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第11話 電波の関ヶ原 ―視聴率という名の神様―

 1.  黒船、来航


 昭和二十九年末。  

 東京の空に、もう一本の巨大な電波塔がそびえ立った。

 新興局『帝都テレビ(TTV)』の開局である。  

 それまで、おタキさんたちの長屋の話題は「昨日のJMT、見た?」だった。

 しかし、TTVの開局とともに、その会話に不穏な空気が混じり始める。

「誠ちゃん、最近みんな、あっちのチャンネルに変えちゃうんだよ。あっちの方が派手で、なんだか景気がいいからねぇ」  

 共同井戸で会ったおタキさんの言葉に、誠は胸がざわついた。

 JMTの制作室には、見たこともない巨大な「グラフ」が貼り出されていた。

「これが視聴率調査の結果だ」  

 佐伯が、冷徹な声で定規をグラフに当てた。

「我が局の看板番組が、TTVのバラエティに三倍の差をつけられている。工藤、君が汗水垂らして撮った『感動のドキュメンタリー』は、あっちの『下品な水着ショー』に完敗したんだ」


 2.  毒を食らわば


 TTVのやり方は露骨だった。  

 映画界からあぶれたスタアを札束で横平き、カメラの前でわざと失言させる。

 視聴者はその「毒」に惹きつけられ、チャンネルのダイヤルをガチガチと回した。

「綺麗事は終わりだ」  

 黒岩ディレクターが、灰皿に吸い殻を山盛りにしながら吠えた。

「視聴者は神様なんかじゃない。ただの『飽きっぽい子供』だ! 奴らが欲しがっているのは真実じゃない、目隠しを剥ぎ取るような『刺激』だ。佐伯、例の企画を出せ」

 佐伯が提出したのは、当時の常識を覆す『突撃! 真夜中の真相』という企画だった。  

 台本もなし。

 照明も最低限。

 カメラマンがカメラを担いで、戦後の闇を抱える場所へ「無断で」潜入し、人々の見たくない裏側を晒し上げるという、まさに「毒」の塊のような番組だ。

「佐伯さん、これじゃあ九条先生が言ってた『嘘を売る商売人』と同じですよ!」  

 誠の反発に対し、佐伯はかつてない冷たさで言い返した。

「負ければ、僕たちの言葉は誰にも届かなくなる。消え去る正義より、生き残る悪を選ぼうじゃないか、工藤」


 3.  街頭テレビの変心


 収録当日。

 誠と佐伯は、深夜の新宿、通称「迷宮ラビリンス」と呼ばれたバラック街にいた。  

 不法に営業を続ける闇博打の現場、そして生活のために身を売る女性たちが潜む路地。

 誠はカメラを抱え、震える指でシャッターを切るように映像を回した。

「映せ。そこの浮浪児の顔も、逃げるヤクザの背中もだ!」  

 佐伯の指示は非情だった。  

 レンズの向こう側で、プライバシーも尊厳も無視された「現実」が切り取られていく。

 誠の胃のあたりが、嫌な脂汗でじっとりと濡れた。


 放送当日。  

 新宿や新橋の街頭テレビの前には、かつてないほどの人だかりができていた。  

 人々は、画面に映し出される「自分たちが見て見ぬふりをしてきた闇」を、唾を飲み込みながら凝視している。

「おい、もっと近くで見せろよ!」

「ひでぇな、これ、本当に流していいのか?」  

 野次馬たちの目は、好奇心でギラギラと輝いていた。  

 JMTがこれまで誇ってきた「教養」や「感動」では、これほどの熱気は作れなかった。  

 それが、視聴率という魔物がもたらす「勝利の味」だった。


 4.  勝者の空虚


 翌週。

 JMTの視聴率はV字回復を遂げ、TTVを圧倒した。  

 上層部はシャンパンを開けて祝い、スポンサーからは追加の広告費が舞い込んだ。    

 だが、誠は手放しで喜べなかった。  

 長屋に戻ると、おタキさんが少し怯えたような顔でテレビを眺めていた。

「誠ちゃん、昨日のあれ……。面白かったけどね。なんだか、人の悪いところをこっそり覗いてるみたいで、終わったあとに嫌な気持ちになっちゃったよ」

 誠は言葉を返せなかった。  

 視聴率という数字は、人々の「良心」ではなく「本能」を測る目盛りだったのだ。

 局の屋上で、佐伯が一人、夜景を見ていた。

「勝ったぞ、工藤。これで当分、予算の心配はしなくていい」

「……佐伯さん、嬉しいですか?」  

 誠が問いかけると、佐伯は眼鏡を外し、疲れたように目元を押さえた。

「……効率は最高だ。だが、心拍数は最低だな。僕たちの作った電波が、お茶の間の空気を少しだけ汚した。その事実は、このグラフには載らない」


 5.  仁義なき時代の始まり


 昭和三十年。  

 民放同士の「関ヶ原」は、テレビの表現を劇的に進化させ、同時に劇的に「毒」した。    

 もう、おタキさんたちが純粋に青白い光を崇めていた時代には戻れない。  

 テレビは、人々の欲望を加速させ、街を騒がしくさせ、そして何より、制作に関わる人間たちを「数字」という不可視の鎖で縛り始めた。

「工藤、次はもっとえげつないやつを考えろ。TTVがやり返す前にだ」  

 黒岩の言葉に、誠は黙ってカメラのレンズを磨いた。    

 かつては「光」だと思っていた電波が、今は「血」のようにドロドロとした重みを持って、深夜の空へ放たれていく。    

 工藤誠と佐伯航太。  

 二人は、視聴率という「新しい神様」への供物を捧げるために、再び泥沼の現場へと足を踏み入れていく。  

 それが、栄光の陰に潜む、メディアの原罪だった。

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