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28 真実


「落ち着いた? ムスク姉ちゃん」


 僕は手に持った水の入ったコップを、ムスク姉ちゃんの前に置いた。


 テーブルに突っ伏したままムスク姉ちゃんは動かない。明らかに元気がなく、先ほどからずっとこの調子だった。


 当たり前だ。

 ほんの三十分前に、メーロンの最期を知ったばかりなのだから。


 明るい宴の場に響いた泣き声。崩れ落ちて涙を流す絶望と悲しみに染まった顔。僕の目に鮮明に焼き付いたムスク姉ちゃんの姿は、きっと消えることはないのだろう。


 それほどまでに衝撃的だった。

 だって、僕にとってのムスク姉ちゃんはまさに完璧だったのだから。


 強くて優しくて元気で明るくて。

 そんなムスク姉ちゃんのあんな姿を僕は見たくなかった。見たくなかったのに、僕は何もできなかった。何も知らなかった。


 メーロンがムスク姉ちゃんの妹だったことを知っていれば、気づいていれば、何か変えることができたのではないか。

 生気が剥がれ落ちたように悲しみに沈むムスク姉ちゃんを見つめながら、僕の体の内にはそんな後悔が積み重なっていく。


「ねぇ、ムスク姉ちゃん。今日はもう休もう。村のみんなには僕から伝えておくから」


「⋯⋯⋯⋯」


 やはり反応は無い。


 正直、今のムスク姉ちゃんをひとり残していくのは気が進まなかった。でも、村のみんなだって心配しているはずだ。広場で突然泣き崩れたムスク姉ちゃんを、僕がこうしてすぐに彼女の家に運んだため、みんなは未だ状況を把握できていない。


「僕、行くね。また戻ってくるから」


 まずはみんなに説明しよう。

 僕はそう考え家から出るために重い足を動かそうとした。


 その時、向かいに座っていたムスク姉ちゃんがギュッ、と僕の袖口を摘まんだ。


「⋯⋯行かないでエリオン。お願い。ずっとここに居て」


 か細く、今にも消えてしまいそうな声でムスク姉ちゃんは言った。


「⋯⋯うん、わかった。今日は僕もこの家に泊まるから。居なくならないから。だから、安心してムスク姉ちゃん」


 袖口を掴むムスク姉ちゃんの震える手に、僕は優しく触れた。


 冷たかった。

 そして、小さかった。


 この時やっと僕はムスク姉ちゃんも普通の人間で、普通の女性だったのだと認識した。


「⋯⋯ありがとう」


 ムスク姉ちゃんはただ呟くと、手を離して再び動きを止めた。


 顔は見えないし、何を考えているのかもわからないけど、少しだけムスク姉ちゃんが安心してくれたように感じた。


 僕は椅子に座ると、テーブルに突っ伏したムスク姉ちゃんの頭を撫でる。


 僕はずっとムスク姉ちゃんに甘えてしまっていた。昔見た、あの頃のムスク姉ちゃんを追いかけてしまっていた。


 でも、僕だって成長したんだ。

 ひとりの大人として、男として、今はムスク姉ちゃんを少しでも支えてあげたかった。


 そうして暫くムスク姉ちゃんの頭を撫で続けていると、小さな吐息が聞こえてきた。


 どうやら眠ったようだ。

 僕は近くにあった毛布を、そっとムスク姉ちゃんの背中に掛けてあげた。


 一先ずはこれで落ち着いたかな。

 でも、問題は山積みだし、結局メーロンがどうしてあのような行動をしたのかだってわからないままだ。


「いや、もしかしたら」


 僕は天井を見上げた。


 ひとつの可能性。

 ほんの僅かな可能性だけど、もしかしたらあの場所に何かあるのではないか。


 頭にひとつの考えが浮かんだのと、体が動き出したのは同時だった。


 僕はムスク姉ちゃんを起こさないように歩き出すと、そのまま階段を上って二階にあるメーロンの部屋を目指した。


◇◇◇◇◇◇


 メーロンの部屋に入るための扉には、鍵は掛かっていなかった。


 この部屋に、もしかしたらメーロンを知るための手掛かりがあるのかもしれない。

 僕が覚悟を決めてドアノブを回すとギギギ、という音と共に扉は簡単に開かれた。


「何だよ。コレ」


 目に飛び込んできた異様な光景に、僕はつい一歩足を引いてしまう。


 壁一面に書き殴られた魔法式。投げ捨てられたかのように散らばる服や本。倒れた大きな本棚。刃物で切り裂かれて綿が飛び出しているぬいぐるみ。そして、部屋の何もかもが赤黒く染まり、破れ、壊され、原型を失っていた。


「⋯⋯っ」


 目を瞑ってしまいたくなる。

 この部屋に誰かが居たなんて、そんなの想像することだってできない。だって、これじゃあまるで⋯⋯。


「まるで拷問部屋だ、ってところかな? 勇者様」


 僕しか居ないはずの部屋の奥から、突如として声が聞こえてきた。


 僕が瞬時に声の方を振り向くと、そこには茶色い布に身を隠したひとりの人間が立っていた。


 見た目。

 そして声。


 脳を刺激する情報によって、僕の記憶は一瞬にして呼び起こされた。


「もしかして⋯⋯店主さん!?」


 間違いない。

 今僕の前に立っているのは、魔王を倒すための旅が始まったあの日に寄った、王都にある魔道具店の店主だった。


「正解。ただ、今のボクは店主じゃないけどね」


 店主はお道化るように身に纏った布切れを脱ぎ捨てた。


 露わになったのは余りにも美しすぎる顔だった。


 氷のように透き通って煌めく白銀の髪に、整いすぎている顔立ち。まるで宝石のようだ。人間という枠組みを超えた圧倒的な美しさ。彼女よりも美しく輝く人間は絶対に存在しないと断言できる。


「⋯⋯凄い」


「この状況で素直にそう思えるのも凄いことだ。やはり勇者。純粋なのかな」


 彼女の言葉にハッ、と我に返った僕は腰に差された剣の柄へと手を伸ばす。


「どうしてここにいるんだ。それに、どうやってこの部屋に入ったんだ!」


「そう警戒しなくても大丈夫だよ。ボクは君の味方さ」


「信じられない」


 僕は柄を強く握りしめる。


 彼女は人間ではない。

 容姿を見た瞬間から、本能がそう叫んでいた。


「魔物か?」


「まさか。ボクの名前はアイ。()()()()()。君も知っているだろう?」


 可憐な唇を動かして奏でられた言葉に、僕は息を呑んだ。


 女神アイ。

 その名前は確かに聞いたことがある。


 旅の途中で辿り着いたノウトで開催されていた祭りを、ニオは女神アイに捧げるための物だと言っていた。人間に心を分け与え、心を失った悲しき女神のための祭りだと。


「君たち人間にはそう伝わっているみたいだね。全く、誰が語ったのやら。神話は正しく伝わらないからいけない」


「⋯⋯僕の心を読んだのか?」


 今、僕は一言も声を発してはいなかった。

 けど、目の前のアイを名乗る人物は、まるで僕の頭の中を覗いていたかのようで、会話が成立してしまっている。


「女神ならこれぐらいできるとも。当然だ。特別なのだから。例えばそうだなぁ。突然とある人間の部屋に音も気配も無く現れることだってできるだろうね。もしそんな芸当を目の当たりにしたのなら、ボクならすぐにそいつが女神様だって気が付くさ。だって、人間や魔物にそれは不可能だ。あぁ、それと。この世のものとは思えないぐらい美人だったら猶更ね」


 得意げに彼女はニヤリとわざとらしく笑った。

 ⋯⋯どうやら信じるほかにないみたいだ。


 僕は鞘から手を離し、動揺を取り繕うと一度大きく息を吐いた。


「⋯⋯わかった信じるよ。でも、いくつか教えて欲しいんだ。まず、何故女神様がここに?」


「端的に言えば人間観察というところだ。知っての通りボクは感情が欠落していてね。心豊かな君ら人間を観察すれば何か得られるのではと考えているんだ」


「自分で与えた感情をまた取り戻すために?」


「⋯⋯まぁ、そういうことにしておいてくれ」


 一瞬、アイの表情が曇った気がした。


 けど、すぐにアイは再び演じるように余裕のある笑みを浮かべる。


「それよりも本題に入ろう。君が本当に聞きたいことはそれじゃあないだろう?」


 やはり見透かされているようだ。


 僕が本当に知りたいこと。それは他でもないメーロンのことだ。


 アイがこの部屋に現れたことは偶然でも何でもない。今回のメーロンの行動に必ず深く関わっているはずなんだ。だから⋯⋯、


「教えて欲しい。メーロンのことを⋯⋯!」


「いいよ。ただ、ボクが言って聞かせるんじゃ説得力が足りない。何よりも面白く無い。やはり知るならば、彼女から直接聞くべきだろう」


 アイがおもむろに手を広げると、白い光と共に一冊の本が出現した。


「はい。どうぞ」


 流れるように手渡されたその本は日記のようだった。


 分厚めの表紙がボロボロに傷ついており、相当の年期が経っているのがわかる。中を開くと一枚一枚の紙に皺が寄り、破れ、書かれている文字も掠れてもう読めなくなってしまっていた。


「これは?」


「メーロンの日記だよ。ボクが売ってあげた魔道具でもある」


「え、でもおかしいよ。だって日記を買ったのはニオだけだ」


 旅立ちの日。

 魔道具店に寄ったのは確かだけど、日記を買ったのは間違いなくニオだけのはずだ。それに、たった数年でここまで汚れや傷は付かない。もっと、何十年。いや、百年以上経過していると言われても信じてしまう程だ。


「そうだね。()()日記を買ったのはニオだけだ。間違いない」


 今回?

 どういう意味だ?


「わからないのも無理はない。ねぇ、エリオン。もしも時間が戻せるとしたら、君はどうする? あの日こうすればよかった。こうしなければよかった。君たち人間は大なり小なりそんな後悔を背負って生きている。それをやり直せるとしたら、君はどうする?」


 急に何を言い出すのだろう。

 余りに唐突で、人によってはバカバカしく思えるかもしれない。けど、今の僕は違った。ゾクリ、と背筋が凍ったんだ。


「勘はいいみたいだ。つまりねエリオン。メーロンは何度もこの魔道具によって()()()()()()()()()()()()。何度も何度も、時間を戻してね。そして、彼女は辿り着いた。彼女が求めていた結末にね」


「何度もって⋯⋯どうして」


「君が死んだからだ。エリオン」


 ハッキリと、アイは言い放った。


 僕が死んだ?

 嘘だ。だって、僕はちゃんとこうして生きている。生きているんだ。魔王を倒したんだ。その、はずなんだ。


「混乱しているね。無理もない。君の知らない話とはいえ、君の魂には刻まれている。今までの過去が全て。思い出せないだけ。その魔道具はそういう代物だ」


「で、でも!」


「本当はわかっているんだろう? だから不思議と納得している。受け入れている。違うかい?」


 アイの言う通りだ。


 こんなあり得ない話を信じるはずがない。

 そのはずなのに、僕の心は妙に落ち着いていた。否定よりも先に、納得している自分がいるのだ。


「⋯⋯本当の事、なんだ。全部」


「そうだとも。ボクは女神だから魔道具の影響は受けない。だからこうしてメーロンが死んだ今、君の前に現れたというわけさ。全ての真実を、過去を教えるために」


 アイの視線の先には、僕が握りしめている日記がある。


 全く読むこともできない機能を失ったこの日記に、全ての答えがある。メーロンの想いがあるんだ。


「お願いだ、女神様。覚悟はできている。だから、全てを教えて欲しい」


「うん。わかったよ。それじゃあ目を瞑ってくれ。ボクの力で日記に眠る記憶を呼び起こす。ただ、約束してくれ。決して目を背けないと。逸らさないと。どんな真実が隠されていたとしてもね」


 アイの言葉に僕は頷いた。


「⋯⋯約束する」


「よし、それじゃあ見せよう。メーロンの全てを!」


 僕は目を瞑り、日記に神経を注いだ。


 怖い。

 真実を知るのが、途轍もなく怖い。


 でも、知らなくてはいけないんだ。

 メーロンの事を、この日記のことを。僕が何故死んだのか。過去を遡ってでも何故メーロンが僕を助けようとしたのか。


 知りたいんだ。

 全部。君の過去を全て。


 決意が恐怖を上回った時、僕の意識はプツリ、と途切れた。


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