4.特異点の奇蹟 -4-
ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ・・・・・・!
突如として電話のベルの音がけたたましい音量で鳴り響き、その直後には眩いほどの閃光が一瞬部屋を包み込む。
「……」
引き金に掛けた指をピタリと止めた。
「……」
ベルの音と、閃光が消え失せた時、私は呆然と自分の左手に握られた拳銃を見下ろす。
数十秒間…私にしては珍しく夢中で撃ち続けた部屋は静寂が戻っていた。
そっと物陰から顔を出す。
そして、目の前に現れた光景に思わず口を開けた。
「消えた……?」
身を潜めていた場所の反対側から、もう一人の私がそう言いながら歩いてきた。
手にしていた拳銃はスライドストップがかかったままで、彼女は慣れた手つきで弾倉を入れ替えて、ストッパーレバーを下ろす。
私もゆっくりと物陰から出ていくと、手にした拳銃の弾倉を取って…薬室に入った一発は地面に捨てた。
「……あの2人に見覚えは?」
私は多量の血痕と、弾丸の貫いた痕が残る以外、人が居た形跡も見当たらない部屋を見回しながら言った。
窓もない部屋だし、硬いコンクリート打ちっ放しの壁を見る限り、壁を破って逃げるなんて芸当も出来る筈が無い。
彼女は落ちている薬莢の一つを拾い上げては、部屋の隅に放り投げる。
そして小さく溜息を付いてから煙草を一本取り出すと、ライターを取り出して火を付けた。
「さっぱり分からない」
最初の煙を吐き出す際に彼女は短くそう答えると、来た道の方へと体を向ける。
私も煙草を咥えながら彼女の後に続いていった。
「セーラー服の彼女はきっと私と同一人物で、貴女が銃を向けてた彼女は貴女と同じじゃない?」
「そうだろうね」
「何週目かの人?」
「僕よりも以前の?…だとしても、レコードも持っていなさそうなのにレコードのことを知っていて、何も痕跡を残さずに消えていく芸当が出来るとは思えない」
彼女はそう言いながら、煙草の灰を落として、そして出口の扉を蹴って開ける。
腕時計を見ると、まだ時刻は昼の12時台だった。
日陰になった道のド真ん中を、煙草を吹かしながら歩いていく。
車を止めたトンネルまでは、目と鼻の先だった。
「他にも○○キーパーなんていうのが居たりしない?」
「居ない。僕達パラレルキーパーに、君達ポテンシャルキーパーに、あとはレコードキーパー…この3つで全て」
「……そう。なら、少し話をずらそう。私が来るまでにあの2人と会話はあった?」
「ノー。最初は"僕"と"僕もどき"だけだったんだけど、やがてセーラー服の"私"がやってきて、それからすぐだ。君がここに駆け付けたのは」
「なら、話をする暇も無かったってこと?」
「そう。レコード上存在する人間は一人もいない。レコードが感知できる人間じゃない何かが居る時点で、僕がやるべきことはただ一つ。誰か彼かも分からない"存在しない存在"を消すことだけだから」
彼女はそう言って、トンネルの中に入ると同時に拳銃を仕舞いこむ。
煙草を咥えたままの彼女の横顔は、ほんの少しだけ殺気だったように見える。
「君は何か話した?」
「話した。"ただの通りすがり"だって。彼女は私のことを知ってるみたいだった」
「知ってる?」
「当然私は知らないけれど、彼女は私がここで何をしているのか…まるで"思い出した"かのように言ってた」
「猶更気味の悪い話だけれど」
「その通り。時間あるなら帰りに家に寄ってほしい。まだ私の部屋に道具が残っているかも」
「……家に、ね」
私達はそうこういう間に、黒いZの横を通り過ぎていく。
彼女たちはこの世界から跡形もなく消えていったが、使っていた物は消えていないらしい。
「このZが消えていないということは、きっとあるはず。ほら、私が使ってたジュラルミンで出来た特注ケース。あれがあるはず」
「随分と物騒なこと。彼女は何に使うか言ってなかった?」
「さぁ?私用のためにって言ってただけ。この世界に悪影響は及ぼさないって誓ってた…まるでレコードを持ってる人間みたいな言動じゃない?」
「確かにそうだけれど。まさか仕事も上り間近になってこんなことになるなんて」
彼女はほんの少し愚痴を呟くように言うと、私達が乗って来たZの運転席のドアを開けた。
私も助手席のドアを開けて中に収まると、窓を開けて左腕を外に出す。
「どうせ後は彼を消すだけなんでしょう?」
「まぁ。時間に余裕はある…けれど」
彼女は怪訝な表情を浮かべたままエンジンを掛けて、ゆっくりと車を発進させた。
Uターンして、ゆっくりとした速度でトンネルを抜ける。
そんな速度でも家まではほんの1分も掛からない。
私達は会話も交わさず、煙草の煙を数度吐き出した頃には、家の軒先にZを止めていた。
煙草を灰皿に捨てて、車を降りる。
そして、鍵のかかっていない玄関扉を開けて中に入っていくと、迷うことなく階段を駆け上がっていった。
急な階段を上がって、廊下を渡って道路沿いの角部屋の扉を開ける。
扉を開けて視界に映り込んだのは、私が死ぬつい数分前まで過ごしていた空間。
先ほど"セーラー服姿"の私と出会ったときのまま変わらない様子で、机の上には開きっぱなしにしていた銀色のケースがポツリと放置されていた。
「これ」
私はケースの元に寄って行って中身を開ける。
旅行に使うトランクよりも少し小さいケースの中身は2階層になっていて、上階は銃の形に型抜かれたスポンジと、それに守られるようにカービン銃と拳銃が入っている。
今は銃は入っていないが…
上階のスポンジを抜き取って、下段に納められているものに目を向けた。
普段であれば銃器の弾や予備弾倉、拳銃のホルスターにナイフ等々、小物類がぎっしり詰め込まれている場所だ。
「要る?9mm弾」
私は中に入っていた、手つかずのままの9mmパラベラム弾が入った箱を取り出して机にあげる。
それ以外、下段には何も入っておらず、見たところ全てが抜き取られた後のようだった。
「丁度一つ弾倉が空になったところだし、丁度よかった」
私はそう言いながら箱を開けて弾を取り出すと、先ほど使い切って取り換えた弾倉に装填していく。
彼女は一発弾を取り上げて、何も言わずにじっと見つめると、同じように空になった拳銃の弾倉に弾を込めて行った。
「結局手がかりは無し…か」
「普段なら何が入ってるか知ってる?」
「知ってる。銃も無いなら、何よりノートがない」
彼女はそう言って弾倉に弾を込め終えると、それをポケットに入れた。
私も彼女の持つ銃よりも4発多い弾を込めると、同じようにポケットに仕舞う。
「これっきりであってほしいけれど。まぁいい。僕の相棒にはもう事の次第は伝えてあるから…今は元の仕事に戻ろう」
彼女はそう言うと、部屋を一度見回してから部屋を出て行った。
私は小さく頷いて彼女の後を追う。
家を出て車まで戻った私達は、中に入るなり直ぐに煙草を一本咥えて火を付けた。
「体に悪いって」
「そうなの?」
「自由に吸えるのも今の内。次にどの時代へ行くか知らないけど、未来だったらこんなに街中で自由に吸えない」
彼女はそう言いながらエンジンを掛けて、車を車道に出す。
すぐに小道を出て、商店街のある町のメイン通りに出て行った。
「へぇ…街中で吸いながら歩いてたら捕まる…とか?」
「そう。この前行った世界じゃ電車とかバスでも吸えない。喫煙所とかが出来て隔離されてた」
「生きづらい世の中だった?」
「まぁ、外で自由に吸えないだけ。その世界の人達にとっては普通らしいけれど。慣れなかった」
「その分この世界で吸い溜めしておくつもり?」
「君もそうした方が良い。何時までも昭和に居られる訳じゃない」
煙草を吸いながら、煙を窓から車外に煙らせながら会話を重ねていく。
ゆっくりとした速度で商店街を抜けて行き、この町の玄関口となる向日葵の咲くロータリーを過ぎて行った。
「彼を消し終えれば、レコードの大半が元に戻る。結末も変わらず…変異事象さえ起こされなければこの世界は終わり…」
「まだ昼の1時過ぎ。何時までに消すんだっけ?」
「今日が終わるまで」
「レコードによれば、彼は昨日の家に居る。問題は無さそう」
「往生際が悪い男だと思ってたけど、随分と大人しいこと」
彼女はそう言って口元を小さく笑わせると、日向につながる狭い道から札幌の方へと繋がる道に車を出した。
「生きてるときの印象とは違ったね」
「彼も永いポテンシャルキーパー暮らしで壊れて行ったのかも」
「……そんなに?私が死ぬ3年前に死んだのに」
「君の主観では3年ぶりでも、レコードを持ってしまえば何年経ったことか。可能性世界を飛び回って終わらせていくうちに時間の感覚は狂っていくでしょうし、何よりも死ぬ前の24時間と同じ24時間を味わえるはずがない」
「……どういうこと?」
「レコードを持つ者の1日は、持たない者の1日に比べて長く感じるもの。それに、彼の場合は碌な同僚に恵まれていなかったから、彼一人でやり遂げなければならない事も多かったのでしょうね」
彼女はそう言いながら、車のギアを一段上げる。
私は全開に開けた窓から少しだけ手を出して、涼しい浜風を受けながら目を細めていた。
「同情はするけれど、最期の選択を間違えたってこと?」
「……そう。きっとこの世界で事を起こすことを決めていた矢先に君が死んで運ばれてきた。良い見方を得るには遅かった」
「でも、たしか彼は"引っ張って来た"って」
「レコードに名前を書き込んでおけばいい。自分が生きていた世界に居る人間の名前を書き込んで置けば、そんな彼彼女が死を迎えた後にポテンシャルキーパーとして"こちら側"に引き込まれてくる…条件は色々あるけれどね。少なくとも彼の後に死ぬはずの君が書かれても問題は無かった」
「……そういうこと」
「きっと賭けてたんでしょうね。君が死ぬのが先か、この世界になるのが先か。結局、この世界が先で、準備も整って後戻りできなかった所で君がやって来た」
「それは飽くまでも推理だよね」
「そう。推理というより希望的観測。彼の事を僕は知らないけれど、"僕の同僚だった彼"は間違えてでもそんな事をする度胸も無い男だったから」
彼女がそう言って私の方に目を向ける。
私は小さく笑って見せると、窓を半分ほど閉めて、咥えていた煙草を灰皿に捨てた。
「確かに、"3人"の中では一番気弱だった気がするけれど。神経衰弱って訳でもなかった。人を手をかけることに違和感を覚えて他様子もないし、淡々と仕事をこなす感じで」
「そう。だったら、妄想でしかないこの"結末"が"事実"だったとしてもおかしくは無い?」
「無い。だったら本人に聞いてみる?」
「いいや。聞かずともこの世界が終われば僕のレコードから引き出せる。パラレルキーパーのレコードはちょっと特殊だから」
「そう。今度あったら本当の結末とやらを聞かせて欲しいかな」
私がそう言うと、彼女は何も返さずに小さく首を縦に振っただけだった。
「その前に僕が手を下しに来る結末にならないように」
「そっちの方が早かったりして」
「せいぜい、これから増えるはずのお仲間さん達と仲良くやらないと」
「そうしましょう」
私はそう言うとほんの少しだけ苦笑いを浮かべて、彼女のシフトレバーに当てていた左手をポンと叩いた。
「私も一人だけ、あの世界で死を迎えるのを待ちたい人が居る」




