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第十章 卑徒 「――来たか」 「楽しみだなぁ」

 城塞都市カーラコルムはいまだ祭りの雰囲気が冷め止まず、残り香のような火照りが支配していた。

 魔王の間の窓から見下ろす夜景は壮観の一言に尽きる。都市の喧騒はまるで巨大な一つの生物のようだ。

 うねり、叫び、狂喜する。その全身で感情を表現しようとするかのように。

 しかし、この高まりが私のせいなのだと思うと、少し憂鬱な気分になる。私は美女にだけチヤホヤされたいのだが。


「ご不満ですか、カズキ?」

 玉座に腰かけたリーネが尋ねる。その微笑には挑発の色が濃い。

「ああ、噂を流したのは君だろう? 正直、救世主扱いなどまっぴらごめんなのだがね」

「まあそういわずに。これも士気を高めるためです。さらに付け加えるならば、わたしが禁術まで使ったのにあなたがショボかったら私の威厳が危うくなるでしょう?」

 と、リーネ。最後の一言は冗談だろう。さすがに腹黒魔王様といえどこの状況で保身に走るわけが……ない、よな?

 少し自信がなくなってきた私である。

 

 なにを隠そう、今日の祭りの主役はなんと私だったのだ。救世主が現れ眷属を瞬く間に撃退したのだと、そういう噂が流れているのである。

 しかし何故このタイミングなのだろうか。しかも大々的に発表するのではなく、細々とした噂という体を成してまで。

「次は、卑徒が来る。そう言ったのはカズキですよ。わたしはその言葉に全てを託したのです」

 確かに、私は言った。ミラージュとの模擬戦の後、眷属襲撃の報が飛び交った際にリーネの元へと赴きそう言ったのだ。

 眷属たちは明らかに私の魔力に反応して集った。ならば次は確実に本体が来ると。

「なるほど、肝心の卑徒を倒せなければ意味がない……か」


 実際に私が卑徒を倒して見せた時、はじめて救世主として名乗りを上げろということだろう。

 だから今までは伏せておき、今回で噂を流布した。もし私が卑徒に敗れても、ダメージが最小限で済むように。

「勘違いしないで下さいね、決してカズキの実力を疑っているわけではありません。この噂はあくまで伏線ですよ。あなたが大活躍してくれるその時のための、ね」

 ウインクを送るリーネに、私は呆れ顔で肩をすくめた。


「……ところで、さっきから気になっていたのですが。その服はどうしたんですか?」

「あー、これは、その……名誉の勲章、ということにしてくれないか」

 自分の格好を見下ろすと、あれほど立派だった執事服がボロボロだ。ゴロツキどもにやられた傷はコトネに治療してもらったのだが、服はそうもいかなった。

 とはいえ、おかげでコトネとの距離は随分と縮まった気がする。ハーレムに加わる日も近かろう。

 そう、ハーレム。ハーレムだ。

 それを伝えておかねばなるまい。


「魔王よ、私が卑徒を全て打ち倒したその暁には――ハーレム王国の建設を許可して欲しい。というか、しろ」

 命令形で迫る。これだけは譲れない。人間よ、欲深くあれ。

 リーネは頭痛を抑えるように頭に手を当てていた。そして、「こいつ病気なんじゃねえの」という目。

「はあ……。なんというか、もう勝手にして下さい。何でもしますと言ったのはわたしですし。世界を救った褒美としては、むしろ安いくらいでしょう」

「よし、その言葉忘れるなよ。ちなみにハーレム第一号はリーネだからな」

「ああ、はいはいどうぞどう、ぞ……って、わ、わたしですか!?」


 驚愕に目を見開く魔王様。今更何を言っているのやら。何でもすると言った張本人がその有様でどうするというのだ。

「無論、無理強いはしないがね。私は紳士であるからして。まあ、その内そっちからハーレムに加えて下さいと言うように仕向けてみせよう」

「……期待しないで待ってますよ」

 やっぱり人選間違えたかなぁ……という呟きは聞かなかったことにして、私は魔王の間を後にした。


 部屋を出ると、クレスが待ち構えていた。ボロボロになった執事服を一瞥すると、ギロリと睨んでくる。

「……あれほど服を汚さぬようにと、わたくしは口を酸っぱくして何度も言い含めたはずですが?」

 クレスの狐耳がピクピクと震える。それ自体は可愛らしいのだが、彼女の表情は阿修羅のそれだ。

 私は平謝りするしかなかった。


「……はぁ。こんなにボロボロにして。お怪我はないようですが……何があったのです?」

「ただの喧嘩だよ、喧嘩。情けない話だがね」

 苦笑すると、クレスの疑わしそうな目が向けられた。容赦のないメイドの視線にM心に目覚めそう。

 と、私たちの話し声を聞きつけたかのように、コトネがトコトコと歩いてきた。


 そして、その第一声にクレスが凍りつく。

「……お兄ちゃんは、悪くない。悪いのは、私。だから怒らないであげて」

 嗚呼、素晴らしき響き。お兄ちゃん。お兄ちゃんお兄ちゃんお兄ちゃん!

 これだ。これこそ私が求めていたものだ!


「うむうむ。そうだそれでいい。私は感動している」

「……お兄ちゃんは、変態。クレス、あんまり気にしないほうがいい」

 絶句していたクレスは、我を取り戻すと腰の短刀を引き抜いた。

 すかさず一閃。殺気のこもった一撃が弧を描く。


「うおっ!? な、何をする!」

「いえ、害虫を駆除しようかと思いまして。動かないで下さいまし。手が滑ってしまうかもしれませんので」

「まあ待て、話せば分かる。そうだな、私の部屋で、というかベッドの上で話し合お――ぉおおおおおおおおぅ!?」

「問答無用! その薄汚い○○○ごと切り取って標本にして差し上げます!」

 短刀を投擲し、さらに隠し持っていた暗器を指の間に挟み込むクレス。扇のように広げられたナイフの群れが私に狙いを定めている。

 

「またか! またこのオチか!」

 私は逃げ回りながら、お兄ちゃんと呼ぶのは二人きりの時だけにしてくれとコトネに伝えるのだった。

 怖い。メイド怖い。

 しかし恐れるな私。ハーレムへの道は遠く険しい。だからこそやりがいがあるというものなのだから。




 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




「……ふう、酷い目にあった」

 なんとか宥めすかしたクレスに執事服を預け、替えの服を用意してもらった私はようやく一息つくことが出来た。

 自業自得ではあるのだが。

 執事服で過ごした時間はそれほど長くなかったというのに、今のラフな格好が少し落ち着かない自分がいる。不思議なものだ。

 クレスからもらった懐中時計はしっかり守ったと報告すると怒りが収まったので、やはり懐中時計はポケットに入れておくことにする。こいつは本当に役に立つお守りだ。

 さて、主人のテオドールは留守にしていたので、部屋の掃除と洗濯を済ませておく。

 その際、ベッドの下からエイミーの肖像画が見つかった衝撃は忘れられない。


 さてテオドールの奴め、どう弄り倒してやろうかと考えていると、エイミーとエディの二人とすれ違った。

「あら、カズキじゃない。どうしたの?」

 訓練の後なのか、肌に張り付いた髪が悩ましい。

 一方隣のエディは涼しい顔だ。爽やかさにますます磨きがかかっている辺り、あなどれない。

「うむ、ご主人様を探していたのだが……」

「テオかい? 修練場にはいなかったね。ところでカズキ君、祭りは楽しめたかい?」

 

 エディの目が怪しい光を放ったような気がした。グローリアを連れ戻しに来た時のことを言っているのだろう。

 そのあとコトネと一悶着あったわけだが、ここは正直に吐露するべきだろう。

 エディは私とコトネが二人きりになることを分かっていて、紫色の吸血鬼を連れて行ったのだから。

 だから、ここで誤魔化すようなことは出来ない。それが礼儀というものだ。事実上のライバル宣言でもあるが。


「ああ、とても楽しめたよ。コトネも私に随分と懐いてくれたようでな。これで一歩リードだ。悔しかろう?」

 とても嫌味ったらしく言ってやる。そうした方が彼も楽だろう。

 色恋沙汰に同情など無用だ。それはかえって相手を侮辱しているだけ。特にこの世界では、力がない方が悪い。

 私の思惑に乗ってくれたようで、エディはわざとらしく悔しそうな表情を浮かべた。

「そうか……それは残念だね。君が淡い期待を持つことになってとても残念だよ。僕と彼女の付き合いは長いからね。その程度でリードだなんて片腹痛い」

「ほう、それは良いことを聞いた。目標があった方が追い抜きやすいからな」


 火花を散らす私たちに、エイミーが割り込んできた。

「ちょ、ちょっとどういうことよ? カズキ、アンタ……コトネにまで手を出したの!?」

 烈火の如く怒り出すエイミー。そそくさとエディが逃げていくのが見えた。

「はっはっは、嫉妬かね。可愛いなあ」

「茶化さないで。コトネを傷つけたら、絶対に許さないからね!」

 

「……分かっているさ。今度は、必ず守ってみせるとも。今度こそは」

「……今度?」

 エイミーが訝しげな顔を浮かべる。

 私は、はっとして誤魔化すように笑った。上手く笑えているといいが。

 エイミーは言いにくそうに口を噤んだあと、思い切ったように言った。


「ねえ、カズキ。昨日の眷属……あれを倒したのは、カズキでしょ?」

「ああ、そうだ」

 私は即答した。虚空を見上げる。私を観察する無色透明の視線を見返すように。

 

「そう。やっぱりね。あたし、昨日は全然怖くなかったわ。多分、カズキのおかげよ」

 ありがと、と。そう付け加えて、彼女は太陽のように笑った。

 違う、私は何もしていない。元々エイミーが強かったからこそのことだ。

 それに――恐怖を感じないことが、果たして良いことなのかどうか。

 私には判断はつかない。つけられない。


「安心したまえ。眷属だろうと卑徒だろうと、私にとってはただの障害物に過ぎん。ハーレムという目標のための、な」

 あえて明るく言い放つ。本当はどうなるか分からない。視線の重圧はさらに増して、私を押しつぶさんとするかのようだ。

 ただの視線でこれなのだから、相対すればどれほどの戦力を有しているのか想像もつかない。

 それでも私は道化を演じる。彼女たちが笑顔でいられますように、と。

 それこそが私の、欲望の成すところなのだから。


「もう……馬鹿ね」

「ああ、大馬鹿者だとも」

 私たちは笑った。誓うように、契るように笑い合った。

 さりげなく手を伸ばす。すかさずエイミーの手に払いのけられる。


「……今、胸触ろうとしたでしょ」

「なんのことやら」

 バレたか。結構いい雰囲気だったのでいけると踏んだのだが。

 やはり私にシリアスな空気は似合わない。というわけで手をわきわきさせながら迫る。


「ちょ、ちょっと、やめて! 変態! やめてったら!」

「よいではないかよいではないか。んんー? 顔が赤いぞエイミー。もしや満更でもないのかね」

「そ、そんなわけないでしょ! ちょ、もう……いい加減にしないと怒るわよ!」

「もう怒っているではないか。ならば問題あるまい!」

 

 エイミーの肢体を舐めまわすように視姦し、美しい双丘へと手を伸ばす。

 夢とは見るものでも叶えるものでもない――掴み取るものだ!

 などと下らないやりとりをしていた私は、思い知らされることになる。


 ――道化でいられた時間は、もう終わりを告げたのだと。


 それは、あまりにも唐突だった。平穏という砂上の城をいとも容易く踏み潰すかのようにして、"それ"は突如として出現した。

 世界が凍りつく。当たり前の日常に異物を挿入された耐えようのない不快感。背筋をムカデが這い回るかの如き戦慄。

 正真正銘の悪夢だった。もしくは死神の具現であった。

 しばし思考すら停止せざるを得なかった。それほどの怪物が、今この都市に迫っている。


「――――ついに、来たか」

 獲物が私という餌に食いついた感触。それを誰よりも肌で感じ取った私は、いち早く駆けだしていた。

 道化の仮面を脱ぎ捨てる。救世主としての面など持ち合わせてはいない。私はただ私として、やりたいことをやるだけだ。

 人間よ――欲深くあれ。



 

 ◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 

 卑徒レヴル・レヴルは、その無垢なる眼差しで俯瞰していた。城塞都市カーラコルムを。その中のただ一人を。

「く、くひっ――」

 噛み殺したような笑み。子供が浮かべる無邪気なそれだ。無色透明の、ただ純然たる悪意を放ち上空に佇んでいる。

 彼は卑徒である。その証拠である一対の羽を歓喜に震わせていた。


「く、くひぃあはははははははははははははははははははははははははははは!」

 ついに零れた狂気は、世界を蝕むような旋律であった。

「いいなぁ……羨ましいなぁ。そんな面白そうな玩具を独り占めするなんてさぁ……」

 穿つような視線を東城一輝に向け、強欲者と相対する瞬間を今か今かと待ち望んでいる。


 なんとも珍しい虫ケラだから、是非とも自分のものにしよう――と、ただそれだけの考えで。

 卑徒レヴル・レヴルは我慢ならないのだ。自分が持っていないものを、他者が持っているということが。

 だからこそ彼の眷属は最多である。しかしその思考は、欲しいものは手に入れる東城一輝のものとは似て非なるものだ。

 彼の本質は嫉妬。他人が持っているからこそ欲しくなる。外見通りの子供じみた偏執に取りつかれている。

 

「く、くく……翅をもいで脚を引きちぎって肉を削いで骨を削って腱を断って神経を抉り取ろう。ああ、楽しみだなぁ」

 破滅という概念を生物にするならばこうなる、という見本のよう。

 彼自身に良心の呵責などない。そもそもそんな機構は存在しない。

 それが悪意によるものだとすら彼は気付かず、ただ笑うのだ。幼子のように。


 卑徒レヴル・レヴルは、ただ哄笑を上げていた。


 

  

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