第四十章 決戦 「行こう、最期の闘いに」
エイミー、コトネが卑徒ベルル・ベルルの首を落とす数刻前。
テオドール、ミラージュ、グローリアの三人は、三つ首の眷属を相手に苦戦を強いられていた。
「ぐっ……!」
身を刺すような痛みに苦悶の声を漏らしたのは果たして誰であったか。
眷属は既に二つの首を失い、全身を血に塗れさせている。だらしなく垂れた舌は極度の疲労によるものだろいう。
そのような状態に陥ってもなお、眷属の闘志が消えることはない。
しかし、それはテオドールたちも同様であった。
三人ともが大量の血を流し肩で息をしている。決着は目前だ。
「フン……まったく、忌々しい犬ッコロじゃな。うちの駄犬と交換して欲しいところじゃが」
「ふざけろヴァンピーナ。俺のほうが何倍も強いことは明白だ。こいつを軽く捻った後、貴様の体に教え込ませてやってもいいんだぞ」
「うわぁ……それってちょっとイヤらしく聞こえるでありますよ隊長殿……」
いつもの軽口を叩きあう。どんな時であれ余裕を崩さないという姿勢は、戦場が当たり前な彼らにとっては自然である。
果たしてその軽口の応酬を理解したのか、眷属がスパークをまき散らしながら咆哮。
「散れっ……!」
グローリアの鋭い一言に弾かれるようにしてそれぞれが散開した。
敵の懐へもぐりこむミラージュ、それに合わせるように突っ込むテオドール。彼らを支援するグローリア。
『オラオラオラァ、頭が高いんだよワンちゃんよお――!」
グロリアスのダミ声が木霊すると同時、魔傘の先端から闇の焔が放たれる。
すかさず眷属がスパークで迎撃――だが、その時には既にテオドールとミラージュの二人が肉迫していた。
二つの頭が潰れたことにより、同時に三人を処理しきることができないのだ。
その隙を逃す狂戦士たちではない。正に格好の餌である。
「もらった!」
テオドールが自慢の大斧を大きく振りかぶる。狙うは当然残った頭部であり、大砲並みの威力を持つ一撃は吸い込まれるようにして迫り――
刹那。ミラージュは、眷属がニヤリとほくそ笑んだかのように見えた。
「隊長殿っ……!」
一切の躊躇もなく飛び込んだミラージュがテオドールを突き飛ばす。
次の瞬間、罠にかかった獲物を咀嚼するかの如く雷撃が迸った。
「あ、ああああああああああああああぁああぁぁぁっ!?」
「ミラージュ……!? クソッタレが!」
テオドールの盾になったミラージュが絶叫。対象の接近を感知して発動するトラップ型の魔術であった。
いかに罠とはいえ直撃してただで済むわけもなく、黒猫は白目をむいて痙攣を繰り返した。
眷属が勝ち誇るように口を開き、口腔から雷弾を放射。
向けられた先はミラージュだ。弱り切ったものから死んでいくのは当然の摂理だとでもいうような、容赦のない一撃。
「させるか! やれいテオドール――お主の仕事じゃ!」
グローリアが極大の光刃を振るい、雷弾と相殺させる。凄まじい量の魔力同士がぶつかり合う衝撃波をまともに浴びながら、それでもテオドールは大斧を振りかぶった。
「消え失せろ、下等生物がぁああああああああああああああああああああああっ!」
テオドールの怒りが爆ぜた。大斧を大きく旋回させ、さらに魔力を噴射することで威力を増大させる。
彼の尋常ならざる膂力とありったけの魔力をつぎ込んだ至高の一閃は、眷属の頭部のみならず胴体までをも一刀両断してみせた。
「はぁ、はぁ、はぁ……勝った、のか?」
茫然と息を吐くテオドール。塵となっていく眷属を見届けたあと、我に返ったかのように背後のミラージュへ駆け寄った。
彼女は酷い有様だった。自慢の黒髪は焼け焦げ、鼻腔を吐く嫌な臭いを発している。
四肢は焼け爛れ、半ば炭化してしまっていた。
グローリアも彼女の元へと駆け寄るが、その容体を見ると静かに首を横に振る。
どう考えても、助からない。
ミラージュは死に瀕していた。今はただかろうじて「死んでいない」というだけだ。
その原因が自分にあると痛感しているテオドールは、小さく呟くしかなかった。
「この、馬鹿野郎が……」
強く唇を噛み締める。血が滴り、ミラージュの頬に落ちた。
涙の代わりに落とされるような雫に何を感じたのか――ミラージュの瞼がゆっくりと開いた。
「た、隊長、殿……ご無事、で、ありま……すか……?」
それは一種の奇跡だった。普通ならば話せるような状態ではない。彼女の持つ生命力の強さが、今になって最後の灯火を見せているのだろう。
テオドールはミラージュの軟な身体を抱きかかえて、必死に訴える。
「もういい、喋るな。お前はよくやった。そのおかげでこうして生きている。お前は《黒の隊》の誇りだ……!」
「は、はは……それは……自分には、過ぎた……名、誉……で……ありま、す……ね……」
もはや彼女の瞳には何も映ってはいなかった。敬愛する隊長の無事をその目で確かめることすらできないのだ。
「お前は俺などよりもよっぽど強く、そして立派な戦士だった! 俺が……俺が、保証してやる」
「あり……がとう……ござい、ます……隊長……殿……。どう……か……卑……徒を……倒し、て……くださ……」
ミラージュの瞼がゆっくりと閉じられていく。己が役目を終えようとしているかのように。
テオドールは抱きかかえる手が震えぬようにと歯を食いしばる。最期の瞬間まで、彼女にとっての尊敬すべき上官であるために。
「ああ……ああ……! 必ず、必ず卑徒をこの手でブチ殺してやる。だから安心して眠れ、ミラージュ……お前の分まで、俺が戦ってやる」
「それ……なら……あん、しん……で……ありま、す……ね……」
ミラージュは信念を貫き通した。戦場で死ねるなら本望だと、その表情が語っている。
帳が落ちた。最期まで戦士であり続けた少女は、満足げに笑いながら永い眠りについた。
しばしの静寂の後、テオドールが彼女の遺体を横たえる。
ずっと沈黙を保っていたグローリアがくるりと踵を返した。
「……ゆくぞ」
「……ああ」
グローリアも部下を亡くす気持ちは痛いほどわかっている。だからこそ何も言わずにいたのだ。
黒狼は背後を一瞥して、誓うように宣言する。
「お前の体をこんなところで野ざらしになどしておけるものか。俺たちは必ず勝つ――そして、お前を帰るべきところへ帰してやる」
戦士は進む。たとえその爪が折れようとも、牙が欠けようとも。
誇りある限り、進まなければならないのだ。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「今のは……」
卑徒グリド・グリドの消滅を確認した私は、ほぼ同時にもう一つの魔力反応が消失したことに気付いた。
規模からいって、恐らくは卑徒ベルル・ベルルだろう。仲間たちも戦ってくれているのだ。
「おかげで、どうにか持ちそうだ……」
卑徒の羽根を埋め込まれた胸を押さえると、心臓以外にも脈動する物体があるのが分かる。
卑徒化するにはまだ猶予があるようだった。だがもしもベルル・ベルルとの戦闘にもつれこんでいたら、ルシフ・ルシフと相対する前に孵化してしまっていただろう。
人間でいられる時間は、もはや幾ばくもない。
「ふむ、これは万が一のことも考えなくてはなるまい」
独り思案する。薄々こうなる予感はあったのだ。それこそ、卑徒という存在を知ってからずっと。
だから、対策は考えてあった。
魔王城に残るリーネの顔を思い浮かべる。彼女は、はたしてどんな反応を返すだろうか。
視線を上げると、透明な棺に詰められたリーンが視界に入る。
――唐突に破裂音が響いた。
結界として機能していた棺が、卑徒の減少により崩壊していく。
まるで蛹が孵化するかのような光景。さきほどまで《孵化》というイメージをしていただけに、思わず胸元を握りしめてしまった。
やがて完全に棺が消滅し、中に納まっていたリーンが崩れ落ちる。
「ぐっ――」
「おい、大丈夫か!」
慌てて抱き起すと、かなり憔悴している様子が見てとれた。度重なる幻影魔術の行使と、召喚魔術が彼女の負担を増大させたのだろう。
加えて、今まで封印されてきた体は痩せ細ってしまっている。
まるで病人のような顔色だ。このままにはしておけないと手をかざすと、腕を掴まれた。
「……やめろ、気遣いは無用だ。わたしのことは気にしなくていい」
「強がっている場合かね。喋るだけでも辛そうではないか」
気丈にも私の手を振り払いながら立ち上がるリーン。
「魔力の無駄遣いはよせ。貴様にはこれから、成さねばならないことがあるだろう。わたしを殺してくれるというのなら大歓迎だがな」
覚束ない足取りで何を言われても私の心には響かない。
しかし、治療魔術でもかけようものなら噛み殺す、とでも言わんばかりの殺気を放たれてはどうしようもなかった。
「……君、結構妹に似ているな。その頑固で自分を責めがちなところなどそっくりだ」
リーンは心外だと眉をひそめた。
「アレと一緒にしてくれるな。あいつにも失礼だろう……腹違いとはいえ、わたしのような姉など」
彼女は自責の念に憑りつかれている。が、私にそれをとやかく言う権利はなかった。
――私が対策として考えている作戦を考慮すればなおさらだ。
私とリーンもまた似た者同士ということなのだろう。
「私に君をどうこうしようというつもりはない。死にたいなら勝手に死にたまえ、ただし私の目の届かないところでだ」
あえて突き放す様に言う。彼女はその美麗な顔を憤怒に染めた。
「――ッ! 何故だ、わたしが憎くないとでもいうのか? いいや、たとえ異世界人であるお前に恨まれなかったところで、他の魔族たちはわたしを許さないだろう。遅かれ早かれ、わたしは裁かれる宿命なのだ!」
あまりにも必死の形相だったので、私は決定的な言葉を突き付けた。
「知るか」
「し、知るか、だと……? 貴様、自分が何を言っているか分かって――」
「フン、知ったことではない。私はやりたいことだけをやりたいようにやるだけだ。裁かれたいというのなら、それは私の仕事では――いや、待て」
これは、千載一遇のチャンスなのではないか?
もしもの時のために、保険はかけておけねばなるまい。それがたとえ、どれだけ醜悪な結果になったとしても。
「……貴様、何を考えている」
私は彼女に近づき、そっと耳打ちした。
「ものは相談なのだが……私の一計に乗ってはくれないかね?」
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
私の企てを聞き終えたリーンは、驚愕に目を見開き信じられないという表情を浮かべた。
「……貴様、正気か?」
「無論だとも。伊達や酔狂でこんなことはやれんよ。さてどうだ、まさか嫌だとは言うまい?」
「だが、しかしっ……いや、いいだろう。もし貴様がルシフ・ルシフに勝ったなら――その時は、貴様の望む通りにしてやる」
リーンの言葉に、私は思わず安堵の溜息を吐いた。
これで万事は抜かりない。あとはルシフ・ルシフを倒すだけだ。
「ところで、貴様の仲間たちはどうした。グリド・グリドとベルル・ベルルの魔力は感じられないが……」
「グリド・グリドは私が殺した。ベルル・ベルルは恐らく彼らがやってくれたのだろう。残る卑徒はルシフ・ルシフのみということだ」
――私を除けば、の話だが。
と、そこで背後から扉の開く音が響いた。
姿を現したのは、ちょうど噂をしていた仲間たちだ。
「カズキ! よかった、無事だったのね!」
エイミーとコトネが駆け寄ってくる。
そのさらに背後にはテオドールとグローリアの姿もあった。しかし、ミラージュの姿はどこにも見当たらない。
「まさか……」
不吉な予感が走る。それは彼らの表情を見ることで確信に変わった。
テオドールが静かに首を横に振った。
「あいつは……名誉の死を遂げた。己の本分を果たしたのだ、奴も本望だろう」
そうか、また――死なせてしまったのか。
私がもっと早くグリド・グリドを倒していればと思わずにはいられない。いや、そもそも奴の罠にかからなければ。
しかし、どのような後悔であれ先には立たない。嘆いている暇など私たちには残されていなかった。
見たところグローリアとテオドールの消耗が激しいが、エイミーとコトネは万全の状態のようだ。
私もグリド・グリドとの戦いで疲労している。さらに時限爆弾を埋め込まれてしまったときた。
そんな状況でも、私たちは戦わねばならない。
もっとも、向こうにしても逃がすつもりなどないのだろう。奥の扉から放たれる重圧は、徐々に巨大さを増している。
「この期に及んで臆病風に吹かれたものはいないな? ……よろしい、ならば行こう――最後の闘いに」
ラティラ、エディ、クレス、そしてミラージュ――私が死なせてしまった者たちへの、せめてもの手向けだ。
私の言葉に全員が頷く。ついに――いや、ようやく始まるのだ。
魔族と卑徒の決戦が。この世界に相応しい支配者は一体誰なのかを決める戦いが。
扉の奥の気配は、こちらへ来いと手招きしているかのよう。
その余裕は正しく《傲慢》の罪に相応しいと言えるだろう。決して玉座を離れることがなかった卑徒の王が直接相手になってくれるというのだ。これ以上の好機はありえない。
リーンもまた私たちの列に加わった。
リーネによく似ていながらも、凛とした雰囲気を纏うその姿は実に頼もしいものだった。
「わたしも、せめてもの償いを果たそう。自分の不始末は自分で片をつけるのが筋というものだ。裁かれるのはそれからでも遅くはなかろう」
ああ、その通りだ。役目を果たすがいい、リーン。
だが私との約束も忘れてもらっては困るがね。
そう目で伝えると、頷きが返ってきた。これで準備も整ったといえよう。
「さあ――やりたいことを、やり通しに行こうではないか」
人間よ、欲深くあれ。
私たちは卑徒の玉座の間へと向かった――




