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第三十三章 洗脳 「ゾクゾクしちゃうわ」

 雨が降り注いでいる。

 黒い雨だ。肌を刺すように冷たい冷気を纏い、私たちに抗議するように突き刺さる。

 これは一種の結界に近い。何人たりとも逃さない官能の檻。

 その主である卑徒ラスト・ラストが毒々しい笑みを浮かべた。綺麗な薔薇には棘があるというが、こいつのために生まれた言葉にさえ思えてくる。


「ふふ……踊りなさい哀れなケダモノども。ほら、もっと腰を振って淫らに。涎を垂れ流しながら艶やかに。気持ちいいコト、もっとしましょう?」

 

 まさに魔性だ。特に男である私とテオドールは奴を直視することすら危険なほどの色香である。

 しかも女だろうと逃れられない。背後の三人も辛そうに顔を歪めている。

 が、傘を差すグローリアは比較的に余裕がありそうだ。やはりこの雨が重要なファクターを占めているのだろう。

 そう、雨。雨だ。私とコトネが罠に嵌められた時にも降り注いでいた。


 雨粒全てを回避することなど出来るはずがない。私は《魔障壁》によって全身を覆ってはいるものの、どれほど防げているのか。

 あまり期待しないほうがいいだろう。少なくとも、これが奴の奥の手であることはうかがい知れる。

 持久戦は拙い。ずっと豪雨に打たれていたらどうなるか分からないのだから。

 つまるところ短期決戦。先手はラスト・ラストに取られてしまったが、ここから反撃といこう。


「行くぞ――!」

「いらっしゃいボウヤ。あなたは全然私の好みじゃないし、むしろ見ていて腹が立つくらいなのだけれど……せいぜい可愛がってあげるわ。あんまり早くイッちゃわないでね?」


 何故か、彼女の苛立ちは本物だった。男好きであることは疑うべくもないというのに、そんなに私が好みではないというのか。

 挑発するラスト・ラストへと肉迫。創造した魔力剣を伸ばし、狙うは手の甲から生えた卑徒の翼だ。

 ラスト・ラストがクスリと笑う。それを訝しむ暇もなく、私は奴の掌から生じた魔力波によって吹き飛ばされていた。

「――が、はっ!」

 馬鹿な。何が起こった。

 私の一閃は確かに奴の翼を捉えていたはず。速度はこちらの方が早かったというのに、手に残る感触はない。

 

「なんだ、これは……?」

 思わず漏れた驚愕の声。私が生み出した魔力剣が煙を上げながら溶けていく。

 これは――酸、か?

 頭上を見上げる。絶えず降り注いでくるこの雨が原因とみて間違いない。

 強固であるはずの《魔障壁》もまた溶け始めているのを感じるが、生身のエイミーやコトネ、テオドールは問題なさそうだ。

 

 しかし、魔具であるグロリアスや、魔刀《霙》もまた煙を上げて溶けだしている。

 つまり魔力だけを溶かす雨、ということか。

「これは拙いな。奴の箱庭にいるだけで根こそぎ魔力が溶かされていく……厄介な相手だ」

 魔力量には余裕のある私はともかく、テオドールやエイミーは辛いはずだ。身体強化がなければ、十全の力を発揮することは難しいだろう。


『クケケ、キッツイねえご主人サマよう。早いとこあの淫乱肉便器を倒しちまわねえと俺様がただの骨組みになっちまうぜ』

「そうなったらそうなったでせいせいするのじゃが……まあ、妾の持ち物を勝手に溶かされたのではかなわんのう。ちと教育が必要じゃろうて」


 相変わらずの軽口を叩きあうヴァンピーナとその魔傘。

 挨拶代わりとばかりにドレスを翻すと、極大の闇で作り出された槍の群れがグローリアの指先から放たれる。

 黒き槍は瀑布の如くラスト・ラストに迫るが、しかし確実に酸雨によって威力を削がれてしまっていた。


「あらあら、こんなものなのかしら。拍子抜けだわ。もう少し気合いを入れてちょうだいな。でないと私をイかせられないわよ?」

 ラスト・ラストは空中に浮かんだまま、余裕ありげな表情を崩さない。

 しかし、いくらこの雨が強力であるとはいえ、私たち五人に囲まれてこれだけの余裕を維持しているのには違和感を覚える。

 何か、まだ隠し玉があるとでもいうのか?

 

 ――そんな予感は、現実のものとなった。


 唸りを上げて振るわれる大斧の矛先は、エイミーとコトネの背中。

「なっ……!?」

「……くっ!?」

 

 かろうじて回避した二人だが、その顔には驚愕の色が張り付いて剥がれない。

 私も同じ思いだ。恐らくはグローリアもそうなのだろう、悔しげに唇を噛んでいるのが気配で分かる。

 のそり、と。黒い狼男が大斧を構え直した。その瞳にはかつてのギラギラとした光はなく、どこか虚ろですらある。

 エイミーとコトネを背後から襲ったのは、他ならぬテオドールであった。


「さあ、優雅に踊りなさい人形さん? あなたはなかなか私好みだから、忠実な奴隷として使ってあげるわ……ほら、ケダモノはケダモノらしく、地に這いつくばるのがお似合いよ」

「貴様……ラスト・ラスト! テオドールに何をした!」


 ただならぬ様子から、テオドールが正気でないことは一目瞭然だ。

 そも、彼ほどのものが我々を裏切るなどということは天地が引っくり返っても有り得ない。

 ならば、これはやはりラスト・ラストに操られてしまっていると考えるべきだろう。

 

「テオ……」

 エイミーが悲しげに呟いた。身近な仲間が敵になる――クレスのことを思い出してしまう。

「……目を、覚まして。テオはエイミーを傷つけたりなんかしない、はず」

 コトネはエイミーを庇うようにしてテオドールの前に出る。現状、私たちはテオドールとラスト・ラストに挟まれてしまった形だ。

 

 必死の呼びかけも空しく、テオドールは正気を失った瞳でこちらを睨み付けている。

 彼だけは悪夢に捕まらなかったとばかり思っていたが、ラスト・ラストの術中に嵌められていたことになる。

 昨日の夜に聞いた雄叫びが脳裏を掠める。彼ほどの戦士が洗脳されてしまうほどの何かが起こっていたのだろう。


「お主ら気を抜くでない! 魔力を溶かす酸雨に同士討ちとはなかなかどうして食えぬ相手じゃ。狼の坊やにはちと眠っていてもらわねばならぬかのう。ま、眷属にされなかっただけマシだと思うんじゃな」


 ラスト・ラストの放つ光弾の群れをグロリアスを展開することで防ぐグローリア。

 すかさずテオドールが動いた。ラスト・ラストと呼応するかのように咆え猛り、その場でぐるりと回転する。

 砲弾の如く打ち出された大斧が飛翔した。当たれば五体満足では済まないどころの話ではない。

 あれの威力は私たちがよく知っている。古の狂戦士を思わせる投擲斧は、立ち塞がる全てを粉砕する破城鎚だ。

 

「させる、か――!」

 

 後ろをグローリアに任せ、大斧を迎撃するべく魔力を集中。

 この雨の中、限界まで肉体強化して放たれた至高の一撃だ。こと破壊力にかけては随一の《獣王》テオドールの一撃、私が防がなくて誰が防ぐという。

 黒い雷を三連射。酸雨によって威力は減退するものの、条件はあちらと同じ。

 ならば私が押し負けることなど有り得ない。甲高い金属音とともに、大斧が爆ぜ砕け散った。


 しかし、テオドールの猛攻はそれだけでは終わらない。

 正しく獣のように四つん這いになると、凄まじい速度で疾走。ミラージュを思わせる黒い旋風と化し襲い掛かってくる。

「止まれテオドール!」

 雷弾を連射、連射、連射――当たらない。ラースのように限界を超えた魔力強化を行わされているのだろう、その速度は私ですら捉え切れない。


 わずか一拍で距離を詰めた黒狼が爪牙を振るう。

「くっ――」

 今度はあまりにも距離が近すぎる。彼は洗脳されているだけだ、眷属になったわけではないのだからラスト・ラストを倒せば元に戻るはず。

 その迷いが私の行動を遅らせた。もしかしたら助けられるかもしれない――その希望を持つこと自体が、ラスト・ラストの術中の内だというのに。

 


 ラティラ、エディ、クレス。私は仲間を殺し過ぎた。

 だが、今度こそは。

 そんな思いごと切り裂くように、狼の爪牙が閃いて。


「しっかりしなさいカズキ! アンタと共倒れになることをテオドールが望むとでも思っているの!」

「……ここは任せて。カズキは、あの卑徒を。大丈夫、テオとの付き合いは、私たちの方が長いから」


 エイミーとコトネが受け止めていた。不甲斐ない私を叱咤し、テオドールを押し返す。

 空中で後方回転しながら着地したテオドールは、エイミーへの攻撃を躊躇っているようにも見える。

 彼女たちの信頼に応えなくては。そう、グダグダと悩むなど私らしくないのだ。

 やりたいことをやり通す。卑徒は殺す。テオドールも助ける。

 なに、大して難しいことではない。助けられる余地が残っていることが罠だというのなら、むしろその罠に感謝しよう。


 もう誰も失わない。失わせはしない。

 そう誓うように、エイミーとコトネに向けて言う。

「……頼んだ、二人とも。私たちの戦友を救おう。テオドールも美女二人が相手の方が嬉しいだろうさ」

 そして、ラスト・ラストへと向き直る。光弾を防いでいるグローリアの隣へ。

「こちらの相手は任せておきたまえ。そう手間はとらせんよ、美女を落とすのには慣れているからな!」


 高らかに宣言すると、女性陣は呆れたような表情を浮かべた。ラスト・ラストだけがやってみろとばかりに笑っている。

「……はぁ、お主は本当に性根の腐った男よのう。ま、相変わらずで何よりじゃよ。やることはいつもと変わらぬじゃろうて」

「うむ、私は私だ。そうそう簡単には変わらんし変われん。さて、では行くとしようか!」

「咆えたな小僧。妾と共に戦えること、光栄に思うがよいぞ!」



 テオドールの相手はエイミーとコトネに託す。彼女たちなら凌いでくれるだろう。

 故に、事の次第は私たちがどれだけ早くラスト・ラストを討伐できるかにかかっていると言っていい。

 私は雷速で疾駆する。グロリアスの消耗を考えると、グローリアは前衛では戦えない。私が奴を引き付ける。

「……来たわねヒューマン。あなたの良質な魔力、ゾクゾクしちゃうわ。うふ、あはははははははは!」


 哄笑と共にラスト・ラストが踊るように回転すると、その姿が二つに分かれる。

 分身か、あるいは幻影か。誘うようにくるり、くるり。ラスト・ラストが次々と増えていく。

「乱交がお望みかね? ハーレムは確かに好みだが、これはいささか悪趣味だな!」

 美しい肢体を雷の刃で一刀両断するが、手応えらしい手応えはない。


 しかし、グラト・グラトのように群体というわけではなかろう。この内のどこかに本物がいるはずだ。

「捕まえてごらんなさい、ヒューマン! もっと激しく私を愛して!」

 踊る踊る、悪夢のワルツ。左手前の三体を焼き払うもののハズレ。こうしているうちにも、魔力は確実に削がれていく。

 この豪雨のおかげで魔力反応を読み取ることもできない。厄介な攪乱だ。


「あらあら、こんなものなの? じゃあ、そろそろこっちもイカせてもらうわよ――」

 全方位から耳朶を叩く艶めかしい響き。既に数十体にまで増殖したラスト・ラストの指先から、一斉に光弾が放たれた。

「くっ――!?」

 まるで光の濁流だ。幻影だと分かっていても、本物が混じっているならば直撃するわけにはいかない。

 が、この攻撃は追尾式だ。防御しようにも魔力が削られるこの状況では……!

 

 回避は困難、防御もジリ貧。ならばここは攻めの一手しかありえない。

 その意思が伝わったのか、グローリアが魔術を放ちながら叫んだ。

「妾が可能な限り打ち落とす! 怯むなカズキ、ゆくのじゃ!」

「ああ、援護を頼むぞグローリア!」


 あまり時間はかけられない。狙うは一撃必殺だ。

 魔力消費に糸目はつけず、ありったけの魔力を注ぎ込み放出。限界を超えた魔力コントロールに脳が焼き切れそうになる。

「お、お、お、ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」

 知ったことか。脳でも心臓でも好きなだけくれてやる!

 加速、加速、加速。グローリアが背後から闇の極光を飛ばして援護する。


 幻覚は構わず突き進み、本物はグローリアが打ち落としていく。

 私は極限まで加速しながら、手の甲から生やした魔力刃によってラスト・ラストを切り裂く。

 一体、二体、三体――ダメだ、どれこれも偽物。

 瞬時に反転して両手の魔力刃を伸ばす。そのまま加速し十数体のラスト・ラストの首を切り落とした。

 

「ぐっ……!」

 左の脇腹に魔術が着弾。濁流のような光弾の群れは確実に私の体を蝕んでいく。

「数が多すぎるっ、妾でも捌ききれん……!」

 幻覚はさらなるペースで増え続けている。まるで死の舞踏だ。

 しかし、こちらが幻覚を消していく速度の方がわずかに早い。問題は、こちらがどれだけ保つかである。


 さらに被弾。左脚が根こそぎもっていかれそうなほどの威力にバランスを崩してしまう。

「まだ、だ……!」

 無様に倒れ伏すわけにはいかない。激痛に視界が赤く染まる中、強引に魔力を噴出させ飛び上がる。

 と、そこでグローリアが叫んだ。 


「カズキ、あそこじゃ!」

 彼女が指差した先には、一体のラスト・ラスト。

「間違いない、あやつだけテオドールとのパスが繋がっておる! やれい、カズキ!」

 そうか。これだけの魔力行使と酸雨のおかげで見失っていたが、本物のラスト・ラストだけはテオドールへと魔力を流しているはず。

 吸血鬼の魔眼は誤魔化せない。明確な焦りを浮かべた一体を見逃さず、再度魔力を放出する。


「終わりだラスト・ラスト!」

「ま、待って! 待ちなさい! ねえ、私を殺したら楽しめないわよ。やめっ――!」


 小うるさい悲鳴など聞くに堪えない。

 両手の魔力刃を束ね、一振りの大剣へと変化させる。酸雨ですら溶かしきれないほどの魔力密度を持った大剣が弧を描いた。

 耳の奥にこびりつくような叫びごと、ラスト・ラストの首を両断する。

 喘ぐようなデスマスクを張り付けて、鮮血とともに首が舞った。

 

 それはどんな仕草よりも妖艶な、絶頂しそうなほどの光景であった。

 

 

 












『……うふ、うふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふふ』

 

 だが。

 

 悪夢はまだ、降り止んではいなかった。

  

 

 


 

 

 

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