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第三十一章 告白 「お前が、好きだ」 「うん、知ってる」

 宵闇と静謐が支配する夜の世界で、佇む影が二つ。

 黒い毛並を持つ狼は緊張に身を固くし、一方の赤髪の少女は難しい顔で黙り込んでいる。

 テオドールに呼び出されたエイミーは、周囲に漂う緊迫した雰囲気に気付くこともない。それは彼女の鈍感さと、心を乱すものを目撃してしまった結果である。


(なによ、もう……カズキのヤツ、コトネは私に任せたまえ、なんて言っちゃって。介抱のどさくさにあんなことやこんなことをするつもりじゃないでしょうね……)

 

 完全に酔いつぶれてしまったコトネを抱きかかえたカズキの表情が脳に焼きついて離れない。

 今までカズキは妹に対する兄のように接してきた。しかしあの顔は決して兄が浮かべるものではなかったと、エイミーは思案する。

 ようは嫉妬。女としての矜持が刺激されたのだ。

 それが醜いと自覚し得るものであったとしても、彼女には抗う術などない。それだけカズキを想っているということなのだから。

 

「それで、大切な話ってなに?」

 まるで切り込むように問うエイミー。カズキを監視しておきたいという気持ちもあっただろうが、テオドールから深刻な表情で呼び出されれば断れるはずもない。

「あ、ああ……そう、そうだ。大切な話が……あるんだ」

 どうにも歯切れの悪いテオドールに、エイミーが不審そうに眼を細める。

 

 彼女の知るテオドールとは、即断即決、有言実行、猪突猛進の代名詞とでもいうべき男である。

 そんな男がこうも縮こまっているとなれば、不審に思うのも無理はないことだった。

 はっとしたエイミーは、考えたくないとばかりに声を震わせた。


「テオドール……あなた、まさか」

「っ、な、なんだ?」

 テオドールはビクリと体を痙攣させ、まるで悪戯が見つかった子供のようなバツの悪い顔を浮かべた。

 それが彼女の抱いた悪い予感を確信へと導いたのか、意を決したように口を開く。


「あなた、軍を辞めるつもりなの」


 一瞬の空白。まるで慮外だったと言わんばかりに、テオドールの反応は遅れた。

 だが、返答は鮮やかなものだった。


「有り得ん。見くびってくれるなよエイミー。この期に及んで逃げを打つような臆病者だと思われているならば心外だ。俺の居場所は、後にも先にもここしかない。もし俺がいなくなるとすれば――それは、俺が死んだ時だろうよ」


 さきほどまで緊張に固まっていた男と同一人物だとは思えないほどの気迫であった。

 戦士にとって、臆病者の誹りはなによりも耐え難い屈辱である。

 エイミーとて本気で言っていたわけではない。疑問形でなかったのがその証拠だ。しかし、それでもエイミーは恥じるように頭を下げた。

「そうよね。ごめんなさい、撤回するわ。あなたが逃げるはずなんかない。だけど、あんまりにも思いつめた顔をしているから……」

 

 思いつめている理由はエイミーのせいなのだが、当の本人が感づくはずもなく。

 テオドールは盛大に溜息を吐いた。どこか疲れ切ったような様子が哀愁を漂わせる。雨に打たれた子犬のようだ。

「じゃあ、結局大事な話って何なの? そんなに言い辛いことだったら、また今度でも――」

「いいや、駄目だ。今を逃せば俺は一生このままだと、そんな情けない予感がある。逃げるわけにはいかない」


 戦士は退かぬ。彼の生き様とは常に挑み続けることにあるのだから。

 ただならぬ雰囲気を感じ取ったエイミーが唾を呑みこんだ。嚥下する喉の動きを追っていたテオドールは、しかし言葉を飲み込むことはなかった。

 真っ直ぐにエイミーを見つめて、謳うように宣言する。


「エイミー、俺は――お前が好きだ」


 それは闘いに生きた男の、一世一代の大告白であった。


「うん、知ってる」


 返答は、とてもあっさりと。けれどどこか間抜けなものだった。

 見当違いな方向から剛速球が返ってきたようなものである。

「い、いや……エイミー? 好き、といってもだな。その、単なる好意ではなく……異性として好きだという意味でだな」

 テオドールは既に泣きそうだった。溜めに溜めた渾身の告白をことあろうか受け流されてはたまったものではないだろう。

 

 そこでようやく理解したエイミーは困惑を隠しきれない。

 男勝りな性格でなおかつ《紅の隊》隊長である。寄せられる好意に気付くことはなく、言い寄られることもほぼなかったエイミー色恋沙汰には縁がなかった。

 ちなみに言い寄ってきた男は大抵撃沈することになるのだが。

「えっと、それは、つまり……そういう、こと……なの?」

「あ、ああ。そういうことでいい」


 やはりこういったことに耐性のない彼女はあわあわと慌てるばかり。むしろテオドールの方が落ち着きを取り戻してしまうほどの慌てぶりだった。

 しかしそれもしばらくすると収まり、いつもの凛としたエイミーが戻ってくる。

 唇は一文字に結ばれ、強い意志を宿す両眼がはっきりとテオドールを見つめた。

 そして。


「ごめんなさい、テオドール。あたしは、あなたの想いに応えてあげられません」

 

 眼を逸らすことはなかった。真正面からぶつかってきた相手には、同じく真っ向から。

 それが彼女の流儀である。

 テオドールはふっと苦笑いを零すと、相好を崩した。

「ああ、だろうな。知っていたさ。知っていたとも。それでも言わねばならなかったんだ。すまんなエイミー」

「ううん、そんなことないわ。あなたの気持ちはとても嬉しいけど……」

 

 そこで口ごもってしまうエイミー。その様子を見て、テオドールは全てを察したようだった。

「カズキ、だろう?」

「……うん」

「皮肉なものだ。あいつがいたから俺はこうして想いを告げられたというのに、その時にはもうあいつが心にいるとはな」


 テオドールはくつくつと心底面白そうに笑った。

「負け戦なのは分かっていた。いまさら気にすることでもない。なんというか、やけに清々しい気分だよ」

「テオ……」

「美女と野獣では、やはり釣り合わん。カズキにはもったいないにもほどがあるが、エイミーが選んだのならば四の五の言うまい。俺はただ――エディのように、未練を残したくないと思っただけだ」


 その一言にエイミーが両目を見開いた。目前の狼男は、まるで遺言を残しているようではないか。

 やけに達観した物言い、生き急ぐような鍛錬の連続。死に場所を探して彷徨っている一匹の狼を連想させる。

 戦士は死ぬことを恐れないが、かといって死にたがりでは決してない。

 死んでも戦わねばならないからこその覚悟。それを違えて死ぬような真似などテオドールには似合わない。 

 

(だけど、死なないでだなんて言えるわけがない……あたしが同じことを言われたら、きっと馬鹿にされたって思うだろうし。それに、そんなことを言う権利があたしにあるの?)

 

 彼の帰りを待っていてあげられるわけでもない――このあたしに。

 そんな思いに胸中を支配されたエイミーは、迷いを振り払うように頭を振った。

 

「テオ、あたしはあなたの仲間で、あなたもあたしの仲間よ。だから死ぬときは戦場に決まってるわ。エディも、クレスも、コトネも、グローリアも、カズキだって。皆ずっと一緒なんだから、勝手に一人で納得しないで?」


「――納得、か。フン、俺としたことが、いなくなるのは死んだ時などと世迷言をほざいていた……訂正しよう。ただでくたばるつもりは毛頭ない。まだまだ戦友に会いにいくには早すぎる」


「そうね、もう少し待たせてあげましょう。感動の再開には、まだまだ溜めが必要だもの」


 朗らかに笑い合って、二人は別れた。

 宿は同じはずだが、エイミーは何も言わない。彼女にもそれくらいの心遣いは出来るのだ。

 コトネとカズキのことが気になりつつも、ちょっかいを出すようなことはしない。

 宿に帰ってきたエイミーは、自分に割り当てられた部屋で窓を開いた。

 ひんやりとした風がアルコールに火照った体を冷ましていく。


 ふと、夜空を見上げた。

 こちらを覗き込んでくるような満月が真珠のように煌めいて、怪しく夜闇に浮かんでいる。

 思わずじっと眺めていると、遠くから遠吠えが響いてきた。

 まるで慟哭するような――悲しい音色であった。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 

 唐突ではあるが。

 私は問いたい。酔いつぶれてしまった女性を介抱する時、やましい気持ちを持つことは間違いなのだろうか。

 否、断じて否。これは健全な男にとって当然の現象であり同時に権利でもあるのだ。 

 そもそも男の前でこれほど酔いつぶれるという隙をさらしている時点でけしからん。

 リビドーのうねりはもはや誰にも止められない。これが若さというものか。


 目の前には、ベッドに横たわる小さな肢体。しかし小柄であるにもかかわらず、その一部は女性としての魅力をこれでもかと自己主張している。

 お姫様抱っこからベッドに移す際に着物が少々はだけてしまったのは不可抗力というもの。私は悪くない。

 かなりギリギリのところだけを覆い隠した状態はむしろそのコケティッシュさを露骨なものとしていた。

 肌色成分が目に毒だが、毒喰わば皿までとはよくぞ言ったり。目を皿のようにして見つめる。


 だが待て。私は紳士である。

 ここでケダモノのように襲い掛かっては人間以下。ただの畜生に成り下がる。

 そのような愚を犯してはならない。人には最大の理性というものが存在するのだから。


「いやしかし、これは本当に……ヤバいのではないか?」

 

 ゴクリ、と唾を飲み込む音がやけに響いた。

 密室、二人っきり。くーくーと幸せそうに眠るコトネ。

 私がこうしていられるのは、用心のため常に《魔障壁》を張って魔力を消費し続けているからだ。

 そうでなければ、今頃コトネは赤ずきんのごとくオオカミに食べられてしまっていたに違いない。


「んんー……」


 と、コトネが寝苦しそうに寝返りをうった。

 今夜はやけに蒸し暑いので仕方のないことだろう。さらに着物がはだけた気もするが、暑いのでは仕方がない。

「うむ、これも安眠のため。きっとコトネも許してくれる……はずだ」

 とは言うものの、彼女はエロ方面に関しては基本シビアだ。一歩間違えば待っているのは死である。

 しかし、ここまで来て止まれるか。草木も眠る丑三つ時、いつもの邪魔が入ることはないだろう。

 

 私は意を決して、コトネの胸元を覆い隠す着物に手をかけ――


「……お兄、ちゃん……」


 そっと、乱れを直した。


「……良い夢を見ているようだな。起こすのも忍びない」

 風邪をひかせるわけにもいかないので、布団をかけてやる。暑苦しそうに身をよじられるが、肌色成分がなくなったことで私のリビドーは収まった。

 ふう、と溜息を一つ。別に賢者になったわけではないが、心境的にはそのようなものだった。


 くすぶるような熱を冷ますために窓を開ける。心地よい風が私を慰めてくれているようにさえ思えた。

 こちらを見下すような満月を睨み返す。白銀の輝きに目が眩みそうになる。

 ふと、狼の遠吠えが聞こえたような気がした。

 まるで喝采のような――力強い響きであった。

 

  

 

 

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