第二十六章 強者 「強さとは?」 「負けないことではない。倒れないことでもない。諦めず折れず挫けないことをいう」
あれから、さらに数日が経過した。
いまだ卑徒の侵攻はなく、都市ダクシムの開拓も順調に進んでいる。
そんな中、私とエイミー、テオドール、ミラージュは修練場にて模擬戦を行っていた。
エディの死からずっと修練場に籠りきりなテオドールとそれにお供するミラージュ、そして私の魔力をさらに吸収して力を試したいエイミーという構図である。
加えて、状況は一対三だ。私を卑徒に見立てて、他の三人が襲い掛かってくる。
「行くでありますよ!」
真っ先に突貫してきたのはやはりミラージュ。彼女の俊敏な動きに以前は翻弄されていた私だが、卑徒との戦闘を経験した今では落ち着いて対処できる。
放たれる右ストレート――に見せかけて回転しながら私の背後に回り込む黒い旋風を完全に捕捉。回転の勢いを利用した裏拳を視認することすらなく掴んで見せる。
「ほら、捕まえたぞミラージュ。逃げなければまた触手プレイが待っているぞ」
「そ、それだけは嫌であります!」
振り払って飛び退くミラージュに向けて魔力による衝撃波を打ち込む。ダメージこそないが、軽い体が羽毛のように吹き飛んでいく。
模造斧を構えたテオドールが跳躍して迫る。後退ではなく前進することで、斧の必殺の間合いを掻い潜る。カウンターを叩き込もうとしたところへ、エイミーの放った業炎が飛来。魔力で相殺した瞬間には、炎を纏ったエイミーの接近を許していた。
「せ、やぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
炎嵐となって踏み込んだ彼女のハイキックを障壁で防御――不可能。かなりの魔力を籠めた魔障壁が打ち砕かれる。
が、威力と速度は確実に削がれた。上半身だけを反らして回避し、その反動を利用して跳躍する。背後で振り下ろされた模造斧が空を切った。
大きく距離を取って着地した私は瞠目していた。エイミーの火力が段違いに上がっている。
これも私の魔力を分け与えたのが原因なのだろうが、それにしても驚くべき成長度合いだ。
恐らくは、魔力量の増加だけでなく彼女の精神状態の変化が大きいのだろう。そう思うと、少しむず痒い気分になる。
「どうしたのだね君たち。私一人に手こずっているようでは、卑徒になど到底敵わないことなど分かっていよう」
脳を切り替えるように挑発した。余裕ぶってはいるが、手加減できるような相手ではない。
魔力で生み出した模造剣を強く握り、構える。再び睨み合う私たち。
当然の如く先手はミラージュだ。速度に特化した彼女は私にダメージを与えるのではなく、攪乱を主とした戦闘スタイルに切り替わっていた。
ジャブ、ジャブ、ジャブ――蜃気楼のように翻弄しながらも、決して無視できない牽制を撃ち続ける。
その隙にテオドールとエイミーが距離を詰める。一対一が三つではなく、正真正銘の一対三だ。
私は至近距離から迫りくるミラージュの拳を左手で受け流しつつ、右手から魔力を放出。
風の刃が黒狼と赤竜の二人に襲い掛かるが、足止めにもなりはしない。それぞれ斧と剣で打ち払うだけでなく、お返しとばかりに魔力を乗せた風圧が巻き起こる。
ミラージュが背後へと回り込み退路を断ってきた。彼女の拳は障壁で受け、風圧は剣で受け止める。
「くっ――!」
風圧を振り切った時には、既にテオドールとエイミーにとって必殺の間合い。爆風で加速したエイミーの剣を、なんとかこちらも剣で迎撃する。
しかし、それはテオドールにがら空きの胴を晒すことになってしまう。
「もらったぁ!」
テオドールが咆哮。横凪ぎに振るわれる模造斧は、もはや回避不可能だ。かといって剣も魔障壁も展開済み。
ならば。やるべきことは一つ。
私は大口を開け歯と顎に魔力を集中させる。そして、模造斧を歯で受け止めた。
「なっ、に――!」
驚愕の呻きを漏らすテオドール。状況は、完全なる膠着状態へと陥っていた。
「く、ははは。まったく、何だそれは。出鱈目にもほどがある。俺の斧に喰らい付く奴がいるとはな」
彼の一言を受けて、模擬戦は終わりを告げる。ようやく一息つけそうだ。
「はあ、もうちょっとだと思ったのに……三対一でこのザマだなんて」
エイミーが深い溜息を吐いた。キスでブーストしても一矢報いることすらできなかったのが悔しいようだ。
「いいや、実は結構危なかったぞ。正直驚いているよ。手を抜いたつもりは一切ないし、これが模擬戦でなければどうなっていたか」
素直に述べる。私とて卑徒との戦闘で、近接戦も上達しているはずなのだが。
特に卑徒ラース・ラースは接近戦重視の闘いをするので、鍛えておかねばならないだろう。
奴の破壊力はとにかく破格だ。接近させずに倒せればいいが、あの硬度では如何ともしがたい。
ミラージュは肩で息をしながら拳を強く握りしめた。
「自分は……役立たずでありますね。ラース・ラースに一撃を入れても、大した痛手を負わせることなんて出来そうにないでありますよ」
確かに、彼女はヒット&アウェイを得意とするために威力が足りていない。
エイミーやテオドールの膂力ですら疼痛を加えられないなら、彼女はダメージソースにはなり得ないだろう。
「しかし、君の攪乱は実に見事だったとも。私ですら目で追えん。問題はスタミナ切れか……」
ミラージュはあくまで敵の攪乱に徹し、攻撃は私やエイミーに任せるべきだ。
もっとも、彼女の気性はそれを良しとはしないのだろうが。
「……そう、でありますね。自分は、もっと強くなるであります!」
ビシッと敬礼を一つ。ミラージュは自分の役割というものをよく理解していた。
適材適所という言葉で片付けられるようなものではないが、それでも彼女はプライドを押し込む。
戦士としてではなく、魔王軍の一員として。共に卑徒と戦う仲間として。
決意を新たにした彼女は、さらなる飛躍を遂げるに違いない。
隊長のテオドールにしても、鬼気迫るものがある。
彼は多くは語らないが、親友であり戦友でもあったエディの喪失に耐え、鍛錬を積んでいるのだ。
苦難や悲しみを乗り越えた時に我々は力を得る。
決して踏み台にするわけではない。死者を背負うことが出来てこそ、前に進めるのだから。
都市ダクシムにいるコトネやグローリアも同様である。彼女たちもきっと、より強く逞しくなっているはずだ。
私も、きっと。
「私は……強くなれただろうか」
独白は、誰に聞こえることもなく空に溶けて消えていった。
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部屋に戻った私は、部屋の前にクレスが佇んでいることに気付き、ゆっくりと近づいた。
「どうした、早くも復讐しに来たのかね? 構わん、私はいつでも受け入れよう。もっとも、タダで殺される気はさらさらないがね」
挑発するように肩をすくめる。が、クレスが力なく首を横に振った。
どこか吹っ切れたような笑みだった。
「わたくしは、あなたにお願いしにきたのです」
「……分かった。とにかくここではなんだ、入りたまえ」
「ではお言葉に甘えて」
部屋に招き入れると、彼女はあっさりと従った。
クレスは数々の暗器を隠し持つ暗殺者だと聞いた。いわば魔王の懐刀というやつだろう。
メイドとはいえ侮ることなど出来ないが、クレスに復讐の念は籠っていないように感じる。
一体どういう風の吹き回しだと訝しんでいると、彼女はベッドの脇に腰かけ、自嘲するように顔を歪めた。
「まずはお詫びをさせて下さい。わたくしは愚かにも、お父様が卑徒になったことに動揺し無様を晒しました。あのような醜態は、今度決してないことを誓いましょう」
自嘲だが、どこか力強い響き。彼女が決心を固めたのは間違いない。
「ふむ、君は強いのだな」
「いいえ、強くなどありませんよ。強いというのなら、あなたの方がよっぽど――いえ、これ以上は言わないでおきましょうか」
私だって強くはないさ。ただの弱々しい人間だよ。
そう言いたかったが、口にするのは憚られた。
クレスは僅かに逡巡を見せた後、琥珀色の瞳をこちらに向けた。
「カズキ様、まだ懐中時計を持っていらっしゃいますか?」
懐中時計――というと、私がクレスに執事の仕事を実践してみせた時のあれだろう。
もちろん肌身離さず持ち歩いている。黄金色の輝きが破邪の印のようにも見えて、私の心を落ち着かせてくれるのだ。
ポケットから取り出すと、クレスは懐かしそうに眼を細めた。
「実は、その懐中時計はお父様の形見の品なのです。幼いころに失くしてしまって、当時は三日三晩探して回ったものですが見つからず……カズキ様と物置を掃除しているときに見つけて、あなたに預けたのです。形見を失くしてしまうような親不孝者には似つかわしくないと思ったものですから」
それを聞いて、ようやく合点がいった。
卑徒の神殿で、卑徒ラース・ラースが私を強く見つめていたのは――この懐中時計を持っていたからだったのだ。
愛する娘の気配を感じ取ったのか。そう思うと、やはりこれを私が身に着けていたのは運命に違いない。
「そうか。だが、父親のことをそれだけ思う君が親不孝者のはずがなかろう。これは君が持っていた方がいいのではないかね?」
「いいえ。そのまま持っていて下さい。思えば幼いころにそれを手放してしまった時から、わたくしはお父様に見放されてしまったのでしょう。不出来な娘に育ってしまったことを、一言謝りたい気分です」
クレスはどこまでも己を卑下した。そうしなくては押しつぶされてしまうとでもいうように。
そして彼女は、父によく似た美しい黄金の髪を靡かせて告げる。
「カズキ様――あなたにお父様は殺させません」
「……だろうな。それが当然の反応だ。ならばどうする、この場で私を殺して見せるか?」
意地悪く口角を吊り上げるが、それはあっけなく否定された。
「そのようなことあり得ません。わたくしは、わたくしの意思で――わたくしのお父様を殺すのです。そう誓いました。ですから、カズキ様をお手を煩わせることはありません」
私は唖然として呟いた。
「それで……いいのかね?」
「当然です。むしろ問題などあろうはずがなかったのです。以前仕留められなかったのは、ひとえに私の弱さゆえ。次は必ず、私の手でお父様に引導を渡して差し上げます」
そう宣言した彼女の瞳は、どこまでも透き通っていた。もはや私の言葉など届くまい。
私はふっと笑うと、負けじと言い放った。
「よかろう。だがしかし、私が前言を撤回することはないぞ。君の父を殺すのは私だ。私を見事出し抜いてみせるがいい」
「ええ、そうさせていただきますとも。やりたいことを、やりたいように――でしたっけ?」
嗚呼――クレスは強いな。本当に。
私はただ、その強さが仇にならなければいいと、そう願うしかなかった。




