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第二十章 憤怒 「汝、その大罪を感じることなかれ。さもなくば地獄の王が、汝の心を焼き尽くすであろう」

 私たちが魔王城に帰還した時、城内は騒然としていた。

 それは、卑徒グラト・グラト討伐の知らせにに打ち震えているから――ではない。

 大広間には激闘の後が残されていた。皆が陰鬱な表情を浮かべ、その戦闘の苛烈さを物語っている。

 卑徒の襲撃だった。私たちが遠征していたところに突如として現れたのだという。


 完全に裏をかかれた。奴らが私だけを狙い打ってくるものだと決めつけていたばかりに、ここまでの侵攻を許してしまったのだ。

「……何があった?」

 私は短くリーネに尋ねた。傍らには苦々しい顔を浮かべたミラージュ、そして目を見開き己を抱くようにして震えているクレスの姿。

 一体どんな事態が巻き起こっていたというのか。クレスのただならぬ様子から、不穏な空気が立ち込めているのが分かる。

 こちらもエディの死という重い報告をしなければならないだけに、この状況は辛いものがある。


 リーネは静かに閉じていた目を開き、ゆっくりと語りだした。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 少々時は遡る。一輝たちが遠征に出かけてから数日が経ち、魔王城は一時の平穏に包まれていた。

 リーネはその日、都市ダクシムを拠点とするための計画を練っていた。まだまだやらねばならないことは山ほどある。

「もっとも、カズキたちの働きに全てがかかっているのですが……」

 自傷的な笑みを浮かべながらぼそりと呟く。魔王である自分がこうして安穏を貪っているというのに、この世界に生まれたわけでもない人間にその未来を託そうとしているのだ。

 心底薄汚れているな、と彼女は思う。しかし血に濡れる覚悟などとうの昔に出来ていたのだ。今更心揺さぶられることはない。


 そう愚直にも信じているリーネは、自分の表情が沈んでいることには気付けなかった。

 彼女は大を生かすためなら小を切り捨てることを厭わない。それは魔王という立場がそうさせるというのではなく、彼女自身が心に決めたこと。

 故に、一輝の無事を祈るのはリーネというただの少女の願いなのだ。

 覚悟はあるが、それが現実になって欲しくはない。どこまでの臆病でありながら冷徹な彼女は、窓に目をやりながら溜息を吐いた。


「……魔王様、お疲れでしたら少々お休みになられてはいかがですか?」

 そばに控えていたクレスが痛ましげな表情で言った。

 あなたが何を考えているのか手に取るように分かる――と、そう言外に言われているようで、リーネは苦笑を零すしかなかった。

「いいえ、心配いりませんよ。私に出来ることは、これくらいしかありませんから」

 リーネは柔らかい声で返す。主の身を慮るメイドは納得がいっていない様子だったが、何も言えず首肯した。

   

「ねえクレス、あなたカズキのことはどう思いますか?」

「……どう、とは?」

 いきなりの質問にクレスは鼻白んだ。どう答えていいものか悩んでいるようだった。

「そのままの意味です。カズキはあなたの目にはどう映るのですか。わたしは、それが聞きたい」

「そうですね……一言で表すならば『馬鹿』かと」


 きっぱりと言ってのけたクレスに、リーネはしばらくきょとんとした顔を浮かべていた。

 そして次第にその顔が崩れていったかと思うと、口元を押さえて必死に笑いを噛み殺そうとする。

 だが堪えきれなかったようで、しまいにいは廊下にまで響くような大声で笑い出した。

「あは、あははははははははは! はぁ、お腹痛い。ふ、あはは……! 馬鹿、馬鹿って……!」

 一方クレスは何が可笑しいのかと小首を傾げる。それがまたツボに入ったのか、リーネの笑いはしばらく止まらなかった。


「っく、ふ、あはは……そうですね、あのひとは馬鹿です。筋金入りの大馬鹿者ですよ。なかなかよく見てますねクレス」

「は、はぁ……ありがとうございます……?」

 クレスはいまいちよく分かっていないようだったが、リーネは悟ったような顔つきで再び窓に目をやった。

 都市は活気に満ち溢れている。そこにはかつてのような停滞や諦観は見られなかった。

 希望は容易く絶望に転ずるが、絶望を希望に変えるのはひどく難しい。それを深く自覚しているだけに、リーネには都市の喧騒がこれ以上ないほどに嬉しく思えた。


「どこぞの大馬鹿者さんのおかげですよ、今の城塞都市があるのは。わたしなんかよりも、よっぽど魔王に向いているんじゃないですか?」

「魔王様、それはなりません。あなた様がいるからこそ、わたくしたち魔族は折れることなく戦えるのです。どうかご自愛くださいませ」

 リーネはクスリと笑って首を横に振った。

 彼女は仮初の王だ。ただ『魔王』という地位にふんぞり返っているだけの小娘に過ぎないと理解している。

 先代魔王が死去したから象徴として椅子に座っているだけという認識。

 ――本当は、わたしなんかよりも。

 そう思ってしまう自分を止められない辺り、彼女の自己評価の低さが窺える。


 口を開きかけたクレスを制するように、リーネは大きく伸びをした。

「さて、仕事です仕事。早く続きをやってしまわないと、カズキたちに合わせる顔がありません」

 そう言って机に向かった瞬間のことであった。

  

 突如として、巨大な魔力の塊が飛来する。極大の激憤を纏う嵐のような魔力だ。

 そのような反応を寄越すとなれば、眷属では有り得ない。即ち――卑徒。

「――そう、来たのね」

 短くリーネは呟いた。その確信じみた響きにクレスが疑問を感じる暇もなく、事態は急転する。

 都市の上空に浮かんだ卑徒は、一直線に魔王城を目指しているようだった。


 撃ち落とそうにも間に合う時間ではない。クレスは迎撃に向かうべく短刀を抜きながら叫んだ。

「魔王様、早くお逃げください! 護衛の者を寄越しますから、さあ早く!」

 鬼気迫るクレスに押されるように、リーネは緊急用の脱出経路への扉を開いた。

 リーネは先ほどとは打って変わって、その瞳に力強い光を宿している。魔王はクレスを見据えて、低く真摯に告げた。


「死なないでね、クレス」


 まるで少女が友達を見送るように。


「……当然です、魔王様」


 メイドは儚げに笑って、魔王の間を後にした。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 それは、正しく暴力の化身であった。

 兜で頭部を覆い、両踵部から純白の羽を生やした大男が魔王城の外壁を木端微塵に吹き飛ばした。

 卑徒である。筋骨隆々と鍛え抜かれた肉体は鋼のよう。その身に纏うは憤怒――爆発寸前の火山を思わせる、弩級の憤怒だ。

 彼は全てを憎悪している。視界に入るありとあらゆる世界が憎しみの対象だとばかりに、破壊の限りを尽くす。

 その場に居合わせた魔族は跡形もなく骸と化すのみ。暴走する狂気は自己にすら向けられているのか、しきりに胸を掻き毟っている。


 彼は出鱈目に暴れ狂っているようでありながらも、そこにははっきりとした目的が垣間見れる。

 卑徒は魔王の間に向かっていた。さながら炎に惹かれる蛾のように、より強い魔力の元へと突き進んでいるのだ。

 と、そこへ二つの影が行く手を遮った。赤髪の少女の黒い狼男は、油断なく卑徒を鋭い視線で睨み付ける。

 エイミーとテオドールだ。この城の守護を任された以上、ここは死んでも通さないと猛る二人。


「貴様、どこへ行くつもりだ。卑徒風情が我らの王に拝謁願うなど無礼極まりない。故に、ここで死ね」

「行かせないわよ、卑徒。たとえ屍になり果てたとしても、ここだけは絶対に通さない」

 テオドールとエイミーが武器を卑徒へと突き付ける。一方の卑徒はまるで頓着した様子もなく、ただ唸りを上げる。

 兜の奥底に宿る光は紅蓮に燃え盛る業火の如く灯り、地獄へと誘おうとしていた。


「ア、アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」

 床が爆ぜる音と共に、卑徒が距離を詰める。振るわれる剛腕は死の一閃に他ならない。

 紙一重で回避したエイミーとテオドールはそれぞれ剣と斧を卑徒へと叩き込んだ。

「なっ――」

 驚愕の声はほぼ同時。魔力を乗せた乾坤一擲の斬撃は、卑徒の薄皮一枚剥ぐことすらできなかった。


 恐るべき硬度を誇るこの卑徒は防御行動を必要としない。ただただ力任せに破壊するのみ。

 故に続く一撃をエイミーとテオドールが回避できたのは、卑徒の放つ殺気があまりにも分かり易かったからである。

 兜の大男は生ぬるい技術や練磨など意に反さない。獣のように純粋な戦闘スタイル。

 読み易い代わりに全ての攻撃が全身全霊、破局の一撃だ。僅かでも対処が遅れれば即刻物言わぬ肉塊と化すだろう。

 加えて研ぎ澄まされた身体能力もまた破格。内蔵した魔力を全て肉体の強化へとつぎ込んでいるのか、尋常ではない防御力と破壊力を持ち合わせている。


 力量の差は歴然だった。しかし、エイミーとテオドールはまだ卑徒を相手取ることが出来ている。それは彼らが戦士であるからだ。

 下手な読み合いなど発生しようがないだけに、絡め手や徐々に相手を追い詰めていくコトネやエディのようなタイプでは相性が悪すぎる。

 だがそれはあくまで勝負になるというだけの話だ。むしろ同タイプであるだけに力の差がそのまま勝敗を決してしまう。

 それでも。


「俺たちに後退などという選択肢は存在しない。ここを通りたくば命で支払え!」

 テオドールが体勢を立て直し、一気呵成に大斧を振るう。卑徒が横凪ぎに拳で払い、鉤爪のように伸びた左手がテオドールを強襲。

「ッ、テオドール!」

 させまいと迫ったエイミーが牽制の炎を放つ。卑徒は急速反転しながら屈みこむと、鎌のような足払いがテオドールの巨体を宙に浮かせた。

 回避と同時の攻撃――二体一という状況下でも卑徒の優位は覆らない。

 テオドールは咄嗟に大斧を地面に叩き付け、腕一本の力でその巨体を持ち上げる。斧を支点として弧を描いた彼は、素早く着地し斧を握りなおすと袈裟がけに振るった。


 やはり回避行動も防御行動もとらず、エイミーへと向かう卑徒。テオドールの斧は卑徒の体に命中せず地面を穿った。

「――ッ!?」

 卑徒の動きが初めて鈍りを見せる。ただ地面を穿つだけと思われた一撃は、床を粉砕して欠片をまき散らした。その欠片が卑徒の両踵部から生えた翼に命中したのだ。

 今しかない、とエイミーが動いた。右足に魔力を凝縮し、炎を纏って放たれる渾身の回し蹴り。

 常人ならばそれだけで首が飛ぶであろうその一撃を受けて、卑徒はなお立っていた。


 それどころか、衝撃に身をよろめかせることすらない。卑徒は意に介さず拳を振り抜いた。

 エイミーは咄嗟に炎を放出して身を捻り回避しようとするが、命中していないにもかかわらずその拳はエイミーの脇腹を抉り取っていった。

「貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああッ!」

 激昂したテオドールが大斧を投擲。卑徒の巨体を両断するに足る威力を持つであろう死の旋風は、しかしあっけなく腕の一振りで弾かれる。

 

 正に圧倒的。暴力の具現はもやは止まらない。

 崩れ落ちるエイミーを無視し、卑徒はテオドールに標的を移した。その憤怒は強烈な重圧となって、身を竦ませるに足るほどだ。

 卑徒の掌底がテオドールに叩き込まれる。両腕を交差させ防御するテオドールだが、受けきれず紙屑のように吹き飛ばされてしまう。

 両腕は使い物にならないほどに破壊され、そればかりか内臓が破裂し折れた肋骨が突き刺さる。即死してもおかしくないほどの一撃であった。

 

 まるで雑魚に興味はないとばかりに去って行こうとする卑徒の歩みが止まった。

 テオドールが、エイミーが、ボロボロの体を引きずって立ち上がったからだ。


「いか、せるものか……!」

「言った、はずよ。死んでも、通さないって……!」

 

 苦痛に顔を歪めながらも、戦士は死ぬまで戦い続ける。それは彼らの宿命であり、背負ってきた咎だ。

 逃げることなど、退くことなど許されない。なによりも己自身がそのような軟弱を許さない。

 そんな彼らの闘志を感じ取ったのか、卑徒はゆっくりと振り返った。

 そして、死神の鎌が振り上げられ――止まった。


 煌めく白刃が飛来し、卑徒の頭部を覆う兜に弾かれ消えていく。次々と飛来する短刀の群れを、卑徒は黙って受け入れていた。

 颯爽と現れた黄金の影は、クレスのものだ。

「ご無事ですか、お二人とも! 魔王様はミラージュ様に連れられて脱出なされました!」

 

 クレスのもたらした朗報は、エイミーとテオドールにとっては身を喜びに震わせるほどのものだった。

 時間稼ぎはもう必要ない。後は全力を持って卑徒を打倒するのみ、と。

 今にも倒れそうな状態の彼らがまだ勝利を狙っていることを果たして卑徒はどう感じたのか、その動きを完全に止めていた。

 正確には、クレスを穴が開くほどに凝視している。まるで親の仇にでも会ったかの如く。


「……なんですか、その汚らわしい目は。わたくしを視姦するような変態はもう間に合っているのです。どうぞお引き取りを!」


 クレスは幾多もの短刀を扇のように広げ疾走する。同時に短刀を投擲。まるで効果がないことを察すると、メイド服を翻して跳躍する。

 なんと、彼女は天井に着地してみせた。天井を蹴って落下した勢いをそのままに、卑徒の脳天目がけて短刀を突き刺す。

 彼女の狙い通り最初の一撃で傷が入っていた兜が割れ、卑徒がその中身を曝け出した。


「え――――?」


 瞬間、クレスの時間もまた止まっていた。驚愕に目を見開き、目前の男の顔を茫然と見つめる。

 流れるような金髪の鬣に、彫りの深い顔立ち。そして――頭頂には狐を思わせる耳。


「お父様…………なのですか?」

 

 どこかで世界の歯車が軋む音が、彼女には聞こえたような気がした。


 

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