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第10話 放送禁止の怪人 ―マイクの前の共犯者―

 1.  自由という名の劇薬


 昭和二十九年、冬。  

 この頃の日本は、焼け跡から立ち上がった人々の「言いたい放題」のエネルギーに満ちていた。

 新宿の喫茶店では学生たちが革命を論じ、街角では週刊誌がスキャンダルを暴き立てる。

 テレビもまた、その自由な空気の象徴だった。


「今日のゲストは、一筋縄じゃいかないぞ」  

 黒岩ディレクターが、苦虫を噛み潰したような顔で台本を丸めていた。  

 今夜の対談番組『時代の目』に招かれたのは、希代の毒舌家として知られる文士・九条龍太郎。

 体制を公然と批判し、ラジオ放送を「当局の回し者」と切って捨てた、言論界の暴れん坊だ。

「佐伯さん。もし九条さんが、放送できないようなことを言い出したら……どうするんですか?」  

 誠が尋ねると、佐伯は調整室の音声カット用スイッチに指をかけ、冷徹に答えた。

「その時は電波を止める。それが僕たちの『編集権』だ。テレビは公器であり、野蛮な叫び声を垂れ流す拡声器じゃない」

 だが、誠はスタジオの隅で、出番を待つ九条の横顔を見ていた。  古びた着物に身を包み、安酒の匂いをプンプンさせているが、その目は研ぎ澄まされた刃物のように、スタジオの照明を跳ね返していた。


 2.  剥き出しの言葉


 放送開始の赤いランプが点灯した。

「……さて、九条先生。今の日本の政治について、一言いただけますか?」  

 若手のアナウンサーが、震える声でマイクを向けた。

 九条は、ゆっくりと煙草をくゆらせ(当時はスタジオ内でも喫煙が許されていた)、カメラを凝視した。

 その視線は、三番カメラを操る誠の網膜を貫くほど鋭かった。

「政治? そんなもの、死臭のする残飯だ。だが、もっと醜いのは……」  

 九条が身を乗り出す。

「その残飯を、さも上等なご馳走に見せかけて、茶の間に届けているお前たち『テレビ屋』だ。お前らは、嘘を売る商売人か? それとも、真実を恐れる臆病者か?」

 サブ(副調整室)に戦慄が走った。

「佐伯! カットしろ! 局への批判は許さん!」  

 上層部からの怒号がインカムに響く。佐伯の手がスイッチに伸びる。


 3.  指先の葛藤


 誠はカメラのファインダー越しに、九条の瞳の奥にある「絶望」を見た。  

 それは、おタキさんのような庶民が口に出せない怒りを、代わりに叫ぼうとしている男の目だった。 (ここで止めたら、テレビは本当に『嘘つきの箱』になっちまう……!)

「待ってください、佐伯さん!」  

 誠はインカムに向かって叫んだ。

「九条さんは、僕たちを試してるんだ。この電波に、本物の言葉を乗せる度胸があるかどうかって。ここで切ったら、僕たちは一生、権力の顔色を伺うだけの機械になっちゃいますよ!」

 佐伯の指が、スイッチの数ミリ上で止まっていた。  

 理詰めの佐伯なら、即座に切るはずだった。

 だが、彼もまた、銀座の夜に見た「報道の矜持」を忘れてはいなかった。

「……五秒だ」  

 佐伯が低く呟いた。

「あと五秒だけ、泳がせる。その代わり、工藤。お前は九条の『魂』を撮れ。ただの暴言じゃない、一人の人間が命を削って吐き出す言葉を、にしてみろ!」


 4.  砂嵐の向こうの拍手


 九条は笑った。

 電波が切られないことを悟ったかのように。

「いいか、お茶の間の皆。テレビなんてものは、ただのガラスの板だ。だが、その向こう側には、血の通った人間がいる。騙されるな。自分の目で見、自分の耳で聴け。……この電波を止めなかった、この若造たちの意地だけは、信じてやってもいいがな」

 放送終了後。  

 スタジオには、嵐が去ったあとのような静寂が残っていた。  

 九条は何も言わず、誠の肩を一度だけポンと叩いて、夜の街へと消えていった。

 翌朝。

 JMTの電話は鳴り止まなかった。

「あんな男を出すな」という抗議もあったが、それ以上に多かったのは、震えるような感謝の声だった。 「今まで、テレビが怖くて言えなかったことを言ってくれた」

「初めて、テレビの向こうに人間を感じた」

 佐伯は、始末書を書きながら、誠に言った。

「工藤。僕はまた、君のせいで非効率な選択をしてしまったよ」

「でも、佐伯さん。あの瞬間の視聴率、すごかったらしいですよ」

「……数字の問題じゃない。僕たちは、開けてはいけない箱を開けてしまったのかもしれない。テレビという、強大すぎる言葉の箱をね」


 5.  庶民の夜、それぞれの真実


 その夜、誠は長屋の蕎麦屋に寄った。  

 おタキさんが、珍しく熱っぽく語っていた。

「誠ちゃん、昨日のあの怖い顔の先生。言ってることは難しかったけどね、なんだか、あたしたちの胸のつかえを、代わりに怒鳴ってくれた気がしたよ。テレビってのは、偉い人の話を聞くだけのもんじゃないんだねぇ」

 誠は、蕎麦の湯気の向こうに、九条のあの鋭い目を思い出していた。    

 昭和二十九年。  

 テレビは、綺麗事だけを並べる優等生から、時に毒を吐き、時に時代を揺るがす「怪物」へと変貌を遂げようとしていた。  

 工藤誠と佐伯航太。  

 二人の若者は、その怪物の背中にまたがり、どこへ行くとも知れない荒野へと突き進んでいく。    

 赤いランプが消えたあとも、彼らの胸の中では、消えない警笛が鳴り響いていた。

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