終 亡霊
―細田研究室―
「うん。――うん」教授は、東京から帰ってきてまもなく、黒木と僕が持ち込んだレポートを精読していた。僕と黒木は二人、テーブルを挟んで教授の前に座りながら、教授が読み終えるのを待っていた。
「さすがだね」教授は読み終えたレポートを黒木に手渡した。
僕はすかさず、「これは及第点ですか?」と訊くと、教授は、
「もちろんだ。何か、至らないと思う点があるのかね?」
僕が口を開く前に、黒木が答えた。
「その記載内容からは、当然のこととして、教授の関与も容易に推定されます。しかしそれはこのレポートの本質ではありませんので、特段申し上げることはありません。ですが、私自身の興味といいますか、乗りかかった船ということで、二点御教示いただきたいのです」
「何なりと」教授はゆったりと落ち着いた口調であった。
「なぜ、『新緑の春』は奨学金を中止する必要があったのか。そして、奉仕活動がなぜ水曜日だったのか?その部分はいくら考えても理解できないのです」黒木が真剣な表情で投げかけると、「ーーそうかい」と言って、教授はキャビネットの引き出しから一枚の写真を取り出した。
「この写真はね、私の師である大山博士とそのゼミ仲間の数人で撮った写真なんだかね」と写っている人物を一人一人指さしながら、「これは私、これは代議士の海山、これが大山博士だ」
写真にはもう一人写っている人がいた。ぱっと見では、細田、海山両氏より、大人びているように見えた。
「そして、この人はね」と最後の一人を指して、「大山博士が可愛がっていたお弟子さんでね。私たちが学部生のときの院生だ。よく大山博士が学部のゼミにもこの院生をよく連れてきてね。優秀な学者の卵だった」
「そちらの方は今は…」僕が訊ねると、
「在学中に病気で亡くなられてね。大山博士も大変悲しんでおられた」
そんな教授の話を聞いているときに、黒木が写真をみて、あることに気づいた。
「4人がしているこれは…」黒木が指差したのは4人の手元だった。
「同じ腕時計…」僕がつぶやくと、教授は、
「時間に厳しい大山博士が私たち3名に贈ってくれたものでね。No.927からの連番で刻印があって、No.927が海山、No.928が私、No.929が院生の安田君。そして、No.930が大山博士御自身。まぁ、悲しくも海山は悪事を働く際の目印として、この腕時計を第三者に利用させてしていたようだがね」
「そうでしたか…」黒木の言葉に続けて、教授は話を続けた。
「それほど、私を含めて3人は大山博士にとって、可愛いゼミ生だったが、優秀ゆえに安田君は別格だった。大山博士は御実家が財閥でね、院生の安田君に多額の私財を投じていた。息子のような存在、自分の後継者であったからね。ただ、私も海山もそれを悪く思ったことはなかった。安田君も真面目な男だ。大山博士からどれほどの私財を与えられてもそれに手をつけることはなかった」
「なぜ手を付けなかったとご存知なのでしょう?」黒木は訊いた。
「安田君は、学生寮に住んでいてね。今もあるそこの学生寮だ。今は人もよりつかない書庫になっているちょうど角部屋の一〇五号室に住んでいた。海山も私もよく安田君の部屋で麻雀をしながら、お酒も飲んでよく遊んだもんだ。彼はね、大山博士から与えられた私財に一銭も手を付けずに部屋に置いていたんだ」
「なるほど」と僕がボソッと言うと、
「それであるときね、海山が酔っぱらって安田君の部屋の壁に穴をあけてしまったことがあった。彼は壁を破壊する常習犯でね、困ったもんだがーー。そのときに、私が安田君に『大山博士からいただいたお金を壁に埋め込んで、私たちが学者として一定の成果を出したときに取り出して、皆で共同研究でも行おうじゃないか』と遊び半分で提案し、3人で数千万に及ぶ大金を壁に埋め込み、モルタルを流し込んだのだよ」と教授は黒木の顔を見つめた。
黒木は少し間をおいて「もしかして、その部屋は、藤島みどり氏の隣の部屋では?」
「お察しのとおりだ」と教授は続けた。
「ずっと、安田君の部屋の壁に埋め込まれた金のことなど気にもしていなかったが、老朽化しているあの学生寮の改築が教授会で話題になってから、あのお金をどう回収するかをずっと考えていた。私は水曜日以外は講義なり、教授会が入っていて身動きが取れない。しかし、水曜日に、学生寮の様子を見に行くと、安田君がいた部屋の隣には、その曜日に限って、藤島みどりという女子学生が終日、部屋にこもっている。そんななかで壁の向こうにいる学生に気づかれず、壁のモルタルを少しずつ打ち砕いていくことはできない。そんなときに、海山がおそらく悪事と思われる相談を持ち掛けてきた。だから、こう言ってやったのだよ。『奨学金を支給する代わりの奉仕活動として、その業務を位置付けて奨学金をうちの大学から公募すればよい。奨学生として決定する学生は、一定数に絞る必要があるから、例えば、名前に季節や色の名前が入っている者を採択し、活動日は水に流れないようにという意味を込めて水曜日にしてはどうかね』とね」
黒木は「そういうことでしたか」と納得した様子で「そのお金の取り出しが終わったから、奨学金の打ち切りを?」を投げかけた。だが、教授は首を横に振った。
「良心の呵責というかね。学生を悪事に加担させることをやめさせたかったのだよ。奨学金の原資は、大山博士が安田君に与えたお金とすればよいからね」
「納得です」黒木は真剣なまなざしで会話を終えたのだった。
過日、トーキーホールディングスグループに関わる一連の企業不正、麻薬の闇売買が明るみになったことは、本誌読者諸君の承知の事実であるが、この一連の不正に、本学会計学科教授が関与していたことは、誠に遺憾である。私たち、会計学科生としても大いに反省すべき事象であることはいうまでもない。
係る反省から、この事件記録をもって、本誌に掲載してきた最後のエッセイとさせていただくこととする。
※昭和五十八年十二月、銀杏玲著『ゼミナリステンの亡霊』は北城商科大学文芸サークル同人誌に掲載された。




