11 ティタ②
「どこにも居ないな。もう帰っちゃったのかな」
戦士クラスとの合同訓練を終えた後、僕はすぐに学院内でティタを探し回った。
探し始めて、かれこれ1時間は経っただろうか。
だが、未だにティタの姿を見つけることができずにいた。
「あと探していないのはここだけだ」
僕が最後に立ち寄ったのは、学院の裏側にあるオンボロな建物だった。
昔、訓練場として使われていたらしいけど、今は封鎖されている。何せこれだけ錆びれて、汚れた、ボロボロな建物だ。突如、崩れ落ちたと聞かされても誰ひとり驚かないだろう。
「⋯⋯流石にここには居ないよね。やっぱり帰ったのかな」
僕が諦めて、謝るのは明日にしようかと帰路に足を向けた時、微かに建物の中から音がした。
まさかと思い、恐る恐る建物の扉に手を伸ばす。
「あっ、居た」
扉を開けた先に居たのは、正真正銘本物のティタだった。
彼女は必死にひとりで巨大な斧を振り下ろしている。
恐らくは素振り⋯⋯もしくは何かしらの鍛錬だろう。
汗を流し、真剣な眼差しで斧を振るっている。
その姿は、さっき会った横暴な彼女とはまるで別人のようだった。
「凄い⋯⋯」
「誰だ!?」
僕の独り言が聞こえてしまったのか。それとも気配を感じ取ったのか。
ティタの鋭い眼光が僕を射抜いた。
「ご、ごめん! 覗くつもりはなかったんだけど」
「覗き魔は全員そう言うんだよ! 出てけ。それかアタシに殺されてェのか?」
斧がこちらへと向けられた。
刃が、冷たい殺気が、肌を刺す。
でも僕は怖くなかった。
それ以上に、ティタに対するある感情が勝っていたんだ。
「本当に凄いよ! ねえ、良かったらもう一度見せてくれないかな?」
僕は興奮のままに建物に入ると、ティタに詰め寄った。
斧を前にして怯まなかったからか、はたまた単純に行動が予測できなかったからか、ティタは気色の悪い物を見るように冷めた視線を僕へと向けた。
「⋯⋯は? なんだよ急に。ふざけてんのか?」
「違うよ! その斧振り回してたでしょ? 凄く早くて格好良くて綺麗だった! だから、もう一度見せてほしいんだ!」
「なっ、は⋯⋯? 綺麗って⋯⋯ハァ!?」
ティタが先ほどまでの強気な姿勢を崩し、見てわかる程に動揺して頬を赤らめた。
「だっ、だからふざけるなって!」
「ふざけてないよ! ティタの技術は本当に凄い。だからもう一度見たいんだ。あと、良かったら僕にも教えてくれないかな?」
「教えるって、テメェにはハンスさんがいるだろ!」
「剣術はそうだけど、その技はティタだけのものだ。他の誰にもきっとできない。だから教えて欲しいんだ」
こんな巨大な斧を、あれだけ無駄なく振るえる人が他にいるとは思えない。そう確信してしまう程に、ティタの動きは洗練されていた。
「お願いティタ! ダメ、かな?」
「⋯⋯ハァ。意味わかんねェ。テメェ、何でそんななんだよ」
ティタは疲れたように溜息をつくと、斧をクルリと回して刃を地面に下した。
「テメェだけずっと毎日毎日ハンスさんに面倒見てもらって。ここの生徒じゃ誰も剣でテメェに勝てないだろ。それなのにまだ上を目指そうとしてやがる。他のクラスにも混ざって、少しでも多くの知識と技術を盗もうとして。何でそこまでして全力でやれんだよ」
不思議そうに、困惑したようにティタは尋ねた。
どうして全力でやるのか。
それは、きっと彼女と同じはずだ。
でも、それを伝えるには明かさないといけない。
僕の存在意義を。僕の夢を——。
「ティタ。信じられないかもしれないけど⋯⋯」
僕はそこで全てを打ち明けた。
僕が勇者の末裔であること。魔王がこの世界に誕生したこと。魔王を倒すために必死に力を身に着けようとしていること。そして、世界を平和にしたいということ。
最初は間違いなく疑っていたティタだったけど、次第に表情は真剣なものに変わっていった。
「⋯⋯これが僕が全力で頑張っている理由だよ」
「なるほどな」
「信じてくれるの?」
やけに素直に頷くティタを見て、僕は少しだけ意外に感じた。
「余りに馬鹿馬鹿しすぎて逆にな。騙すんならもっとマシなこと言うだろ。それに、腑に落ちることもある。ハンスさんがテメェを気にかけていることとかな。で、何でそれをアタシに言った? 秘密事項だったんだろう?」
「言わなきゃいけないと思ったから。僕が全力で生きているのはティタと同じなんだ。ティタも騎士団に入るために頑張ってるんでしょ? それだけの技術は普通身に着けられないよ」
「戦士クラスの奴らに聞いたのか」
「ごめん。だから、僕も言わなくちゃって」
僕が頭を下げると、ティタは乱暴に自身の頭を掻いた後で、諦めたように話を始めた。
「⋯⋯アタシは昔、魔物に村を襲われたんだ。で、家族も友人も殺された。そんなアタシを助けてくれたのがハンスさんだった。あんな格好良くて、強くて、魔物に襲われた人の悲しみを救える存在に憧れて、アタシは騎士団を目指したんだ。強くなるのが全てだった。独りで強くなるんだって。だからハンスさんに目を掛けられているテメェが許せなかった」
ぶっきらぼうに話しているようにも見えるけど、きっと違う。
僅かに震える声や、合わない視線、落ち着きのない手元。彼女なりに、何かを懸命に話そうとしてくれているのだろう。
「でも、ダメだな。アタシ独りじゃ限界なのかもしれない。テメェを見てるとそう思うようになっちまった。仲間に囲まれて、それでも強くってな。しかも勇者ときたもんだ。アタシとは持ってるもんが違う」
少しだけティタの瞳の奥が揺れた気がした。
「同じだよ! 僕もティタもみんなも! ここにいる人は誰かのために頑張っているんだ! その気持ちは絶対に嘘じゃない。だからティタも本気だったんでしょ? みんなもわかってたよ。だから、一緒に頑張ろうよ。一緒ならお互いもっと強くなれるはずだから!」
咄嗟に出た言葉。
ムスク姉ちゃんにも以前、同じように想いを口にしたことがあった。
理由もわからない。意味だって無いのかもしれない。
それでも、考えるよりも先に出たこの想いは、間違いなく僕の本心だった。
「テメェ⋯⋯」
ティタの目が吊り上がる。
そこで僕はようやく我に返った。
本心とはいえ後先も考えずに出した言葉だ。
ティタに不快感を与えてしまったのかもしれない。
冷静になり、自分の過ちに気づいた僕だったが、予想と反し、次に聞えてきたのはティタの笑い声だった。
「アッハハハ! テメェ、マジでハハ。馬鹿だろ! んな真面目に真っすぐに言うかよ。本当、馬鹿みたい」
涙を溜める目を擦りながらティタは笑い続ける。
どうして突如笑い出したのだろうか。
僕は困惑しつつも、気づくとティタの笑顔に目を奪われていた。
やっぱりティタもひとりの可愛らしい女性なんだ。
彼女の見せた初めての笑顔に、僕はただそう思った。
「あぁー腹痛ェ。にしてもアタシに勇者だって言うかよ普通。それともアタシは友達いねェから広まらないだろうってか?」
「そんなこと思ってないよ。そもそも友達なら僕がいるじゃん」
当たり前のようにそう言うと、一瞬ティタが固まった。そして、次の瞬間には顔を真っ赤にして、僕の肩を思い切りに殴っていた。
「きゅ、急にんなこと言うな馬鹿!!」
「うぐっ、痛い⋯⋯」
「だ、黙れ! テメェが悪いんだからな! もういい。アタシは帰る!!」
ズカズカと建物の外へとティタは向かう。
どうしよう。結局怒らせてしまったみたいだ。
僕が殴られた肩に手を当てて後悔していると、外に出たティタが突然止まってこちらに振り向いた。
「⋯⋯明日またここに来い。そしたら少しは教えてやんよ。エリオン」
それだけ言うとティタは勢いよく扉を閉めた。
相変らず乱暴だったけど、彼女との関係が明確に変わったのはきっとこの瞬間からだった。
それ以降、毎日僕は放課後になるとあの訓練室に行き、そこでティタと一緒にお互いを高めあった。
最初はやっぱりティタのことが怖くもあったし、彼女も乱暴に接していた。でも、訓練室での日々を過ごすうち、段々とティタのことがわかるようになった。
突き放すような言動は照れ隠しだってこととか。本当は凄く繊細で優しいってこととか。
それに、ティタが僕を見る目も変わったような気がする。
最初は睨みつけるような鋭い目つきだったのが、今ではよく笑うようになった。優しさを含んでいるような、どこか余裕のある柔らかな目をするようになったんだ。⋯⋯他の戦士クラスのみんなには相変わらずだったけど。
それだけ信頼されているってことなのかな。
最初に出会った時だと考えられない事だけど、今はティタと仲良くなれたことが心の底から嬉しかった。
そうしてティタとの秘密の訓練を初めてひと月が経った頃。
食堂でいつも通りニオと一緒に食事をしようと僕が席に着いた時、真正面に座った彼女がこんなことを聞いてきた。
「⋯⋯ねぇエリオン君。最近何かやけに嬉しそうだよね」
「えっ、わかる? 実はまた友達ができたんだ!」
「そう。ふーん。そっかそっか」
「何か、怒ってる?」
「まだ怒ってないよそんなには。でも相手次第かな~。で、誰なのかなぁエリオン君。その嬉しくて嬉しくてたまらない程の可愛いお友達さんは?」
ニオは優しく微笑んでいるけど、目が笑っていない。これは怒っているときの顔だ。
「いや、えっとね⋯⋯」
僕がどうにかニオを宥めるための言葉を探していた時、彼女の隣に誰かがドサっ、と乱暴に腰を下ろした。
「よぉ。テメェがニオだな。いっつもエリオンと居るんだってな?」
「⋯⋯ティタ。だったよね? 戦士クラスの」
突然隣に座ったティタを、ニオが訝しむように見つめた。⋯⋯なんだろう。凄く嫌な空気になった気がする。
「知ってるのか。そりゃあ光栄だ」
「有名だもん。で、一匹狼のティタがどうしてここに? こういうところ、好きじゃないんじゃないかな?」
「まぁな。でも、エリオンがいるならどこでも大好きでね。つーわけで、これからはアタシも一緒に飯食うからよろしくな」
「ちょっ⋯⋯!」
ニオが慌てて何かを言おうと立ち上がった。
でも、そんな彼女よりも先に僕はティタに言う。
「本当!? 嬉しいよティタ! ニオも良かったね。もっと楽しくご飯が食べられるよ!」
「⋯⋯むぅぅ。エリオンくーん。本当に、本っっ当にそういうところなんだから!」
勢いよくニオが僕へと指を差した。
何であんなに怒っているのだろう。凄くいいことなのに。
僕は少しだけ妙に感じながらも二人を見つめていると、ティタが笑ってニオへと手を伸ばした。
「ホラ、エリオンもこう言ってるしな。これからよろしくな聖女様。言っとくが、テメェにだけは絶対ェに負けないかんな」
「こちらこそよろしく! 私だって負けないんだからね!」
お互いに笑って握手をしているけど、やっぱり目が笑ってない。凄く怖い。
「えーと、とりあえずご飯を食べようよ。僕もうお腹ペコペコだ」
明らかに異様な空気の中で、僕が言えることはそれだけだった。ご飯を食べればきっと二人の怒りも収まるはずだ。
「よーし。アタシが飯選んで持ってきてやるよ」
机を両手でバン、と叩いた後でティタが勢いよく立ち上がる。
「ううん。私、私が行くから!」
負けじと続けてニオも立ち上がる。
よくはわからないが、二人はまるで何かを競い合っているようだった。
「いやいや、聖女様をパシらせるわけにいかねェだろ? 遠慮せずに待ってろよ」
「君にはエリオン君の食べたい物はわからないと思うけどなぁ。まぁ今日までずっとエリオン君と一緒に食べてきた私なら別だけど」
バチバチと目から火花を散らせるように睨みあった後で、二人は全速力で料理を買いに走っていった。
「⋯⋯どうしたんだろう二人とも」
ひとり残された僕は、静かになったテーブルを少し寂しく感じながらも、ぼんやりと二人の背中を見つめていた。




