)


 怯えるなど失礼な事だとわかっている。それでも、リットの笑みは恐ろしいのだ。その表情には友好的な雰囲気など欠片もなく、ただ本能的な恐怖を掻き立てる。この凍てついた笑みの裏で、彼はいったい何を考えているのだろう。


 下がっていいと示されて、アーニャはほっと息を吐きながら謁見の間を後にした。そんな彼女のあとを、ぞろぞろと王族が続く。第一王妃と第二王妃、そして彼女達の子である三人の王女と二人の王子だ。

 第一王子は素知らぬ顔でさっさとアーニャを追い越していく。第二王子はじろりとアーニャを睨みつつ、異母兄とは反対のほうへ歩き出した。しかし王妃達と王女達はその場を去ろうとはせずにアーニャを取り囲み、口々に言葉をぶつけ始める。


「よかったわね、アーニャ。無事に嫁げる事になって。いつこの縁談が破談になるか、誰もが気を揉んでいたのよ?」

「最後の最後で王の気が変わったと、ロラディオン様があちらの王と貴方の婚約解消を言い出さないか、わたくし心配で心配で……いてもたってもいられませんでしたわ」

「その呪われた瞳を受け入れられる殿方なんて、きっと他に見つからないでしょう。アライベル王の機嫌を損なわないように、せいぜい媚でも売っていなさいな」

「着いたその日に出戻りなんて失態はやめてくださいましね? 我がクラウディス王族の品位が疑われますわ」

「それで済むならいいほうよ。アライベル王の怒りを買って、同盟破棄なんて事になったら……ねえアーニャ、どう責任を取ってくださるの?」


 次から次へと聞かされる棘のある声に、アーニャは俯きながら唇を噛んだ。耳を塞ぎたいが、それはできない。彼女達の言葉は真実だからだ。


「……その時は、命にかえて償います。たとえ王の不興を買ったとしても、国を巻き込む事はいたしません」


 アーニャがアライベル国王の機嫌を損なう事があったら、離縁を言い渡されてしまうかもしれない。そうなれば同盟の無効化もありえる。同盟の条件は王女の輿入れなのだから。

 アライベル王国は、五年前に終結したという三年に渡る大きな戦争のせいで国内がかなり混乱したと聞く。老齢の者のほとんどはその余波を受けて死ぬか退くかして、彼らの代わりに要職に就いた若者も多いと。

 だが、それでもアライベルの国力は衰えていない。むしろ戦争が起きた八年前より強くなったのでは、とクラウディスの貴族達も囁いていた。そんなアライベルのような国を味方につけるからこそ、大陸に進出する大きな一歩になるのだ。今、アライベルとの同盟締結を白紙に戻すような事があってはならない。

 それに、父王にとってアーニャはできそこないの役立たずだ。政略結婚という唯一の利用価値さえなくなれば、もうアーニャが生きている意味はなかった。

 そして出戻りの王女を嫁にしてくれる家はない。アライベル王との結婚は、アーニャにとって最初で最後のチャンスだった。自分だってクラウディスの王族として、国のためになれるのだと示すための。

 辛辣な言葉を次々吐き出す王妃達や異母姉に曖昧な笑みで別れを告げ、アーニャは足早にその場を去る。疎まれる原因の一つである、左右で色の異なる双眸。そこからこぼれる透明な雫だけは、誰にも見られたくはなかった。

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