真名探求研究会2
コシク州立ウンド魔法学校。幼年部から初等、中等、高等部までの総合魔法教育機関である。
生徒の自立と自律を促すため高等部は全寮制となっており、さらに希望者は形式的な試験を受けるだけで隣接する魔法大学園への進学が認められている。
しかし近年ではコシク州自体が国の開発から取り残されており、他州の大学園への進学者や中央での就職者の割合が増加している。そのため有能な人材の育成と定着が緊急の課題となっていた。
昼食を取り終えた――運良く団体客と入れ違いとなり時間が掛からなかった――昇は友人たちと別れ、一人図書館へと向かった。
館内では昼休みの時間を使って、知識を貪る者や惰眠を貪る者たちが思い思いの時間を過ごしていた。
時折離れの児童書コーナーから子どもたちの笑い声が聞こえてくる。どうやら今日は初等部の児童への貸し出しが行われているらしい。
入口近くのカウンターに座る史書に軽く会釈をして目的の場所へと足を進める。
棚の横にせり出したボードには『魔法科学』と書かれていた。手近な一冊を手に取り魔法障壁の項目を流し読みする。
それを何度か繰り返して数冊の本をピックアップした。
「借りる」
カウンターに戻って貸し出し手続きをする。
既に何百回と繰り返してきた手順だ、問題が起こる訳がない。
「あら、これ駄目よ。禁帯出が貼られているもの」
「何だと!?」
史書に言われて見てみると、なるほど、確かに背表紙に禁帯出と書かれたシールが貼ってある。
初歩的なミスだ。
「油断大敵ということか。すまない、そちらは戻しておこう」
「見回りついでに戻しておくから構わないわ。それにしても本を借りるだけなのに油断大敵って大袈裟じゃないかしら?」
「そんなことはない。翌日の朝一で提出しなければいけないレポートの作成にこの本が必要ということは十分にありうるだろう。今は昼休みだが、これが閉館間際だったらどうする?」
過去に似たような経験があるのか、昇の例えに史書はぶるりと身を震わせた。
「それは確かに大ピンチね。でもそうならないように、資料の選択は余裕を持ってして欲しいわね」
「全くもってその通りだな。肝に銘じておこう。それでは残りは借りていく。返却期限はいつもと同じで良いのか?」
「ええ。期限は一週間よ。そうそう、木下君なら問題ないとは思うけれど、くれぐれも借りた本に書き込んだりしないでね」
「それはあの子たちに言うことではないのか?」
昇が指差した別館からは、相変わらず子どもたちの笑い声が聞こえていた。
「残念ながら犯人は高等部の生徒よ。定期考査前になるとにわか利用者が増えて、そういう子たちがついやっちゃうのよ。あと半月もすればテスト週間に入るから、そろそろ声をかけ始めているというわけよ」
司書は面倒な季節が来たと言わんばかりに大きく溜め息を吐いた。
「了解した。機会があれば知り合いにも言っておこう」
「お願いするわ。引き留めて悪かったわね、またのご利用をお待ちしております」
何とも似合わない挨拶を背に受けて昇は図書館を後にすると、そのまま教室ではなくクラブ棟へと足を向ける。
クラブ棟は旧校舎を改装したものなのでしっかりした造りで、使用しているクラブによっては先程の魔法実習棟より余程立派な内装をしていたりする。
ただし大元の建物自体は古いので、楽しい噂話――いわゆる学校の七不思議に類する話。魔法という不思議な力を使いこなす彼らにとっても霊の存在は謎なのである――は数多く存在している。
最上階まで上がり、さらに一番奥を目指す。
途中オカルト研究会の部屋から得体のしれない声が響いてきていたり、霊薬研究会の扉の隙間から怪しげな煙が漏れ出ていたりしたが、いつものことなので気にしない。
目的の『真名探求研究会』の扉にはなんのプレートも掲げられてはいなかったが、よく見ると小さく『中二病』だの『カッコつけ』だのと落書きがされていた。
これもいつものことなので気にしない。どうせならもっと大きく書けばいいと思うのだが、教師陣に見つかりたくない――こんな辺鄙な場所まで見回りに来る教師などまずいないのだが――のか、それとも良心が邪魔をしたのか、何とも言えないサイズの落書きである。
「開かれよ、英知の扉!……ううむ、これもしっくりこない」
そろそろこの扉の施錠も魔法を使ったものにしたいのだが、適当な文句が思いつかないでいた。そのため今日も懐から鍵を取り出して――現在所属しているのは昇だけなので常に鍵を持っていても問題ないのである――開けることになった。
部屋の中は飾り気のない質素なものだった。中央に長机が二脚合わせて置かれており、その周りに数脚の椅子が配置されていた。
特筆すべきなのは片面の壁で、一面本棚が覆い、魔法関連の本がびっしり詰め込まれている。既に何割かの本は読んでいるし、これからも読んでいくつもりではあるが、実はこの本棚と本たちは隣の部屋からの騒音を防ぐ防音壁の役割が主だったりする。
机の上に借りてきた本を置き、奥の窓を開ける。初秋を渡る風は涼やかで、夏の湿度を含んだそれとは異なりどこか軽やかさを感じさせる。
とは言え昼下がりの日差しはまだまだ強く、食後の運動に球技をしている生徒たちは汗だくになっていた。
「よくもまあこの暑い中で走り回れるものだ」
インドア派の自分にとっては考えられないことだ。その一団の中に見知った顔があるような気がして目を凝らす。
そこにいたのはつい先程の魔法実習で対戦した一人だった。それほど体を動かしていたわけではないが、魔法の発動には気力と同時に体力も使う。
彼が真剣に取り組んでいたことは対戦した昇が一番よく分かっていた。その上で球技を楽しんでいるのだから、彼のバイタリティーには頭が下がる。
「俺ももう少し体力を付けなければいかんな」
魔法を使える彼らは将来魔法犯罪対策を行う部署に就く可能性がそれなりに高い。そうなると連続で魔法の使用を強いられることや、魔法を使った後に犯人を追いつめる、または犯人を追いつめた後に魔法を使うということも大いにあり得る。
実習で問題ないからと言って体を鍛えなくても良いという理由にはならないのである。
決意を胸に振り返ると、借りてきたばかりの本が目に飛び込んできた。実習最下位のペナルティである魔法障壁の補強は本日中に引き伸ばしてもらったが、そのための文句――昇が言うところの真名――は放課後までに考えておかなくてはいけない。
体力を付けるよりも前に、こちらの用件を終わらせる必要がありそうだ。
幸い時計を見ると昼休みの終了までもう少し時間がある。昇は一番上に置かれた本を開いたのだった。