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終末世界の片隅で  作者: 朝倉春彦
Chapter1 無知な女と終末危機
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4.特異点の奇蹟 -Last-

「…失礼。ちょっと良い?」


私は街角で煙草を吸っていた中年男に声を掛けた。

声を掛けるとともに、手にしていた手帳を彼に見せつける。

それだけで、目の前の男はこの世界から一時的に切り離された。


「オーケー…」


私はそんな男の首筋に難なく注射器を突き立てると、中身を全て注入しきってから抜き取った。

手帳とレコードを仕舞って、レコードを代わりに取り出して、中身を確認する。

先ほどまで真っ赤な文字で表示されていた男の名前は黒い文字に変わり、違反していたレコードの文章に変わる、男の新たな運命が次々に上書きされていった。


「…」


この男の結末は、この可能性世界が消えるまで残されている。

この世界はあと1日と少しで消えるのだから、天寿を全うするということだ。


「あと1日と5時間28分…悔いのない人生を」


私は未だにこの世界に帰ってこないで、どこか虚空を見続ける男にそう呟くと、丁度青になった信号の方へ足を踏み出した。


今は1986年8月2日の12時半過ぎ。

勝神威の街角で、私は一昨日あたりから急激に増えだしたレコード違反者達を処置して回っていた。

さっきの男で、一昨日から数えてもう49人目。

今日だけでももう12人目だ。


私はポケットから取り出した煙草の箱から一本取り出して咥えると、ライターで火を付けて煙を吐き出す。

煙草の箱と入れ違いに取り出したレコードには、処置を促す文言がズラリと並んでいて、今日中にあと11人は処置しないとダメであることが記されていた。


私が担当するのは、その中でも半分ほど…6名を処置できれば、今のところは仕事終了だ。

残りは、私を監視するという名目で残ってくれたもう一人の私がやってくれる。

私は歩道を渡り切って、少し歩いたところの道路脇に止めた車の元までやってくると、鍵のかかっていない運転席のドアを開けた。


ふーっと煙を吐き出して、灰皿に煙草の灰を落としてから煙草を置く。

キーシリンダーにキーを挿し込んで、捻ってエンジンをかけると、風量が全開になっていたクーラーがエンジンと共に唸りを上げた。


夏の日差しのおかげで、少しだけ汗ばんだ体に生温い風が吹き付けられて…その風はやがて冷風となる。

ほんの少しだけ体を冷やして風量を一段緩め、煙草を咥えなおした私は、クラッチを踏み込んでギアを1速に入れると車を車道へと滑り込ませた。


レコードによれば、残りの6名は勝神威の中心地に居るらしい。

ついこの間、最上階の住民を抹殺しに行ったマンションに6人。

Zの鼻先を中心部の方角へと向けた私は、久しぶりにラジオのスイッチを入れた。


「……」


世界が終わる1日前でも、ラジオのニュース番組は相変わらずの内容を伝えてきた。

政治家の汚職疑惑から、芸能人の色恋沙汰…他愛のない地方の事件・事故に、ほんの少しだけ触れられる海外のニュース。

まだ、私は世界が終わった場面に遭遇したことは無いのだが…それでも、明日で終わるという世界の中で流れるニュースが、明後日以降の未来の話をし始めると、ほんの少し物悲しくなってくる。

私の周囲にいる車の中の人も、歩道上に居る人も、明日には成す術がなく呆気なく姿を消すものだと思うと、妙な感覚に囚われた。


私はそんなに遠くないマンションの近くへと車を走らせると、彼女からの伝言に従ってZを地下の駐車場へ入れた。

伝えられたのは、地下駐車場の隅にある一台の車の横のスペース。

私は銀色の車を探しながら、ノロノロとした速度で駐車場内を彷徨い、そして見つけた。


車を止めて、エンジンを切り、短くなった煙草を灰皿に捨てて外に出る。

バタン!というドアを閉めた音が、暗く涼しい地下に響き渡った。


Zの横に止められていたのは、銀色の車…この形はポルシェだろうか?。

彼女によれば、彼女の相棒なる男がこのマンションの地下の一角を私物化しているらしい。

私は、丁度1台分空けているスペースに車を止めさせてもらえた訳だ。


銀色の車の周囲に不自然に切り込みがある事に気づきながらも、私は仕事を先に終わらせるためにマンションのエントランスへと向かう。

上階へと向かうエレベーターを呼び出して、待つこと数十秒。

ゴトゴトと音を立てながら開いた扉の奥に入っていき、レコードが示してきた階層のボタン…3階を押す。


……そして、3階に着いてからは一昨日から変わらずやって来た仕事のリピートだった。

手帳と注射器を手に持って、処置対象がいる部屋のチャイムを鳴らし、出てきた人物に手帳を突き出して注射器を首筋へと挿し込むのみ。


それを3階で2人、4階で1人、5階で1人、最後に10階で1人処置すれば、レコードが指示してきた仕事は上りとなる。

私は最後の一人を処置し終えると、手帳と注射器を仕舞い、煙草を咥えて火を付けた。


直近で何度もやって来た行動。

これをやる限り、私は自由にしていていいわけだし、衣食住も確保できると言えど、作業の単調さには少々飽きてしまう。


エレベーターへと戻り、地下に降り立った私は、煙草の煙を纏いながら車の方へと戻っていく。

全く障害の起きない、順調そのものな一日。

帰ったら何をやって暇をつぶそうか?だなんて考えていた私の頭の中は、車の傍に見えた人影を見つけた途端に切り替わった。


煙草を吐き捨てもみ消すと、上着の内側に括り付けたホルスターから、何時もの愛用銃を取り出しながら素早く物陰に身を潜める。

消音器を取り出して、銃口に括り付けながら、ほんの少しだけ吹き出てきた冷汗を拭った。


音が響く地下駐車場で、先ほどまで響いていた私の足音はピタリと止む。

視界の奥に見えた人影がこちらに気づいた様子も無かったから、きっと誰かがいることは分かっていれど、その相手が銃を持っているだなんて夢にも思わないはずだ。


それが、この世界の住民なのであれば、だが。

だが、遠くに見えた人影が発する雰囲気はこの世界の住民のそれでは無い。

世界から浮ついた、私や色違いの彼女のような何とも言えない空気感。


向こうがもし、レコードを持っていたとすれば、きっと私の気配を受けて同じことを考えるだろうか?

そんなことを考えるのは、私や彼女が特殊な出だからではないだろうか?

そんなことを頭の中で巡らせながらも、それでも私は最悪の場合に備えて警戒を怠らない。


居るはずもないレコード所有者。

何もしてこない不気味さ。

最近、身をもって体験した経験。


私は身を潜めた車の陰から、足音を立てぬように動き出す。

馬鹿正直に車道を歩かず、止まっている車の合間をジグザグに縫って、Zを止めた方へと近づいていく。

呼吸音一つにも気を配って、そっと…それでも素早く進んでいくと、Zの運転席側のリアフェンダーの所までやってこれた。


しゃがみ込んで、呼吸を整えて、後は車の反対側へと一気に飛び出るだけ。


「……」


勢いを付けて男が見えた方向へと飛び出て銃を突きつける。


「…!」


私の眼前に映り込んだのは、分かりやすいほどに驚いた表情を浮かべた男の姿。

その男の顔に見覚えがあった私は、こんな場所で出会うはずもない彼の顔を見て思わず銃口を下に外した。


「……あー、一誠?」

「千尋?…そうだけど。僕だって分かったらその物騒な物を仕舞ってくれると助かるね」

「いえ。まだ下げない。一誠はどちら側の人間?私達のようなレコードを持った人間か、それとも、そうじゃないのか」

「答えなかったら?」

「撃って確かめる」

「そんなことはよしてくれ。僕はパラレルキーパーだよ。君は…ポテンシャルキーパーの千尋だね?」


彼がそう言ってようやく私は銃を下ろした。


「こっちの千尋から呼び出されてね。明日の軸の世界と交わりかける瞬間の準備のために来てたんだ。君とはもう少し後で顔を合わせるつもりだったけど、まさかこんな形で合うことになるなんてね」


彼は驚いた表情から、私が良く知っている優し気な緩い表情を浮かべながら言うと、銀色の車の鼻先にある壁に埋め込まれたパネルを操作し始めた。


「私が知ってる一誠は?何処かに居ないの?」

「さぁ。僕は知らない…おっと、その911の傍に居てくれる?」

「…分かった」


彼は私の問いを興味なさげに答えると、私に銀色の車の側にいるように言った。

私が彼の言うことに従って、銀色のポルシェに寄り掛かれる位置に着くと、彼はパネルのボタンを押す。


ビー!っという電子音の直後に起きたのは、地面の沈下だった。

ゆっくりと、少々の音を立てながら、銀色のポルシェが止まっているスペースだけが下に降りていく。

私は周囲を見回していたが、彼はすっかり慣れていた様子で私を見ては小さく笑っていた。


「パラレルキーパーの秘密基地ってね」


床が下がり切った頃。

得意げな口調でそう言った彼は、2m程、床が下がり切ったことで現れた扉の方へと歩いていく。

私は何も言わずに彼の背中を追った。


開けられた扉を潜り抜け、もう一つ扉を抜けて、彼が明かりが付けると、眼前には洒落た空間が広がっていた。

バーカウンターとスヌーカーの台…ダーツ盤…そして、シューティングレンジがある大部屋だ。


「何か飲む?」

「炭酸ものがあれば」


私と彼はバーカウンターの方へと歩いて行って、私は椅子に座り、彼はカウンターの奥へと立つ。

冷蔵庫から瓶のコーラを取り出した彼は手慣れた手つきで栓を抜くと、冷えたグラスに氷を入れて、コーラを注いで、それにストローを挿し込んで私に寄越してくれる。


「灰皿はあったりしないの?」

「ああ…君も吸うのか…」

「残念そうね」

「まぁ、僕は煙草が嫌いだから」

「だったら、今は吸わないでおく。兎に角、一誠がここに来た詳しい訳とか、色々と話してくれるんでしょ?」


私はそう言って取り出していた煙草の箱とライターをテーブルに載せると、コーラのグラスを持ってきて、ストローを口に付けた。


「言ったじゃない。明日の準備。それだけだよ。君が身構えるような自体にはなってない」「……へぇ」

「こっちの千尋は疑り深い…ただ、千尋に誘われてね?暇ならこっちを手伝ってくれって。ついでに、まだまだポテンシャルキーパーに成りたての君に、今後のための色々なフォローも頼まれてる」

「フォロー?」


私が問い返すと、彼はレコードを出してカウンターに置いた。


「そうだ。まず最初に今いる君の拠点を書き換えた」

「はい?…」

「このマンションの最上階のワンルームをあてがった。駐車場は、君が車を止めてた場所…このマンションの最上階には、僕達パラレルキーパーも一室を確保していて、何かあった時には連絡が取りやすくなるからね。好都合なのさ」

「……私の情報すら簡単に書き換えられるって。パラレルキーパーって立場が上だったりするのかしら?」

「ああ。それは君がまだ実績がない上に、今回の一件で評価が地に落ちている状況だからね。そんな君の"管理者"にさえなれば、身体情報以外のある程度の情報は好き勝手に書き換えられる」

「…札付きってワケ」

「そう。これは救済措置でもあるんだ。右も左も分からずにレコードを持って狭間送りになる人間が出てこない様にするためのね。"管理者"はパラレルキーパーしかなれない。そして"管理者"になるかどうかもこっちが決められる。能力がない無能なら、別に放っておいてそのまま消すことだってあるけれど、千尋を消すわけが無いだろう?腕も能力も、僕達は知ってるわけだし」


彼はそう言って、人当たりの良い笑みを消さず、そのまま饒舌に口を開いた。


「本来なら君の"水準"は最低値。そこを"管理者"権限で引き上げてる。生活に不自由はさせないよ。高いマンションの最上階の部屋に住んで、好きな車に乗れて、好きな装備品を呼び出せる。こっちの千尋が当たり前にやってたから普通に思ってるかもしれないけれど、そうなるには結構大変なんだから」

「そう。別れ際に彼女にお礼の一品くらいは渡すべきだったかな」

「感謝され慣れてないから、別にいいんじゃない?」

「……そう」

「それが、僕"達"が出来た一つ目のフォロー」


彼はそう言うと、私の背後の方に指さした。


「二つ目のフォローは、僕が適任じゃないと思うんだけどね」


彼の声を背景に、彼がさした方へ振り向くと、1人用のシューティングレンジが目に入る。

私は体を彼の方へと戻すと、小さく口元に笑みを浮かばせた。


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